中川八洋先生年譜

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◎は「この時期」、○は「この年」、▽は「この頃」をあらわす。
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1945・昭和20年  0歳
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01月20日 福岡県に生まれる。 以後、小・中・高まで福岡にて生活する。

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1951・昭和26年  6歳
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04月    小学校入学

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1954・昭和30年  9歳
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○ 担任の女教師に素朴な質問をぶつける
《 一九四九年秋に毛沢東の中国共産党が満洲と支那全土で権力を掌握するや、朝日新聞を始め、出版界を含め日本の新聞は一斉に中共礼讃の記事ばかりとなった。小中学校では、日教組の教員は一斉に中共礼讃の授業を行った。

私事を紹介する。私が小学校四年生(9歳)の1954年、担任の(25歳にもなっていない)若い女教師は、<中共から蝿がいなくなりました>と言った。そこで私は反論したのではなく方法を知りたく、「どうやって蝿を退治したのか。蝿採り紙を、中共全土の空一面に、運動会のとき運動場の上に張り巡らす綱に万国旗を吊るすが、あれと同じように吊るしたのですか」と聞いた。睨み返されただけだった。》
「「農村コミューン主義」革命家に心酔する“戦争狂の狂人”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(19)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/16/134757

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1955・昭和30年  10歳
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○ 『朝日新聞』を読みはじめる
《朝日新聞を逆さにしないで読む日本人とは、馬鹿さも度がすぎた"日本人の恥じ晒し"の極み。北朝鮮にでも移住していただきたい。
なお私は、朝日新聞の熱心な「愛」読者。小学校五年生(十歳)のとき以来だからすでに六十年間、毎朝、朝日新聞を読んだ後、必ず逆さにしてゴミ箱に棄てるのを日課にしている。そうすると、一日が清清しく過ごせるような爽快な気分に包まれる。朝日新聞が消えた日本、それこそが真正日本を復権させる第一歩である。》
「日本の武力奪還態勢が、ロシアに返還を決断させる ──安倍晋三の軍事力なき対ロ交渉が、プーチンの対日侮蔑を増長」

○   軍艦名や戦闘経過などを各海戦ごとに暗誦
《これには思わず驚倒し、失笑した。近現代史の中でも戦史の書籍や雑誌はごまんと出版されており、戦後だけで数千点をはるかに越える。戦史マニアの数は、戦後でも1970年代までは、常時、小学生を含めて日本人男児の数十万人に上っていた。
例えば、「フォークランド沖海戦」と大人に問われれば、即座に「戦闘一九一四年十二月八日」「ドイツ側の撃沈された軍艦は、装甲巡洋艦シャルンホルスト&グナイゼナウ/防護巡洋艦ライプツッヒ&ニュルンベルグ」「ドイツ指揮官は・・・」と答える小中学生など、ごく普通で、どの学校にも二、三人はいた。私が軍艦名や戦闘経過などを各海戦ごとに暗誦したのは、小学校五年生で十歳だった(1955年)。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/01/10/231535
 
○ 日本国外務省、ロンドン交渉開始。南樺太と全千島列島をあらわす「北方領土」を造語・使用する
《外務省は、日露間ではロシアがサ条約の調印を拒絶したため、南樺太も得撫島以北の千島諸島も国際法上日本領土である事実から、国後と択捉だけでなく、これらすべてを包括する《北方領土》を造語した。1955年ロンドン交渉の開始時点、樺太引揚者たちが歓喜している光景が幾多も記録されているのは、これによる。
 また、私は小学校五年生だった1955年の外務省造語「北方領土」定義を今も継承し、「北方領土」に南樺太と全千島列島を含めている。》
「“猛毒の細菌”「領土放棄病」を撒布する“史上最凶のロシア工作員”岩下明裕」
(引用者注)「表3;“世紀の嘘つき男”岩下明弘〔ママ〕の、真赤な嘘歴史(注5)」※「岩下明弘」は正しくは「岩下明裕」の誤植

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1956・昭和31年  11歳
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01月 山田孝雄(1873-1958)『君が代の歴史』宝文館出版より刊
《知性と学識に溢れた日本の碩学で、真正の民族主義者だった山田孝雄の著作の一つに『君が代の歴史』がある。私が小学校六年生の時、山田孝雄はこの著を出版して、共産党や日教組の"君が代潰し"天皇制廃止運動・と全面対決された。何度読んでも感動が覚めやらぬ本書の掉尾を、少しばかり紹介しておきたい。》
「“共産党系アナーキスト”松本健一と民族系ファン ── 愛国ぶる民族系は、愛国心なき「反日極左」の亜種」
11月01日 鳩山一郎首相(当時)がソ連から手ぶらで帰国したと報じた『朝日新聞』(1956年11月1日付け夕刊一面)の新聞記事と写真を見て、北方領土奪還の天命を自覚する。
《1955年から「南樺太を含む〈北方領土〉奪還」に馴染んできた「(私のような)ロシア・ウォッチャー六十年」には、「四島に限定した北方領土問題の解決」など、喉に止まった異物のような違和感しかない。この奇天烈な言語は、日本人を蔑視し日本人からすべての領土を奪う「日本のロシア属国化」のための対日本人洗脳魔語。  
 1955年、私が十歳のとき(備考)、「北方領土」と言えば、南樺太、国後・択捉島、得撫島、千島列島(=クリル諸島、注記参照)を意味する言葉だった。ロンドンで交渉を始めるに際し、現在と違って愛国心を漲らせ教養ある外務省外交官たちが、南樺太まで奪還しようと造語したのが「北方領土」である。「北方領土」の原義には、愛国心がある。
備考;北方領土奪還こそは、祖国日本への自分の天命ではないかと子供心に自覚したのは、1956年11月1日、首相の鳩山一郎が羽田に手ぶらで帰国した新聞記事と写真を見た時で(注5)、私は十一歳(小学校6年生)だった。 》
「プーチンに北方領土を貢ぐ安倍晋三の「反日」狂気──“売国奴”安倍晋太郎/森喜朗/谷内正太郎と異様な絆で結ばれた“準ロシア人”安倍晋三」
 
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1957・昭和32年  12歳
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03月      小学校卒業
04月      中学校入学

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1958・昭和33年  13歳
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▽ 中学二年生の時、相田二郎『蒙古襲来の研究』(吉川弘文館、1958年)を愛読、史跡をめぐる
《 ところで、従来の蒙古襲来に関する専門書/研究書の代表は、相田二郎『蒙古襲来の研究』、吉川弘文館、か。私は、中学二年生(13歳)の時、この著を読んで暗記した。そして、博多湾の百道原(現在は「西新」という)や姪浜、あるいは今津などに遺る防塁の史跡を詳細に見て回った。生の松原の防塁跡は、まだ発掘作業が始まっていなかった。》
「安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ ──“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する」
 
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1959・昭和34年  14歳
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1960・昭和35年  15歳
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03月              中学校卒業
04月              福岡県立修猷館高等学校に入学

04月-05月 安保に反対する労組等のデモ隊に反対の意思表示をする
《岸信介は日米安保条約の改訂交渉を通じてさらに一段と、「何としてでも憲法第九条を改正して国防軍を創設し、国連憲章の集団的自衛権を堂々と行使できる普通の国になりたい」との決意を新たにした。そして、もう一度、安保条約を双務化する再改訂を誓っていた。
(中略)
 だが、岸は、安保条約の国会批准をもって、革命前夜の騒乱となった1959年秋から1960年7月までの「安保騒動」の責任をとらされて総理職から放逐された。安保騒動は、モスクワと北京が操っていたように、実際にも共産化革命の大暴動だった。私は15歳になったばかりの高校一年生だったが、この1960年4月/5月、「アンポ、反対!」とシュプレヒコールをがなり立ててジグザグにデモる労組等の群衆に向かって、随分と小石を投げつけた思い出がある。》
「安倍晋三よ、日米安保条約「双務化」改訂をトランプ大統領と今直ぐ交渉せよ──岸信介“悲願の遺言”をポイ捨てする安倍晋三」
 
▽           『神皇正統記』を暗記す
《公 ところで、読者は、『神皇正統記』を教授のように精読して暗記しているわけではないので、(以下略)》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』35
《公 (中略)ところで中川教授は、『神皇正統記』をいつ暗記しました? そのとき教授はきっと、『神皇正統記』に対して、危険視するとともに、不快感をもったでしょう。(中略)
教授 (中略)なお、『神皇正統記』と『愚管抄』は、私は高校一年生(十五歳)のときに暗記しました。『愚管抄』は、後鳥羽上皇に批判的にすぎ、賛成できかねるものを感じました。
公 教授は、後鳥羽上皇を、和歌だけでなく(『新古今和歌集』)、その文武の才において高く評価しているからね。承久の乱に際して、もしその当時の武人ならば、教授は後鳥羽上皇のもの〔ママ〕に馳せ参じているでしょう。
とすると、承久の乱での北条泰時の行為を許す、栂尾の明恵上人についても・平成の頼山陽・中川教授は好きではないな。北条義時・泰時親子に強い嫌悪感を持っているのではありませんか。足利義満にはもっと憤慨しているでしょうか。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』145・146

※参考:『愚管抄』について
《天皇の「親政」の、一千年近い一つの時代が、たそがれの中でまさに暮れなんとすることを正しく予見し、新しい政治体制を模索した、政治思想家がいた。当時の最高の知識人であり、また朝廷の重鎮でもあった、慈円大僧正である。
慈円は、後鳥羽院の天皇「親政」への復帰の企て(プラン)を聞き、これに反対し、大著を奉呈した。これが有名な『愚管抄』(一二二〇年)である。この書は、ロックの『市民政府二論』(Two Treatises of Government)などに優るとも劣らぬ、古今東西の近代政治史上に輝く、政治思想書である(単なる史論では決してない)。
その趣旨は、「天皇親政(君主制)」から「”道理”の支配する天皇・政治権力二元政治」への移行と確立を説いたものである。なお、”道理”とは、ヨーロッパ風にあえて翻訳すれば、「憲法(constitution)」であろう。(以下略)》 19840503『新・日本国憲法草案』148。
(引用者注)なお、ジョン・ロックの評価は、この後変化を遂げていると思われる。

※参考:『神皇正統記』について
《『神皇正統記』の問題は二つ。第一は、後醍醐天皇を「正統 しょうとう right lineage」だと論じたことの過誤です。現に、後醍醐天皇は「正統」にはなりませんでした。「正統」か否かは、その後の歴史が定めるのであり、それなのに北畠は、後醍醐天皇の項では、突然、「後醍醐天皇は正統だ」と書いたプラカードを振り回し、スピーカーの音量を上げてデモ行進する始末。
第二は、『神皇正統記』の過誤ではないのですが、これを重視すると「北朝」が「正統」であることが否定され、昭和天皇の「正統」もまた否定されるからです。北朝全体を「閏統」とする馬鹿げた思想が、現に明治末に生まれ、それが天皇制廃止の「コミンテルン三二年テーゼ」と基底で合体する負の働きをしてしまいました。この意味で、天皇制度の護持にとって『神皇正統記』は有害図書であり、敬して遠ざけるべき高級古典です。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』145-6

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1962・昭和37年  17歳
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10月22日 高校三年生の時、J.F.ケネディ米国大統領のキューバ演説に感銘を受ける
《ジョン・F・ケネディ大統領は米国史上、大変な名演説家である。読む限りにおいてエドマンド・バークやウィンストン・チャーチルにははるかに及ばないが、耳で聴く限りにおいては、米国大統領のうち、レーガン大統領に次ぐのは(注1)、文句なしにケネディだろう。
 ケネディ名演説は幾多もある。私が最も感動したケネディ演説は、何といっても「キューバ危機」時の1962年10月22日のそれである。私が高校三年生17歳の時で、今から五十四年前だった。》
《 ジョン・F・ケネディが、1962年10月、ソ連に対し、キュ―バに建設するSS4&5核弾道ミサイルの撤去を強制するに当り、米国民に喚起した一つは、1930年代にヒトラーが侵略的行動を次々に実行しているのに、これを断固として阻止する、あるいはそのような行動を不可能にする防衛策を採らなかった、英仏の愚行の歴史を繰り返してはならないということであった。》
《英仏が多少汗をかくような外交努力を要したのは、ヒットラーの侵略行動の中では、オーストリア合邦を阻止する事、ただ一つしかなかった。その方法についての説明は少し長くなるので、ここでは割愛する。なお、英仏が、表6にリストしたように、実に簡単・容易な対策を実行していれば、欧州での第二次世界大戦はなかった。ケネディ大統領は、この事を、1962年10月、アメリカ国民にラジオ/テレビで演説したのである。》
「中共の軍艦出動は、尖閣への侵略決行の前哨行動 ──オバマの広島演説が招いた、日本への中ロ同時侵攻の跫」
 
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1963・昭和38年  18歳
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03月            福岡県立修猷館高等学校卒(東京修猷会会報第3号、1991・平成3年11月1日発行)
引用者注:藩学修猷館(修猷館高等学校の前身)卒業生の一人として金子堅太郎がおり、明治18年(1885)5月30日「福岡県立英語専修修猷館」再興に尽力した。

04月            東京大学教養学部入学(理科一類)
引用者注:東京大学の入学者は全員が教養学部(前期教養課程)に所属し、2年間の前期課程を履修する。なお、1962年04月01日に後期課程に基礎科学科を設置、前期課程の4科類(文科一類・二類、理科一類・二類)は6科類(文科一類・二類・三類、理科一類・二類・三類)に再編された。
 《安倍晋三だけではないが、現在の日本人は、東大と東大卒霞ヶ関官僚に関して、深刻な現実を知らない。たとえば、現在の東大卒の知力/人間力の水準は、一九五〇~六〇年代の東大卒に比して、一・五ランクほど低い。日本人が想像している「東大」など、平成時代に入ってからの日本には存在しない。 
例えば、私が一九六三年に入学した理Ⅰを水準とすれば、学内調査によると、現在、東大に合格している七割以上は一九六〇年代の東大には万が一にも合格しない。一九五〇~六〇年代に比すれば、東大は「東大」ではない。》
「家族解体(フェミニズム)と日本共産社会化に爆走する安倍晋三 ──半コミュニスト安倍を支配する・凶悪コミュニスト"菅義偉」
 
《(私が1963年に「駒場」の東大理一(=旧制第一高等学校の理科)に入学した頃)「東大アホウ科」だと蔑まれたにせよ、プライドだけは高い東大法学部全体にとって、“オソマツ東大法科卒”長谷部恭男が大学教授として活躍するとは、自ら信用と評価を低下せしめる!と眉を顰める思いだろう。》
「“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の“逆・憲法学” ──警官の制服を着た強盗が「強盗を捕まえろ!」と大声で騒ぐに同じく、“反・立憲主義者”は、「立憲主義!」を連呼する」
 
《そればかりか、口先では“原発推進!”を絶叫する自民党国会議員は100名を超えて極めて多いが、その中で、真剣に「脱原発」を粉砕するために立ち上がったものは、実は一人もいなかった。細田博之や高木毅の名をあげれば、「やはり、そうだったか」と誰しも納得しよう。高木毅は“女性のパンティ盗みが趣味”という男で、高木の原発推進の掛け声に一欠けらの誠意も熱意もなかった。細田博之は、私とは東大の同級生だが、粗大ごみ級の痴呆老人。さっさと永田町から消えるべきである。  
 このように、原発推進の自民党国会議員の中で、菅直人首相によって国の行政となった「脱原発の嘘と国家的犯罪」を簡単に突き崩す“脱原発運動にとって最大の弱点”である「セシウムの生物学的半減期」という科学知を自分のもの(=武器)にして闘おうとする政治家は一人もいなかった。自民党の原発推進派は、自家撞着はなはだしい、「脱原発」派が半分占める経産省任せの堕落と腐敗が、その基本路線である。「脱原発」狂の菅義偉官房長官を恐れる、原発推進議員も少なからずいた。》
「非科学の極み「除染1ミリシーベルト目標」は、日本経済の破滅を狙った“悪の北朝鮮人”菅直人の大犯罪 ──ニュートン的科学に基づく丸川珠代・環境大臣を応援せよ!」
※細田博之は昭和19年4月5日生まれ、昭和42年3月東京大学法学部卒業、1990年初当選の自由民主党衆議院議員。
《米国の一流大学はレベルが高く、東大の非ではない。東大なんか生まれながらの秀才にとっていっさい受験勉強せずとも簡単に入学できるが、米国の一流私立大学はそうはいかない。私の学歴は「東大理Ⅰ/工学部(備考)→スタンフォード大学大学院」だから、東大の教師・学生のレベルが、スタンフォード大学の足下に及ばないことを冷静に観察できた。世界ランクの、スタンフォード大学が「世界3位」に対し東大が今や「43位」は、納得できる。
備考;私が東大に入学したのは、(理Ⅲは関東圏の医者の息子が行く地方大学。文Ⅰだと頭が悪いかに誤解されるので嫌厭し、全国のトップ秀才は猫も杓子もまだ理Ⅰに行く時代だった)1963年。それでも、スタンフォード大学の法科大学院や工学部のレベルの高さには驚愕した。それから五十年、東大の質は上がるどころか、一ランク下の別大学となり下降の一途を辿っている。》
「文部省の大学入試改悪は、大学劣化/日本人劣化を目的の“日本衰退”化革命──北朝鮮人文部官僚(寺脇研)の“ゆとり教育”を容認した“自民党の暗愚”は繰り返されている」
○  ドイツ語を習得するため、ゲーテ、ヘルダーリンの詩を暗記する
  《また、福田和也氏のお陰で、大学に入ってすぐドイツ語を習得するために、多少ですが、ゲーテとともに暗記したヘルダーリンの詩を、懐かしい思い出の中で読み返すことができましたのも、(以下略)》『福田和也と《魔の思想》』301

▽   旧軍出身の自衛隊OB数名に択捉への部隊出動をしない理由を尋ねるも明答を得られず
《国後・択捉島について、日本人は全く忘れているが、ロシアは米国の圧力により、この二島をいったん手離したことがある。一九六〇年一月だった。このとき、二万五千人の国後・択捉島への侵略&不法占領のロシア軍は一兵残らず引き揚げた。つまり、「日本の自衛隊が独断で進入するならどうぞご自由に」の状態にロシアはしたのである。しかも、この国後・択捉島の非武装化期間は永く、一九七八年五月までつづく。
つまり、一九六〇年一月から一九七八年五月の十八年間という永い充分な期間がありながら、日本の政府も首相も、一度も北方領土の無血軍事占領を決断しなかった。私は、一九六三~七年の東京大学在学時代、旧軍出身の自衛隊OB数名に「自衛隊は、戦闘にならず、無血占領できるのに、なぜ択捉島への部隊出動をしないのか」と尋ねた。が、だれ一人として要領を得た回答をしなかった。モゴモゴと意味不明な言い訳しか返ってこなかった》
「日本の武力奪還態勢が、ロシアに返還を決断させる ──安倍晋三の軍事力なき対ロ交渉が、プーチンの対日侮蔑を増長」
 
《 要するに、ロシアは侵略した領土を正当化するために条約や協定を欲するけれど、手放す時は条約や協定を徹底的に嫌悪し排斥する。理由は二つ。第一は、そのようなものは再侵略する時に障害になるからである。第二は、神に孕まれた無謬のロシアに、恥ずかしい領土放棄の証拠文書など存在してはならないと信仰しているからである。
 日本の外務省も政治家も、このロシア民族の基本行動を知らないから、ロシアが「北方領土を返還するので、どうぞ進駐して下さい」のシグナルだった、1961年から1978年の十七年間に及ぶ、北方領土の完全非武装化時代を、日本はフイにした。私は、東大在学中(1963~67年)、旧帝国陸軍の親英米系の元将校たちに、なぜ陸自は無血進駐をしないのかと説いて回ったが、皆、ただポカンとして無反応だった。日本人がロシア民族の対外行動パターンを熟知していた時代は、小村寿太郎・外務大臣の引退をもって消えたのである。》
「安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ ──“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する」
《再度強調する。ロシアは、1961年、米国政府の対ロ圧力の成果だが、国後・択捉島を日本に返還した。なぜなら、ロシアはそこから一兵残らず撤兵したからである。ロシアが米国の撤兵要求を飲んだ理由は、簡単明瞭。ロシアは、(ワシントンとニューヨークを標的とすべく、翌年1962年に)キューバに核弾道ミサイルSS4&SS5を配備する予定で米国と全面戦争の瀬戸際を覚悟せざるを得なかった。また、この1961年には西ベルリンを東ベルリン・東ドイツに併呑する賭けに全力投入中で、すでに熱戦直前の勢いで米国大統領ケネディと全面対決していた。
 それに加えロシアは、北ベトナムをして南ベトナムに本格的な侵略をさせる準備も開始していた。このため、ロシアは、北海道侵攻など将来にわたって余裕がないと判断したのである。「択捉島からの撤兵=日本の自衛隊の進駐」は、これら地球規模の共産圏拡大に比すればゴミのような退却にすぎないと判断して、その放棄・返還を決めたのである。  
 だが、日本政府は、ロシアにとって「返還します」と同義の撤兵が完了したのに、陸上自衛隊に進駐を命令しなかった。私は、1965年の大学三年生の頃、1961年からすでに四年間も進駐しない、陸自の無為無行動が不思議でならなかった。米国も、1961~2年、「ベルリン危機」と「キューバ危機」という二つの大問題を抱え、てんやわんやで、日本に「進駐を決行せよ」との指示も示唆もしなかった。どうも米国は、すっかり忘れてしまったのが事実のようである。
 だが、この米国の忘却は瑕疵とは言えない。国後・択捉島は、米国の領土ではないからだ。 国家への重大な義務を果たさなかったのは日本政府であり、担当の外務省と防衛庁の罪は大きい。なぜなら、両官庁とも、この進駐問題をいっさい議論していない。日本はすでに1961年、主権国家ではなかったということか。日本は、1930年代からの大東亜戦争という“国に叛く”祖国叛逆を大義としたことで、“国を守る”という精神と意思を腐食的に喪失した。》
「北方領土奪還に、魔語「国境画定」の排斥が緊急不可欠 ──“正語”「領土」を抹殺するロシア対日工作員を可罰する立法を!」
 
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1964・昭和39年  19歳
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1965・昭和40年  20歳
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04月        東京大学工学部航空学科に進学
〔注〕『航空宇宙会だより』第26号<平成24年>に「航空機の卒業設計・・・・・・卒業設計は戦前から続く当学科の伝統であり、山名正夫先生、中口博先生、佐藤淳造先生と引き継がれてきた訳ですが、そのスタイルを踏襲しながら、現在も続いております。毎年10 月ごろに、4 年生の航空宇宙システム学コース31名を学生の希望に従って航空機と宇宙機の班に分けます・・・・・・例年、学生数は航空機2に対して宇宙機1程度の割合です。」(http://www.aerospace.t.u-tokyo.ac.jp/alumni/letter/resources/26.pdf)とある。
○ 核兵器開発・核戦略の研究を開始
《1、私(中川八洋)が核兵器・核戦略の研究を開始したのは一九六五年、東京大学工学部航空学科宇宙工学コースの三年次で二十歳であった。最初の研究は、大型ICBMに複数の核弾頭を搭載し、最終段ロケットから切り離された後、これらの核弾頭をそれぞれ少しづつ時間差を与えて台座から切り離すことにし、また超小型ロケットをこの台座に取り付け噴射させ自由落下軌道を飛翔する各核弾頭の軌道をかすかに変更し、敵の迎撃弾道ミサイルが宇宙空間で爆発させる小型水爆の爆風域から逸らせ(備考)、発射時に設定された敵の標的に着弾させるまでの最適軌道を算出する数学的方法の予備的研究であった。
(備考)1960~70年代、敵弾道ミサイルに対する迎撃ミサイルは、1980年代以降の非核・機械力のものとは異なって、宇宙空間で超小型水爆を爆発させ、その爆風で敵弾頭を破壊する方式。1980年代以降は、着弾に向かう敵弾頭の最終飛翔軌道が高精度に推算できるので、宇宙空間&成層圏内で非核でも破壊する方法が可能になり、かつての宇宙空間に放射能が残留する水爆迎撃方式は完全に捨てられた。
2、次に私(中川八洋)は、日本核武装のうち投射手段に関する研究を、1960年代末に始めた。最初のそれは、インド洋にソ連海軍が展開していない軍事態勢を活用し、恩師の一人である糸川英夫先生がL(ラムダ)ロケットの後継に構想されていたM(ミュー)ロケットを軍事転用し、その改造型を潜水艦発射SLBMにすることを研究した。日本が所有する、(構想・研究上の)SLBM潜水艦の護衛は、日本の海上自衛隊ではできないので、インド洋に展開する英国東洋(極東)艦隊に依頼すべく、英国との間で新しい日英同盟を締結する外交交渉の研究も含まれていた。 が、1971年、英国は財政難から東洋艦隊を閉鎖することとなり、同時にソ連海軍がインド洋に出没し、インド洋を日本製SLBM発射域とする道は途絶えた。それは同時に、米国がインド洋に限ってのみ嫌々ながら了解する、日本のSLBM潜水艦方式の日本核武装の葬送であった。》
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」
 
○ 大東亜戦争に本格的な関心を持つ
《私が帝国海軍に興味をもったのは、東大航空学科(大学では三年生)に進学した、二十歳になったばかりの頃であった。教官に帝国海軍の元・技術将校が幾人もいたからである。山名正夫・教授は陸上爆撃機「銀河」の主任設計者で海軍大佐だし、鷲津久一郎・教授は海軍大尉、中口博・教授も海軍中尉であった。
鷲津先生からは、しばしば呼び出しがあったが、用事は雑談の相手を十分間ほどする役目であった。いつも「君の会話は、エンターテーナーだ。楽しいよ」で、お開きになった。「美こそ性能」が持論の航空機設計者であった中口先生は、「水彩画の趣味をもつように」とのアドヴァイスを私に何度もされた。山名教授は暗く一度も会話をしたことはなかったが、ある土曜日の午前、誰もいないと思って下駄で廊下を歩いていたら、研究室から飛び出されてきて「下駄は(音がうるさいから)禁止!」と一喝された。このとき、「桜花」問題が口まででかかったが、黙したまま急ぎ建物の外に出た。》『山本五十六の大罪』337

