『本居宣長の古道論』
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〔副題〕 図書館で読み解く『直毘霊』
〔著者〕 佐藤雉鳴(さとう・ちめい)
〔シリーズ〕 -
〔発行〕 ブイツーソリューション
〔発売〕 星雲社
〔発行年〕 2007-01-20
〔ページ〕 225頁
〔ISBN等〕 978-4-434-10176-2
〔価格〕 定価(本体2,000円+税)
〔箱・帯〕 箱:なし 帯:なし
〔体裁〕 四六判:18.1×12.7cm
〔図表〕 あり
〔注記〕 なし
〔分類〕 図書
〔備考〕 -
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目次
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目次 3
はじめに 6
第一章 宣長と保守主義思想
国学と保守主義思想 18
宣長論と英米保守主義思想 32
私の方法 38
第二章 宣長の政治哲学
基本概念 48
「うしはく」と「しらす」 57
権力の制限 76
時効の論理 88
君臣の分義・自由と不平等 101
世襲の原理 125
偏見・禍津日神 132
惟神の道・「コモン・ロー」 146
第三章 宣長論を読む
図書館の宣長論 160
宣長の外交思想 206
おわりに 214
参考文献 222
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関連部分
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《人類の負の遺産といわれるフランス革命、そしてこの「フランスの権利宣言」=「人権宣言」を一部とするフランス革命憲法とは一体なにか。
『正統の憲法 バークの哲学』中川八洋
「フランス革命憲法は、憲法ではない。人間をして無法とテロル(殺戮)の“悪”に煽り駆りたてた、人類史に存在してはならない「偽りの憲法」であった。憲法は、国民を“善”に向かわせる倫理的働きをもつものでなくてはならない。しかし、フランス革命憲法は、人間の“悪徳”を合法化し、国民に掠奪、放火、殺人、・・・好き放題にさせるに至った。フランス社会は無法と無秩序と化し、国民は無法者となった。国家もまた、協会〔引用者注:引用原文のママ。正しくは「教会」〕や富者の財産を奪うなど、国民の「生命、財産、自由」への侵害を恣にした。たとえば、パリ下層民による無差別テロルという一七九二年九月の大虐殺は、一七九一年のフランス革命憲法の下で実行された。一七八九年のフランス人権宣言はこの憲法の一部であった。その意味でも、フランス革命憲法は、人権宣言を含め、憲法ではない。」
(中略)
戦後日本の憲法学者の多くがフランス革命賛美派であるとのことも、今では周知の事実である。様々なかたちで宣長研究者に影響を与えたはずである。宣長論者たちがフランス革命とは反対の側に立ち、保守主義思想というものを積極的に理解していたならば、状況は大きく違っていたに相違ない。》7~9頁。
《『正統の哲学 異端の思想』 中川八洋
「フランス革命について客観的な歴史学や政治哲学の学問としての分析をせず、表面的には学問手金阿形式をとりながらその実態はフランス革命を「聖化」して、その批判をタブー視化することがフランス革命の研究のほとんどである。その理由は、フランス革命が近代社会主義を誕生せしめたこととその母胎であったからで、社会主義思想とは近代のうんだ擬似宗教のドグマであるとすれば、社会主義教の「信者」にとって、フランス革命とその発祥の地パリは、それぞれ“聖なる秘蹟”であり、“聖地”である、からである。フランス革命の研究者の多くは、フランス革命に関する「神話」の再生産をなすのを仕事(研究)と心得ている。」
「二十世紀には暗黒の全体主義の諸国家が簇生したが、その現況はすべてフランス革命に萌芽したものである。フランス革命こそは文明を野蛮へと逆行・後退させるイデオロギーの起源であり、人間の自由を破壊する政治システムの起源であった。「全体主義デモクラシーの起源」(J・タルモン)であった。そして今日もフランス革命の害毒の菌は除染されてはおらず、マルクス主義とともにそれと結合しつつ、残存して繁殖のための次の機会を狙っている。」
「社会科学の分野における日本の学界はマルクス主義者が独占的に支配している。このため、フランス革命の研究はあくまでも日本の共産革命の情報宣伝工作の一環として位置付けられてきた。」
