『妄想の人権 幻想の平等』
アマゾンへ注文
─────────────────────────────────
〔副題〕 「新しい公民教科書」を考える
〔著者〕 谷沢永一
〔シリーズ〕 -
〔出版社〕 ビジネス社
〔発行年〕 2001-09-10
〔ページ〕 243頁
〔ISBN等〕 4-8284-0947-5
〔価格〕 定価:本体1300円+税
〔箱・帯〕 箱:なし 帯:あり
〔体裁〕 A5判:20.7×14.9cm
〔図表〕 なし
〔注記〕 -
〔分類〕 図書
〔備考〕 -

 

─────────────────────────────────
目次
─────────────────────────────────
はしがき 
「つくる会」は本音の共産主義を隠している I

 

目次

 

第一部
消化不良の共産主義が通底する「新しい公民教科書」を撃つ

 

第一章 公民教科書を解体する
公民の意義を問う 15
「近代社会」ですべてが語れるはずがない 17
他人事のような記述が目につく 20
民族紛争に処方する薬はない 22
奥床しいという言葉を知らぬ拝金主義と俗物根性 25
決まり文句と当り前の公式が連綿と続く空疎さ 27
無益にして不確実なる論理と言葉 29

 

第二章 取り扱いに注意すべき進歩主義
フランス革命を大仰に騙る低能ぶり 33
進歩主義とは何か 37
「産業主義」とは何ものだ 40
言っていない福澤諭吉の言葉を捏造する 42

 

第三章 中途半端な民主主義を語るなかれ
押しつけがましい論調が教科書にふさわしいか 47
主権も祖国も勘案しない国際主義とは何ものぞ 53
民主主義の解答を出そう 57

 

第四章 教科書の人権を考える
人権をふりかざす不逞の輩を斬る 65
古典を読まない怠け者たちへ 72
ねじれた解釈の人権論 76
見事に『論語』と一致した人権の正体 87
孔子を「やくざの論理」と評する石川九楊 90
「生まれながらにしてもっていて」の人権なのか 101
キリスト教と本地垂迹説 104
反日的日本人による教科書は是か非か 112
ヴェーバーの論法を換骨奪胎した 121
武家の家訓は神仏を重んじた 131
阿弥陀如来の本願 144

 

第五章 平等という名の不平等
民主主義は対等なのか 149
ルソーの法螺話の受け売りにすぎない 153
人情の抑圧を図る 155
基本的人権と自由権の違いは何か 158
人間の能力格差を問わずに平等とは 161
フランスの義務は人権と表裏一体である 163
祖先の思考に思いめぐらすのが伝統である 167

 

第二部 妄想の人権、幻想の平等

 

第六章 「妄想」の人権論
「人権」の素性を洗う 173
権利と権力の力関係 177
公共の福祉の正体 179
少数者の発案にすぎないフランス「人権宣言」 184
日本国憲法の人権を検証する 192
結論 196

 

第七章 「幻想」の平等論
平等願望は嫉妬心に発して独裁の奴隷となる 199
怪人ルソーの怨念が「平等」を生む 205
結論 215

 

附録

拝啓 田中英道様
私は喜んで辞書を読みます 221

 

拝啓 御厨貴様
たまには古書蒐集の気分もよかろう 227

 

拝啓 吉田司様
神話と伝説は不変にして健在である 234

 

あとがき 238

 

─────────────────────────────────
関連部分
─────────────────────────────────
中川八洋の『新・日本国憲法草案』〈平成三年〉に於ける人権問題は、第十一条から第十六条に至る。その要点は第十四条で、すなわち、「日本国民は、日本防衛の名誉ある権利及び義務を有する。日本国民の兵役義務、その良心的拒否、及びその他の兵役義務免除、並びにそれに代る社会的役務については、法律でこれを定める」。本来なら当然、日本国憲法に存するべき条項である。》(193ページ)

 

《平等論の検討はほぼ終ったので、最後にルソーに於ける社会契約論の意味を、驚くべく簡明に分析した中川八洋〈『正統の哲学異端の思想』〈平成八年〉の要約を聞こう。

 

