論壇と文壇の腐臭
─────────────────────────────────
〔サブタイトル〕 -
〔著者〕 松本健一
〔シリーズ〕 -
〔該当頁〕 80~83頁
〔目次〕 -
〔図表〕 なし
〔注記〕 -
〔分類〕 論文
〔備考〕 立花隆「私の東大論」(『文藝春秋』八月号)、中川八洋「『日本主義者』保田與重郎という誤解」(『正論』五月号)、山崎行太郎「季刊・文芸時評(二〇〇三年・夏)」(『三田文学』夏号)批判
〔媒体名〕 『発言者』113 2003年9月号
─────────────────────────────────
〔副題〕 Monthly speak-out magazine
〔編集〕 西部邁事務所
〔シリーズ〕 核被爆国における核武装論の進め方
〔出版社〕 秀明出版会
〔発行年〕 2003-09-01
〔ページ〕 138頁
〔ISBN等〕 ISSN:1343-523X
〔価格〕 定価1000円(本体952円)
〔体裁〕 A5判 21.0cm×14.8cm
〔注記〕 -
〔備考〕
編集長 佐伯啓思
編集委員 宮本光晴、高澤季次、富岡幸一郎
主幹 西部邁
─────────────────────────────────
書き出し
─────────────────────────────────
文章力や論理的思考に、衰弱が感じられる。これは昨今の出版界の不況に原因があるのか、それとも論壇や文壇がそのトポスとしての意味を失ったため、言論が言い放しになり、相互の批判や自己省察がなくなり、腐臭を生じているからなのだろうか。
─────────────────────────────────
所蔵
─────────────────────────────────
国立国会図書館 あり(請求記号:Z23-B27)
都立中央図書館 あり(請求記号:ハツケンシヤ/ )
都立多摩図書館 あり(請求記号:ハツケンシヤ/ )
─────────────────────────────────
情報元
─────────────────────────────────
・大宅壮一文庫雑誌記事索引CD-ROM 1988-2008
─────────────────────────────────
他文献
─────────────────────────────────
─────────────────────────────────
備考
─────────────────────────────────
─────────────────────────────────
内容
─────────────────────────────────
《ところが、筑波大学教授の中川八洋氏の「『日本主義者』保田與重郎という誤解」(『正論』五月号)となると、ことはそう簡単ではない。その論考の冒頭ちかくには、こうある。
「與重郎の『祖国』には日本がない。日本の自壊と廃墟、つまり日本が国家を喪失し日本人がディアスポラ(放浪者)となることが、與重郎の生涯を貫いて変わることのなかった信条ではなかったろうか」
これが中川八洋の仮説であり、結論である。保田與重郎のどこを読んだら、このような偏見が生まれるのか、とわたしなど呆然としたほどである。保田與重郎は、わたしの理解では一種の日本=原理主義者であり、かれは「日本」を美の「原理」において捉えているために、近代のナショナリズム(「文明開化の論理」)も超克されてゆかねばならない、と考えているのである。
保田にとっては、近代の論理が超克されねばならないのであるから、中川が引用している保田の次のような言説は、近代(戦)の論理それじたいを撃つための言語戦略と理解しなければならないのである。
「近代戦を行ふためには、一日も早くこれ(原子爆弾)を使用すべきであります」
ところが、中川はこういった保田の『絶対平和論』(一九五〇年)からの文章などを引用して、次のように説くのである。──保田は核兵器を「使用せよ!」と絶叫した。しかも、敵味方無差別に、文明とその都市住民を「掃滅」せよ、と露骨にいった。その文明にはまず日本社会が想定されており、それは日本を「掃滅」しろという意味であった、と。
こういった中川八洋のむちゃくちゃな論理に対して、桶谷秀昭は「国語と『日本主義』」(『文學界』八月号)で、
「かうなるとこれはかなり低級な詐術といふべきで、保田は無論そんなことは言つてゐないのである。中川氏の引用する文章は、核兵器は近代文明の必然の帰結であり、近代戦は、いつの時代でも戦場の勇士がその時代の最高の武器を愛し、誇りとする気質によって、それを使用し、またそれによつて倒れることを本望とするであらうから、悲劇にはならず、悲惨なのだといふのである」
この桶谷秀昭の文章は、長年保田の文章をよみ、虚心にその真髄に分け入ったものであって、わたしがあえて批評を付け加えるべきこともない。文章をよむということは、このような虚心に立ち返るべき態度を必要とするのであって、それがないなら、ただじぶんの売名のために他人の文章を利用するだけのこととなる。それを、桶谷は「かなり低級な詐術」とよんでいるわけあ。
中川八洋のばあいは、保田與重郎の文章の読みかたの根底に、つよい偏見がある。その、つよい偏見が中川の文章を書くエネルギーを生みだしている、ともいえる。》
(以上、引用おわり)
─────────────────────────────────
更新履歴
─────────────────────────────────
2015-01-25