《私事だが、私が大東亜戦争に本格的に関心をもったのは一九六五年(大学三年生、二十歳)。それ以来、読み慣れてきた数千点の書籍群が、西尾幹二によって「二〇〇五年、初めて世に問う」書籍だと言われると、私はなんと形容すればよいのか。一九六五年から二〇〇五年までの四十年間に私が手にした約二千冊の「GHQの市販禁止本」は、幽霊や蜃気楼だと、西尾は主張しているからである。》「”歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

《学問は、方法論で、その成否が決まる。歴史学は、体系的・分類的な史料分析が生命である。私事を明かすのは趣味ではないが、大東亜戦争の考察・分析にあたって、徹底的に研究したのは、(対英米戦争を御前会議で最初に決定した総理)近衛文麿の側近であった尾崎秀実の検事・予審判事の尋問調書であった。これを踏まえて、尾崎秀実の発表した雑誌論考をすべて読破して、この訊問調書との比較検討をおこなった。ついで、尾崎以外の近衛周辺のかなりの数の知識人(学者・ジャーナリスト)の著作を雑誌論文はもとより(経済学を含めた)学術書にいたるまで、広く深く渉猟した。
  これらの作業を通じて、当時の言語「東亜秩序」とか「大東亜共栄圏」とかの正確な意味を把握した。言葉の意味は、時代、時代で大きく変遷する。だから、大東亜戦争前夜の一九三二~四一年の時代を理解するには、自分の頭を"一九三二~四一年の日本人"に改造するしかない、と考えた。むろん、大衆の日本人ではなく、総理官邸のエリート政治家の頭への転換、陸軍・海軍の中枢で政策を立案するエリート軍人の頭への転換である。後者のためには、『戦史叢書』全百巻を丸暗記しておくぐらいは最低条件である。》
「"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

▽     旧軍出身者から自衛隊法の成立事情を聴く。
《自衛隊法を立法した旧内務官僚の「反軍」思想のためだとか、旧内務官僚たちの二・二六事件の怨念を晴らす報復立法だとか、一九五四年に自衛隊が誕生したとき、あまりにもひどい自衛隊法を見て多くの噂が飛び交った。私が、これらの噂を旧軍出身者から聞いたのは一九六〇年代半ばで、自衛隊法を起草した関係者がまだ元気だった。
ある内務官僚は、「僕はじつは国際法がさっぱりわからない。だから、警察法と警察官職務執行法を下敷きにして書いたよ」と私に語った。つまり、自衛隊を軍事力をもつ準・警察と考えたのである。自衛隊法の起草において、自衛隊を準・軍隊だと想定しなかったのである。》20130704『尖閣防衛戦争論』p.94-5

《私事で恐縮だが、現代史の最大のテーマ、八年間の大東亜戦争とその背後と敗北の原因について、私は原稿用紙で千枚をはるかに越える分量で発表済み。大東亜戦争の歴史をそれなりに真っ正面から研究した者にとって、東京裁判の判決文が記述する「十七年半の歴史」は余りに噴飯物。一顧だにしたくはないし、こんなものと敢えて論う事は、私のプライドにおいて憚れる。これが、これまで私がいっさい東京裁判に触れなかった理由である。》
「第四章 魔語「東京裁判史観」は、「スターリン史観」の妄語」『昭和天皇と靖国神社』http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-12.html※リンク切れ

06月22日 政府、日韓基本条約(正式名称「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」)署名
《日韓基本条約が締結された一九六五年、私は、日本の天皇制度を尊敬している朴正煕・大統領が王政復古の決断をしてくれないものかと多少の期待をした。垠殿下は方子妃殿下の介添え下で一九六三年にすでに帰国されていたので、憲法改正を待たずとも韓国民の支持で・仮即位の大礼・でも挙行してくれないかとも期待した。
だが朴は、自分の野心を愛国だと勘違いして、そうしなかった。垠殿下は、一九七〇年に薨去された。垠殿下の国王即位を確信しておられた(あの世の)明治天皇のご無念を想っては、この時かなり気が滅入った。安重根は、国際政治は一流だが、国内政治は極度に軽率な男だと、このときは憤慨した。》
「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/14/142218

▽         民青に入党した同級生に殺人欲求を吐露される
《確かに共産党員は袴田陸奥男(袴田茂樹の父)がシベリアで数千人以上の日本の将兵を殺したように、権力を握れば大量殺人を平然となす。私も東大在学中、民青(共産党)に入った同級生のうち三名が、入党理由を「人を無性に殺したくなったから」と言ったのを覚えている。そのうち一名が、正面に向かう銀杏並木のところで、私(三年生)にふりむきながらそうつぶやいた光景と顔は、なぜか今も焼きついていて、忘れることができない。》『福田和也と《魔の思想》』22

▽           ドイツ留学
《これは次のドイツ留学中の私の体験とも関連があるだろう。部屋の電気をつけ、電気スタンドをつけ日本流に明るくして本を読んでいると、隣のオバサンから・あなたは電気を無駄使いをしている! 片方は消しなさい!・とのガミガミ電話がかかってくる。電気代を払うからオレの勝手だろ、の日本人の論理はドイツでは決して通用しなかった。》(198206『産業立地』21(6)244)

《国際的な面の知識に乏しい筆者[引用者注:俵孝太郎(政治評論家)]としては、ドイツとアメリカに学んだ比較政治学者である中川教授の、該博な知見と見識をも披瀝していただいて、共同著作にしたほうが、よりよいものになると考え、多忙な教授を煩わして、こうしたかたちで一冊をまとめることにしたのである。》19930501『対論・政治改革の非常識、常識』54

《私事になるが、一九六五年、私が二十歳の時、ベルリンでフィンランドの女子学生二人(十八歳)と知り合った。あるとき突然、「日本では、五月二十七日にはどうしていますか」と聞かれた。私はそっけなく「海軍記念日は戦後なくなりました。だから、日本では何もしません」と答えた。
だが、両名とも、「私たちの両親は、家族でささやかなお祝いをします。小学校では東郷平八郎提督や日本海海戦の講話があります」と語り、私は思わず両手を合わせた。この女子学生に対してではなく、その背後に児玉源太郎、川上操六、東郷平八郎(注1)、そして何よりも明治天皇のご遺影を感じたからである。
確かに、日本が血と汗を流して、ロシアの南下と東漸を防ぐ時、世界には平和が訪れる。それはまた、日本の安全のためのみならず、日本国の安泰永続と発展の確実な基盤となる。》「プーチンに叩頭する・ロシアの犬・安倍晋三の危険(Ⅱ)──・日本の友好国・ウクライナを全面支援せよ、ニッポン!」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/141226
 
○ 成人式
《さて、「失われた20年」の歴史と原因を簡単に復習しておこう。日本人は知的水準が低く、記憶力が悪く、仮にいったん記憶してもすぐ忘れる。それ以上に、過去を振り返り過去の自分を反省する文明社会の知性ある人間としての資質すら完全に失い、今では日本人は、野蛮人や家畜動物に酷似した、食うため/生きるためだけの今日明日の生活にしか関心がない。日本民族がここまで劣化するとは、文武両道を日本男児の心得だと緊張した日々しかなかった、1965年に成人式を迎えた私の世代には信じ難い“荒涼と退嬰の悍ましき光景”が、安倍晋三が率いる現在の日本の、惨状というべき現状である。》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
 番町書房より林房雄『大東亜戦争肯定論』刊行、以後続編を含め版をかさねる
《私が東大三年次の1965年、番町書房から林房雄の『大東亜戦争肯定論』が出版された。『朝日新聞』『中央公論』『世界』の大応援をいいことに、共産党と社会党が繰り出す「憲法第九条改正反対!」運動に怒り心頭だった私は、これこそは彼らに一撃を喰らわせる特効薬かも知れないと、いそいそと購入し読んだ。が、逆だった。目の玉が飛び出すほど驚愕し、投げ捨てた。林房雄『大東亜戦争肯定論』は、日本亡国待望論。新種の「反日」アナーキズムだった。
 1965年の時点、国民の六割は、ポツダム宣言を受諾され大東亜戦争を否定された昭和天皇と共にあることを至上の幸福と感激する「保守」であった。つまり、当時の日本人の六割は、当然、大東亜戦争否定論だった。共産党と社会党が大声で叫ぶ大東亜戦争侵略論とは、別次元のものとするのが、「保守」の常識だった。侵略論も排斥するが、侵略論に対する“対置概念”自衛論にも与しないのが、「保守」だった。
 「保守」知識人の竹山道雄/林健太郎/福田恒存/磯田光一はむろん、ジャーナリストの池島信平/長谷川才次などや吉田茂/岸信介らの政治家を含め、大東亜戦争否定論だった多数派の国民は、林房雄の「肯定論」に奇矯さを感じ嫌悪した。が、これが二十年後に、「民族系」が台頭する土壌になるとは、(1965年時点の私は)予測できなかった。現実に1984~5年の頃から、大東亜戦争肯定論の「民族系」が台頭し、「保守」の地位を簒奪した。
 私は、“保守潰し”の「民族系」の新奇な動向が、理論的に、日本に“ロシアの犬”を増殖させるだけでなく、国論を対ロ属国主義の『朝日新聞』論調にシンクロさせ、「一億総“ロシアの犬”化」を起こさせるだろうと、危機感を感得した。国を守るための私の「民族系」危険視は、1984年に始まった。》
「北方四島からロシア軍の完全撤兵を要求せずば、対ロ割譲の意思表示──プーチンに主権譲渡を闡明した安倍晋三の大犯罪」
 
○ 旧皇族の皇籍復帰と公家制度の復活を国会議員に陳情して回る
《皇室の藩屏の整備とは、旧皇族の皇籍復帰と公家制度の復活の二つを指すが、1960年代の永田町には(東京大学三年次生の)私の説得に(備考)、この二制度の必要不可欠性だけならまだ知る/そうあるべきだとの信条を持つ国会議員が前者では百名ほど、後者では五十名ほどがいた。が、この方向の立法その他で動いてくれる政治家は一人もいなかった。旧皇族の皇籍復帰は、特例法の制定一本で可能なのに、「誰か他の国会議員が音頭をとって推進すれば、必ず賛成します」ばかりだった。自ら、このリード役を買って出ようとする国会議員は一人もいなかった。票にならないからだ。
(備考) 当時の東大は、1970年以降の(他の大学より頭がいいだけが評価の)東大とは異なって、まだ「東京帝国大学」扱いだった。「帝大生」の東大生であることが社会的地位をもち、いかなる国会議員であれ、東大生の訪問希望には多忙を理由に拒否することなど決してできなかった。他大学の学生と会合で一緒になった場合、私大の早慶の学生は東大生の下座の椅子に座るのが慣例で、東大生が同列に扱われる現在の風潮は、私には理解を超える。民間企業ごときに他大学生と同じ部屋で机を並べて入社試験を受けている東大生の光景は、絶句どころでなく失神しそうだ。
公家制度の復活の方での、永田町廻りの情況はかなり厳しかった。理由は、憲法第十四条第二項に「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」の条文があるからで、この憲法の禁止条項をどう潜り抜けるかが議論の中心になり、積極的に推進しようの段階に話が進まなかったからだ。
 20歳であった当時の私の憲法第十四条第二項のoverride方策は、1950年の文化財保護法を用いて旧公家を人間国宝に指定し、約100家の旧・堂上公家の当主を集合した“旧公家・人間国宝の民間団体”をつくる案だった。人間国宝であれば、かなり高位の叙勲ができるから、それをもって旧華族の爵位に代用しようとしたのである。公家制度を復活する趣旨に賛同する国会議員も、そのほとんどが、この具体的な中川奇策には黙っていた。絶句していたのかも知れない。》
「“生前ご譲位”は、皇位断絶への危険な一里塚 ──安倍・自民党は、天皇制廃止の民進党を立法から排除せよ」
 
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1966・昭和41年 21歳
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08月   ヨーロッパを周遊、ベルリン等を訪問
  《私事であるが、大学に入って間もない頃に、ケネディのこのベルリン演説にいたく感動していた私は、一九六六年夏、ベルリンを訪れた。ブラント西ベルリン市長と会食(昼食)の機会を得て、たまたま席が市長の目の前になったので、持論を率直に申し上げた。「西ドイツもNATOも、ソ連に対して、戦争による東ドイツ・東ベルリン奪還を打ち出す強硬姿勢を強めれば、力に屈するソ連は、必ず戦争をしないで東ドイツ・東ベルリンを解放・返還する」旨を述べた。ブラントは、私の「戦争態勢こそ外交的な領土・国民奪還の勝利の道」論に真っ正面から真摯に反論した。それは、ずっと後で知ったのだが、ブラントの「オスト・ポリティーク(東方外交)」(一九七〇~七二年)だった。
  なお、このとき、東ドイツのことを「中ドイツ」と言う一般ドイツ人にしばしば出会った。確かに、ポーランド領となった旧ドイツ領が「東ドイツ」だから、当然である。ここから私は、樺太・国後・択捉・得撫・(知理保以島より北の)千島列島を、いつまでも日本人は叫び続けることが必要だと学んだ。だが、ブラントが「東方外交」で、この「旧領土・東ドイツ」と「旧領土・東プロイセン」を放棄したことについては、反面教師として決して学んではならない。》『地政学の論理』231・232

《私は、ソ連軍・東独軍の攻撃がいつでも可能だし拉致も可能だった、ベルリン危機時のケネディの緊張を疑似体験すべく、同じ八月の一九六六年、この陸路で(ハンブルクから)西ベルリン入りし、東ベルリンや「ベルリンの壁」を見て回った。》『地政学の論理』234
〔注〕「この陸路」とは、"核戦争の示威"を背景に、ケネディが行なった、一五〇〇名の部隊を増派するために採用した陸路を指す。

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1967・昭和42年  22歳
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03月         東京大学工学部航空学科宇宙工学コース卒(第三期生)(201206『撃論』6、ほか)
《──東大の航空学科卒でしたね。

    中川 ええ。東大と宇宙研でエンジニアリングの教育を受けてのち、アメリカのスタンフォード大学で政治学に転向しました。》(19900201『月刊カレント』29(2)547)
  〔注〕文中「宇宙研」とは東京大学宇宙航空研究所(1964年設立、東大生産技術研究所の一部と東大航空研究所が合併し駒場に移転し発足、現在の宇宙科学研究所の前身)のこと。

《私は、「1963年入学、1967年卒業」の東大卒だが、現在の東大は私の時代のそれに比すれば一・五ランク低く、かつての東大ではない。一九六〇年代までの東大とは全く別の下位の大学。当時の早慶レベルにすぎない。》
「共産党系フェミニズムを狂信する“危険ラインを越えた「反日極左」宰相”安倍晋三──安倍晋三は、出生率の大低下と家族解体を進め日本衰落を不可避にする “女性活躍推進法の立役者=赤い国賊”」
04月         東京大学大学院に進む(『欧米デモクラシーへの挑戦』奥付)

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1968・昭和43年  23歳
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02月         川端康成、ストックホルムでノーベル文学賞受賞記念講演に感銘を受ける。
《川端康成のストックホルムでのノーベル文学賞受賞記念講演は(一九六八年十二月)、私にとって感動に包まれた一瞬だった。だからなのか、いまでも時折思い出す、その講演全文が新聞に掲載されたので、何度も呼んだ。いつしか暗記していた。
私の遠い青春時代のこのひとコマにおいて、たしかに、川端の珠玉の講演「美しい日本の私」JAPAN The Beautiful and Myself」から、日本の美というものを教わった。だが、何度か読んでいるうちに、講演で引用された「道元、明恵、西行、良寛、一休、千利休・・・・・・」が、「野津道貫、伊東祐享、黒木為禎、児玉源太郎、川上操六、東郷平八郎、秋山真之・・・・・・」らに置き換わっていた。日清戦争と日露戦争の日本人の精神に、真正の・日本の美・が宿り輝くのを感得していたからである。最高の美は、倫理道徳にこそ映える。とくに、戦場にあっての勇猛果敢な・自己犠牲の精神・こそ美の極致ではないかと、そう素直に直観する。》『尖閣防衛戦争論』119・120

11月         東大キャンパスで革マル派による林健太郎らの監禁に遭遇する
《林先生といえば「東大の教官は何処にいる。林健太郎あるのみ」という立看が農学部のところに出ておりましたのを思い出します。一九六八年(昭和四十三年)十一月の「事件」です。当時、林先生が文学部長として革マル派を主力とする学生に「監禁」されたにもかかわらず、その要求をいっさい拒絶したこと、そして機動隊による救出の打診に対して「私個人の救出なら無用」と返事したこと等への暴力学生からの「称讃」であったわけですね。》(199903『諸君!』102)

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1969・昭和44年  24歳
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○ 佐藤栄作政権のNPT条約調印・加盟を阻止すべく国会ロビー活動をおこなう
《日本核武装の一分野である、投射手段とその配備・展開地(域)問題は、解決の糸口が見つからないほどアポリアである。が、核弾頭開発はもっと難題で、研究すればするほど、ただただ絶望に襲われる。
 まず、核実験場が無い日本としては、核実験が不要のU235原爆を造るほかないが、このウランは日本列島中を掘り返しても、ミニ原爆(13・5kt)の広島型原爆二ヶぶんしかない。原爆用の充分な天然ウランを入手するためには、輸出してくれる資源国の(日本核武装への)事前了解が必要である。天然ウランの輸出国と輸入側・日本との協定には、必ずIAEAの査察が明記される。このような協定は実にやっかいで、核武装を困難以上の状態にする。尚、当時の私は、具体的にはアフリカのマリ共和国から核武装用の天然ウランを輸入することを研究した。
(備考)IAEAの査察問題もこれあり、IAEA加盟は何ら障碍にはならないが、五大国以外の核武装を禁止するNPT条約加盟だけは絶対に阻止する必要があり、私は1969年、佐藤政権のNPT条約調印(1970年2月)を阻止すべく、永田町の国会議員の間を駆けめぐったが、まだ若く影響力は全くゼロだった。三木武夫首相主導の批准(1976年6月)に際しては、米国スタンフォード大学に留学中で、1970年4月からかなりの数の国会議員を糾合して作っていた“NPT条約批准阻止永田町グループ”を稼動できず、徒手空拳に終わり、無念の涙を飲んだ。》 
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」
 
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1970・昭和45年  25歳
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01月14日 中曽根康弘、防衛庁長官に就任(~1971年7月5日)、自衛隊員の制服通勤を禁止する
《日本が異様な国なのは、軍服を着た軍人の姿を全国どこに行っても決して見かけない、信じられない光景にも端的に表れている。自衛隊を国内法では軍隊ではなく準軍隊の「軍事力をもつ実力組織」にし、自衛官を「軍人」でなく国家公務員にしているからだけではない。中曽根康弘が防衛庁長官になる以前では、自衛隊の自衛官たちは制服で通勤していた。私も、六本木の交差点や地下鉄六本木駅で、陸海空の自衛官がたくさん制服で歩いている光景を普通だと眺めていた。ところが1970年、中曽根康弘大臣が、自衛隊に対して制服通勤を禁止した。これに対して(私が25歳になったすぐの)当時の囂々たる論調は、消える直前の日本最後の常識の発露だったように思えてならない。》
「北方領土の対日侵攻軍事基地化をプーチンに了解した“役に立つ白痴idiot”安倍晋三の祖国割譲大犯罪」
〔引用者注〕中曽根長官の任期中における「自衛隊服装規則」(昭和32年2月6日防衛庁訓令第4号)改正は、「昭和45年6月18日庁訓第26号」、「昭和45年10月20日庁訓第37号」および「昭和46年4月1日庁訓第20号」の計三回。
なお、中曽根は任期中の1970年7月、“親ロ”猪木正道を第三代防衛大学校校長に据えている(~1978年9月)。
03月         東京大学工学部大学院を卒業
《──東大の航空学科卒でしたね。

中川 ええ。東大と宇宙研でエンジニアリングの教育を受けてのち、アメリカのスタンフォード大学で政治学に転向しました。》(19900201『月刊カレント』29(2)547)
〔注〕文中「宇宙研」とは東京大学宇宙航空研究所(1964年設立、東大生産技術研究所の一部と東大航空研究所が合併し駒場に移転し発足、現在の宇宙科学研究所の前身)のこと。

04月         科学技術庁に入庁(19800630東京新聞夕(6)、19800714『朝日新聞』夕(3))

07月01日 『ENGINEER』誌に科学技術庁海洋開発課推進係長の肩書で「海洋開発関係機関 研究テーマ一覧」を掲載(197307『ENGINEERS』(7)299)

07月07日 三島由紀夫の新聞掲載エッセー「私の中の二十五年」に強い印象を受け、記事を保管する
《「私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このまま行つたら日本はなくなつてしまふのではないかといふ感をますます日ましに深くする」(一九七〇年七月七日)。
   三島由紀夫が自決する約4ヶ月前の、新聞掲載エッセー「私の中の二十五年」の中の一文であるが、私にはなぜか遺言のように思えて、今も大切に保管している。戦後の日本人は愛国心を弊履のごとく棄ててすでに六十年、今では愛国や憂国の至誠の情はどう表現されるか識別する能力を失った。三島の一文を一例として挙げたのは、祖国日本への真なる愛国心とはどう表現されるかを再確認して頂くためである。》(200308『正論』373)

《三島由紀夫が割腹自殺する四カ月前の辞世の一文の最後の部分を読みます。
「私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感をますます日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」(『産経新聞』 一九七〇年七月七日付)
私も三島由紀夫と同じく、日本が滅亡するであろうと深く憂慮しています。三島由紀夫の「富裕な、抜目がない、或る経済的大国・・・・・・」という箇所は、「大借金をかかえ、無気力な、旧経済大国が老残をさらし、滅亡に瀕して極東の一角に残っているかもしれない」と変更すべきですが。》『「名著」の解読学』109

▽        「憂国忌」(三島由紀夫研究会主催、昭和45年11月25日)発起人に名を連ねる(『「憂国忌」の四十年』265、http://mishima.xii.jp/hokkinin/
08月頃 東京都世田谷区下馬の世田谷山観音寺にある「神州不滅特別攻撃隊の碑」に白菊と線香を携えて初参拝
《8月16日〔2015年(平成27)年-引用者注〕、“極左”古舘伊知郎が喋り捲る真赤な「報道ステーション」など“反日”一色のテレビ朝日が珍しいことに、実に優れた番組を放映した。歴史に埋もれて専門家以外には余り知られていない満洲で起きた一つの歴史事実を素材にした、原作『妻と飛んだ特攻兵』(2013年、豊田正義)をTVドラマ化したのである。主演は、成宮寛貴と堀北真希。
 このTVドラマよりも、私がもっと感動したのは、インターネットで放送の三日前の8月13日、東京都世田谷区下馬にある世田谷山観音寺にある「神州不滅特別攻撃隊の碑」の前で、堀北と成宮が揃って撮った写真であった。私が、この「神州不滅特別攻撃隊の碑」に白菊と線香を携えて最初に参拝したのは、一九七〇年八月だったように思うので、そうであれば私は25歳だった。
 女優の堀北は26歳、俳優の成宮は33歳なので、ほぼ同じ年齢での両名の碑参は、何かしら世代間継承できたかのようなほっとする安堵感が私を包んだ。(以下略)》
「堀北真希と成宮寛貴が主演の「ソ連戦車への特攻」こそ、日本人の魂──ソ連が崩壊してもロシア民族の対日侵略は、ソ連のまま。プーチンの北海道・新潟侵攻の準備は急ピッチ」
 
参考:世田谷山観音寺(通称「世田谷観音」)のホームページ
 
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1971・昭和46年  26歳
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10月31日 英国の極東艦隊(東洋艦隊)が勇退する記念式典に特使を派遣しなかった日本政府の対応に憤る
  《支那艦隊の後継である英国の極東艦隊(東洋艦隊)は、一九七一年十月三十一日、母港のシンガポールを去り、その歴史に幕を閉じた。私(中川)は、このとき、日本政府がこの式典に特使を派遣しなかったこと、(東京か対馬かでの)英国極東艦隊への感謝と惜別の式典を日本政府が主催しなかったことに、英国への非礼を怒るとともに、自国国防を忘失した日本の病のひどさに愕然とした。「日本は、滅ぶ」、と。》「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」
 
《一九六八年一月、英国首相ウィルソンが「スウェーズ以東からの撤兵」を宣言した。この宣言に従って、一九七一年英国最後の東洋艦隊が東アジアから去っていった。大英帝国の落日というより消滅であった。近代日本の昇龍のごとき発展を支えつづけた、日本の大恩人の引退であった。がこの時、日本政府も日本国民も何らの感謝の声明もなく何らの行動もなかった。せめて、日本国中をユニオン・ジャックで飾るぐらいはしてもよかった、と思う。一九三〇年代以降の日本からは、現在を含めて、国家としての礼節がなくなっている。
  なお、このウィルソン首相の「スウェーズ以東からの撤兵」宣言の翌月、ロシアはただちにその太平洋艦隊をゴルシコフ海軍元帥を座乗させてインド洋に派遣した(一九六八年二月、ボンベイとマドラス訪問)。ロシア艦隊がインドに展開したのは、あの日露戦争の日本海海戦で殲滅されたバルチック艦隊がここを通過してから何と六十三年ぶりのことであった。英国の・力・の空白は、ロシアが必ず埋める(進出する)のである。
  そして、この英国の最後の東洋艦隊がインド沖をさびしく向っているまさにそのときに、準軍事同盟国のソ連をバックにインドが東パキスタンに電撃的に侵攻し、ここをバングラディッシュとして独立させたのである(一九七一年十二月)。》『近衞文麿とルーズヴェルト』157ページ、『大東亜戦争と「開戦責任」』146-7ページ。