  ルソーが、個人がそのすべての権利をもち共同体に譲渡することをもって「社会契約」と定義しこれを政治社会の理想としたのは、それが究極の平等社会の実現だと考えたからである。「各人はいっさいを譲り渡すので、万人にとって条件は平等となる」(二四二頁)、と。すなわち、無(無所有・無権利)における完全平等が達成されることをルソーは理想としたことになる。人間憎悪に燃えるルソーは、完全平等の実現が人間の権利をゼロとする犠牲のその代償によって達成されるということに、逆に無上の快感をおぼえたのである。人間性(人間)の破壊そのもの、それがルソーの理念であり、平等社会こそこのための有効な方法であった。
  この「社会契約」の共同体のもう一つの一大特性は、人間の関係がそれぞれに緊密であったり無縁であったりする現実の社会が改造されて、すべての人間が相互に縛りつけられて相互に一つの時計の歯車のような関係になっていることである。人間と人間との間に存在する隙間や余裕がゼロになることがルソーの理想なのである。「われわれのだれもが自分の身体とあらゆる力を共同にして、一般意志の最高の指導のもとにおく。そうしてわれわれは、政治体をなすかぎり、各構成員を全体の不可分の部分として受け入れる」(二四二頁)。
  「社会契約」の国家において、国民は全体の「不可分の部分」をなすのであり、これをルソーは「結合行為」という。一つの国家におけるすべての国民が顔を失って隙間なく「結合」している状態、それは人間の社会でなく工場における機械であって、人間一人ひとりがこの機械のパーツになっていることではないか。「人格の放棄」である。つまり、このパーツとなった人間には自由はゼロである。完全平等の追求は自由ゼロと人間性の喪失という代償を払うことになることを、平等社会を理想とするルソーは正確に洞察していたのであり、自由ゼロもまたルソーの理想であった。やはり、完全平等社会(「社会契約」の社会)とは、よく言って「人民の牢獄」であり「民主主義の修道院」なのである。
  「民主主義(民衆参加)の修道院」であれば、修道院は修道院であるから、そこでは戒律は厳しいはずで、この戒律の下で極限の制約と拘束を受けるのだから一切の自由など寸余も存在しえないし、存在してはならない。そのとおりであって、ルソーは『社会契約論』において、われわれの一般通念上の個人の自由を全否定している。

 

ルソーは民衆の不平不満に点火し、それに正義の面を被せ、世に動乱を起こす方式の元祖であった。》(213~215ページ)

 

《遊び事の競技ですら然りである。碁や将棋で勝負が済んだあと、両者の検討の真剣なこと。況や一国の命運を賭けた戦争である。勝負の分岐点はどこにあったか、何度も何度も繰り返し研究しなければならない。この研究は日本国民である限り決してなおざりにできないであろう。もちろん自衛隊では精魂こめて研究を続けている。伊藤正徳、児島襄、長谷川慶太郎、小川和久、小室直樹、渡部昇一、日下公人、中川八洋といった人たちが真剣に取り組んでいる。》(240ページ「あとがき」)

 

─────────────────────────────────
著者略歴
─────────────────────────────────
谷沢永一(たにざわ・えいいち)
1929年、大阪市生まれ。57年、関西大学大学院博士課程修了。専門は日本近代文学、書誌学。現在、関西大学名誉教授。文芸評論、社会時評など幅広い分野で執筆を展開。その歯に衣着せぬ発言には定評がある。著書に「紙つぶて(全)」「こんな『歴史』に誰がした(共著)」(いずれも文春文庫)、「百言百話」(中公新書)、「日本近代文学研叢全5巻」(和泉書院)、「人間通」(新潮選書)、「回想開高健」(新潮社)、「『新しい歴史教科書』の絶版を勧告する」「封印の近現代史(共著)」(ビジネス社)など多数有り。

 

─────────────────────────────────
所蔵
─────────────────────────────────
国立国会図書館 あり(請求記号:FC49-G93)
http://iss.ndl.go.jp/
都立中央図書館 なし
都立多摩図書館 あり(請求記号: / 375.3/ 5045/ 2001)
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/search-detail.do?lang=ja

 

─────────────────────────────────
情報元
─────────────────────────────────
・「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)――ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚」、「中川八洋掲示板」掲載
《「ルソー=偉大な哲学者/教育学の先駆者」という“毒ある逆さ神話”に呪縛された日本人を覚醒すべく、一人から始めようと、一九九〇年代の末、谷沢永一氏に『人間不平等起源論』を精読して欲しいと依頼したところ快く引き受けていただき、自著『妄想の人権 平等』(二〇〇一年、注4)〔原文のママ〕に読後感を書いてくれた。しかし、日本で正しい客観的なルソー論は、それ以上広まることはなかった。》
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

※引用文の(注4)は「4、谷沢永一『妄想の人権 幻想の平等』、ビジネス社、二〇〇一年、二〇五~一七頁。」のこと。なお、二〇五~一七頁は「第七章 「幻想」の平等論」

 

─────────────────────────────────
他文献
─────────────────────────────────

─────────────────────────────────
備考
─────────────────────────────────
目次・扉作成/石澤ヨシヒロ

 

─────────────────────────────────
内容
─────────────────────────────────
内容(「BOOK」データベースより)
人権は、世の中を騒がせるための火付け泥棒であり平等は、現実にありえない虚構を口実に人々を無限に不平に追い込む―こんな教育が罷り通るのか!消化不良の共産主義が通低する「公民」の教科書を撃つ。

 

内容(「MARC」データベースより)
人権は、世の中を騒がせるための火付け泥棒であり、平等は、現実にありえない虚構を口実に人々を無限に不平に追い込む…。こんな教育が罷り通るのか! 「新しい公民教科書」を多角的に徹底分析。

─────────────────────────────────
更新履歴
─────────────────────────────────
2014-02-28


一つ前のページに戻る〕〔サイトのトップに戻る〕〔このページのトップに戻る