日本では人類の悲惨な歴史としてフランス革命が評価されているとは限らない。むしろフランス革命を礼賛している。「自由・平等・博愛」なども何の疑問もなく善なるものとして漠然と放置している。バスチューユ〔ママ〕の攻略から「人権宣言」、そしてロベスピエールやサン・ジュストが中心となったジャコバン党政権の成立。その独裁政権ともいうべきものは、フランス人にとって最高存在の崇拝対象となり、いわゆる市民宗教となってしまったのである。またこれは立法権を人民の意志として絶対的優越をもつものとした結果、それがために国民自身を「不自由国家」フランスへと導くものとなったのである。
革命政府は反革命容疑者の弾圧を行うなど恐怖政治を行い、結局、テルミドールの反動といわれるクーデタにおいて、ロベスピエールもサン・ジュストも処刑を余儀なくされた。
フランス革命は人々を政治的に統合し国家を進展させ、「近代市民社会」あるいは「近代国家」を誕生させたプロセスであるとの見方が多く、この革命の非妥協性は一種の浄化作用であったとするものもある。ルソーは、人間が建設したいっさいのものを人間は破壊できる、といったという。この教理を実現させれば国家は紊乱することとなる。乱れた国家では軍が活躍することとなり、ナポレオン・ボナパルトの出現となる。ナポレオンは質問されて、憲法は諸君自身がすでに何度も破壊したではないか、憲法はもはやないのだ、と。
革命に影響を与えたフランス啓蒙主義の歴史観は主知主義的であり、進歩主義的である。またフランス革命の人たちは人為主義であり、平等と無政府的・自然的自由を崇拝し、革命権・抵抗権を主張するものであるといわれている。どこをどう見ても我が国には馴染まない。古道論を論ずる宣長論者はフランス革命および「人権宣言」の欺瞞と矛盾を指摘し得るだろうか。》10~12頁。
《同第二条は自然権、つまり「人権」条項である。バークが人間の権利ではなく、イギリス人の権利と述べていることに真実がある。日本の言論界では戦後から現在に至るまで、日本国憲法にある基本的人権を否定することは極めて稀なことである。人権批判を正面から行った中川八洋『正統の哲学 異端の思想』は戦後のもっとも優れた思想書のひとつである。》27頁。
《『フランス革命についての諸考察』 一九五七年
『フランス革命論』 一九六七年
『フランス革命の省察』 一九七八年
『アメリカ革命』 一九七八年
『ザ・フェデラリスト』 一九九一年
『アメリカの民主政治』 一九八七年
『英国憲政論』 一九一八年
『英国憲政論』 一九三一年
『イギリス憲政論』 一九八〇年
『イギリス保守主義史研究』 一九六一年
『正統の哲学 異端の思想』 一九九六年
併記しているのは題名違い版元違いの同じ本である。このように、一八世紀英米保守主義思想に関する書物は結構早い時期からあるのである。宣長論の人たちが参考にできない時期のものではない。しかし、そもそも宣長の古道論を論ずる人たちに、これらとの関連付けの意識がないのだろう。保守主義思想解読に必要なキーワードは、ほとんどこれらの中にある。》33~34頁。
《『名著の解読学』 谷沢永一・中川八洋
中川 「・・・断じて「天皇」を政治や軍事の前面にもってくることを拒絶し阻止します。天皇をできるだけ政治の外に置くことによって、その無謬の神聖性を守りつづけようと考えているからです。
福沢諭吉の「帝室(皇室)は政治社外のものなり。いやしくも日本国にいて政治を談じ政治に関するものは、その主義において帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからず」(『帝室論』、前掲、二六一頁)との主張こそ、皇室と日本国民の絆であり原理であり鉄則なのです。
三島由紀夫の皇室(天皇)論は心情において至純、しかし学問的には残念ながら欠陥に満ちていたと思います。」
対談内容は「しらす」を語っているといってよいだろう。宣長はこれを『古事記』神代之巻に発見している。日本の国体であり、深遠な政治哲学である。創作云々のレベルではない。》68~69頁。
《『正統の哲学 異端の思想』 中川八洋
「一言で言えば、現代国家の、国内法や国内政治において、主権などというものは存在しえない。存在しえない(していない)のに存在しうると信仰するとすれば、たしかに迷信と言うしかない。主権が存在しえないのは、自由を価値とする政治は、立憲主義に立脚せざるをえないからである。立憲主義とは国家権力を制限することであり、それは“無制限の権力”を否定することにほかならない。一方、主権とは無制限の絶対的な権力のことである。このために、立憲主義は、必然的に、主権を否定し主権を国内政治から排除することになる。だから、立憲主義の国家の政治には、主権は存在しえない。また存在させてはならない。」「自由主義の政治とは“法による政治”であって、「人による政治」の論理であり、未開的であり野蛮的であり文明に逆行している。日本が迷信の「国民主権」を憲法に掲げながらかろうじて文明的な自由主義の政体とその政治社会を維持できるのは自由の淵源である天皇(王)を立憲君主として戴くことによって「国民主権」の毒性を中和しているからである。」