《次に私(中川八洋)は、日本核武装のうち投射手段に関する研究を、1960年代末に始めた。最初のそれは、インド洋にソ連海軍が展開していない軍事態勢を活用し、恩師の一人である糸川英夫先生がL(ラムダ)ロケットの後継に構想されていたM(ミュー)ロケットを軍事転用し、その改造型を潜水艦発射SLBMにすることを研究した。日本が所有する、(構想・研究上の)SLBM潜水艦の護衛は、日本の海上自衛隊ではできないので、インド洋に展開する英国東洋(極東)艦隊に依頼すべく、英国との間で新しい日英同盟を締結する外交交渉の研究も含まれていた。 が、1971年、英国は財政難から東洋艦隊を閉鎖することとなり、同時にソ連海軍がインド洋に出没し、インド洋を日本製SLBM発射域とする道は途絶えた。それは同時に、米国がインド洋に限ってのみ嫌々ながら了解する、日本のSLBM潜水艦方式の日本核武装の葬送であった。》
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」

▽ 8月14・15日の到来に愛国心を失った日本人がはびこる日本国への“歯噛みする憂国の至情”を迸らせるようになる
《また、8月15日が廻ってくる。何時の頃からかがはっきりしないのだが、8月14/15日が来ると、腐敗し尽して愛国心を失った“生物学的ヒト”となった日本人への怒りが必ず込み上げてくる。この怒りの対象に当初「民族系/靖国神社」の言葉を使っていなかったことを思い出すと、1983年以前の1970年代前半、私が25歳を過ぎた頃に始まった怒りのようである。
 それは、8月15日正午の昭和天皇の「ポツダム宣言受諾の玉音放送」を阻止すべく、昭和天皇を監禁し、場合によっては銃殺まで予定した、スターリンと通謀したコミュニスト阿南惟幾・陸軍大臣が首謀の“反・終戦”宮城クーデタを、文字通り命を捨てて阻止した森赳・師団長(陸軍中将)を頌詞する声が皆無である事への怒りである。のち自決する田中静壱・東部軍管区司令官(陸軍大将)の毅然たる叛乱鎮圧が日本国を救ったことへの感謝が皆無であることへの怒りである。
 要するに、昭和天皇を監禁し脅迫して「ポツダム宣言受諾せず/一億玉砕するまで戦争続行」のニセ詔書を渙発せんとした“悪魔の共産主義者たち”から、祖国日本を守った“真正の日本軍人”森赳/田中静壱を完全に無視する“反日の極み”が、国民的コンセンサスとなっている日本の異常な逆立ち状態への怒りである。
 ために、8月14/15日になると私は、祖国日本を守るに命を捨てた武人の荒ぶる魂を鎮める事もしない日本とは既に精神において滅んでいると透視して、“歯噛みする憂国の至情”が迸るのを抑えることができない。また、“日本最高の英霊”森赳と田中静壱とが大書されて靖国に祀られているのか、不安でならない。》
「“忠魂”森赳師団長の銅像を皇居前広場に建立しよう ──昭和天皇を護るべく、“スターリン狂”阿南惟幾の凶刃に死す」
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1972・昭和47年  27歳
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○  ソ連・ブレジネフ書記長 穀物を1100万トン輸入
  《なお、筆者(中川)は、ソ連が突然穀物を一一〇〇万トン輸入したのは(一九七二年)、西側の経済攪乱と西側同盟関係に楔を入れるための謀略だったとの、当時の各国の諜報機関の分析の方を正しいと考えている。ソ連は、この直後、リビアの独裁者・カダフィ大佐に石油価格の四倍値上げを教唆し、一九七三年末のオイル・ショックを導くのに成功した。これは、西側の経済成長を大幅にダウンさせた。》『TPP反対が日本を滅ぼす』72

9月25日~29日 ”土井たか子的社会主義者”田中角栄による台湾切り捨て・中共すり寄りにより、日本から「保守」基盤が喪失していくのを感じ取る
《「保守」の具体的定義が根底から揺らいで、「自民党支持者」とか「朝日新聞嫌い」とか漠然とした抽象的なものに変質したメルクマールは、(心底では土井たか子的な社会主義者だった)“自民党の総裁”田中角栄が日中国交回復を強行して、毛沢東の共産主義支那と国交を持ち、「反共」の台湾を斬り捨てることをやってのけた1972年9月25~29日だった。
 私は、日本から「保守」の基盤を突き崩した、この9月下旬から10月いっぱい、日本列島が真っ黒な雲に覆われたような憂鬱な気分で耐えがたかったことを思い出す。米国・GHQ(マッカーサー)のお蔭でやっと手に入れた、戦後日本の国是「反共」の死滅だったからだ。「反共」の聖上(昭和天皇)の御心中(宸襟)はいかがと案じられてならなかった。
 続いて、イデオロギー的には土井たか子の化身だった田中角栄は、日本の「保守」のレーゾンデートルである“反露”を一気に潰す策にでた。それが、東シベリア経済開発である。1973年、田中角栄はブレジネフ書記長に、北方領土の返還なしに、油田開発や森林開発など四大シベリア開発プロジェクトの経済協力に合意した。「反露」路線は、「親ロ」を越えて、それ以上の日本の対ロ属国化路線へと一八〇度転換された。1973年、反共反露の昭和天皇/吉田茂の国是は転覆してしまった。》
「“皇統断絶の妙薬”「養子論」を教宣する百地章の「犯意」 ──明治期の宮家皇族間の養子を除き、皇統史に養子の例はゼロ」
《まず、「保守」の定義から。「保守」は、戦前1930年代からの語彙「革新」の対置語として、1950年代の戦後に造語された言葉。明快に「反共(反・社会主義、反・共産主義)」「反ソ(反露)」「親英米(日米安保条約支持)」「皇統護持・皇室尊崇」「第九条改正による国防軍設置ほか」を意味していた。1960年代末まで、少なくとも田中角栄が首相になる1972年以前までは、「保守」と言えば、この“保守の五条件に立つ日本人のこと”だと、誰しもイメージしていた。》
「“皇統断絶の妙薬”「養子論」を教宣する百地章の「犯意」 ──明治期の宮家皇族間の養子を除き、皇統史に養子の例はゼロ」
 
《戦後日本は“反共”GHQのお蔭で、「革新」と対決する「保守」が初めて誕生し、多数を掌握した(67%に満たないが60%)。政治家は吉田茂/幣原喜重郎ら、知識人は林健太郎/福田恒存/竹山道雄/磯田光一らが、それ相当の影響力で社共/朝日新聞と対抗し、“反・社共”政権の安定的持続に貢献した。とりわけ、田中角栄首相誕生の1972年までは。
 だが、昭和天皇崩御後の1990年に入ると、日本の“保守知識人”は中川八洋だけとなった。この事実は共産党を筆頭に左翼人士の間では常識(備考)。だが、無教養なナラズ者集団ともいえる「民族系」はこの事実に全く無知・無関心。多少は知っても逆に歓迎する始末。
(備考)福田和也/浅田彰「左翼は消え、保守は死んだ」『VOICE』1995年9月号。
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①」
 
○  田中角栄に社共政策丸呑みによる安定政権樹立の意図を見抜く
  《田中角栄には、マルクス・レーニン主義などの極左イデオロギーは微塵も存在しない。だのに、社会党や共産党の政策を丸呑みして先に実行する、日本の社会主義化を進めることを決意していた。その理由は、「自民党が社共路線にまでウィングを広げれば、社共支持者もこぞって自民党に投票し、自民党が国会議員の四分の三以上を制し、絶対安定政権になる」と、現実離れもはなはだしい非現実を田中角栄は心底から信じていた。
  北京に飛んで毛沢東の共産党独裁国家と国交回復(一九七二年十月)をしたのも、一九七三年度から(共産党が腰を抜かしたほど、スウェーデンより過激な)超福祉国家路線を定めたのも、田中角栄首相だった。マルクス・レーニン主義とは無縁の・社会主義者もどき・田中角栄の暴走を、私は二七~八歳であったが、苦々しく観察していたことを今でも偶に思い出しては、「国を滅ぼした角栄!」と不快感がこみ上げてやりきれない。また、この時、(共産党系や北朝鮮系でなくとも)通産省官僚から頭を汚染された政治家は国を滅ぼす、と確信した。》「"プチ・ヒットラー"安倍晋三の金融財政政策」2014/01/01 11:45 http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-7.html ※リンク切れ

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1973・昭和48年  28歳
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   森山欽司、原子力委員会委員長に就任(原子力委員会月報18(11)209、1973.11)
引用者注:栃木県立図書館に「森山文庫」あり、5295冊所蔵。

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1974・昭和49年  29歳
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○   政府派遣の留学生として米国スタンフォード大学に留学(二年間)
《国際的な面の知識に乏しい筆者としては、ドイツとアメリカに学んだ比較政治学者である中川教授の、該博な知見と見識をも披瀝していただいて、共同著作にしたほうが、よりよいものになると考え、多忙な教授を煩わして、こうしたかたちで一冊をまとめることにしたのである。》『〔対論〕政治改革の非常識、常識』54》

《C・J・フリードリッヒらの『全体主義独裁制』は未邦訳であるが、米国ではすべての政治学科の学生には基礎知識として必読であった。その第二章にある、全体主義体制の次の六つの特徴的要素は有名で、私も留学中、ゼミの前日にはあわてて暗記したことを思い出す。》『保守主義の哲学』204

《そして、米国民の"当然の資格"は、「元・イギリス国王の臣民であること」「プロテスタントのキリスト教徒であること」「国家の根本制度としての英国コモン・ローを尊重すること」「英語を母語とすること」の四条件を満たす、だった。
さらに、この「原・米国民」のうち、選挙権を持つ者は、原則として「イギリスからの入植者(settlers)」とし、これを体現すべく、一定以上の財産と教養の枠を厳しくはめた。移民(immigrants)を原則として政治から排除するためである。私は、スタンフォード大学に留学中、「ぼくの家系はsettlerで、immigrantではない」と語った学生に出会ったことがある。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?」
 
○ ロシア語を習得するため、学部一年生の語学クラスに入る
《さて、体験に基づくエピソードをひとつ。
 スタンフォード大では私は大学院生だったが、ロシア語を習得すべく学部一年生のクラスに潜り込んだ。吃驚したのはクラスメイトの年齢。スタンフォード大学では語学クラスは「13名以下」と定まっており、内訳は私を除くと「16歳が8名、17歳が3名、18歳が1名」だった。つまり、ハイスクールを2年飛び級して卒業した者が8名だから、13名中の60%。18歳で入学した大柄の穏やかな女子学生が何時も一人ぽつんで“おばさん”に見えた。
 要するに、ほぼ全員が、よほどの著名ハイスクールでない、普通のハイスクールならその学年の一番。また、SAT(大学進学適性試験)の成績は、数学などは、CIT/MITと同じくスタンフォード大学の入学者のほぼ全員が満点。また、米国には、全国のすべてのハイスクールのレベルを相対評価したデータがあり、学年の一番同士の場合には上位校の方からの受験生が合格している。このように、米国では一流校に合格したいのであれば、飛び級の事実や数字化された点数は絶対だから、何が何でも秀才を示す事実と数字化された点数で抜きんでていることは最低条件。米国は、何でもかんでも数字化して序列表/順位表をつくっている。》
「文部省の大学入試改悪は、大学劣化/日本人劣化を目的の“日本衰退”化革命──北朝鮮人文部官僚(寺脇研)の“ゆとり教育”を容認した“自民党の暗愚”は繰り返されている」
 
○ 米国におけるフェミニズム運動をつぶさに観察す
《私がフェミニズムと関わるようになったのは古く、米国のスタンフォード大学に留学中の、一九七四年に遡ります。ベティ・フリーダンに賛同する、学部女子学生の「ウーマン・リブの会」に半年ほど(大学院生であるのを隠して)参加したことに始まるからです。この「会」で、二つのことを学びました。
   一つは、「ウーマン・リブの会」の十人ほどのメンバー全員が一人残らず、(ブッシュ第二期政権のライス国務長官が十五歳で入学したように、高校での成績抜群で十六歳・十七歳の飛び級入学組が多い)上品でリッチな家庭出身のいわゆる「お嬢様」ばかりのスタンフォード大学では日頃見かけない、服装がひどく下品でマナーが悪かったこと。
   二つ目は、これらの女子学生との討論相手の十名ほどの四十代の中年婦人─大学周辺に住む中産階級のいわゆる「主婦」─が、マナーも品位も良いだけでなく、その発想が日本の江戸時代や明治時代の古き良き「妻」「母」であったこと。
   米国は、封建時代の残り香がまだ匂う「十七世紀初頭の英国」を憧れ、それを理想として十八世紀末に建国されたのですから、米国社会のエリート層には「江戸時代の武家の雰囲気」に似た伝統が強く残っていてなんら不思議ではないのですが、日本での米国に関する通説・俗説の出鱈目ぶりと誤謬とをこのとき知って心底驚きました。そして、一九六三年に始まる、米国にとってはきわめて新しい思想─ウーマン・リブ、フェミニズム─が、米国の土台骨となっている反フェミニズムに勝てる可能性は低いと考えたのです。》『與謝野晶子に学ぶ』194

    《ここで私が申し上げたいのは、米国のフェミニズム運動のその後の凋落を、一九七四年の時点で、日本人の誰よりも早く、当てたことを自慢したいからではありません。この米国のケースは、いずれ日本においては攻守ところを変えて、フェミニズムのほうが圧勝するだろうことを暗示していると確信したことです。》『與謝野晶子に学ぶ』195

○ マラベル・モーガン『トータル・ウーマン』を読む
《私は、一九七四年に、米国でそれを読んだとき、貝原益軒の『女大学』の盗作ではないかと我が目を疑った。江戸時代の・日本の女性・の感覚そのものが息づいていた。米国を建国した保守主義者A・ハミルトンやG・ワシントンらの十八世紀の古きよき米国が、「冷凍庫」にでも入れられていたのを「解凍」したのかと紛うほどに、このような古き良き時代の「女性の女性観」が丸二百年もそのまま保存されていたのには本当に驚いた。》『與謝野晶子に学ぶ』143
※Marabel Morgan, THE TOTAL WOMAN, Fleming H. Revell Compan, Old Tappan, New Jersey, U.S.A., 1973.

○   一年目に日本史のゼミをとる
  《政治学のスタートは、役人になって五年目の四十九年から二年間、米スタンフォード大に留学した時。一年目に日本史のゼミをとった。
   「平城京について講義するアメリカ人の先生が・こんな古い時代に首都に税金が集まっていたんだぞ・と大げさに驚いてみせるんですよ。ヨーロッパ諸国では十七、八世紀になってやっと実現した制度だから驚くわけです」
   米国人が、日本に対して示す驚きを一つ一つ丹念にメモしていたことが、その後の研究に大いに役立った、という。》(19800722『サンケイ新聞』東京夕刊(4))

夏   第二次世界大戦中の米国の海軍力について調査
  《一八九八年のハワイ併呑から第一次世界大戦後にかけて、米国では、ハワイを日本がいつでも占領できることに恐怖していた。私は、米国留学中、大学図書館で、その種の専門書を三十冊ほど見つけてその場で読了し、日米の海軍力格差がこれほどまでの「日本絶対優位、米国超劣位」、すなわち「米国が日本を恐怖していた」歴史事実に驚愕したのを思い出す(一九七四年夏)。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?」
 
▽  満洲に関する概説書を調べる。
《なお、一九四五年まで、世界は、国際連盟も含め、「満洲」と「シナ」とは言語上でも截然と区別していた。戦後日本が中国の命令に従って「満洲」を「中国の東北三省」などと名称改竄する、そのようなトンデモ歴史偽造は日本だけである。私事だが、スタンF-ド大学留学中に、授業する教授たちが皆、「満洲」を「シナ China」に含めず明快に区別していたのに驚き、満洲に関する概説書を二〇冊ほど図書館でチェックしたが、すべてそうなっていた。》『尖閣防衛戦争論』134

▽  太田述正(元防衛省官僚)と面識を得る(『欧米デモクラシーへの挑戦』 iii)
  《スタンフォードで一緒だった中川八洋が、筑波大学の助教授となり、彼の誘いで一緒にいくつかの論考をまとめ、彼との連名ないし私の単独名で部外に発表したのです。
  (中略)
   残念なことに、彼とは、相容れない点がいくつかあり、袂を分かつことになります。》「太田述正コラム#4093(2010.6.26)私の考えはいかに形成されてきたか(その2)/過去・現在・未来(続x20)」

▽  処女作『日本政治文化論』の原稿を執筆
《本書を出版したのは三年余り前であり、また実際に書いたのは四年以上も前のことである。風光明媚な米国のカリフォルニアの、その中でも美しいスタンフォード大学のYキャンパスにおいてであった。》(『欧米デモクラシーへの挑戦』iv)

《政治学のスタートは、役人になって五年目の四十九年から二年間、米スタンフォード大に留学した時。一年目に日本史のゼミをとった。
   「平城京について講義するアメリカ人の先生が・こんな古い時代に首都に税金が集まっていたんだぞ・と大げさに驚いてみせるんですよ。ヨーロッパ諸国では十七、八世紀になってやっと実現した制度だから驚くわけです」
   米国人が、日本に対して示す驚きを一つ一つ丹念にメモしていたことが、その後の研究に大いに役立った、という。》(19800722『サンケイ新聞』東京夕刊(4))

《「日本の政治社会の方が、欧米先進諸国より進んでいる、と規定することですべて完ぺきな論理づけができることに思いついた。その時は、これだ! と・・・」─両手を握りしめるポーズで笑う。》(19800722『サンケイ新聞』夕(4))

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1975・昭和50年  30歳
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▽  ソ連を視察
  《殺風景なモスクワのシエレメチェヴォ空港を降り、市内をブラついていると、はいている靴を売ってくれと近寄ってくるロシア人をみたり、ソ連の外務省には電動式のタイプライターは2台しかない(1975年1月現在)ことなどを思うと、その科学技術あるいは産業の遅れははなはだしいと感じざるをえない。が、11月7日の革命記念日に赤の広場に次々に登場する超一流級の兵器をみるとき、その科学技術レベルの高さには圧倒されてしまう。》197801『発明』75(1) 26

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1976・昭和51年  31歳
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○  カリフォルニア大学バークレー校にいた丸山眞男に指導を受ける
《──私はスタンフォード大学時代に丸山氏に指導していただいたことがあります。彼がバークレー校(カリフォルニア大学)にいた一九七六年当時です。
林〔健太郎〕 ほう、そうでしたか。
──私は丸山門下のいちばん変わり種なのです。丸山氏は、日本に帰ってきてから私が左翼でないのを知り驚きの余りでしょうか(笑)、お手紙をいただきました。<貴兄のようなかたを指導致しましたのは誠に汗顔の至りでした>と、書いてありました(笑)。「汗顔の至り」の五文字だけはなぜか今もはっきりと憶えております。》199903『諸君!』104

《恐縮だが私事から始める。私が政治学の直接指導を受けたのは全てスタンフォード大学の米国の政治学者からである。だが、一人だけ日本人学者がいた。丸山眞男である。丸山眞男は、一年間ほど私的・個人的な指導教官(「家庭教師」と称するのが実態に近い)であった。
私は異様なベールに厚く包まれている丸山眞男の政治学作品を外科手術的に解剖したく、一方の丸山眞男は日本がソ連支配の東欧諸国(一九八九年までのポーランドやハンガリーなど)と同じになった時の共産日本国の首相(ソ連に反抗しない日本版ナジ・イムレ首相)に私を育てるべく、まさに非対称な利害が一致して、両者は(秘密にしたわけではないが)秘密的な二人きりの師弟関係にあった。
丸山眞男の座右の書の筆頭がルカーチ著『歴史と階級意識』とともにスターリン著『レーニン主義の諸問題』(注1)であること、丸山が自分が信仰するレーニン主義/スターリン主義をマルクスを一切使わずにマックス・ヴェーバーとフランクフルト学派社会学で完全に置き換えられると直覚しその作業に成功したこと、知識社会学のルカーチとマンハイムを日本共産革命後の共産日本国を運営する絶対指針的な教典としていたことなど、丸山眞男の赤い危険思想は、私の諜報活動の一つであったこの師弟関係を通じて、手に取るように把握できた。
「丸山眞男の真赤な虚像を捏造する朝日新聞 ──朝日新聞の廃絶と丸山真男排撃は、日本の存続の絶対条件(Ⅰ)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/10/26/101608
 
▽ 三木武夫首相主導によるNPT条約批准を阻止できず、無念の涙を呑む 
《(備考)IAEAの査察問題もこれあり、IAEA加盟は何ら障碍にはならないが、五大国以外の核武装を禁止するNPT条約加盟だけは絶対に阻止する必要があり、私は1969年、佐藤政権のNPT条約調印(1970年2月)を阻止すべく、永田町の国会議員の間を駆けめぐったが、まだ若く影響力は全くゼロだった。三木武夫首相主導の批准(1976年6月)に際しては、米国スタンフォード大学に留学中で、1970年4月からかなりの数の国会議員を糾合して作っていた“NPT条約批准阻止永田町グループ”を稼動できず、徒手空拳に終わり、無念の涙を飲んだ。》
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」
 
○     米国留学より帰国
《著者がアメリカから帰ってきた時(昭和五十一年)、アメリカでは一生のうち何度もビフテキを食べたことのない国民がかなりの数にのぼる、と言っても私の回りの日本人の誰も信用しなかった。著者がそれを、当時衝撃的な論文といわれた論文「日本こそが世界一の福祉超大国だ」(『中央公論』七八年九月号)の中で活字にした時、ある若い外交官はこれをもって一笑に附し、この論文自体を馬鹿にしたものだった。これが、欧米を最も知っている日本人のレベルなのである。イメージや先入観の中で思考が停止し、眼も機能しないのである。アメリカでビフテキを口にできない家庭が多い事実を知らずして、欧米と日本との生活水準の比較などはとてもできない。》『超福祉王国日本』150

10月01日 科学技術庁国際課課長補佐(~1978年)の肩書で『ESP』誌に「随想・日本政治の診断書」を連載開始(197710『ESP』(66)145)

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1977・昭和52年  32歳
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04月    処女作『日本政治文化論』(原書房)刊
《最後になってしまったが、本書の執筆に当って西田幾太郎、丸山真男、中根千枝等の諸先生の業績と、直接指導を頂いた G.Almond 教授を始めとするアメリカの比較政治学の諸先生に対して、深甚の謝意を表したい。
また、本書が出版されるに当って、丸山真男元東京大学教授、長尾龍一東京大学助教授、N.Ikeスタンフォード大学教授および学友太田述正君からは、多忙にも拘らず、それぞれ貴重な御批判と暖かい御支援とを頂くことができ、ここに深く感謝申し上げる次第である。》(「まえがき」 iii)

▽     米国の学者・ウォルツ教授の論考に目を通しはじめる
  《なお、私は、ウォルツ教授の無差別核拡散論をまったく支持しないが、彼の主要著作を一九七〇年代半ばより過去三十年間、目を通してきた。全米的に尊敬されている立派な大学者で、その本の教科書採択率は全米でずっとトップであった。》(20041031『日本核武装の選択』96)
引用者注:引用文中にある「ウォルツ教授」とは、Kenneth N. Waltz(1924-2013),のこと。なお、教授の"The Spread of Nuclear Weapons", 1993.を中川教授は《米国の老碩学ウォルツ教授の優れた論考(一九九三年)》(前掲書96)と評価している。

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1978・昭和53年  33歳
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01月01日現在 科学技術庁国際課に所属(197801『季刊アカデミー』9)

04月      日中平和友好条約締結阻止に尽力、尖閣防衛のため軍事的な実効支配を説いて回るも、聞き入れた議員は森山欽司代議士一人の結果に終わる。
《私と「尖閣」防衛問題とのかかわりの始まりは、いまから三五年も遡る一九七八年四月。尖閣の領海近辺に、中国の擬装「漁船」一四〇隻が押し寄せた事件がキッカケである。
これは、「尖閣」の日本領有を認めないとの鄧小平らしい暴力的な対日威嚇だから、日中平和友好条約の締結は、その条約の本旨において不可。当然、自民党内で反対の声が大きく燃え上がり、福田赳夫内閣は断念するにいたると考えた。すぐさま、懇意な自民党・衆議院議員を一〇名ほど訪ね、中国がこのような蛮行でもって領土問題が係争中と闡明した以上、平和条約の交渉はただちに打ち切るべきであると説いて歩いた。
このとき、ほとんどの議員は賛同してくれた。あとで思うと能天気すぎたが、日中平和友好条約は流れると喜んだ。ただ、日中平和友好条約を推進する・三悪人・が要職にあり、それだけが一抹の不安だった。・媚中派の巨魁・大平正芳が自民党幹事長、毛沢東系マルキスト園田直が外務大臣、北朝鮮シンパを公言してはばからない金丸信が防衛庁長官で、この三名こそは・日中平和友好条約のためには日本国の領土を売る三国賊・だと思っていた。
事態は、この・三人組・の主導もあって『朝日新聞』その他のマスメディアの煽動のもと、平和条約を締結する方向に進み、同年八月の調印となった。愕然としたが、その後に気を取り直し、幾人かの自民党議員に、かくなる上は尖閣の・軍事的な実行〔原文のママ〕支配・強化しかない、そうお願いして回った。このとき、私の話に真剣に耳を傾けてくれた代議士は、ただ一人しかいなかった。外交官出身の森山欽司議員(衆議院議員は一九四九~八七年、一九八七年没、東大法学部卒)であった。
・・・・・・
「あとがき」が私事の・思い出日記・になってしまった。「尖閣」防衛を研究していると、一九七八年に私の「尖閣の軍事的な実効支配論」をただ一人、熱烈に支持してくれた森山欽司先生のお顔が、どうしても浮かんでくるのである。》『尖閣防衛戦争論』242-3、245

