韓日  原典『東洋平和論』 
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〔サブタイトル〕 -
〔著者〕 中川八洋
〔シリーズ〕 -
〔該当頁〕 5面
〔体裁〕 単色
〔図表〕 あり
〔注記〕 -
〔分類〕 新聞記事

 


〔媒体名〕 『서울신문』1985年11月6日付(木)
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〔号数〕 号
〔出版社〕 서울신문社〔ソウル新聞社〕
〔発行〕 1985年11月6日発行

〔備考〕 『서울신문』は「ソウル新聞」のこと。

 

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見出し
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所蔵
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国立国会図書館 なし
都立中央図書館 なし
都立多摩図書館 なし

 

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情報元
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・中川八洋「「国籍条項」撤廃という「反日」運動」199612『正論』292の見出しに、
《筆者には尊敬している韓人が二人いる。李舜臣と安重根である。亀甲船等による日本水軍を撃破した李舜臣とは(一五九二年、一五九七~八年)、日本にとっては敵将だが、東郷平八郎とネルソンに並ぶ世界海戦史上に不朽の天才提督である。
  安重根は明治の元勲で日本にとって不世出の政治家であった伊藤博文の暗殺犯であるから、日本国民にとって許すべからざる人物だが、獄中にあって「国家安危労心焦思」などを大書するその人格と識見の非凡な輝きになぜか魅せられる。とりわけ、旅順刑場での処刑直前に執筆した遺稿『東洋平和論』は、東アジアの国際関係論として陸奥宗光の『蹇蹇録(けんけんろく)』につぐ古典の一つだと思う。》
とある。

 

中川八洋『歴史を偽造する韓国──韓国併合と搾取された日本』(徳間書店、2002年)

の第五章注2に、
《なお、一九八五年十一月六日付け『서울신문(ソウル新聞)』に、『東洋平和論』について著者(中川)の解説記事がある。》(p.293)

とある。

 

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他文献
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「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」(「中川八洋掲示板」2014年4月14日付)に、当該記事が貼付されている。
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/14/142218

 

なお前掲記事には、安重根について、

《朝鮮半島には、私が尊敬する三人の朝鮮人が眠っている。まずは李朝最後の皇太子・垠(ギン)殿下。次が安重根。三番目が李舜臣である。
(中略)
 安重根を私が尊敬することについては、安が伊藤博文を殺害した「テロリスト」であることにおいて、読者は怪訝に思うかもしれない。しかし、国際感覚に先天的な瑕疵がある朝鮮民族の中では、国際情勢が澄み切った青空のごとくに見えた例外的な逸材、それが安重根。

 日露戦争期の朝鮮で、“反ロ親日”という最も正しい対外政策に立脚していた朝鮮人は、安重根を除いて誰がいただろうか。安重根こそ、一九一〇年代の朝鮮半島で、最高の“日本の友人”になる資質を存分にもつ、真正の朝鮮エリートであった。

 安重根が日本の韓国併合に反対することは、最も賢明な日韓関係策を展開した“白眉の古典”陸奥宗光の『蹇蹇録』(一八九五年、公刊は一九二九年)に従ったものである以上、非難すべきところは一点もない。非難さるベきは、安重根が、“日本史上最悪の外交”韓国併合の推進者・山縣有朋を殺害するのではなく、“人違いの重大ミステーク”を犯したことに尽きる。(私利私欲の権化であった)山縣有朋と“下劣な「反日」新聞”朝日新聞によって、韓国併合へと世論が煽動されていくなか、暗殺された伊藤博文は、日本の動きを阻止して韓国を「保護国」のままに据え置こうと苦慮する“親韓派のドン”であった。
(中略)
 私は、一九八五年の頃、「朝鮮神社」が建立されていたソウルの高台に、安重根義士記念館の館長を訪ねたことがある。安重根の著『東洋平和論』を展示するよう依頼するためだった。『東洋平和論』は、一言で言えば、対ロ防衛の日韓同盟論である。

 一九四五年八月、ロシアが朝鮮半島北半を侵略してトンデモ国家・北朝鮮をつくったように、ロシアの侵略から朝鮮半島を完全に守ることが、朝鮮民族が国挙げて堅持すべき正統な外交。これ以外の外交選択肢は、地政学的に朝鮮には存在しない。が、(ドイツ人/日本人ととも)世界の三大“外交音痴”民族である朝鮮人一般には、地政学的な自民族の運命がさっぱりわからない。卓越する安重根のみ、これを理解できた。

 かつて百済の救援に駆けつけた斉明天皇のときの百済・日本関係のような(六六〇~三年)、日韓が健全な関係を結ぶに、安重根の『東洋平和論』こそ偉大なカップリング力を発揮する古典である。「安重根義士記念館」を訪ねた後、私は韓国の新聞に、『東洋平和論』の解説記事をハングルに翻訳して寄稿した。五面に大きく掲載してくれた。『ソウル新聞』一九八五年十一月六日付け。ハングルの読める在日コリアンは、必ず一読して欲しい。》

とあり、「安重根は、二十世紀朝鮮が生んだ“アジアの逸材”」と評価している。

 

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備考
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内容
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更新履歴
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2014-04-18


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