(中略)
権力の制限は保守主義思想にとって重要な項目である。世界的な知的遺産といわれる明治憲法全七章全七六条に天皇主権はおろか、主権の文字はない。主権在民などと念仏のように唱えてきた戦後の思想状況に浸っていては亡国に至るのみである。明治憲法に内閣や総理大臣の規定がないことはやはりこの憲法の持つ欠陥であったろう。しかし、立憲君主国として「主権」という無制限絶対権力を忌避したことは賢明であったし、現行憲法に較べ、より国体を表現しているものである。》76~78頁。
《宣長「誰が言出たることもなく」と中川八洋「誰かが創ったものでもなく、ある理論に依拠したものでもない」はほぼ同義だろう。現在に伝わる古伝説や祖先の叡智の堆積はいわゆる時効の論理でしか説明できない。だからこそ正統性があるものである。》89頁。
《『保守主義の哲学』 中川八洋
「自由と平等は両立しえない。自由は「目に見えぬ」精神の高さにおける美しき行為になりうるのであり、平等は「目に見える」社会的権利などの、堕落した精神の持ち主でも感得できる次元のものである。」
「共産主義者はおしなべて狂人であるといいうるのは、平等というドグマのために、人間の死をもたらす人格破壊をためらうことなく実行することで明らかだろう。」
自由と平等は戦後の日本人の耳には抵抗のないものである。しかし法の前の平等は別として、自由と平等は矛盾するのである。日本人には自由が侵された経験がほぼ無いことから、自由がなくなることは想定できない。平等は目先の利益に関することなので、「自由と平等」がつい無意識に括られる。「自由・平等・博愛」などと念仏を唱えさせた歴史は間違いなくある意思があってのことあろう。自由に深刻さのない我が国では平等が前面に出る。四民平等、職業に貴賎なし、根源的な不平等論は禁句となった。
日本ではすでに革命は最終段階まで進行しているのである。》117~118頁。
《『保守主義の哲学』 中川八洋
「日本にたとえるならば、“世襲”の皇統の悠久を定める皇室典範(「法律」)に基づく天皇の未来への万世一系を護る日本国民の子々孫々にわたる「”世襲”の義務」において、日本国民の「自由の権利」は、「”世襲”の権利」として附与されていることになる。つまり、日本国民の「自由の原理」とは、天皇の万世への継承と自由が一体となった「世襲の原理」を母胎として発展したものであり、神武天皇から今上天皇(百二十五代)に至るわが国の皇統譜は、わが国民の“自由の系譜”となるのである。」
世襲の王を戴かなければ覇王が出現し、覇王の国は同じ論理で革命を呼び起こす。やがてそれは永久革命を生み、治まる御代には至らない。わが国は時に盛衰、世に治乱ありと言へども〔原文のママ〕、今日まで皇統を継承し臣民の自由を保持してきた歴史を持っている。君主を失った国々がその後どうなったかは明らかである。君とは天皇のことである。将軍や総理大臣などは職位であって、その名のとおり、臣下のなすところのものである。治まる御代が皇統の存続と臣民の自由が、それぞれ世襲の原理に基づいているとすることは、宣長も英国保守主義思想も変わらない。違いは英国が「権利の主張」で王と臣民がバランスしており、我が国は「思いやる心」が上下の間でバランスしている、そのことだけである。》126~127頁。
《『保守主義の哲学』 中川八洋
「人間の智力は貧弱で乏しい。明証力などそもそも初めから人間にはほとんどない。つまり、デカルト的「設計主義的合理主義」に従えば、文明社会の全容はまったく「明証」できないから、文明社会を機能せしめている数々の「真理」のほうを捨て破壊することになる。デカルト的理性主義に依拠する人間が必ず野蛮人並み、あるいは幼児的知力水準の狂った行動をするのはこのためである。一方、明証性の論理を危険と考える、「偏見」を重視するバーク哲学には、「共観妄想」にすぎない、「設計主義的合理主義」というヴィールスを除染する、強力な消毒効果があるから、われわれは祖先からの無数の「真理」を保存してその叡智によって堅実にして賢明に生きていくことができる。」
宣長、バーク、ベルジャーエフ、平泉澄、中川八洋のこれらの文意はみな同じである。保守主義者は偏見や不可知論を排除しない。凡てを合理主義で解こうとしても不可能である。しかしそれでもなお明証性を追い求めれば、一転して虚無主義となる。》137頁。
〔引用者注〕引用文中「平泉澄・・・のこれらの文意」の典拠は、平泉澄「革命とバーク」(『先哲を仰ぐ』所収)である。なお、中川八洋教授は平泉澄を左翼であるとしている。