06月08日付『朝日新聞』一面の「虚報」を明察。
《朝日新聞は、日本の読者を騙すに、ロシア軍のこの特性を悪用した。上陸演習の形をとるので、さも軍事再占領でないかにすり替えた誤報・虚報を打っても、ばれる心配がない。当時、朝日新聞の報道がおかしいと思ったのは、一部の専門家や米国の英字新聞を読んでいるものに限られた。朝日新聞の国民騙しの見出しは、こうなっていた。
「ソ連、択捉で演習  上陸作戦、二千人を動員」(注1)。
「ソ連軍、十八年ぶりに択捉島に再上陸」と正しく見出しを作るべきなのに、なぜ朝日新聞は、こんな見え透いた誤報をしたのか。それは、この一九七八年五月までの十八年間、国後・択捉にはロシア軍は一兵もいなかった事実を(ロシアKGB第一総局に依頼されて)日本国民に知られないようにするためである。ロシアの偽情報工作の片棒を担ぐ朝日新聞らしく、国民の知る権利を剥奪する悪意からである。》
「日本の武力奪還態勢が、ロシアに返還を決断させる ──安倍晋三の軍事力なき対ロ交渉が、プーチンの対日侮蔑を増長」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/18/170326

07月    栗栖弘臣・統幕議長解任がされる
▽      栗栖弘臣・統幕議長より、解任の理由を直接聴取する
《栗栖弘臣・統幕議長が一九七八年七月、防衛庁長官の金丸信に馘首された理由は、巷間では「栗栖の超法規発言」となっている。が、栗栖本人が筆者中川に直接説明した真相は、そうではない。「六月六日/七日に、私(栗栖)がロシア軍の択捉島再上陸の事実を公開したことが、日中平和友好条約締結の妨害になる!」と金丸は怒り、それのみを理由に栗栖を解任した、と。》『尖閣防衛戦争論』224

《ロシアが、択捉島に再進駐するのは1978年。表向きの理由「日中平和条約が締結されるから」は口実で、ロシアの真の目的は、1979年末のアフガン侵略の次に北海道に侵攻するためだったのは、言うまでもない。この危機を日本国民に知らせようとした栗栖弘臣・統幕議長は、この択捉島へのソ連軍再上陸を公表した廉で、北朝鮮人の金丸信・防衛庁長官に解任された(注2)。》
「北方領土奪還に、魔語「国境画定」の排斥が緊急不可欠 ──“正語”「領土」を抹殺するロシア対日工作員を可罰する立法を!」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/04/25/175954
 
《巷間では、栗栖解任の事由は“超法規で自衛隊出動”発言だとされている。が、これは金丸が真意隠しのために流したデタラメ。金丸が栗栖に激怒したのは、ソ連軍の択捉島再占領の事実が日本国内に広まると、国論が日中平和条約の締結反対に動くのではないかと懸念したため。つまり、“北海道危うし”を国民に啓蒙する栗栖の意図に対して怒ったのではなかった。これらの事実は、私が、栗栖弘臣氏に直接インタヴューして聴取した。》
「北方領土奪還に、魔語「国境画定」の排斥が緊急不可欠 ──“正語”「領土」を抹殺するロシア対日工作員を可罰する立法を!」
 
《「民族系」と「保守」の相違を端的に明らかにする方法は、具体的な人物で比較するのが手っ取り早い。「保守」には五名(吉田茂/中川八洋/曽野明/谷沢永一/栗栖弘臣)、「民族系」としては小堀桂一郎と百地章の二名を具体例とする。栗栖弘臣とは、帝国陸軍の"軍人"出身の自衛隊統幕議長。私にとって栗栖統幕議長は、様々なご指導を頂いた"国防における師匠"である。》
「“皇統断絶の妙薬”「養子論」を教宣する百地章の「犯意」 ──明治期の宮家皇族間の養子を除き、皇統史に養子の例はゼロ」
 
08月 月刊誌『中央公論』1978年8月号に「日本こそ世界一の福祉超大国だ」掲載
《著者がアメリカから帰ってきた時(昭和五十一年)、アメリカでは一生のうち何度もビフテキを食べたことのない国民がかなりの数にのぼる、と言っても私の回りの日本人の誰も信用しなかった。著者がそれを、当時衝撃的な論文といわれた論文「日本こそが世界一の福祉超大国だ」(『中央公論』七八年九月号)〔原文のママ〕の中で活字にした時、ある若い外交官はこれをもって一笑に附し、この論文自体を馬鹿にしたものだった。これが、欧米を最も知っている日本人のレベルなのである。イメージや先入観の中で思考が停止し、眼も機能しないのである。アメリカでビフテキを口にできない家庭が多い事実を知らずして、欧米と日本との生活水準の比較などはとてもできない。》『超福祉王国日本』150

《一九七〇年代の「福祉国家」反対の最後は、中川八洋であった。その論文「日本こそ世界一の福祉超大国だ」(『中央公論』一九七八年八月号)が、センセーショナルにあれほどの支持を得たのは、当時の日本には、「福祉国家=日本の社会主義化=社共路線」という見方がまだかなり強く残っていたからである。しかし、このような見解は、その直後の一九八〇年代に入るとすっかり廃れてしまった。「福祉国家」の言葉からすぐに社会主義を連想する日本人は、いなくなった。私の上記の論文は、蟷螂の斧であった。》『民主党大不況〔カタストロフィ〕』79

《ミュルダール『福祉国家を越えて』を念頭に、そのような国策を日本は決して採用してはならぬと訴えた『中央公論』誌上の一九七八年論考が皮切りになっての、三十年余におよぶ私が日本に問うてきた諸作品群は、八名の偉大な哲人や政治家の、それらの知・智慧・事績を、日本の内政・外交・国防の中核に据えんとする作業であったように思う。
   この八名とは、(没年順にあげれば)コーク卿(英)、エドマンド・バーク(英)、アレグザンダー・ハミルトン(米)、マンネルハイム元帥(フィンランド)、ウィンストン・チャーチル(英)、昭和天皇、ロナルド・レーガン(米)、マガレット・サッチャー(英、存命)である。世界史に屹立する、これら八名は、保守主義の松明を永遠に燃やし続ける、人類最高の"知の遺産"であり"自由の勇者"である。
   これら保守主義の偉人をもって、日本国の永続のための海図とし羅針盤とする私の学的作業は、虚空を剣で斬るようなものだったとの評価で終わるかもしれない。が、それでもこの国に生まれた日本国民の一人として、この使命と義務は果たさなければならない。》『民主党大不況〔カタストロフィ〕』351
〔編者注〕ミュルダールについて、『核軍縮と平和』(中公新書)32ページに《この「軍備規制」の語は、のち(一九五五年頃から)、現在の「軍備管理」となり定着した。「軍備管理」の語には、「兵器=戦争の元凶」という短絡的思考は根源的に除去されている。第一次世界大戦から学んだ賢い教訓の結実であろう。しかし、この故にこそ、「軍備管理」の語を嫌う反核運動家も多い。スウェーデンのミュルダールもその一人である。》とある。

   《さて、例を現代の日本に戻して、日本の福祉水準を例にしよう。福祉の最大の指標は、・平均寿命・であることは国際的常識の一つである。日本の・平均寿命・が、米、英、仏、西独を大きく抜き、スウェーデンなどの長寿国北欧すらも抜いたという一つの「情報」を一九七八年にすべての日本人は入手した。この時、私は直ちに日本の福祉は世界一であると判断した(『中央公論』七八年九月号〔原文のママ〕に発表)。一方、ほとんどの日本人は、福祉後進国の日本がそんなことがあるはずはないと、一つの神話であり、既成の先入観をふりまわして批判をするのみであった。以来三年、日本が・福祉超大国・である事実は今や国際的に徐々にではあるが受け容れられつつある。欧米のインテリの方が・事実・に対して謙虚であるのかもしれない。
   ある国の平均寿命が高いことは、その国が経済的に豊かでないと起こらないし、医療や衛生の水準が高くないと生じない。このことは、世界一六三ヵ国について、平均寿命を縦軸にして横軸に一人当たりの国民所得をプロットすると、見事に比例しており、一目瞭然である。また、戦後の日本の国民所得の変化と平均寿命の変化のカーブも全く一致する。これを否定するいかなる論拠も存在しないのである。〔引用者注〕「否定する~しないのである」に傍点。
   さて、次の段階ではこの「日本の福祉が世界一である」という一つの・事実・の判断を否定する関連情報が一つもないかどうかを綿密に吟味する必要がある。第二番目の「論理的に矛盾がない」かどうかの検討である。》19810415『実業の日本』84(7)1982 49

《ところで、この勉強家の中川センセイ、猪木氏らに噛みついて突如、論壇に登場したように見えるが、実はデビューは三年前に遡る。
昭和五十三年、「中央公論」十月号〔原文のママ〕で「日本こそ世界一の福祉超大国だ」と題する論文を発表している。まだ、科学技術庁の核燃料課のお役人だったころのことである。
当時を知る友人は、
「柿沢弘治(現衆議院議員)氏らを中心とする筆の立つ官僚たちの勉強会のグループがあって、彼もその一員で、事務局のような立場にあった。柿沢氏が大蔵官僚から選挙に出たさいも、ブレーン的な存在だったし、今回の柿沢氏の新自由クラブからの脱党のときも、なにかと相談に乗っていたみたいですよ」と証言する。》(198201『宝石』10(1))

  《蛇足だが、数年ほど経った一九七八年、田中角栄の・バラマキ(大盤振る舞い)社会保障・と福祉国家の危険を日本人に警告したく、(ミュルダール排撃も念頭に、)「日本の過剰な福祉国家路線」批判を『中央公論』誌で発表したのが、私の政治評論家としてのデビュー作品となった》(”プチ・ヒットラー”安倍晋三の金融財政政策2014/01/01 11:45)
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-7.html※リンク切れ

07月28日 朝日新聞東京夕刊の文化面(5面)の松下圭一「論壇時評<下>」に「日本こそ世界一の福祉超大国だ」(『中央公論』八月号)が取り上げられる(19780728『朝日新聞』東京夕(5))

○     ウィーンでの国際核燃料サイクル評価(International Nuclear Fuel Cycle Evaluation=INFCE)に日本政府の首席代表として参加
  (備考)1977年4月 米カーター大統領呼びかけ、原子力平和利用と核不拡散の両立の方途をめざし,核燃料サイクルの全分野における技術的,分析的作業の実施を目的として開始。同年5月先進国7カ国首脳会議(ロンドンサミット)で合意、同年10月ワシントンで設立総会、8作業部会にて約2年間の予定で作業、INFCE事務局の集計によれば61回延べ174日間会合が開催され,46ヵ国と5国際機関から合計519人の専門家が出席し,延べ2万ページにわたる文書が作成,検討。1979年10月までに最終報告書を採択、1980年2月ウイーンにおいて最終総会が開催され,各作業部会報告書及びTCC報告書を採択、2年4ヵ月にわたるINFCEを終了(以上、『原子力白書 昭和55年度版』http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1980/index.htmより要約。なお当時の原子力委員会委員長は中川一郎、総理府>科学技術庁>原子力局>核燃料課)

  《本職である行政官としても、原子力平和利用と核拡散防止関係の国際協議の場で、日本の原子力開発に厳しい目を注ぐ欧米諸国の代表と互角以上に渡り合うなど、その活躍ぶりは、原子力関係者の間でも高い評価を受けた。》(19800630東京新聞夕(6))

《筆者は一九七八~八〇年の丸二年間、ウィーンでの国際会議で、日本政府代表の一人として毎月一週間ずつ、米国の国務省その他の官僚たちとの公式あるいは非公式の核不拡散問題を協議する仕事をしたことがある。このとき日本の核武装について彼らの根強い反対に遭遇した。しかし、このアメリカとの接触の過程で、米国の日本核武装反対の姿勢を説得して逆転させることも可能であることを知った。それは、日本が「核武装を通じて米国と何を分担するのか」を明示するということであった。「日本が英国と何を分担し合うのか」を明示することであった。日本が英国と何を分担し合うのかの、一九〇二年の日英同盟締結に至る過程と同じである。》『日本核武装の選択』169

《なお、この時(一九七九年)、パキスタンの核武装問題が発生した。オランダからパキスタンに帰国したカーン博士の問題も大きな話題となった。本件については、上記の協議の中で、訓令が「適宜処理せよ」であったから、日本政府の不拡散の立場からのパキスタン非難を、私は無視した。パキスタンが核戦力を保有した方が対ソ抑止力の一翼を担い、日本の安全保障に裨益すると確信したからである。現に、その年の暮、ソ連軍はアフガニスタンに侵攻した。
  代わりに、パキスタンの核武装を非とするならば、そう思う国がそのウラン濃縮施設を爆撃機やミサイル等で破壊する以外に方法はない、「認められない」などとの国際会議の非難決議などは無効であるが故に不要、と強く主張した。手短に述べたのでなく、延々と何時間もかけて力説した。NPT条約に神話的力がまだ信じられていた当時の常識では、度肝を抜くような過激な主張だった。この国際会議の会場を借りていたIAEA(国際原子力機関)の職員に広く、私の「過激」発言は噂となった。
   だが、イスラエルは自衛権を大義名分にして一九八一年六月、イラクのオシラック原子炉をこの理由において空爆し破壊した。私はすぐに、(私の仮説を実行してくれた)イスラエルを支持する論考を『中央公論』一九八一年八月号に発表した(タイトルは「イスラエルの蛮勇が暴いた核の現実」)。二〇〇三年、アメリカは、北朝鮮の核施設破壊を(あとで棚上げしたが)検討している。二十五年前、私が日本代表として公的立場での発言は、決して「極端なもの」ではなかった。「先制破壊」は"自衛"としても、核不拡散の一つの方法としても、いまや認められつつある。)》『日本核武装の選択』169・170

《カーター大統領の(日本の核武装を阻止するのも狙いの一つだった)核不拡散政策に対して、(現在では青森県六ヶ所村にある商業用)ウラン濃縮工場と再処理工場の保有にかかわる日本国の権利を、逆に米国政府に容認させたINFCE国際会議(1978~80年、ウィーン)の日本政府首席代表。》『反原発のウソと犯罪』カバー「著者紹介」、ほか
《西尾幹二は、国防問題にまったく関心がない。「日本は空母を持つべきだ」「陸軍力は(現在の十五万人体制から)三十五万人以上にすべきである」「戦車は現在の数百輌から二千四百輛に増強せよ」「爆撃機と空対地巡航ミサイルを保有・配備せよ」などと、主張したことは一度もない。これらは、私(中川八洋)が過去三十年にわたり、機会あるごとに説いてきた日本の国防力強化に関する軍備の一部だが、西尾は、これを支持したことは一度もない。
このような国防力強化と同時並行して私は、原発の推進も担ってきた。現在六ヵ所村[ママ]にあるウラン濃縮工場とプルトニウム再処理工場の建設に関して、日米原子力協定その他に基づく米国の否定的要求に対して、臨時外交官として日本政府を代表し、二年間にわたって、その全面撤回を求め、ついには米国政府に了解させた。
つまり、原子力の商業利用(原発)の推進と核武装を含む国防力の増強とは整合する。原発推進をしつつ、核保有国と強大な国防力を見れば、議論する以前に明らか。》『脱原発のウソと犯罪』275
《米国は一九四五年、戦勝国としてドイツ/日本の両国を占領したあと米国の同盟国としたが、一貫してドイツより日本の方を信用している。現に、ウラン濃縮工場とPu抽出の再処理工場は日本には認め、それらは青森県六ヶ所村にあるが、ドイツには存在しない。
 なお、ウラン濃縮商業施設/Pu抽出再処理商業施設につき、日米原子力協定で明文上の拒否権をもつ米国は、カーター大統領自らが世界に発信した公約「日本国には断じて認めない」との方針を一八〇度逆に転換して無条件で日本に認めることにしたのは、1978~80年の日米交渉(形式的には二十二ヶ国多国間交渉、ウィーン)の結果である。この日米交渉の日本政府首席代表は、当時三三~五歳だった私(中川八洋)である。》
「「人種差別から《非核三原則》を国会決議した米国大統領は、佐藤栄作」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(34)」
 
○    米スワード国務長官によるアラスカ買収の地政学的先見に畏敬の念をあらたにする
  《私が、「スワード国務長官、有難う!!」と、ふとスワードを思い出したのは、まさに、SS-20の脅威たけなわの一九七八年であった。なぜなら、もし、アラスカがロシア領土であったら、ここにSS-20とバックファイヤーが展開され、ワシントンとニューヨークを核攻撃しても、日欧が米国から蚊帳の外に置くことができ、これによっても、日米、米欧の分断ができる。
  ソ連(ロシア)の核戦力の絶対優位に対して、これを抑止するのは、日米欧が運命共同体として一蓮托生にソ連の隔壁の標的になることであって、そのときは、ソ連はたじろぎ自制するしかないからだ。》「"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚」
 
▽ 1980年代初頭にかけて、米国務省・国防総省関係者と日本核武装にかんして精力的に意見交換をおこなう
《この天然ウランのうちU235を95%以上に濃縮する必要があるが、その濃縮工場を持たない日本は、米国などに委託するほかない。この時点で、日本の核兵器は米国と二重鍵でない限り、製造できない。(日米間「核シェアリング」の一形態である)二重鍵問題は、別の理由からもそうせざるを得ないし、望ましい部分もあるので、積極的に受け入れる方が日本の得策と考えられる。つまり、米国との二重鍵問題だけは日本核武装の障碍リストには入らない。難題は、仮に二重鍵であっても米国が、日本核武装を容認するか否か、さらにはそれに協力するか否かである(備考)。
(備考)1970年代末から1980年代初頭にかけ、私は米国国務省と国防総省の当該問題の関係者と私的な意見交換を精力的に行った。米国を説得できるのは自分しかないと確信したし、日本の国防問題に関心がある米国政府の官僚・軍人もそう考えていた。》
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」
 
《軽水炉の使用済み燃料から抽出されたPuが爆発(核分裂)するか否かにつき、中川は、1978年頃、米国の某機関から「英仏の核爆弾は爆発せず、米国のだけ爆発した」との米英仏三ヶ国の共同実験結果を見せてもらった。仏は原爆製造に成功して18年、水爆製造に成功して10年、それでも軽水炉からのPuでは原爆を造れなかった。英国は各26年/21年が経っていたが、爆発させられなかった。
 そこで中川は、この某機関の核兵器専門家に尋ねた。「米国は、軽水炉からのPuを軍事転用する気はあるか」と。回答は「コストが数倍かかるし、性能の信頼性に欠けるので、しません」。呆気らかんの余りの素直さに、中川は失笑した。日本国の技術水準では「軽水炉からのPuでは原爆ができない」のを米国は知っていて、「できる」と国際的に騒いでいたことを思わず白状したからだ。》
「「人種差別から《非核三原則》を国会決議した米国大統領は、佐藤栄作」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(34)」
 
 
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1979・昭和54年  34歳
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年頭    運輸大臣の森山欽司(1917-1989)代議士より一報を受ける(ただしこれ以前より面識あり)、以後1985年末まで交流
《それから半年ほどたった、明けて一九七九年年頭、運輸大臣になっていた代議士から自宅に電話がかかってきて、「中川君。一九七九年度予算で、魚釣島に海上保安庁のヘリポート建設費が計上されたよ。君の口癖の・軍事的な実効支配・への第一歩だ」との吉報を知らされた。だが、森山代議士は、一年も経ない十一月の内閣改造で運輸大臣の職を解かれた。
この結果かどうかは知らないが、ヘリポートは建設されなかった。首相の大平正芳が、ヘリポート建設を阻止するため、森山を閣外に追放すべく内閣改造をしたという噂も聞いた。
真偽を確かめなかったのは、この十一月ごろから翌一九八〇年二月にかけて、私は(日本政府首席代表として)頻繁にウィーンに出かけ、日本国の遠心分離のウラン濃縮とプルトニウム再処理の商業施設保有の権利に関して米国政府の了解を取り付けるべく、凄まじい格闘技のような最終段階の交渉を展開していた。肉体的に限界で、訪ねていく気力がなく、聞きそびれたのである。
その後、一九八五年末まで、森山代議士とは個人的には数え切れないほど接触しながら、ヘリポート建設が流れた理由を聞くことができなかった。私以上に悔しい思いをしただろうと想像するに難くなかった。
「あとがき」が私事の”思い出日記”になってしまった。「尖閣」防衛を研究していると、一九七八年に私の「尖閣の軍事的な実効支配論」をただ一人、熱烈に支持してくれた森山欽司先生のお顔が、どうしても浮かんでくるのである。》『尖閣防衛戦争論』244・245

《一九七九年度の予算で、時の運輸大臣の森山欽司は、海上保安庁のヘリポート基地をつくる予定だった。だが、大平正芳・首相に潰されたという。》『尖閣防衛戦争論』169

02月24日 東京大手町・サンケイ会館で「スパイ防止法制定促進会議」設立発起人会開催、参加者百名(4/15平和と安全創刊号)

03月 この頃、志水速雄『日本人はソ連がなぜ嫌いか』(山手書房)を読み、一定の肯定的評価をなす
《ともあれ、地政学を乱暴にもソ連・ロシアの対外政策に短絡させた『悪の論理』の学術性は、疑問以前に、全く論外である。だが、私は、この本が一九七〇年代末の日本人にソ連脅威を覚醒させた功績ある本として、志水速雄の『日本人はソ連がなぜ嫌いか』(一九七九年三月、山手書房)とともに評価している。》『地政学の論理』340
引用者注:倉前盛通『悪の論理』は日本工業新聞社刊(一九七七年初版)。

05月10日 自主憲法制定国民会議主催の第10回自主憲法制定国民大会が明治神宮参集殿で開催

11月 神田学士会館での第275回二木会にて「政治先進国の日本」と題して講演 

11.12(月)15:30~16:30 科学技術庁第一会議室で第12回原子力行政セミナー開催、核燃料課長補佐として「核燃料サイクルの動向と放射性廃棄物の処理処分」について説明(197911『原子力委員会月報』24(11)279

11月 ウィーンでの国際核燃料サイクル評価(INFCE) 最終段階の交渉に入る
  《真偽を確かめなかったのは、この十一月ごろから翌一九八〇年二月にかけて、私は(日本政府首席代表として)頻繁にウィーンに出かけ、日本国の遠心分離のウラン濃縮とプルトニウム再処理の商業施設保有の権利に関して米国政府の了解を取り付けるべく、凄まじい格闘技のような最終段階の交渉を展開していた。肉体的に限界で、訪ねていく気力がなく、聞きそびれたのである。》『尖閣防衛戦争論』245
引用者注:『昭和54年度 原子力年報』12月号(第24巻第12号、科学技術庁原子力局)によれば、11月に開催されたINFCE会合は技術調整委員会(T.C.C.、11月12日~16日、参照:
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V24/N12/197908V24N12.html
12月27日  ソヴィエト・ロシア、アフガニスタン侵略。
12月27日 ソ連軍のアフガニスタン侵攻をみて国際政治学への転向を決意(19901212『大侵略』奥付「著者紹介」)、ウィンストン・S・チャーチル国際政治学を指針とする
《私が、専門を比較政治学や原発政策から国際政治学に変更すると決心したのは、一九七九年十二月末にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したからである。ソ連が、次なる侵略の標的として「日本の北海道、ペルシャ湾制覇を見据えてのザーグロス山脈以北のイラン北半、アフガニスタンの南方でインド洋に面するイラン/パキスタン領土の一部(回廊)」を考えている事は、私だけでなく、一定レベル以上の米欧の軍事専門家の一致した観方だった。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」
 
《1979年12月27日のソヴィエト・ロシア(備考)のアフガニスタン侵略とは、「ロシア帝国のアフガニスタン併呑」であった。このロシアのアフガン侵略は、必ず北海道orイラン北部へのロシア侵略に続いていくことは、当時の世界の諜報機関と専門家の間で常識だったし、私もそう判断した。その時、私の脳裏をよぎった先達は、林子平であり、間宮林蔵であり、最上徳内であり、近藤重蔵であり、小村寿太郎だった。軍人では、マンネルへイム元帥であり、黒木為楨・陸軍大将だった。
 そして、祖国日本を守るべく、(対ロ軍事力の大増強と憲法第九条改正・国防軍設置を訴えるとともに)ウィンストン・チャーチル国際政治学を広く日本国民に共有させることが私の使命だと堅く決意した。チャーチルの演説集『While England Slept』とこれに未収録の下院演説「紛れもない全面敗北」(1938年10月5日)を、急ぎ暗記した。
(中略)
 アフガニスタン侵略に直面した世界は、現実の具体的な対ロ外交をどうすべきか。まず、日米欧の全ての対ロシア外交の完全遮断と対ロ経済関係の完全断絶を実行すべきが自由社会の外交の採るべき道。これ以外はない。よって、これを好機と、本郷時代からの私の信念「対ロ外交の神髄は無交渉にある」を広く闡明した。この時の対ロ外交の研究過程で強い影響を受けたのが、チャーチル以外では、米国レーガン大統領「悪の帝国」演説(1983年3月8日)など彼の多数の演説だったし、エドマンド・バークの「国王弑逆のフランス革命政府との講和に反対する」などであった。
 それらから私は、「外交は道徳の精神と不可分であり、また道徳の精神こそが正道の外交に炎のエネルギーを吹き込む」との、もう一つの偉大な真理を教わった。レーガンもバークも、“道徳の大輪の華が咲く自由”を至上の価値とする保守主義者である。つまり、外交は保守主義こそがその魂にビルトインされていなければ正しい外交など覚束ないと、彼らは後世に“人類の遺産”というべき普遍の外交原理を明かにした。》
「国後・択捉島ほか旧島民を騙した“反・道徳男”安倍晋三 ──旧島民をプーチンに面会させない安倍晋三の旧島民封殺の“極悪性”」
▽    旭化成のウラン濃縮について、詳細に調査
《ところで筆者(中川)は、若い頃、武田邦彦も研究員の一人だった旭化成のウラン濃縮について、詳細に調査したことがある。旭化成は、それが実用化のメドがついたと公表したからである。しかし私は、旭化成が開発した化学的なウラン濃縮法では、ウラン濃縮の大規模工場化(実用化)は全く無理だと判断した。化学処理法そのものの問題に加えて、なんとはなく、ペテン師的な匂いを濃く感じたからである。それから三十三年、"放射線恐怖アジを快楽するペテン師"武田邦彦の今般のトンデモ言動を見るにつけ、まだ三十歳をすぎたばかりだった、(ウラン濃縮の国策に一義的な責任を担っていた)当時の私の判断が正しかったことにほっと安堵している。》『脱原発のウソと犯罪』67

○    『超先進国日本』の発売が翌年にずれこむ
《中川「日本人論が始まったのは、一九六七年の中根千枝あたりからで、その後はベンダサンや土居健郎あたりがピークで、私が一冊目の『日本政治文化論』(一九七七年)を出した頃は、もう下火でした。『超先進国日本』は、本当は一九七九年に発売の予定だったのですが、講談社の都合で一年間、発行が遅れてしまったのです。もし、一九七九年に発売されていたら、エズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と同時発売みたいな格好になっただろうから、ボーゲルに遅れをとったみたいで残念です。ただ、ボーゲルの本よりは、内容のレベルが、はるかに高いということで満足していますが」(笑)》(198111『マスコミ評論』7(11)80)

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1980・昭和55年  35歳
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02月27日 国際核燃料サイクル評価(INFCE)会議終了(19800610『エコノミスト』58(24)2358)

参考:INFCE交渉の日本側成果
《この2年間(1977--80年)には、カーター大統領自らの発案で、「国際核燃料サイクル評価」(INFCE)と称する大規模な国際共同作業が実施され、当時原子力発電に関係していた約50カ国の一流の専門家が総動員され、原子力平和利用と核拡散防止を両立させるための方策を求めて、集中的な議論を行った。実は、東海再処理施設の運転を米国がしぶしぶ認めたのは、同施設の運転で得られたデータを積極的にINFCE作業に提供し、米国の核不拡散政策の普及に協力するということが条件の一つであった。

当時原子力に熱心だったドイツ、さらに再処理ビジネスに関心のある英仏などとがっちりスクラムを組んで、日本は、INFCEという檜舞台で必死に頑張って、ついに初志貫徹に成功した。すなわち、「核拡散は所詮技術だけの問題ではなく政治問題である。厳格な国際査察の下であれば再処理、プルトニウム利用を行っても直ちに核拡散には繋がらない。原子力平和利用と核拡散防止は両立可能だ」という趣旨の結論を得ることに成功したのである。これはある意味で、米国の当初のシナリオに反しており、INFCEで再処理禁止の国際化、普遍化を図ろうとしたカーター氏の目論見は裏目に出たわけである。》
金子熊夫(外交評論家、元外交官。初代外務省原子力課長)「日本は核燃料サイクルを放棄するなかれ・その2 — 原子力の国際規制、米国の意図」

この頃  国際政治学者を開始、最初の研究テーマを軍備管理・核戦略理論とする
《私が、専門を比較政治学や原発政策から国際政治学に変更すると決心したのは、一九七九年十二月末にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したからである。ソ連が、次なる侵略の標的として「日本の北海道、ペルシャ湾制覇を見据えてのザーグロス山脈以北のイラン北半、アフガニスタンの南方でインド洋に面するイラン/パキスタン領土の一部(回廊)」を考えている事は、私だけでなく、一定レベル以上の米欧の軍事専門家の一致した観方だった。

核兵器の研究をすでに二年ほどしてきた当時の私は、ロシア人が核兵器と核戦争を過剰に恐怖することを知っていた。故に、最も迅速かつ確実にソ連の世界侵略を抑止する方法は、米国の核戦力を一気に三倍増することだと考えた。それだけでなく、当時は西側不利と目されていた地理的非対称をソ連不利に逆転する方法として、欧州戦域核戦争と東アジア戦域核戦争を遂行し勝利できる核戦力を配備することが(注1)、最良の対ロ抑止だと理論的に考察した。

このため、私は、米国の核戦力が数的にソ連の三分の一になった主原因の、ニクソン大統領の愚行である対ソ核軍備管理条約SALTⅠ(一九七二年)がなぜ締結されたか、などの外交史・核戦略の研究に勤しむことにした。これが、私が国際政治学者を開始した一九八〇年、まず最初の研究テーマが軍備管理・核戦略理論となったきっかけである。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」

《いつしか世代が代わり、また、民族系という知的劣化を絵に画いた“無教養なナラズ者”集団が、さも「保守」であるかに跳梁跋扈する一九八〇年代以降、「自衛官を軍人にせよ」の常識的な声は、日本列島から完全にぶっ飛び消滅してしまった。僅かに私(中川)ひとりのみが、国際法を引っさげて、一九八〇年からすでに三十五年間、空しく警告し続けている。この寂しい情景は、日本が国家としてはすでに亡んでいることの証左だろう。》
「日本国民に告ぐ、今こそ諜報機関(JCIA)創設の声を上げよ!!──湯川氏/後藤氏/カサースベ中尉の “惨殺死”を無駄にしてはならない」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/02/07/090517

06月10日 科学技術庁原子力局核燃料課課長補佐の肩書で、「INFCE後の核不拡散政策」を『エコノミスト』誌に発表(19800610『エコノミスト』58(24)2358)

06月25日 筑摩書房刊『産業社会と日本人』に太田述正との共同論文「「日本経済体制」論」が掲載さる( 『産業社会と日本人』)
《スタンフォードで一緒だった中川八洋が、筑波大学の助教授となり、彼の誘いで一緒にいくつかの論考をまとめ、彼との連名ないし私の単独名で部外に発表したのです。
   安全保障を論じたものは、それぞれ毎日新聞社の『エコノミスト』誌と文藝春秋社の『諸君』と小学館の『コモンセンス』に載り、経済体制論は筑摩書房から出た本の一つの章になりました。
   残念なことに、彼とは、相容れない点がいくつかあり、袂を分かつことになります。》「太田述正コラム#4093(2010.6.26)私の考えはいかに形成されてきたか(その2)/過去・現在・未来(続x20)」)

07月01日 筑波大学助教授(歴史・人類学系)に就任、三・四年生を対象に「比較政治制度概論」を担当(19800630東京新聞夕(6)、19800722『サンケイ新聞』夕(4)、20000331『週刊朝日』105(14)4374)
  《筑波大学(福田信之学長)に七月一日付で異色の若手助教授が誕生する──。話題の主は約十年間、国の科学技術庁行政第一線で活躍してきた科学技術庁技官の中川八洋さん(三五)。同庁核燃料課課長補佐が行政官としての最後のポストだ。》(19800630東京新聞夕(6))

《なお著者中川氏は、七月一日付で科学技術庁から筑波大学助教授に・華麗な転進・をされることが報ぜられたことを付記しておく》(198009『ESP』(101)180 97)

《* 弊誌連載の「日本政治の診断書」でとかく話題をよんだ中川八洋氏が「”華麗な転進”」(朝日新聞評)をし、秋から筑波大学で比較政治学の講義をすることになりました。氏の言によると、『ESP』の連載記事が、筑波大学への転進をとりもつ縁になったとか。一層のご活躍を祈ります。》(198010『ESP』(102)181「編集後記」)

《その後、中川氏は、「もともと政治が好きだったことと、官僚では自分の考えを表明できない」(本人の弁)として、学者に転進し、先に見たように米国留学を経て筑波大学に迎えられる。その間の経過については、「タカ派学長として知られる福田信之氏の強力な引きがあったのではないか」(筑波大学の某同僚教官)との見方もあるが、実際のところは「彼は、いわば技官だったから、役人としてのエリート・コースではなかった。向上心の強い彼が役人のままでは収まるはずはなかった」(友人の話)ということだったのだろう。》(198201『宝石』10(1))

▽    これまでの職場だった霞ヶ関近くに自分の事務所を持つ(19800722『サンケイ新聞』夕(4))

09月   『諸君!』九月号に「「核の持ち込み」以外に道はない」を寄稿、日本核武装に疑問を呈する。
《筆者は、かつて(『諸君』八〇年九月号)、日本が独自の核武装することには疑問を呈した。その理由は次の通りであった。
「日本が保有する核兵器体系としては、原子力潜水艦によるSLBMぐらいしか適当なものはないだろう。しかし、日本の技術力からしても米国のポラリス型のレベルのものがやっとであり、これらをインド洋に展開してモスクワ攻撃の任務につかせたとしても、攻撃直前にほとんどソ連に撃沈されてしまっていよう。つまり、ソ連の攻撃型潜水艦の能力が高度に発達してしまった現在、日本は技術的に独自の核武装する時期(一九七〇年頃)を逸したといえる」
しかし、(1)ソ連の戦略核戦力が米国と並ぶか優位に立ち、加えて極東の戦域核戦力では圧倒的に米国を凌ぐ現在の深刻な事態がさらに悪化しつつある。一方、(2)日本周辺からモスクワを攻撃できる潜水艦発射のSLBM(トライデントC4、D5ミサイル)が米国で開発された以上、これを活用することによって、短期日で日本にとって最適な核兵器体系の保有が可能になった。この二つの状況変化によって、日本が英国方式で核武装することについての検討は、現在では十分に意味のあることとなったと考えられるのである。
また、ソ連の対日”核恫喝”をはねのけるには、対核シェルターも、補完的ではあるが、かなりの力をもつことを、日本人も真剣に自覚しなければならない。》『ソ連は日本を核攻撃する』p.64-65

09月  『欧米デモクラシーへの挑戦』新装版への序を記す(「新装版への序」 iv)

▽  大東亜戦争の目的の一つが日本国民大量殺害だったことに気づく
《「特攻」だけでなく、大東亜戦争には、"敵国による自国民大量殺害"を初めから考えた、異様な作戦が多々あり、それも戦争目的の一つであったことに気付くようになったのは、私ももう三十代の半ばを過ぎていた。》『山本五十六の大罪』338

《ちなみに日本人で、大東亜戦争を戦後、正しく理解した者がほとんどわずかしかおらず、大東亜戦争を歪曲する、あるいは大東亜戦争の真相を隠蔽することが国論のほとんどである。
・・・・・・
なお、戦後日本で、大東亜戦争の真相を最も正しく理解しておられたのは、いうまでもなく・天才大帝・昭和天皇である。大東亜戦争の全貌の基本だけではあるが、おおむね正確に把握したのは吉田茂。大東亜戦争の真相を活字で的確に論述しえたのは、私(中川)と三田村武夫の二名のみ。自国が行なった八年間にわたる大東亜戦争について、その真相を闇に葬った日本とは、はたして国家なのか。》『尖閣防衛戦争論』29

▽     国会議員や自衛隊関係者に北海道有事の緊急対策を説諭す
《私は、一九八〇~四年、北海道に米陸軍の一五五mm榴弾砲を数百門ほど事前備蓄し(POMCUS)、米本土からの二個師団の緊急展開の準備をせよ、榴弾砲用の核砲弾は(平時にはグアムに備蓄し)有事に米国が直ちに搬入できるようにせよ、と国会議員や自衛隊に説いて回った。この「北海道有事」にあっては、陸上自衛隊の榴弾砲は米軍仕様だから、アメリカの核砲弾は日本側にも渡される。米国は、日本に対する差別などしていない。》『反原発のウソと犯罪』281-282、20111018『撃論3』101・102)

09月  月刊誌『諸君!』に「「核の持ち込み」以外に道はない」を掲載
《日本の対ソ核抑止力に関する分析を例挙すれば、公刊のものでは、筆者の知る限り、日本人では筆者の二つの論文──一九八〇年と一九八四年の論文(それぞれ中川第一論文、中川第二論文という)──が、外国人のではエンディコット大佐の論文(一九七五年)とパッシン教授の論文(一九七七年)などが代表的なものだろう。》『日本核武装の選択』176
引用者注:「一九八四年の論文=中川第二論文」とは「東アジアにおける「拡大抑止力」とINF」のこと。なお、『日本核武装の選択』242には《この二つの論文は、一九八〇年代に核兵器関連の技術における劇的な進歩を経たため、今日では日本の核武装論議にとって役に立たないものとなった》とある。

  《非核三原則の破棄をアッピールした、日本最初の本格的論文は、中川八洋「<核の持ち込み>以外に道はない」『諸君!』一九八〇年九月号、である。これは当時、大変なセンセーションを巻き起こした。が、西尾幹二はまったくの無関心・無反応だった。》20111018『撃論3』103

12月11日 ソ連・コワレンコと会談した安倍晋太郎(安倍晋三の父)の思想本籍について疑問を持つ
《私が、安倍晋太郎を「怪しい」と直覚した最初は、1980年12月10日、(表向き日本共産党の招待で来日中の)ソ連共産党の幹部でKGB第一総局“対日工作の最高責任者”コワレンコと会談したからで(注1)、これ以来、安倍晋太郎の対ロ動静と思想本籍を調べるようになった。
 安倍・コワレンコ会談は、ソ連軍がアフガニスタンに侵略しモスクワ・オリンピックを世界中がボイコットした直後で、また「アフガンのザ・ネクストは、北海道か、イラン北部か」が、世界の諜報機関や外交官の間で飛び交っている最中だった。ロシアの対外謀略機関の高官コワレンコにビザを出す自体、国際的にはアフガン侵略の制裁を約した日本の重大な背信行為である上に、外交とは無関係な自民党政調会長にすぎないのに、安倍晋太郎は日本共産党とグルになって、「コワレンコ来日にビザを出せ」と外務省にあれほど執拗な圧力をかけた。なぜだろう。
 この時、「安倍晋太郎とは、ロシアのスパイで“第二の河野一郎”ではないか」「実質的な日本共産党員ではないか」の噂が広く流れた。しかし、一過性の“体たらく三流民族・日本人”は、それ以上の安倍晋太郎追及をしなかった。 》
「北方領土奪還に、魔語「国境画定」の排斥が緊急不可欠 ──“正語”「領土」を抹殺するロシア対日工作員を可罰する立法を!」
 
12月    月刊誌『諸君!』に「「食糧安全保障」は真っ赤な嘘である」を掲載
《農水省がふりまわす"二つの魔語"「食糧自給率」「食糧安全保障」を、日本で最初に真っ正面から否定し批判したのは、じつは若いころの私(中川八洋)で、一九八〇年の『諸君!』誌上においてであった。「若いテレビ評論家の直截な説」として、当時はちょっとした評価を得てセンセーショナルな話題となった。が、農水省からの執拗で物理的な嫌がらせのほかは、記憶されることもなく、すぐに一過性に忘れられてしまった。
   それから三十年、(中略)先駆者として私の言論活動が間違っていなかったことに安堵している。しかし、「食糧自給率」をふりまわし農政の誤導に執着する悪辣さは、私の批判論考が発表されたあと、反省するどころか、逆に過激にエスカレートした。》『TPP反対が国を滅ぼす』46・47

12月 産経新聞社「正論」欄メンバーへの無許可登録を拒絶
《 正常な人間性の良識ある学者や知識人ならば、決して「正論」欄メンバーにはならない。現に、産経新聞の「正論」欄メンバーは、北朝鮮人、ロシア工作員、“非・学者”の雑文業者、共産党員、マルキストばかりで、真っ当な者は一人もいない。ちなみに私は、1980年12月、私の意思確認も了解もなしに産経新聞社が勝手に「正論」欄メンバーにする社内手続きを済ましたが、学者として知識人としての私の信用に瑕がつくため、連絡を受けた時、言下に拒絶した。》
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①」

○     この年より一九八三年まで、GHQによる市販禁止図書の多くをチェック
《それ以上に、西尾〔幹二〕が未熟な・三歳の童子・なのは、「これらの本が焚書された」とか「発掘された」とかの嘘と妄想に基づき、「焚書された書物の山はいったん発掘された以上、なしで済ましてしまうわけにはもはやいかない」と興奮する、その余りの馬鹿ぶりに明らかだろう。これらの本は、戦後一貫して国会図書館や主要大学その他の図書館で閲覧できた。「焚書」などまったくなされていない。一九八〇年から八三年にかけて、私は神田の古本街で購入したかなりの冊数のを含め、少なくとも二百点以上をチェックした。それなのに西尾はなぜ「二〇〇五年の発掘」だと、エジプトでミイラを発見したかのように騒ぐのだろう。》20070628『亡国の「東アジア共同体」』p.253

《なお私は、これらのGHQ市販禁止図書の多く(ほとんどは荒読みで二千点近く)を読破・チェックした。これら二千点は、三つ四つの図書館と古本屋からすべてを手にすることができ、手にすることのできない本など一冊としてなかった。日本中の現代史の研究者で不自由したものも一人もいない。》 「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」
引用者注:上掲には「二百点」と「二千点」との異なる二つの記載がある。

○    高木惣吉・海軍大佐に対して大きな疑問を抱く
  《天川勇に関しては、一九八〇~一年、私は直接、約一年半にわたり十回ほど、一九七九年末のソ連軍のアフガン侵攻直後の「米国の(軍事的側面に焦点を当てた)対ソ世界戦略」の講義を受けた。だが、その内容は出鱈目で詐欺師そのものだった。講義で紹介される新情報はCIAから提供されたものというが、これは嘘であった。また、KGBが創った偽情報を流布するソ連のスパイ的な雰囲気も感じるようになった。このとき以来、「旧海軍の元・海軍大学校教授」天川勇を起用した高木惣吉に大きな疑問をもった。天川の恩師である加田哲二は、一九二二年、過激社会主義運動取締法(治安維持法の前身)に反対するキャンペーンを張ったソ連系コミュニストであった。GRU工作員の可能性も高い。『朝日新聞』一九二二年二月二八日~三月二日付け。
   なお、天川勇の最後の娘が深川由紀子(早大教授→東大教授)で、中国共産党の「東アジア共同体」工作に協力したり、父親に似たのか、いかがわしい活動を得意とする。深川は母親の姓である。天川勇の虚言癖について、調査課にいて天川と親しかった扇一登・中佐は、「(天川は)あんまり嘘が多いから(のち海軍から追い出された)」と伊藤隆の質問に回想している(『扇一登オーラルヒストリー』、政策研究大学院大学、二〇〇三年)。》『山本五十六の大罪』66

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1981・昭和56年  36歳
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01月 米国大統領にロナルド・レーガン就任、以後の核兵器開発と配備の新動向によって米国の世界的特性を再認識する
《核兵器の研究をすでに二年ほどしてきた当時の私は、ロシア人が核兵器と核戦争を過剰に恐怖することを知っていた。故に、最も迅速かつ確実にソ連の世界侵略を抑止する方法は、米国の核戦力を一気に三倍増することだと考えた。それだけでなく、当時は西側不利と目されていた地理的非対称をソ連不利に逆転する方法として、欧州戦域核戦争と東アジア戦域核戦争を遂行し勝利できる核戦力を配備することが(注1)、最良の対ロ抑止だと理論的に考察した。
このため、私は、米国の核戦力が数的にソ連の三分の一になった主原因の、ニクソン大統領の愚行である対ソ核軍備管理条約SALTⅠ(一九七二年)がなぜ締結されたか、などの外交史・核戦略の研究に勤しむことにした。これが、私が国際政治学者を開始した一九八〇年、まず最初の研究テーマが軍備管理・核戦略理論となったきっかけである。
だが、一方、この一九八〇年代に早期に対ソ核抑止をすべく欧州や東アジアに配備する中距離核兵器については、一九八〇年時点、私自身は全く発想できなかった。欧州の地上に新たに配備すべき新型ミサイルは、これまでの中距離弾道ミサイルの型では、ソ連のSS20に先制攻撃されて役に立たない。いろいろ考えたが、自分のIQからはついに、その基本設計構想が浮かばなかった。
また、ICBM等をフル生産して対ソ三倍になるまでは相当に時間がかかり、また米国と言えども(海軍力の大増強が優先されねばならない時に、これに加えて)厖大な予算を喰らうICBM/SLBM三倍化大生産への米国民の納得を勝ち得られるかが心配だった。
だから、翌一九八一年一月にレーガン大統領が就任して明らかになった、走行型の中距離弾道ミサイル「パーシングⅡ」を南ドイツに配備し、移動式の地上配備型巡航ミサイル「トマホーク」を欧州五ヶ国の陸地に配備するとの方針を知ったとき、驚愕をもって米国を再評価した。欧州戦域核戦争を遂行できる新核兵器を発想する天才的技術力、また迅速にそれらを生産できるその産業力の高度さに対してである。
次に、全体的な米国の対ソ核絶対優位を、長距離ICBMやSLBMの対ソ三倍化ではなく、海上・海中から発射する中距離核巡航ミサイル「トマホーク」でソ連を包囲することで達成するとの、米国の発想には再び心底から驚嘆した。この兵器ならば、私の旧式といえる対ソ核兵器体系三倍増構想に比すれば、同一の抑止効果を数分の一の予算で済ませる。開発生産の時間もさほどかからない。
以上の一九八〇~一年の米国の核兵器開発と配備の新動向は、私に、すでに十分に知ってはいた米国の世界的特性を再確認させた。米国は、理論なしで、実際で理論以上の行動が直ちにできる、と。「欧州戦域核戦争による対ソ核抑止強化」の理論は、おそらく私が世界で最も早かっただろう。当時、米国の核戦略の数百本の論文を集めていたが、類似のものはなかった。がしかし、米国は、この理論に合致する新兵器体系を生産し配備することを、あっという間に決定し、あっという間に進めていたのである。
このとき私は、エディソンを生みグレアム・ベルを生んだ技術革新天才国家・米国ならではの早業にほとほと感心したし、同時に「ミッドウェー海戦」で劣勢米国が勝利した理由を見い出した思いがした。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」
 
01月 鈴木善幸内閣、「北方領土の日」を2月7日とする閣議決定
《蛇足;「北方領土の日」は、1981年1月、元社会党員だった自民党の鈴木善幸総理が閣議決定した。私や(当時は今日のゼロと違って自民党国会議員には数十名もいた)真正の保守系議員たちは、「北方領土の日」として、日本が樺太の主権半分と得撫島を失った国恥記念日1855年2月7日を選択するのは対ロ外交交渉の全面敗北日を「記念日」にする転倒行為だから“絶対反対!”だと猛運動した。
 私やこれら自民党国会議員たちは、「記念日」は、北方領土(元来は「南樺太」等を含む言葉であることを知る国会議員が当時はまだかなりいた)にソ連軍が侵攻してここを占領し、「北方領土問題」が発生した歴史の通りの8月9日を「“臥薪嘗胆”記念日」とすべきだと主張した。だが、我々の強硬な要望に対し宮沢喜一官房長官は、「ロシアを刺激してはいけない」「ロシアが対日外交交渉で勝利した気分のいい日を選択した方が、ロシアは気分よく返還できる」と突っぱね、8月9日ではなく2月7日になった。
 この“何でも左翼”宮澤喜一の判断は、今も思い出しては怒りが収まらない。2月7日に「今日は、《北方領土の日》です」とのテレビ報道を聞く度に、「北方領土の日」をめぐって鈴木善幸・宮沢喜一と闘って敗れた、まだ若かった頃の自分の無力さ非力さを愧じ、ただ忸怩たる思いが走る。》
「G7に叛旗する安倍晋三の売笑婦型“対ロ嬌態” ──“《侵略の皇帝》プーチンの犬”安倍晋三の制裁こそ正義(Ⅱ)」
《1980年暮れ、私や自民党の「保守」国会議員(備考)が、宮澤喜一官房長官(首相は鈴木善幸)と激闘して敗れた「事件」は、完全に純粋な学術論争であった。いささかも「永田町政治」は加味されていなかった。
(中略)
 「北方領土の日」として選択さるべき日が、北方領土が侵略され占領されるに至った、ソ連の日ソ中立条約侵犯での対日戦争開戦日8月9日であるべきは、議論の余地のないもの。ところが、1980年年末、宮澤喜一官房長官は、それはロシアに自分の侵略を想起させるから、刺激が強すぎると、「8月9日」に強い難色を示した。
 侵略した事実を突きつけない限り、国際法に従っての、敵国の侵略行為で喪失した固有の領土奪還などできるはずもない。そもそも、領土返還要求それ自体が「相手国を刺激すること」だから、「刺激が強すぎる」という論自体、はなはだ自家撞着の妄言で成り立たない話ではないか。だが、宮澤喜一は、頑として聞き入れなかった。
 そこで、妥協として、日ロ間の領土(国境)が安定的に確定した、日露戦争終結に伴う、米国ポーツマスでの日ロ講和条約の締結日にするほかないとし、また、講和なのだから、これを忌避することはあるまいと考えた。が、唖然とすることに、宮澤喜一は、これにも反対した。理由は、この9月5日だと、「日本は南樺太も千島列島も返還要求するかに見える」から、ロシアを刺激しすぎる、と。
 何ということだ。ロシアの対日侵略がなければ、南樺太も千島列島(=クリル諸島、備考)も日本の領土であり続けている。当然、これら全部の返還を要求したときのみ対ロ外交の法理に瑕疵がなく、日本の法的正義性を闡明できる。しかも、これら全部の返還要求をするから、日本が最後に国後・択捉島だけでよいとすれば、ロシアは南樺太とクリル諸島を獲得できた=「領土が拡大」したと、その外交的大勝利を国内で説明ができる。ロシアの顔が立つことにもなる。
(中略)
 宮澤喜一が執着したのは、なんと2月7日のみ。つまり、下田条約の締結日であった。理由は、日本が外交的に全面敗北した日だから、ロシアを刺激しない、と。》
「プチャーチンに惚れた“対ロ大敗北”川路聖謨の下田交渉 ──“《侵略の皇帝》プーチンの犬”安倍晋三の制裁こそ正義(Ⅲ)」