《もし宣長の論が不毛なら、エドマンド・バーク、ベルジャーエフ、ハミルトン、バジョットらは皆、空論となる。宣長の古道論に保守主義思想を読むこともなく、見当違いの評価〔引用者注:谷沢永一『新しい歴史教科書の絶版を勧告する』所収の宣長批判のこと〕は如何なものか。『名著の解読学』では中川八洋とバークを語っているではないか。
「谷沢 イギリスの王室と貴族制度はバークというバイブルを持っている。しかし日本にはそれがない。」(『名著の解読学』)
宣長がいる。神代から人代までを宣長が明らかにした。日本の国柄を、法を、コモン・ローを示したではないか。これを学問と言わず何と呼ぼう。》147~148頁。
《『保守主義の哲学』 中川八洋
「コークが英国の近代のために橋渡しをした、中世の倉庫からとり出した巨大宝石が、普遍的な憲法原理「法の支配」であった。コークは「国王も“法”の下にある」という、ブラックストンの法諺(法律格言)をとり出してきて、国王ジェームズ一世らの君主絶対主権論を排したのであるが、日本が関心をもつべきは、この国王大権への制限のほうではなく、イギリスの中世封建時代に発展していた“法”こそが主権者であり国王をも“支配”するちう、「法の支配」という憲法原理であろう。」
『玉くしげ』の「神代に定まれる跡のまゝに行はせ給ひ・・・ご自分の御かしこだての御料簡をば用ひたまはざりし」と『保守主義の哲学』の「国王も“法”の下にある」と「“法”こそが主権者であり国王をも“支配”する」とはまったく同じ文意といってよいものではないか。宣長は開き直りでも何でもない。いわば「法の支配」について語っているのである。惟神の道、コモン・ローである。ただ「法の支配」の“法”は理解されにくい。》151~152頁。
《『保守主義の哲学』 中川八洋
「『法治主義』と「法の支配」は似てもおらず、本質的に非なるものであり、根本から相違する。「法治主義」は、制定された法律を指す。「法の支配」の“法”とは、人間の意志から超越した古来からの“神聖な真理”のことを意味する。つまり“法”は“つくる”ものでなく、祖先の叡智の中に“発見する”ものであったから、“つくる(制定する)”ものである法律は、「法の支配」の“法”にはなりえない。
(中略)
日本の憲法学会では、「国民主権」「人民主権」などという「君主主権」を転倒させた、フランス革命生まれの「国民=絶対君主、絶対主義者」論が大手をふっているが、それは憲法原理である「法の支配」に反する。
(中略)
「法の支配」とは“法”こそが“支配者”であり、「国民」も「人民」も“法”に支配され、“法”の下にあるとする、「法主権」の憲法原理である。とすれば、“法”に支配された「法の被支配者」にすぎない国民が、どうやって主権者になりえるというのだろう。「国民主権」、それは「法の支配」を破壊するアナーキズムの革命用語として、一七八九年のフランスでつくられたものなのである。」
宣長が批判者に対し、強烈な物言いをしていることがある。これは名だたる日本の憲法学者でさえ容易に理解しえなかった「法の支配」を、当時の批判者・儒者たちも理解できなかったからではないか。「かの上古の神随治め給ひし旨」が、「法の支配」が、どうしても理解されないことに苛立ちがあったのではないか。》152~154頁。
《『正統の憲法 バークの哲学』 前出
「保守主義とは、高貴な自由と美しき倫理・道徳の満ちる社会を目的として自国の歴史・伝統・慣習を保守する精神であるが、それにとどまらない。保守主義は、自由と道徳と圧搾し尽す、全体主義イデオロギーを排撃し殲滅せんとする、戦闘的なイデオロギーである。机上の理論でなく、「剣を抜く哲学」である。」
「すなわち、暴民に囲まれてヴェルサイユ宮殿からパリに連行されるマリー・アントワネット王妃の恐怖と悲しみを思い、義に馳せて、「剣を抜け!」と訴える、戦闘的な荒ぶる魂なくしては保守主義とはいえない。」
保守主義思想は漠然としたものではない。自己免疫的な作用で破壊思想に対抗するものである。宣長が排外的と言われる事にも多少の理はある。儒で染まった江戸の論壇、戦後の異常な個人主義・民主主義・虚無主義等々。この雰囲気の中で保守主義思想解説はむつかしい。バークも最初は随分苦労をしている。『馭戎慨言』をよく読めば当然のことばかりであって、これを本気で批難するとなれば、その論者は相当な嫌日か反日というほかないだろう。》211~212頁。
(以上、引用文の行間調節は引用者による)
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著者略歴
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昭和二五年生 国体論探求者
三五年間のサラリーマン生活も今は非常勤図書館生活三昧で至福の時を得ている
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所蔵