04月03日 日本経済研究センターの企画「月例経済論争」で「日本の生活水準は欧米を抜いたか」について、赤羽隆夫。経済企画庁物価局審議官、正村公宏・専修大学教授、武藤博道・日本経済研究センター副主任研究員(司会)と議論、担当・大川真知子(19810515『日本経済研究センター会報』392)

05月   『文藝春秋』五月号に「米国は“強い日本”を要求する」が掲載さる 
《第5章は、このうち最も劇的な変化の一つというべき、米国の一九七九年における対日政策の大転向にスポットを当ててみた。三十数年に一度という米国の国家政策の転換の苦悩と力強さを示すに十分なものである。この対日政策の百八十度転換が、遅くとも八〇年初頭までに完全に終了していることにつき、第五章の論文の発表当時(一九八一年四月)、著者がその優秀さを敬意してやまない日本の外務省の担当部局ですら掌握していなかった事実をここに記しておきたい。
優秀な日本人でも、ダイナミックな変化をすぐには受け入れられない文化ともいうべき、日本人特有の強い思考パターンから自由になれないということを認識してもらいたいからである。》『ソ連は日本を核攻撃する』p.165-166
※引用者注:本文中、《第五章の論文の発表当時(一九八一年四月)》とあるのは誤り。

05月02日 東京・日本海運クラブで開催のシンポジウム「日本の進路を問う 日本の安全保障と憲法」にパネラーとして参加(198107『祖国と青年』(7)53)

07月20日 『月曜評論』紙第二面に「猪木正道氏の理解不可能なレトリックを批判する(1)」が掲載さる(198110『軍事研究』16(10)187)

07月27日 『月曜評論』紙第二面掲載の記事につき、猪木正道の代理人弁護士より記事削除・謝罪要求の抗議文を受く(198110『軍事研究』16(10)187 188・189)、論文中「彼がソ連への忠誠心をもっていること」「このような猪木氏の口ぶりは、彼がソ連政府の代理人になったかの如くである」部分に対する名誉毀損を主張される

08月    フジテレビの番組に出演、長谷川慶太郎、佐瀬昌盛ら五人と座談会
《──しかし、中川さんの場合、”技術屋”から”政治学者”になって、まだ日が浅いようですが。
中川「たしかに私は、比較政治学を始めて五年、国際政治学を学んで一年しかたっていませんが、この分野に関しては、十分な実力を備えていると多くの人に言われています」
  ──評論の世界に入って、まだ日が浅い。しかも若いとなると、言論の内容はともかく、貫禄に負けるというか、叩たかれ易い雰囲気にあるとは言えませんか。現実に、今年の八月に、フジテレビで長谷川慶太郎、佐瀬昌盛氏らが参加して、五人の座談会がありましたが、どうも一番若い、中川さんが集中攻撃を受けているような・・・・・。
  中川「私がしゃべるのに慣れていないせいだと思いますよ。私もテレビに出た後で、学生に、テレビでの印象について聞いてみたのです。すると”先生は無表情すぎる”とか”しゃべるペースが速過ぎる”といった意見が多かった。たしかに一般の素人がみれば、雰囲気的に攻撃され、やられているようにみえるかも知れませんが、軍事専門家のほとんど全ては、私が圧勝したと評価していると聞いています」》(198111『マスコミ評論』7(11)80

夏頃    瀬島龍三の講義を聴講
《私事だが、一九八一年夏の頃か、私は瀬島龍三から講義を一度だけ受けたことがある。テーマは①地政学の「包囲」と②「限定戦争」の概念についてで、瀬島の説明が余りにスキがなく華麗であったのには、いたく感服した。》『山本五十六の大罪』254

10月20日 「月曜評論」紙の創刊十周年記念パーティに出席、諸氏より裁判への激励を受ける
  《さる十月二十日、「月曜評論」の創刊十周年記念パーティが開かれた。この雑誌は先に見たように、中川論文を掲載したくだんの雑誌だが、
  「集まった人の大部分が中川君を激励していましたね。パーティは創刊十周年記念が目的でしたが、一方では、裁判中の中川君を励ます会といったおもむきもありました」(桶谷繁雄氏=前出)
   このパーティの発起人には、石原慎太郎(衆議院議員)、江藤淳(評論家)、春日一幸(民社党常任顧問)、清水幾太郎(社会学者)、福田恆存(評論家)といった面々も名を連ね、パーティそのものも百二十人近い参加者を得て、盛大そのものだった。
   席上、中川氏が師事する清水幾太郎氏が、参加者に中川氏を紹介し、「中川君に支持を」とブツ一幕も。中川センセイ、敵も大物揃いだが味方もまた錚々たるメンバーである。》198201『宝石』10(1)

10月27日 午後2時、ホテルニューオータニ・ローズの間にて「日本を守る国民会議」結成式、討議資料「巻きおこせ地方の息吹き──自衛隊をめぐる地方議会決議運動の展望」の講師団候補二十六人に名をつらねる(19811120『週刊朝日』86(51)3329 172・173)

10月   各界代表により「日本を守る国民会議」(元号法制化実現国民会議の改組、加瀬俊一議長、黛敏郎運営委員長)結成、発起人に名を連ねる

11月01日 筑波大学の大学祭で「軍事増強の論理」と題して講演(~03日)
  《十一月一日から三日間、筑波大学キャンパスで繰り広げられた学園祭。雨まじりの開催で、人出はやや低調だったが、三百あまりの企画のうち、とりわけ硬派の学生をかき集めた二つの講演があった。
   一つは、森本真章筑波大講師の「教科書問題を考える」。もう一つは、中川八洋筑波大助教授の「軍備増強の論理」。
   実行委員会の調べでは、森本氏の方が二百四、五十人、中川氏も「百二十人教室に百五十人」を集めたという。
・・・・・・
   そして中川氏についても、防衛論議が盛んな折だからぐらいに思っていた。
   ところが、講演会の会場に行って驚いた。意外に静かなのである。例えば、中川氏の講演は、こんな内容だったのにである。
  「わたしは憲法を改正すべきだと思っています。学者として、改定しない、なんて恥ずかしいこといえません。当然です。アメリカに行って、わが国は三十五年間憲法を改正してませんとはとてもいえませんでした。いえばバカにされました。理由は簡単です。アメリカは戦後五回かえました。スウェーデンは九カ月にいっぺん変えました。欧米の国々を平均しますと、二年四カ月にいっぺん変えます。改正してない国がいくつかあります。トンガ王国、フィジー(会場、笑い)。三十五年改正しないことに私は誇りを持つことができません。必要があれば変えるべきです・・・・・・」
・・・・・・
   徹底した軍備増強、改憲論。それを、竹村健一さん流の冗舌風である。もちろん中川氏は、
  「わたし、幸か不幸か(主催者の)社会学類の方の意図に反しまして、かなりタカ派でございます。というより最もタカ派でございまして、現在タカ派といえば政治家で中川一郎、学者では中川八洋とこういわれております。一と八ですから時々親子ではないかといわれますが、決して親子ではありません」
   と自己紹介するほどのタカ派。それは承知の上のことなのだが、
  「中川を袋だたきにしてやる」
   という、ぶっそうな話も聞こえた前評判とは大違い。質疑応答では、学生の中から、
  「軍事問題を考える講座を開設してほしい」との要望が出たり、核問題で質問した学生の一人がそばにいた某教授に逆に「なぐられて」(見ていた学生の証言)口から血を出す始末だった。》(19811120『週刊朝日』86(51)3329 170)

11月16日 公益財団法人和敬塾主催の講演会で「現今の国際軍事情勢と日本の選択」と題して講演

12月04日~6日 東京・日本青年館で開催の学際研究会議(IRC)第三回学際研究会議に参加、第二分科会で「米国の「新封じ込め」戦略と日本の対米防衛協力」を基調報告(19820520『防衛と言論の責任』、改憲軍団169)

12月14日 国防問題研究会の国防講座講演会で「現今の国際軍事情勢と日本の選択」と題し講演(19820401『国防問題研究会講演録集』2)

12月   三島由紀夫研究会主催の講座で「日本の国防問題について」と題して講義

▽     月刊誌『宝石』の取材を受ける
  《中川八洋なる人物にお馴染みでない方のために、最近の彼自身によるキャッチフレーズからご紹介しよう。
  「タカ派といえば、政治家では中川一郎、学者では中川八洋。一と八でよく親子と間違われますが、赤の他人です」
──最近、八洋センセイは改造前の科学技術庁長官・中川一郎氏の事務所に足繁く出入りしているが、会う人ごとにニッコリ笑ってタカ派を売り込んでいるという。》198201『宝石』10(1)

▽    ルポライター・佐藤達也の取材に応じる
  《中川八洋氏、昭和二十年生まれ三十六才。現在、筑波大学助教授(政治学専攻)。この人、経歴が変わっている。東京大学航空学科卒のロケット・エンジニアで、科学技術庁のお役人だったが、のちにアメリカのスタンフォード大学に留学し、大学院で比較政治学を専攻、学者に転進した。著書に『超先進国日本』『先進国のアキレス腱』などがある。
   六本木の喫茶店で中川氏に会った。
   赤いネクタイに派手なブレザー。学者というイメージにはほど遠く、話し方といい身振り手振りといい、あの竹村健一サンを若くした感じ。早口でまくし立てる。
・・・・・・
  「日本の国際政治学者は、もっと勉強しないと国際社会では通用しません。日本では、私が国際政治学では第一人者と言われていますよ」と、なんの衒いもなく話す。
   たしかに、たいへんな勉強家なのだろう。
  「私は、酒、タバコ、マージャンなど一切しません。大晦日まで机に向かって勉強しています」と堂々とおっしゃる。》198201『宝石』10(1) 135・136

▽    倉前盛通の誘いにより新橋にて懇談
《一九八一年の頃、倉前盛通氏から「食事をしながら、地政学について語り合わないか」との電話がかかり、新橋まで出かけた。大ベストセラーとなり印税が数千万円入っているのに、誘った食事が今の価格では千円強の天丼セットには驚いた。また、「貴方の地政学は間違いばかりだ」との、私の機関銃のような誤謬指摘の連発に対して、倉前氏は高笑いするばかりで一度も答えなかった。が、不快さの全くない人柄で、実に愉快で楽しい昼食会だった。》『地政学の論理』352

▽    柿沢弘治・衆議院議員の新自由クラブ脱党に助力(1983年12月18日、第37回衆議院議員総選挙<東京6区>で二度目の当選)
  《ところで、この勉強家の中川センセイ、猪木氏らに噛みついて突如、論壇に登場したように見えるが、実はデビューは三年前に遡る。
昭和五十三年、「中央公論」十月号で「日本こそ世界一の福祉超大国だ」と題する論文を発表している。まだ、科学技術庁の核燃料課のお役人だったころのことである。
当時を知る友人は、
「柿沢弘治(現衆議院議員)氏らを中心とする筆の立つ官僚たちの勉強会のグループがあって、彼もその一員で、事務局のような立場にあった。柿沢氏が大蔵官僚から選挙に出たさいも、ブレーン的な存在だったし、今回の柿沢氏の新自由クラブからの脱党のときも、なにかと相談に乗っていたみたいですよ」と証言する。》(198201『宝石』10(1))

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1982・昭和57年  37歳
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02月  ・ 自由社会と企業を考える・セミナー二月例会で講演(「報告 レーガン政権の対日政策」、19820401『経済論壇』28(4)300)

03月15日 日米安保の改定を求める百人委員会(安保百人委員会)結成大会、賛同者に名を連ねる、同日「日米安保の改定を訴える声明」採択(改憲集団198、200-3、朝日ジャーナル24(14)1982-04)

○     朝九時十五分から十時ラジオ日本の番組「ソ連は脅威か」に出演、佐藤誠三郎と対論(参議院逓信委員会 5号 昭和57年04月01日)

04月   スパイ防止法制定都民会議練馬支部総会で講演(改憲軍団175)

06月26日 札幌市内で開催の「スパイ防止法制定促進北海道民会議」第三回総会で記念講演、参加者400名(8/1平和と安全39号2面、9/1平和と安全40号4面)

08月15日 『ソ連は日本を核攻撃する』日本工業新聞社より刊
11月13日 大宮市・埼共連ビルで開催の「スパイ防止法制定促進埼玉県民会議」第二回総会で記念講演、参加者150名(12/1平和と安全43号2面)

12月11日 都立白鴎高等学校において「学校教育における"ゆとり充実"」をテーマに講演(20130331『記念誌』1-136)

12月11日 都立白鴎高等学校における第11回教育会議で「教科書問題と国際政治」をテーマに講演(19870315『財団法人 日本教育研究連合会会報』第36号、20130331『記念誌』1-205)

12月11日 「教科書虚報問題の本質を衝く」と題し講演(19830331教育会議講演)

12月23日 猪木正道言論抑圧裁判が、和解で終結 (19830120『週刊文春』25(3)1220)

▽ 米国防省の関係者から、ノモンハンにおいて日ソが通謀して日本人捕虜の子孫を対日工作員に仕立てている」(趣意)との説明を受ける
《なお、私は、1982年の頃、アメリカ国防省の関係者から、「ソ連は、ノモンハンで日本の関東軍が受け取りを拒否した日本人捕虜800名ほどを外界と隔離した特別村に囲い、沿海州から若い朝鮮人女性を強制連行して結婚させ、(日本人と見分けのつかない)その子供や孫を対日侵攻時の特殊潜入工作部隊の精鋭兵士に訓練し部隊編制をしている。この部隊は、北海道や新潟に侵攻する前、潜水艦その他から上陸して偵察・サボタージュ・暗殺などの諸作戦を遂行する」との説明を受けたことがある。この部隊こそ、いわゆる「対日用スぺツナズ」で、GRUの管轄下にある。》
「スターリンの命令通りに、大敗北を演出した関東軍のノモンハン戦争 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史23」
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1983・昭和58年  38歳
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02月08日 「スパイ防止法制定促進愛知県民会議」主催の「スパイ防止法制定新春バンケット」で外交評論家として特別講演(3/1平和と安全46号2面)

02月22日 自由民主党の「学識経験者との懇談会」(塩川正十郎国民運動本部長、34名参加)に出席、野党との対決を助言(3/15自由新報1070、8面)

03月07日 東京平河町・全共連ビルにて開催の「党幹部と学識経験者との懇談会」(第二回)に出席(4/19自由新報1076、3面)

03月10日 文書「国際関係学群及び関連大学院について」を起草、授業科目の中に軍備管理論、演習、国際緊張、冷戦論の演習、国際安全保障論の演習などの設置を提言(衆議院 文教委員会 4号 昭和58年03月23日)

○     国際関係学類(のち国際総合学類)発足、同学類の助教授となる(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

03月23日 ロナルド・レーガン米国大統領、通称「SDI演説」
《ロナルド・レーガンには、保守主義思想を前面に出した優れた名演説が多いが、何度も読んで厭きないのを一つ挙げろと言われれば、1983年3月23日の通称「SDI演説」を推奨したい。》
「中共の軍艦出動は、尖閣への侵略決行の前哨行動 ──オバマの広島演説が招いた、日本への中ロ同時侵攻の跫」

04月18日 スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会発足

04月23日 午後、鹿児島市の国際ジャングル・パークで開催の「第三回スパイ防止法制定促進鹿児島県民会議」で「深刻化する極東軍事情勢」と題し、外交評論家として一時間半にわたり講演(6/1平和と安全49号2面)

05月02日 「日本を守る国民会議」主催の公開シンポジウムにパネリストとして参加、護憲派の論客を論破(5/24自由新報1081、3面)

05月21日 東京のホテル・グランドパレスにて自由文化人会議(仮称)の第一回発起人会議が4時間にわたり開催、設立総会の準備委員に選出される(6/7自由新報1084、3面、自由民主1983/8、青木慧『タカ派知識人』)

06月07日 「北方領土」に関する教科書記述の是正を求める「要望書」に名をつらねる(19831205『告発・ウソで固められた日本の教科書』128・129)

夏頃    清水幾太郎にインタビュー、清水の擬装転向発言を引き出す
《清水幾太郎の「天皇論」は一九七三年に『諸君!』誌上(三月号)に発表され、清水の「転向」と目されて大反響を呼びましたが、この論文は、コントとデューイでマルクス主義を画してきた清水幾太郎の生涯変わらなかった本心とは異なるものですから除外します。福田恆存の清水幾太郎論と同じく、私は、清水幾太郎を人格的に信用できない人物と考えています。「偽装転向」者だったと思っています。》『「名著」の解読学』114

《共産党は、極めてトランスナショナルな(国境を超えた)、カルト宗教団体のシステムで構築されている。その党員や隠れ党員そしてシンパは、マルクス・レーニン主義の・信者・というべきがより適切で、その方が実態と一致している。なお、日本共産党の場合、隠れ党員の方が九割と大多数である。
ところが、共産主義に関して、顕著に常識を欠くのか、日本人の多くは、党員であるか否かが共産主義者であるか否かの指標だと短絡している。また、思想的「転向」が簡単にできるという錯覚をしている。「転向」は、稀にしかなく、通常ではありえない。これが原則的事実である。この原則を明らかにすべく、かつて私は、二人の「転向知識人」に、直接、確認した。実質的な共産党員であった清水幾太郎と林健太郎の二氏である。
(中略)
次に清水幾太郎への、「転向の理由はなんだったのか」という私の問いに対する彼の答えは、予想だにしないもので、私は驚愕のあまり、ほとんど頭が真白になった。「共産党とは訣別したが、実は共産主義思想からは転向していません。葬儀を考えての個人的な問題から転向演技をしているだけです」との趣旨だったからである(一九八三年夏)。そして、清水幾太郎は、思想・イデオロギー上の転向の困難性と、実際のケースが稀にしかないことについて、私に縷々説明した。》20070628『亡国の「東アジア共同体」』p.263-264

《国内が騒乱状態となった一九六〇年の安保騒動で、湯川秀樹とともに全国の学生を日本共産党の指揮の下の暴動に扇動した、"日本最高のアジテーター"清水幾太郎に対して、一九八〇年代初頭、私は直接インタヴューした。「なぜ貴方は、共産主義者になったのか」と。
   清水幾太郎の答えは、与謝野晶子の指摘と同じだった。「昭和初年の一九二六~一九二七年ですら、神田の本屋街で、平積みの新刊本は皆、マルクスとレーニンばかり、そんな環境で、読書好きな優秀な学生が、どうやって共産主義者にならないことが可能ですか」、であった。》『山本五十六の大罪』270

《清水〔幾太郎―引用者注〕が「自分は今でも立派な共産主義者で、転向していません」と、偽装転向だったことを私(中川)にふと語ったのは、転向宣言から十年目の一九八三年夏のころだった。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』121

《清水幾太郎は、治安維持法を逃れるべくマルクスをやらず、コントとデューイを専攻して、日本共産党お抱えコミュニスト知識人になった。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』262

《これは、清水幾太郎本人から直接、中川が聴取した。このとき清水は、中川に「コントとデューイで、マルクスを完全に置換できる」と教示した。コミュニスト鶴見和子も、デューイ教徒で、清水と同じである。ただ、清水も鶴見も暴力革命派で、デューイとはその点では立場を異にする。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』269

《マルクス・レーニン主義の信奉者だけを共産主義者だと思うのは、無教養の誹りを免れない。たとえば、戦後の共産党系知識人・トップ二人・といえば、清水幾太郎と丸山真男である。両名が共産主義者であることに異論は存在しない。だが、この両名ともマルクス・レーニン主義者ではない。
   清水幾太郎はコントとデューイ、丸山真男は知識社会学(ルカーチ/マンハイム)とフランクフルト社会学(アドルノ/ホルクハイマー/ボルケナウなど)とマックス・ヴェーバーで、共産主義者の自分の思想を形成した。ただ丸山真男はスターリン崇拝が強度で、スターリン著『レーニン主義の諸問題』を座右の書にしていたので、レーニンについて学ばなかったとはいえない。》20130621『尖閣防衛戦争論』204

▽    今上陛下(平成)に対するマスメディアの「逆情報」に関し、清水幾太郎に糾す
《戦後、日本のマスメディアがこぞって、今上天皇の高いIQに関して逆情報を流した事は、私の世代まではしっかと記憶しており、忘れることができない。この件で一度、清水幾太郎(陛下ご在籍時の学習院大学教授)に面と向かって詰め寄ったが、返事がなかった。》
「高徳の今上天皇の弥栄(いやさか)を寿ぎ奉る ──”歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(XV)」

06月10日 筑波研究学園都市に、”分裂症的折衷主義”のポスト・モダン建築家・磯崎新が設計した「つくばセンタービル」(ホテル、コンサートホール、商店街、広場などからなる複合施設)オープン。以後、大学退官まで、その広場に人が憩わない異常さをつぶさに見続ける。
《つくば市(筑波研究学園都市)の中心に、世界的な建築家である磯崎新が設計した「つくばセンタービル」があり、そこに「広場」がある。一九八三年に完成してちょうど二十年余、筆者は一度してこの「広場」に人が憩う光景を見たことがない。時間がとまり音が消えた白昼の墓場が蜃気楼のごとくゆらめくのを誰しも無意識に幻視するからだろうか。その虚ろな不気味さが、確かに人を遠ざけている。
この異様な光景の理由は明白で、磯崎新が「つくばセンタービル」に注ぎこんだ設計モチーフは“廃墟”であった。モチーフ通りのものをつくりあげた才において、磯崎の建築設計の技量は一流と言うより、それ以上であろう。とはいえ、新しい建造物を設計する者が、それが“廃墟”となることを念じながら設計しているとは、常識的には、何とも耳を疑うような話である。だが、磯崎新みずから、次のように語っている。
(略)
そればかりか磯崎は建物の完成と同時に、「つくばセンタービル」が崩壊して“廃墟”となった図(水彩画、一〇一cm×一七八cm)を描き、ためらうこともなく一九八五年に発表した。その題は「未来都市つくば・・・・・」であった。つまり、磯崎建築学のモチーフは、一九六二年の「孵化過程」以来、一貫して「未来は廃墟、廃墟こそ未来」である。
(中略)私は、「広場」に誰も降りていかない光景を二十年余りも目撃した証人であるが、それは磯崎の「設計」の意図通りであった。》
『福田和也と《魔の思想》』34-35
08月06日 中曽根康弘首相、広島の原爆施設を訪問
《話を「核兵器と米国の原爆投下問題」に戻す。1960年代末まで日本人の九割は、「ヒロシマ(原爆投下)が日本を救った」が常識だった。これは、昭和天皇の終戦詔書(玉音放送、1945年8月15日正午)を拝して謹聴した日本人にとって、常識というより真理ですらあった。ところが、この常識がガラガラと崩壊していく事件が起きた。1983年8月6日に中曽根康弘・首相が、自民党の国会議員で初めて“共産党主催のヒロシマ慰霊祭”に出席したためだった。
 私が20歳の東大三年生だった1965年の日本では、「日本核武装支持が6割、《広島原爆が日本を救った》と考える者が9割」だったから、私(1983年時は38歳)より年上の者の多くは(主に男性)、中曽根康弘が共産党員そのものの行動をしたのに心底から驚愕した。自民党国会議員の一部は、腰を抜かした。
 この1983年8月6日を境に、「反核(核兵器反対、原水爆禁止)は、共産党員の専売特許の共産革命運動だ!」が常識だった日本の世論に、激変が起きた。日本人の反核運動への嫌悪・拒絶感情が、一気に消滅へと走り出したからだ。
 “沖縄人”中曽根康弘の赤い暴走から十年以上が経過した1990年代半ばになると、反核運動への嫌悪・拒絶感情を持つ正常な日本人の方が、かつて1960年代の「九割」から逆転して、「一割」程度の極少数になった。「広島/長崎の原爆慰霊祭は、共産党の危険な共産革命運動だ!」と正確に把握できる日本人は、ほぼゼロになった。》
「“戦争の21世紀”を誘爆したオバマ大統領の広島訪問 ──「米国の核による平和」に矜持なきオバマは、“非・米”の野蛮人」
 
《 日本人の“歴史知らず”は、1980年代に入った頃から激しくなり、今や、自国に関わる基礎的な歴史知見が日本人からすっかり消えた。特に、1983年からの民族系の台頭は、嘘歴史を洪水のように垂れ流し、劣化しつづける日本人から常識的な歴史知見すら徹底的に奪うことに全力をあげた。この事は、真赤な創り話が満載の、日本人白痴化を狙う隔月雑誌『歴史通』を一例としてあげれば、証拠として充分だろう。》
「安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ ──“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する」
〔引用者注〕隔月雑誌『歴史通』(ワック出版)は2009年4月創刊。当初はオピニオン雑誌『Will』の別冊号であった。2016年現在刊行継続中。
08月08日 午後一時、東京・農林年金会館(葵の間・桂の間)で開催の「スパイ防止法制定促進東京都民会議五十八年度総会」で一時間にわたり「深刻化する極東情勢とスパイ防止法」と題し特別講演(9/1平和と安全52号2面)

08月25日 「教科書正常化国民会議役員(候補者)名簿」に名を連ねる(青木慧『タカ派知識人』)

08月31日 文化団体「日本自由主義会議」設立総会、理事に選出される(青木慧『タカ派知識人』)
  議長 細川隆元
  副議長 気賀健三
  理事
  今井久夫、江藤淳、扇谷正造、加瀬英明、加藤寛、勝田吉太郎、草柳大蔵、黒川紀章、香山健一、佐藤欣子、末次一郎、竹田五郎、俵孝太郎、寺谷弘王、中川八洋、花井等、法眼晋作、黛敏郎、宮崎吉政、村松暎、村松剛
  監査委員 石村暢五郎、奥原唯弘、藤田勝也

《中川教授と筆者とは、日本自由主義会議という言論人のサークルで、ともに理事職をつとめる関係であり、ここ十年来、勉強会の場などで、しばしば意見を交換してきた。》19930501『対論・政治改革の非常識、常識』54

09月13日 「教科書正常化国民会議」設立、理事に名をつらねる(思想新聞9/2付、世界日報9/14付、青木慧『タカ派知識人』)
会長 気賀健三
理事
秋山篤彦、井上茂信、池見猛、石井公一郎、宇野精一、岡田春生、加藤栄一、梶山茂、片岡正巳、勝田吉太郎、金子孫市、黒田巍、小林茂広、佐藤和男、斎藤忠、滝原俊彦、土屋清、名越二荒之助、中川八洋、二宮信親、原田統吉、弘津恭輔、福岡克也、法眼晋作、細川隆一郎、村尾次郎、村松剛、森本真章

12月04日 教科書正常化国民会議設立総会(青木慧『タカ派知識人』)

▽     憲法改正案について研究
《もちろん、そのものずばりに憲法改正する方が真正の主権国家であるということも間違いありません。だから私は自分の憲法改正案ではそうしています。ただ、それを研究した一九八三年ごろ、私はこの三島の作品を読んでおらず、奇縁というほどではありません。が、三島の希望をかなえるものになっているのは、不思議な偶然です。あの自決後もなお、三島由紀夫の親友として信義を守った村松剛氏は、生前ときどき私に「中川君と三島の憲法改正案はほんとによく似ている」と語っていました。次の傍点部分です。逝去される二~三年前から「眠れぬ夜には枕の下に置いている君の『新・日本国憲法草案』を眺めている」とも語っていました。そのころの村松氏は実は拙著を読みながらあの世の三島由紀夫と会話をしていたのではないかと推定しています。》『「名著」の解読学』131・132

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1984・昭和59年  39歳
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03月15日 東京新橋の細川事務所で政治評論家・細川隆元と対談(新・日本国憲法草案<1984>63)
《「人民の天皇」などと・レーニンむき出し・の言辞を平然と吐く、・共産主義者・宮澤俊義は演技の達人で、(ある美濃部門下生に直接インタビューしたのだが、)恩師の美濃部達吉を騙して、その後継者の座を射止めたという。》『女性天皇は皇室廃絶』106-7

03月 筑波大学歴史・人類学系編・発行の『歴史人類』誌に「THE WEPTO OPTION;JAPAN'S NEW ROLE IN EAST/ASIA/PACIFIC COLLECTIVE SECURITY」掲載
《2017年の現在、日米安保条約を再改訂できなかった岸信介の無念を継承している日本人はついに私一人になった。1960年から1984年までの日本では、「憲法第九条改正と日米安保条約の再改訂」をペアで考える事は、安全保障に関心がある者の常識だった。新聞記者ですらかなり多かった。
 それが、1984年を境に、後者「日米安保条約の再改定」の方が一気に消滅した。1983年頃に突然出現した、江藤淳や小堀桂一郎あるいは石原慎太郎など“奇天烈な思想集団”「民族系」が雑草のごとく繁茂したこととも関係している。国際政治や外交問題における無学・無教養な「民族系」は、その源流が共産党の分派だから、「反米」をレーゾン・デートルとしている。当然、日米同盟そのものを内心憎悪している。彼等が「日米同盟を、より健全化しよう」などとの発想それ自体、ありえない。(※吉田注→バックナンバーに詳細記事あり)
 むろん、「民族系」の台頭だけが原因ではないが、私が1984年、岸信介の衣鉢を継いで日米安保条約の再改訂を英文で発表したのが、現・日米安保条約を正しい日米同盟にする日本人最後の動きとなった(注2)。岸信介は、この後の1987年に永眠した。》
《注2、Yatsuhiro Nakagawa,“The WEPTO Option”,Asian Survey,1984.》
「安倍晋三よ、日米安保条約「双務化」改訂をトランプ大統領と今直ぐ交渉せよ──岸信介“悲願の遺言”をポイ捨てする安倍晋三」
 
○    村松剛(筑波大学教授・評論家)と対談
《村松〔剛〕 中川さんが七年前に発表した「日本国憲法(草案)」は、戦後、公にされた改正案のなかでは四つめですか。
  中川 私家版のようなものは、もっとあるのですが、市販されたものという意味では、そのとおりでございます。》199109『サンサーラ』2(9)15、〔〕内は引用者による。

08月 『Asian Survey』誌(Vol. 24  No. 8,  Aug., 1984., pp. 828-839)に「The WEPTO Option: Japan's New Role in East Asia/Pacific Collective Security」掲載(『歴史人類』誌に既載)
〔引用者注〕『Asian Survey』誌は、University of California Press Journalsの発行
○     8.5, 8.6放送のNHK特集「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」に対して、NHK会長に公開質問状(衆議院 予算委員会 20号 昭和60年03月06日)
  〔注〕08月05日に「第1部 地球炎上」(60分)、08月06日に「第2部 地球凍結」(45分)が放送、ディレクターは相田洋。

▽ 「民族系」が日本国を亡国に導く危険分子であると本格的に認識する
《1965年の時点、国民の六割は、ポツダム宣言を受諾され大東亜戦争を否定された昭和天皇と共にあることを至上の幸福と感激する「保守」であった。つまり、当時の日本人の六割は、当然、大東亜戦争否定論だった。共産党と社会党が大声で叫ぶ大東亜戦争侵略論とは、別次元のものとするのが、「保守」の常識だった。侵略論も排斥するが、侵略論に対する“対置概念”自衛論にも与しないのが、「保守」だった。
 「保守」知識人の竹山道雄/林健太郎/福田恒存/磯田光一はむろん、ジャーナリストの池島信平/長谷川才次などや吉田茂/岸信介らの政治家を含め、大東亜戦争否定論だった多数派の国民は、林房雄の「肯定論」に奇矯さを感じ嫌悪した。が、これが二十年後に、「民族系」が台頭する土壌になるとは、(1965年時点の私は)予測できなかった。現実に1984~5年の頃から、大東亜戦争肯定論の「民族系」が台頭し、「保守」の地位を簒奪した。
 私は、“保守潰し”の「民族系」の新奇な動向が、理論的に、日本に“ロシアの犬”を増殖させるだけでなく、国論を対ロ属国主義の『朝日新聞』論調にシンクロさせ、「一億総“ロシアの犬”化」を起こさせるだろうと、危機感を感得した。国を守るための私の「民族系」危険視は、1984年に始まった。》
「北方四島からロシア軍の完全撤兵を要求せずば、対ロ割譲の意思表示──プーチンに主権譲渡を闡明した安倍晋三の大犯罪」
 
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1985・昭和60年  40歳
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03月   ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長就任、ゴルバチョフとソ連研究を始める
《思えば、一九八五年三月ゴルバチョフが書記長になって以来、私がこのゴルバチョフとそのソ連を研究してすでに丸六年の歳月が経つ。この間に発表した論文や書籍はずいぶんと多い。本だけでも六冊になる。『ゴルバチョフの嘘』 『ゴルバチョフの日本謀略』 『ソヴィエト海軍戦略』『ゴルバチョフ破綻』 『大侵略』そして本書の『ソ連が悪い』である。》 19910412『ソ連が悪い』157

10月22日 「千代田フォーラム」で講演、タイトル「攻勢に出るゴルバチョフの・軍縮・宣伝戦と極東軍事情勢」(19860101『経済論壇』32(1)345)

○     「安重根義士記念館」を訪問、館長に『東洋平和論』の展示を提案
  《私は、一九八五年の頃、「朝鮮神社」が建立されていたソウルの高台に、安重根義士記念館の館長を訪ねたことがある。安重根の著『東洋平和論』を展示するよう依頼するためだった。『東洋平和論』は、一言で言えば、対ロ防衛の日韓同盟論である。 一九四五年八月、ロシアが朝鮮半島北半を侵略してトンデモ国家・北朝鮮をつくったように、ロシアの侵略から朝鮮半島を完全に守ることが、朝鮮民族が国挙げて堅持すべき正統な外交。これ以外の外交選択肢は、地政学的に朝鮮には存在しない。が、(ドイツ人/日本人ととも)世界の三大・外交音痴・民族である朝鮮人一般には、地政学的な自民族の運命がさっぱりわからない。卓越する安重根のみ、これを理解できた。
かつて百済の救援に駆けつけた斉明天皇のときの百済・日本関係のような(六六〇~三年)、日韓が健全な関係を結ぶに、安重根の『東洋平和論』こそ偉大なカップリング力を発揮する古典である。「安重根義士記念館」を訪ねた後、私は韓国の新聞に、『東洋平和論』の解説記事をハングルに翻訳して寄稿した。五面に大きく掲載してくれた。『ソウル新聞』一九八五年十一月六日付け。ハングルの読める在日コリアンは、必ず一読して欲しい。》
「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」
 
11月06日付 『ソウル新聞』五面に『東洋平和論』の解説記事をハングルに翻訳して寄稿
「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」

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1986・昭和61年  41歳
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01月29日 筑波大学国際学類の概要と学生を紹介する対企業説明会で、研究内容についてスピーチ(19860210『筑波学生新聞』44)

02月   『政界往来』 誌の肩書が「筑波大学教授」となる(198602『政界往来』52(2))誤植か。

06月25日 中公新書より『核軍縮と平和』刊(奥付)
《一九八〇年代前半、軍備管理論の専門的研究に勤しんできた私は、軍備管理条約のような方式で、広地域/地球規模の平和や安定維持を図ることは不可能だし逆効果だと、それを全面否定する(日本人国際政治者の中では)稀有な学術的結論に至った、そのような学者である。戦間期の具体例で言えば、ワシントン海軍軍縮条約/ロンドン海軍軍縮条約/(陸軍兵力の軍縮である)世界軍縮会議/化学兵器第一使用禁止条約などのすべてを、太平洋や世界の平和・安定にとって有害無益で大いなる障碍にしかならないとの学術的理論を構築してきた。
すなわち、第一次世界大戦後の米国のように、初めて世界のリーダー国になった嬉しさからか、軍備管理条約体制による平和維持を目指したのは、国際政治を知らない素人の思いつきにすぎず、怖ろしい結果を推断できない危険で間違った偽りの思考だと糾弾してきた。現実にも、前二者の海軍軍備管理条約の結末が、二十年を経ずして、日米間の太平洋戦争となった。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」
 
07月22日 日本を守る国民会議(日本会議。議長=加瀬俊一・元国連大使)編集の高校日本史教科書が検定合格を受け、東京・工業倶楽部で「新編日本史の集ひ」開催、発起人名簿に名を連ねる(19861201『天皇の教科書』)

07月 ▽ 文藝春秋社の村田耕二氏より、江藤淳『日米戦争は終わっていない―宿命の対決 その現在、過去、未来』 (文藝春秋/ネスコ<NESCO BOOKS>、1987年7月刊)の恵贈を受ける
《江藤淳が、後に文庫本となった『忘れたことと忘れさせられたこと』『一九四六年憲法 ── その拘束』『閉された言語空間』に収録されたかなりの数になる論考を、雑誌『諸君』や『文学界』に連載したのは、1979年の春からで、最期のは『諸君』1986年2月号(1985年の年末発売)。六年弱の歳月をかけている。
これらの連載が終わるや、江藤淳は、たった二日間(1986年4月8~9日)の語り下ろしで、タイトル『日米戦争は終わっていない』というブックレット的な本を出版した。六年近い歳月をかけた、「民族系カルト宗教」の一つ“反GHQ教”の三経典を書き終えた直後だから、三経典の主張を手短に総括するものではないかと思い、たまたま文藝春秋社の村田耕二さんから贈られてきたので、パラパラと捲ったら、案の定そうだった。滑稽で笑止なパロディ漫画的というより、“悪の教祖”の面目が躍如していた。》
「昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228

引用者注:江藤淳“三経典”に所収された論考の連載は1979年春より1985年末(翌1986年2月号発売)までの六年余。『日米戦争は~』のための語りおろしは1986年4月8日・9日、刊行は同年7月。
よって、”三教典”のうち『閉された言語空間』(出版年月日は1989年8月15日〔!〕)のみが『日米戦争は~』後の刊行。
なお、『忘れたことと忘れさせられたこと』は1979年12月刊、『一九四六年憲法─その拘束』は1980年10月刊、ともに文藝春秋からの出版。

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1987・昭和62年  42歳
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04月    筑波大学教授に就任
04月       『ゴルバチョフの嘘』の着想を得る
《ところで、本書の誕生には、非常にユニークな背景がある。さる(昭和六十二年)四月、まだ八重桜が咲いている頃であったが、文藝春秋の村田耕二氏との雑談のなかから、本書の斬新な視点と論点とが生まれたからである。》『ゴルバチョフの嘘』235

04月最終金曜日(翌土曜日スタート)『朝まで生テレビ!』(あさまでなまテレビ、テレビ朝日系列(ANN系列)で放送)放送開始第一回に出演、テーマ「激論! 中曽根政治の功罪」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E3%81%BE%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93!
《田原が主宰するテレ朝の討論番組『朝まで・・・』は、一九八七年に始まった当初、事実上、朝鮮総連との共催であった。スタジオを埋める外部から招集した観客は、全て朝鮮大学校の学生のみであった。》「北星学園大学を廃校に追い込もう!! ──従軍慰安婦捏造報道の朝日新聞の廃刊に向けての天王山の闘いに、糾弾の手を緩めてはならない」
 
10月16日 三島由紀夫研究会の第138回公開講座で「亡国憲法制定40年(2)改憲なくして真の日本たりえるか」と題する講演を行う(『「憂国忌」の四十年』、http://mishima.xii.jp/koza/m/index3.html

11月12日 『ゴルバチョフの嘘』刊、東欧解放とソ連邦解体を提唱
《この『ゴルバチョフの嘘』は、日本においてもゴルバチョフ・ブームがちょうど始まった頃であり、ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)や「新思考」に対して、当時の私が懐いた疑問をぶつけたものであった。この『ゴルバチョフの嘘』の後半にあたる第二部は「ソ連分割・解体のすすめ」というタイトルになっており、ここで私はソ連帝国の解体を提案した。》(19901212『大侵略』295)

《ゴルバチョフが独裁者の顔をのぞかせ、彼自身がペレストロイカを理解しようとしているので、西側のマスコミやソ連専門家達は、右往左往し、狼狽している。西側の多くの人びとは、「ノーベル平和賞まで受賞したゴルバチョフがなぜ?」と、頭の中をただただ混乱させているばかりである。
だが、ペレストロイカ礼讃の大ブームに抗して、またゴルビーへのフィーバーの洪水に抗して、ゴルバチョフの非人間的な独裁者性とペレストロイカの本質的な欺瞞性を早くから純理論的に分析し解明していた見解が西側になかったわけではない。
その代表は、米国におけるZ論文であり、日本の『ゴルバチョフの嘘』(ネスコ刊)である。前者は一九八九年末に雑誌『ダイダロス』九〇年一月号に発表され、後者はそれよりもさらに二年も早い一九八七年秋に発表されていた。著者は、前者がカリフォルニア大学バークレー校歴史学教授マルチン・マリア博士であり、後者は私自身である。
・・・・・・
一方、一九八七年夏に私が執筆した『ゴルバチョフの嘘』は、ペレストロイカが必ず中途で中止されることをもっと鮮明な形で論じている。しかも、ゴルバチョフ自身がペレストロイカを必ず放棄するだろうと、三年半も前に、正確に予測していた。》19910412『ソ連が悪い』8-10

   《「世界平和の道は・ソ連封じ込め(containment)・では実現は無理であり、・ソ連解放(解体、liberation・)しかありえない」と主張したJ・バーナムなども同様で、・極端な思想・として排除された。
   しかし、一九八九年に東欧、一九九一年にバルト三国がソ連邦から解放されて・ソ連解体・が始まったが、これこそはバーナムの名著『封じ込めか、解体か』(一九五二年)の主張の正しさが実証されたことではないか。
  (中略)
   なお、著者中川は、このバーナム理論の後継者の一人である。猛獣から襲われぬように猛獣の周辺でたき火をしているだけの、経局的で防勢的な・封じ込め・では根本的に世界平和の秩序は形成されないと考えてきた。この猛獣を小さな家畜〔小さな家畜に傍点あり〕に改造しない限り、平和の秩序は幻想であると考えてきた。
   著者中川は、この「ソ連邦解体」論を一九八七年に発表したが、その発想は、第二次世界大戦中に米国の碩学と目されていた地政学のスパイクマン博士(エール大学教授)と、このバーナムの両名に大きく負っている。そのときの拙著のタイトルは出版社の都合で変更させられたが、「第II部 ソ連分割・解体のすすめ」がそれにあたる。》(19920601『蘇えるロシア帝国』178~180)
  〔注〕J・バーナム『封じ込めか、解体か』(一九五二年)とは、John Burnham, Containment or liberation, John Ray Company, 1952. のこと。

《ところで私事だが、日本人で唯一例外的に、私は東欧解放とソ連邦の解体を提唱した(図8、一九八七年十一月刊『ゴルバチョフの嘘』、注6)。この本は、三万部ほど売れて、それなりの人気を博したが、この提唱の部分だけは非現実的だと嘲笑された。だが、それからわずか二年後の一九八七年十一月の東欧解放と、四年後の一九九一年十二月末に起きたソ連帝国崩壊は、私の提唱とほぼ完全に一致した。ここで私は、自分の予見力を自慢しているのではない。マッキンダーを座右の書にしていると、このように国際情勢の近未来と平和構築の基本方法が正確かつ大胆に見えてくるので、読者諸兄に、「マッキンダーに学べ」と申し上げたいのである。》『地政学の論理』54

11月      『朝まで生テレビ!』(あさまでなまテレビ、テレビ朝日系列(ANN系列)で放送)の「今夜日本の防衛で徹底討論」に出演
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E3%81%BE%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93!

○          フジテレビで、北朝鮮が核兵器の開発を始めたと主張
  《ちなみに私は、日本で最も早く一九八七年に北朝鮮が核兵器の開発を始めたとフジテレビで訴えた》(20041031『日本核武装の選択』83)

○        淺野茂生(筑波大学第三学群国際関係学類1988年卒(第二期))の卒業論文「沖縄返還交渉」に関して、末次一郎へのインタビューをアレンジ
《 インタヴューにあたっては、大変お忙しい中を2時間半近くにわたってまるで孫に接するおじいさんのような笑顔で終始暖かくお話をしてくださった末次一郎先生、馴れない旅先でまごつく僕をわざわざ出迎えてくださり、含蓄のあるお話を聞かせてくださった小谷豪熙郎先生、この両先生にお会いする機会を得たことは、卒論調査上の成果にとどまらず人間的なふれあいを感じ得たという点で望外の収穫であった。また小谷先生の奥様に御馳走していただいた松茸ごはんの味は忘れることができない。この調査旅行は同時に生れて初めての京都旅行でもあった。生涯、あの松茸ごはんの味と共に大学生活の豊かな思い出の一つとなるに違いない。また、回転が早くアクティヴな中川八洋先生の即断のおかげで末次先生とのインタヴューが電撃的に敢行され、そのすぐ後に小谷先生にお会いしに京都へ旅立つというタイミングをつかむことができたことも感謝の念に堪えない。》
http://www.mars.dti.ne.jp/~asanos/paper6.html※太字は引用者による。

参考:淺野 茂生(あさの しげお)
1965年 茨城県久慈郡大子町生まれ
1984年 茨城県立水戸第一高等学校卒業
1988年 筑波大学第三学群国際関係学類卒業
1988年 日本鋼管株式会社(同6月NKKに社名変更)入社、福山製鉄所に配属
1996年秋 東京本社に異動
1997年 つくば市に自宅建設用の土地購入
2003年 NKKと川崎製鉄が統合、JFEスチール株式会社誕生
2005年 中国広州市、広州JFE鋼板有限公司(GJSS)出向
2008年秋 帰国しJFEスチール株式会社に復帰
2012年 つくば市春風台に自宅建設(土地取得から15年後)、国際関係(国際総合)学類30期入学記念写真イベント主催
2014年 4月インド ムンバイ市赴任、JFEスチール株式会社ムンバイ事務所長、JFE STEEL INDIA Private Limited 取締役、ムンバイ日本人会理事、中小企業診断士
以上、https://futureship.sec.tsukuba.ac.jp/crew/0346.html(2014.11.05現在)

「秋野先生関連記事」にデータを寄せている。http://www.mars.dti.ne.jp/~asanos/news.html
浅野氏のFacebook:https://www.facebook.com/asanos917
 
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1988・昭和63年  43歳
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04月     『朝まで生テレビ!』(あさまでなまテレビ、テレビ朝日系列(ANN系列)で放送)の「激論! これでいいのか!? 日本の”野党”」に出演
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E3%81%BE%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93!
 
08月10日 清水幾太郎死去81、同月12日の四谷霊廟における密葬には福田恆存らが参列(奥武則『論壇の戦後史1945-1970』平凡社新書)

09月 清水幾太郎本葬、東京・信濃町の千日谷会堂で執り行われる(なお、墓は東京都八王子市の高尾霊園にある)

11月       園部逸夫(のち最高裁判事、皇室典範有識者会議座長代理)にいかがわしさを看取す
《私が園部逸夫をいかがわしい学者だとの印象を持ったのは、園部がまだ成蹊大学教授の頃の一九八九年十一月、『ジュリスト』誌の四人座談で、「なだしお衝突事故(一九八八年七月)」について彼の発言が、(1)あまりに幼稚、(2)赤旗そのもの、という二つの疑問を感じたからだった。当時の私にとって、自衛隊問題は、研究テーマの一つであった。》(『女性天皇は皇室廃絶』八一ページ)
    
▽        同僚であった筑波大学助教授・秋野豊(1950-1998)より直接、氏の思想本籍を聞き出す
  《ともあれ私は、筑波大学で、巨体の秋野を見ながら、日頃バクーニンもこんな雰囲気だったのかなと想像したりした。彼は、モスクワで買ったと言うレーニン帽をしばしば被っていた。その研究室にはレーニンの写真が大切に飾ってあった。言うまでもなくレーニンは、アナーキストの協力で革命を成功させながら、一九二一~二年にかけてアナーキストを一人残さず殺してソ連から根絶してしまったから、秋野のレーニン崇拝とアナーキズムの両立が不思議であった。
   そこである時、「君はアナーキストか?」と率直に尋ねたら、「おー、俺はアナーキストだ」と傲岸な態度であったが、はっきりと同意した。幸徳秋水がマルクス主義者でありながらアナーキストであるのと同じであった。ただ、秋野の態度の悪さに辟易して「君は自分の頭の中で、アナーキズムとレーニン崇拝をどう混住させているのか」との、用意していた次の質問をやめた。いま思えば機会を永久に失ってしまい、残念に思う。》『福田和也と《魔の思想》』2・3

《この表2に挙げた秋野豊について、岩下は『入門 国境学』で、25~31頁にわたり延々と言及している。一部、虚偽があるので訂正させて頂こう。例えば、秋野は「老後は国後で小さな店でも開いて、ロシア人と一緒に暮らしたい」と語っていたとある(注5)。が、この前半は間違い。秋野は、「北海道をロシア連邦の自治共和国にし、俺はその初代首相になる」が生前の口癖だったからだ。
 ただ、後半の「(日本人は誰でも虫唾が走るから、俺は日本人が大嫌いだ。だから、)ロシア人と暮らしたい」は、確かに秋野の本心。秋野は、ロシア軍とロシアKGB第二総局を北海道に導入して、ロシア駐留軍とロシア秘密警察に弾圧してもらって北海道の日本人を搾取し支配する、周りをロシア人で固めた対日独裁者になるのが夢だと、私に語ったことがある。
 なお、秋野豊が、修士論文としてもお粗末な、基準にはるかに及ばないトンデモ論文で学位をとったのは、北大キャンパス内の某場所に指導教官を呼び出して「博士論文を不合格としたら殺すぞ」と脅迫したからである。北海道大学は、小保方晴子氏の学位を取り消した早稲田大学を見習い、秋野豊学位取得殺害予告脅迫事件を再調査して、学位取り消し処分から逃避すべきでない。確かに秋野は常日頃、「殺人だろうと何だろうと、俺様はどんな刑法犯罪も躊躇しない」と豪語していた。》
「“猛毒の細菌”「領土放棄病」を撒布する“史上最凶のロシア工作員”岩下明裕」 
 
参考:
○ 01月 国際関係学類の指導部交替、11月秋野豊(1950-1998) 筑波大学国際関係学類助教授に昇進、国際関係学類のカリキュラム委員として各種改革に尽力、92年01月の学長選挙に積極的に関わる(http://www.akinoyutaka.org/memorial/tsuitobunshu.pdf#search='%E7%A7%8B%E9%87%8E%E8%B1%8A+%E7%AD%91%E6%B3%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6'

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1989・平成元年  44歳
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01月       皇位継承について研究を開始
《私が、皇室典範や皇統問題に多少の研究をするようになったのは、昭和大帝の崩御に伴い今上陛下の平成の御代になり、浩宮徳仁親王殿下が皇太子になられた一九八九年一月に遡ります。その時、皇太子殿下がご即位なされる頃をあれこれと想像しては、皇統の将来に一抹の不安を感じるようになったことが一つのきっかけでした。》『皇統断絶』268

《私が、皇位継承学の概説的な教科書を書こうと思うようになったのは、このような極度に偏った憲法学界の異様な現実に抗して、僅かでも正常かつ学術的な知見を復活させたいとの願いからでした。昭和天皇の崩御(一九八九年年頭)から今上陛下のご即位の大礼(一九九〇年秋)にかけての頃でした。》『悠仁<天皇>と皇室典範』330・331

03月        筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第17号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

07月26日 『ソヴィエト海軍戦略』出版のため「解説者あとがき」を執筆す(『ソヴィエト海軍戦略』)