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国立国会図書館 あり(請求記号:HA24-H15)
http://iss.ndl.go.jp/
都立中央図書館 あり(請求記号: / 121.5/ 5155/ 2007)
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/search-detail.do?lang=ja
都立多摩図書館 なし
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情報元
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雉子の巣(佐藤雉鳴氏のホームページ)
http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kanrinin.html
※2014年5月22日現在リンク切れ
《著書『本居宣長の古道論』ー図書館で読み解く『直毘霊』ー 2007/1/20
本居宣長の『直毘霊』(なほびのみたま)を正しく解説した著作は見当たりません。この本はベルジャーエフ、中川八洋氏らの著作と比較して本居宣長の古道論を読み解いた私の宣長読解ノートです。》
※2014年11月05日、マウス様のご通知により、下記URLに変更ありと判明。紹介文も変更されている。
http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kigisu.htm
《『本居宣長の古道論』―図書館で読み解く「直毘霊」―
本居宣長古道論の神髄は「直毘霊」。井上毅をして「本居宣長はいかばかりの書をよみたりしか、彼人の著書をよむことに敬服にたへす。真に国学の大人なり」と言わしめた。》
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他文献
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・19961130『正統の哲学 異端の思想』
・20020110『正統の憲法 バークの哲学』
・20040430『保守主義の哲学』
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備考
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内容
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《私が宣長を読み直したのはつい最近のことである。『直毘霊』はなんの抵抗もなく、むしろ英米の保守主義思想に比肩しうる名著であると思ったほどである。ところが戦後の宣長論では古道論を保守的とはいっても保守主義思想で語られたものはない。少なくとも図書館で見つけることは無理である。古道論になるとそろいも揃って排外主義という始末なのである。これはどうしたことか。宣長古道論を邪険にしている。戦後の宣長論は異常ではないか。
宣長の古道論は一八世紀英米保守主義思想に解読の鍵がある。「保守」主義思想と聞いてアレルギー反応の我が平成日本ではあるが、見過ごすわけには行かない。》(16頁、「はじめに」より)
《宣長の古道論とはまぎれもない保守主義思想である。国学思想、神国思想という分類がある。しかし、学問的な分類は別として堅固な保守主義思想であることは間違いない。宣長は日本が生んだ偉大な保守主義者なのである。また日本という国の本来の特殊性を見抜いた人である。ハンチントンよりもはるか以前に文明日本を見たのである。一八世紀英米の保守主義思想家に匹敵する日本の保守主義者である。『直毘霊』読了以降、私は宣長擁護派となった。こんなにひどい目に会わされている宣長先生が気の毒でならない。》25頁。
《私の読み方は何も宣長から新しいものを引き出すわけではない。宣長と同じ文意をもつ英米系保守主義思想を並べて、私なりの宣長解釈をしてみるだけである。したがって小林秀雄とは別の意味で引用が多くなる。比較しながら内容を詰めて行こうとするからである。もちろん先にあげた一八世紀英米保守主義思想の著名なものだけでは宣長を解読できない。この流れを汲む最近の保守主義思想書からの援用も行わなければならない。》(38頁、「私の方法」より)
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更新履歴
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2014-05-22
2014-11-06 情報を追加しました(リンク切れサイトのURL更新)