○          テレビ朝日系「金曜プレステージ/ニュースバトル」に出演、出生率低下問題を議論す
《この「出生率低下」問題で、実は私自身、その重大性を提唱した先駆者の一人で、一九八九年にそのものズバリのテーマでテレビ番組づくりに参画し放映しました。しかし「産めよ殖やせよ、の軍国主義時代に戻るのか!」と叫ぶ「赤いオバサン」の群れの、日本滅亡を狂妄する「反日」の合唱ぐらいしか反応はありませんでした。》『教育を救う 保守の哲学』55

12月        テレビ朝日系の深夜討論番組「金曜プレステージ・ニュースバトル」に出演
《竹中労とは、一九八〇年代の末、テレビ朝日の討論番組(「ニュース・バトル」)で二年以上付き合った。いつも沖縄を熱く語っていた。当時の私には、部落解放と沖縄がどう関係しているのかは良く理解できなかった。また、ルーマニアのチャウチェスク政権の崩壊(一九八九年十二月)は、番組の最中であったため彼と一緒にテレビ報道を見ることになった。喋りまくる彼がどう言ったかを思い出したいが記憶にない。》『福田和也と《魔の思想》』1

12月28日 矢野弾・(株)矢野経済研究所副社長と対談(19900201『月刊カレント』29(2)547)

▽            中曽根康弘・三木武夫に対する松平永芳の憤慨に賛意を抱く
《松平永芳が、一九八五年八月十五日の中曽根康弘の、(一九七五年の三木武夫首相の「私的参拝」化から十年ぶりの)公式参拝復活の派手派手しい演技にたいし、次のように怒ったのは正しい(注1)。私も、その怒りには快哉したほどで満腔の賛意を表したい。彼の三木武夫の「私的参拝」への憤慨も理由は幼稚だが、憤慨そのことは正しい(注2)。》(「・スターリン教徒・美山要蔵と松平永芳の犯罪──英霊を「東京裁判教」に利用し冒涜する靖国神社」2014/01/24 20:05)
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-10.html※リンク切れ
引用者注:
(注1)は、『靖国神社 創立百二十年記念特集』、人物往来社、一九八九年刊、一九~二二頁、および「靖国奉仕十四年の無念」『諸君』一九九二年十二月号。
(注2)は、「松平永芳氏――怒りの遺言」『諸君』、二〇〇五年十月号。

▽            国際政治学から、英米系政治哲学と憲法思想の研究に軸足を移す
《私が、皇室典範や皇統問題に多少の研究をするようになったのは、昭和大帝の崩御に伴い今上陛下の平成の御代になり、浩宮徳仁親王殿下が皇太子になられた一九八九年一月に遡ります。その時、皇太子殿下がご即位なされる頃をあれこれと想像しては、皇統の将来に一抹の不安を感じるようになったことが一つのきっかけでした。
近未来の日本を考えますと、この日本国に生を受けた男児であれば、皇統を護るに命を捨てることも辞さない忠誠の覇気と精神をもつべきでありますが、徳仁皇太子の新しい御代において、果たしてそのような日本人が一定数いるのであろうか。皇室を護る理論と・学・に近未来の日本人はどれほどの造詣をもっているであろうか。その頃の日本で、井上毅の遺訓は大切にされているのだろうか、などとの心配が次から次に頭をよぎりました。それからしばらくして私は、国際政治学を休むことにして、英米系の政治哲学と憲法思想の研究に取り組むようになりました。英国のコーク卿やバーク哲学あるいは米国のハミルトン哲学です。その過程で、井上毅の『皇室典範義解』を現代風に書き直して子孫に遺しておかねばならないとの思いが脳裏の片隅にいつもありました。》『皇統断絶』268-9

《心がけているのは、元勲・伊藤博文の学的な側近で、法制官僚のトップとして「日本の近代法制の父」でもある「碩学の中の碩学」井上毅の、その著『皇室典範義解』の憲法思想を継承し、後世に遺そうとしているだけです。浅学をはじるばかりです。》
『皇室消滅』76

▽ この頃、ノモンハン事件およびその派生的問題意識として張作霖爆殺事件の研究を開始
《また、張作霖爆殺事件への私の関心は、一九三九年のノモンハン事件を解明しようとの問題意識からの派生。ノモンハン事件がスターリンがすべてを企画して実行した事は疑いの余地がない。この研究をしようと思い立ったのが一九八九年頃だったから、既に三十年が経つ。そして“ソ連主犯・関東軍従犯の「八百長」日ソ戦争”ノモンハン事件(=ハルハ河戦争)は、張作霖爆殺事件の延長上の拡大版ではなかったか、という問題意識は、そのとき以来、私の脳裏を離れない。》
「“悪の月刊誌”『文藝春秋』の歴史改竄キャンペーン ──「戦後70周年」に便乗する反日勢力の嘘歴史狂騒録Ⅰ」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/01/104405
 
▽ 東欧解放までの日本の風潮
《1950年代後半、第九条改正が国会で賛成が三分の二とならず阻止された第二の理由は、社共を始め日本の左翼・極左勢力の絶対反対運動の強烈さにある。「ソ連軍を日本列島に招き入れて日本を共産化する」は、彼らのイデオロギー上も譲れない信仰だった。しかも、日本共産化を国内革命ではなく、外部の軍事力で達成する考え方は、1989年の東欧解放までは、日本の左翼政党と学界における絶対多数意見として根強く支配的であった。
 私の個人的体験だが、1960年代/1970年代になっても丸山眞男はそうだった。1975年に神奈川県知事になった長洲一二もそうだった。ソ連東欧学会の東欧学者は、1980年代に入ってもソ連の対日侵攻を固く信じていた。学会でこれらの東欧学者の会話を耳にしては、私は何度も唖然とした。》
北朝鮮人化する“無学輩”八木秀次──日本を救ったポツダム宣言を貶める“新・国賊”
 
 
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1980年代
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○     チャーチル関係の邦訳書出版に尽力するも果たさず
《私事であるが、「チャーチル外交」の一研究者として私は、それらの邦訳出版に一九八〇年代に多少の努力をしたことがあるが、徒労に終わった。もともとそれらがあれほどの熱狂的なチャーチル・ブームが存在していた一九五〇~六〇年代に出版されていないことが不自然である。》20040430『保守主義の哲学』387

《チャーチルの「完全なる絶対敗北」演説と「鉄のカーテン」演説を読むたびごとに、筆者にはなぜか、清澄な魂からほとばしるバークの熱弁が、この時のチャーチルの言葉に蘇っているのではないかと思われてならない。ところが日本では、チャーチルのこれらの著名な演説に関して、「鉄のカーテン」の一部を除き、ことごとく翻訳されていない。チャーチルは日本で一般には特段に尊敬されている外国の政治家であるのに、日本の学界では反チャーチルが根深く、その反・全体主義の演説が反レーニン/反ヒトラー/反スターリンであるという理由で、翻訳出版はほとんどなされていない。》20020110『正統の憲法 バークの哲学』

《私の保守主義の研究は、動機を含めて、実はアクトン卿とほぼ瓜二つである。しかし、私は「日本の小アクトン」と呼ばれたことがない。「中川はまだまだアクトンに遠く及ばない」との叱責を受けたこともない。アクトンを知る日本人が皆無の、アクトン哲学が不在の日本で、国家悠久の生命を育む保守主義が根付くことは決してないだろう。》200705『力の意思』86

《「チャーチル外交」の理論が日本で流布するのを、左翼が支配する学界が怖れて徹底排除した理由は、全体主義体制やその思想を断固として許さない、チャーチルの・自由の精神・や・自由のイデオロギー・だけではなかった。「チャーチル外交」をもし日本が学べば、日本政府が「ソ連の打倒」「共産中国の打倒」に直結する外交を採る公算が高くなるのを怖れたからである。
   私が、1980年代、外交政策の研究者だった頃、座右の書のひとつは、対ヒットラー防衛の喫緊性と国際連盟の無力・有害性を英国民に訴えた、チャーチルの(1932~38年の)下院演説集『英国の眠れる間に』であった。また、私の軍備管理の理論は、主にチャーチルのを基本にしている。私の英米系地政学は、マッキンダー/スパイクマン/チャーチルのを各三分の一ずつ構成したもので、チャーチルなしには完成しなかった。
   チャーチルとは、政治家でありながら、それらを学者以上に、学問的に理論家した天才であった。「国際政治学の泰斗」チャーチルの外交理論を、1980年代、一冊の本に纏めておくべきだったと、私は今、いたく反省している。》200705『力の意思』86

《一九八〇年代前半、軍備管理論の専門的研究に勤しんできた私は、軍備管理条約のような方式で、広地域/地球規模の平和や安定維持を図ることは不可能だし逆効果だと、それを全面否定する(日本人国際政治者の中では)稀有な学術的結論に至った、そのような学者である。戦間期の具体例で言えば、ワシントン海軍軍縮条約/ロンドン海軍軍縮条約/(陸軍兵力の軍縮である)世界軍縮会議/化学兵器第一使用禁止条約などのすべてを、太平洋や世界の平和・安定にとって有害無益で大いなる障碍にしかならないとの学術的理論を構築してきた。
すなわち、第一次世界大戦後の米国のように、初めて世界のリーダー国になった嬉しさからか、軍備管理条約体制による平和維持を目指したのは、国際政治を知らない素人の思いつきにすぎず、怖ろしい結果を推断できない危険で間違った偽りの思考だと糾弾してきた。現実にも、前二者の海軍軍備管理条約の結末が、二十年を経ずして、日米間の太平洋戦争となった。
このような軍備管理条約の持つ反平和の逆効果力を透視して、それに絶対反対の声を挙げたのは、戦間期においてはウィンストン・チャーチルだけだったように思う。“国際政治学の天才”チャーチルが、英国の下院で声を張り上げ、「世界軍縮会議を直ちに解散させてしまえ」「軍備制限条約が世界の平和を破壊して、再びヨーロッパを戦場にする」と、その条約締結に向けて爆走する世界軍縮会議(ジュネーブ)とそれを牽引する英国首相をなじりつつづけたのは一九三〇年代のことであった。
まだ若かった私は、一九八〇年代、このチャーチル演説に感動し、それを枕の下に敷いて寝る日々がかなり続いた。“座右の書”ではなく、この“枕下の書”の名前は、『英国の眠れし間に(=賢慮な外交をすべて放棄した戦間期の英国)』。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」
 
《チャーチルの偉大さは、天才である所以だが、数年先から数十年先の世界の動きを予見して、同時に卓抜せる外交手腕で世界を動かしていく、まさに人類史に遺る稀有な外交力・戦争指導力にあることは衆知の通り。  
 私・中川の国際政治学は、実はチャーチルが下敷である。たとえば、私のかなりの数になる軍備管理輪・核戦力論は、チャーチルの「世界軍縮会議」批判の軍備管理論に、米国レーガン大統領の核戦略をブレンドしたもの。また、私の地政学は、チャーチルのそれにマッキンダーとスパイクマンをブレンドしたものである。これは、丸山眞男の政治学がルカーチ/マンハイムの知識社会学とフランクフルト学派社会学を基盤に華やかに展開したのと、学問の方法論的には共通性がある。  
 もっと単純化して言えば、1932年から1938年末までのチャーチルの下院演説が、中川・国際政治学の原点。この下院演説のほとんどは、長男が編集した“While England Slept”に収録されている。これに未収録で最重要な下院演説には、チェンバレン首相の愚かしいミュンヘン会談合意を徹底糾弾した“紛れもない全面敗北A Total and Unmitigated Defeat”と題されている1938年10月5日のものなどがあるが、数本に限られる。》
「「反共反ソ(反露)」こそ、世界秩序を回復し世界平和の礎」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/05/30/104030(「第2期第5回「特別ゼミ」報告書」内)
○     小泉純一郎・自由民主党衆議院議員から郵政民営化の真意について聴く
  《なお、小泉が実際に「郵政民営化」を断行した時期と、"アメリカの要求"の時期とが偶然にも重なったため、関岡らは、これを米国の対日内政干渉だと言いふらす。とんでもない。小泉純一郎は、それよりずっと以前から、「郵政民営化は田中派つぶしの特効薬だから、僕はやる」と、しばしば口にしていた。私も直接聴いた(一九八〇年代)。
   郵政民営化が、小泉が言うように、田中派つぶしの特効薬になるか否かには関心がなかったが、私は、革マル派が蟠踞する(一九四六年以来の巨大な)全逓信労組(最大組合員数は二十万人を超えた。二〇〇七年にJP労組へ改組縮小)つぶしになるので賛成した。また、サッチャリズムに合致するので賛成した。小泉のこの思い込みを無碍に反対する合理的な理由は何も存在しないと思った。「郵政民営化」が、米国の要求とはまったく無関係なのは、一九八〇年代の小泉の自論吹聴の事実において自明。》「「TPP参加反対」と中共の「日米分断」工作」、20130125『撃論』9-2

▽     ソ連軍およびソ連対外謀略の研究により、日本現代史におけるソ連KGB第一総局の情報工作を見抜く
《私の現代史研究で、「近衛文麿」「山本五十六(&米内光政)」「靖国A級戦犯合祀」が、筆頭三テーマなのは、これらに関する戦後日本での学術研究や小説・評論すべての背後に、数十年にわたるソ連KGB第一総局の執拗な情報工作が存在することが判明したためである。一九八〇年代の後半、核戦略研究の合間にやっていた、ソ連軍とソ連の対外謀略を核にしたソ連研究から「発見」した、日本国にとって深刻な事実である。》「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓」http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html※リンク切れ

▽     勉強会の講師として西部邁を招く
《わたしが初めて西部遭氏と会ったのは二十年近く前だった。中川八洋氏が主宰する勉強会に西部氏が講師としてあらわれ、難しい講話が終わってから六本木のビアホールでビールを相当量飲んだ。中川氏はソフトドリンクを飲んでいた。
  何を話したかは綺麗さっぱり忘れている。》「辛口コラム 書評その5のA 西部邁著 『妻と僕 寓話と化す我らの死』(飛鳥新社)」http://miyazaki.xii.jp/column/index5.html
※書評の『妻と僕』(2008年7月刊)から逆算して推定すると1988年頃か。


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1990・平成02年  45歳
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03月    道下徳成、筑波大学第三学群国際関係学類を卒業。
《この種の”朝日新聞の新お抱え学者”として、朝日新聞がその第二面を提供し”反・集団的自衛権のウソ宣伝”を書かせたのが、純血の北朝鮮人で、北朝鮮に直属する対日偽情報工作員(プロパガンディスト)である”稀代の詭弁家”道下徳成(みちした・なるしげ)。
道下の現在の肩書きは、政策研究大学院大学教授。その経歴は、岡山県出身で、筑波大学国際関係学類を卒業したあと、流暢というよりその完璧なハングルが認められ、朝鮮問題の専門家として防衛省防衛研究所に入所した。この防研時代に米国に留学し、帰国後しばらくして政策研究大学院へと転身した。》

《道下徳成が筑波大学を卒業して防衛研究所に入ったのは一九九〇年四月であった。ときに二四歳。国籍は日本だが、子供の時から、家に飾ってあった金日成の写真に向かって毎朝礼拝を欠かしたことは無い。筑波大学の学生時代、道下は酔うと必ず両手を上にあげて「金日成万歳!」と叫び出す。これは子供の頃からの習慣が、酔って自制が効かなくなり思わず出てしまうのである。
岡山市に居を構える父親は、朝鮮人参の密輸入で財を成したといわれている。母親が薬剤師で薬局を経営していたが、この朝鮮人参の密輸入と関係があるだろう。》
「"北朝鮮の偽情報工作員"道下徳成(北朝鮮人)の正体(Ⅰ) ──金正恩に、「集団的自衛権(=日米同盟強化)」反対を捧ぐ 」
 
引用者注:道下徳成(みちした なるしげ、1965年- 、岡山県生、専門・朝鮮半島の安全保障、政策研究大学院大学教授)
1990年 防衛庁防衛研究所 第2研究部第3研究室 助手(防衛庁教官)
2000年 防衛庁防衛局防衛政策課研究室 部員(防衛庁部員)
2000~2001年 韓国慶南大学校 極東問題研究所 客員研究員(日韓文化交流基金訪韓研究フェロー)
2001~2004年 防衛庁防衛研究所 第2研究部第3研究室 主任研究官(防衛庁教官)
2004~2006年 内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)付・参事官補佐
2006~2007年 防衛庁防衛研究所 研究部第2研究室 主任研究官(防衛庁教官)
2007年 政策研究大学院大学(GRIPS)助教授
2010年 政策研究大学院大学(GRIPS)准教授
2014年 政策研究大学院大学(GRIPS) 教授(現在に至る)

04月01日 午後1時、東京日本橋・かきがら町区民館で開催の風の会・講座にっぽん百年で「ソ連邦を考える・・・・・・軍縮と民主化の谷間で」と題し講演、遠藤忠夫・加々美光行・竹中労らによるシンポジウム(1990年03月30日付『朝日新聞』夕刊7)

07月14日  フランス革命の対するフランス挙げてのあやまち隠蔽に気づく
《中川  当のフランスは、フランス革命の反近代的な有害性をすでに充分に知っていながら、しかも過去百年間、それに「気づかない」かのような演技をやっていたフシがあります。このことが分かったのは、一九八九年に東欧が解放されましたが、その直後の一九九〇年七月十四日のことです。このときフランスは、あの恒例のフランス革命の記念式典の華美さを突然自粛して形式的なものにし、同時にフランス革命を批判する本をドッと出版したのです。フランスは、ロシア革命がそのフランス革命の延長線上にあることも知っていたのでしょう。だから、ロシア革命から出現したソ連邦の崩壊に際して、フランス革命を「祭る」ことをほぼ中止する処置をとったと考えられます。
・・・・・・
旧ソ連邦の崩壊で、フランスは慌ててフランス革命の否定は認めましたが、ルソーやヴォルテールの否定はまだしていません。彼らはいまもパリのパンテオンに祀られています。フランスは、彼らをパンテオンから一般の墓に移す責任をはたすべきです。》(199703『サンサーラ』72・73、参考:20040701『国民の憲法改正』139

09月10日(月)  21:00~21:54放映のテレビ朝日系「どーする!? TVタックル」にゲスト出演、テーマは「緊急特集・炎の中東人質? 石油? 自衛隊? フセイン暗殺計画にたけし興奮」。出演:ビートたけし 檀ふみ 神津カンナ 石井苗子 ゲスト/堀紘一 中川八洋、制作:テレビ朝日 オフィス・トゥー・ワン
http://www24.big.or.jp/~idenshi/tv-kitano/tv-kitano.cgi?m=detail&a=1&p=2&y=1990&k=
 
○ 
《私は「1・57ショック」の言葉が巷間を賑わした1990年、「出生率を最低でも〈2・08〉に回復しよう」の啓蒙活動を開始した。が、薄汚く下品な共産党員オバサン達に囲まれて、「〈産めよ殖やせよ〉は、戦前への道だ/時代錯誤だ」と罵詈雑言を浴びせられた。狂人たちの狂言妄言のシャワーであった。》
「共産党系官僚と共謀し“出生率の大低下=日本民族の絶滅”を推進する“赤い国賊”安倍晋三 ──安倍晋三が創った国民騙しの“欺瞞語”「希望出生率」」
 
▽ 
《1990年代前半、「法務省民事局-共産党-北朝鮮人」三位一体革命組織が強固な砦を築いた事態を中川八洋は説いて廻った。が自民党国会議員で、「共産党が完全支配する法務省民事局にメスを入れよう/実態調査をしよう」と、若干の関心を示した者すらゼロだった。逆に「〈法務省が共産党一色?〉なんてありえない」と、中川を白眼視した自民党議員の方が多かった。》
「共産党系官僚と共謀し“出生率の大低下=日本民族の絶滅”を推進する“赤い国賊”安倍晋三 ──安倍晋三が創った国民騙しの“欺瞞語”「希望出生率」」
 
▽   ソ連の解体方法について思慮をめぐらす
《ソ連が東欧六ヶ国を西側に返還した1989年11月の直後から、日本でも「ソ連はどうも経済破綻したらしい」が常識となった。稲葉は、これを聴いて悲しみ、どうしても“共産国の大本山”ソ連を維持したく、稲葉と同じく生涯をソ連工作員としてソ連に尽くし続けた堤清二に声をかけ、ソ連に市場経済を導入させようと、稲葉は、ロシア語翻訳を前提に、このソ連に上程する提言本をまとめた。
 この1990年、私はと言えば、一気にソ連を叩き潰して(ニコライⅡ世の子孫を皇帝に迎え)帝政ロシアに戻し、ソ連断罪のモスクワ裁判をして、ソ連が侵略した周辺の領土すべてを無条件即時返還させる方法はないものかと思案していた。だが、上記の引用文は、1931~4年(24~7歳)にスターリン狂になった稲葉秀三が八十三歳になっても、私と真逆の“スターリン教徒”だったことを明らかにした。》
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①」
▽ 東京都大田区に在住
《私は大田区在住者ですが、それはいいアイデアです(笑)。》(「対談 デーブ・スペクターのTOKYO裁判 連載・57」19900419『週刊文春』32(15)1583)

▽ 
《経緯を言えば、1950年前後に誕生した新語「保守」が、1983年の頃より徐々に「民族系」をも含むようになった。ところが、「民族系」はその後一気に一大勢力となり「保守」を蚕食的に喰らい尽くし、1990年代に入ると、かつての「保守」と「民族系」の上下関係は引っ繰り返った。
 当然、「民族系」の団体や論客の一群の方が、さも「保守」であるかの、“保守なりすまし”をするようになった。この情況は、「保守」と「民族系」との越えがたい境界が意図的に無視(破壊)された結果だが、1990年代に入るや、戦後日本の「保守」を正統に継承する最後の保守知識人となってしまった私を除き、日本全体から「保守」思想がほぼ死滅したことが大きく関係している(注1)。》
《戦後日本は“反共”GHQのお蔭で、「革新」と対決する「保守」が初めて誕生し、多数を掌握した(67%に満たないが60%)。政治家は吉田茂/幣原喜重郎ら、知識人は林健太郎/福田恒存/竹山道雄/磯田光一らが、それ相当の影響力で社共/朝日新聞と対抗し、“反・社共”政権の安定的持続に貢献した。とりわけ、田中角栄首相誕生の1972年までは。
 だが、昭和天皇崩御後の1990年に入ると、日本の“保守知識人”は中川八洋だけとなった。この事実は共産党を筆頭に左翼人士の間では常識(備考)。だが、無教養なナラズ者集団ともいえる「民族系」はこの事実に全く無知・無関心。多少は知っても逆に歓迎する始末。
(備考)福田和也/浅田彰「左翼は消え、保守は死んだ」『VOICE』1995年9月号。》
《1990年代半ば、「保守知識人は、とうとう中川八洋一人になったな」など、左翼界での勝利の雄叫びのような話が耳に入るようになった。確かに、事実はその通り。1990年頃を境に、吉田茂に始まる“戦後保守”が細りに細って終焉を迎えるように自然消滅したことに疑う余地はない。
 例えば、ポスト・モダン系(ドゥルーズ)の中核派の論客二人が、“「保守」の消滅”に万歳!の祝杯をあげたが、基本情況の把握においては、彼らは間違ってはいない。福田和也・浅田彰「左翼は消え、保守は死んだ」『VOICE』1995年9月号。このタイトルの前半「左翼は消え」は、「日本全体は左翼だらけになった」の転倒表現である。》
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①」

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1991・平成03年  46歳
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01月第二木曜日 神田学士会館での第377回二木会にて「ゴルバチョフ「新思考」の世界戦略」と題して講演(東京修猷会会報第3号、1991・平成3年11月1日発行) なお、「東京修猷会」は福岡県立修猷館高等学校同窓会。
《一月 中川八洋 S33年卒 筑波大教授
    ゴルバチョフ「新思考」の世界戦略
   東欧やモンゴルから大撤兵し、また東欧諸国を開放したゴルバチョフは、西側では歓迎されている。しかし、軍需生産は、戦車千七百輌(日本五十六輌)、海軍艦艇建造費はブレジネフ時代の二倍、など軍拡にも余念がない。ゴルバチョフの狙いは、いったん大退却して経済再建に専念し、二〇一〇年頃に再膨張するころなのだろうか。》
http://shuyu.gr.jp/tky/kaihou/kaiho03.htm※引用者注:「S33年卒」とあるのは昭和38年卒のあやまり

04月09日 自民党本部で開催の全国戦後強制抑留補償要求推進協議会中央連合会(全抑協中央会、相沢英之会長)の総決起大会に参加、「もう一つの団体(全抑協)はシベリア抑留問題を前面に押し出すことで、北方領土問題をすり替えさせようとした」と発言(朝日新聞1991年4月11日付)

06月21日 筑波大学教授・評論家の村松剛と対談(1991『新・日本国憲法草案』81)

07月11日 五十嵐一・筑波大学助教授、大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見される(「悪魔の詩訳者殺人事件」※未解決)

08月29日 国防問題研究会で「保守派クーデター失敗とソ連の行方」と題し講演(19911010『ゼンボウ』40(11)512)

10月12日 自民・社会・公明・共産・民社各党の一年生議員を呼び、西部邁をコメンテーター、中川八洋司会で開催予定だった学園祭企画「政治討論会『日本の針路を語る!』(主催・プライム)が怪電話で妨害、社・公・民の議員と西部欠席のまま開催となる(19911111『筑波学生新聞』99)

12月25日(モスクワ時間) 『蘇えるロシア帝国』を書き始める
《本書は一九九一年一二月二五日(モスクワ時間)のソ連邦の消滅という歴史的な日に書き始めたものだが、三カ月ほどで脱稿できたのは、ひとえに学研の白倉紘一氏、月岡廣吉郎氏の激励によってであり、ここに心からの御礼を記しておきたい。》 『蘇えるロシア帝国』11

《1991年12月25日、ソ連邦(ソヴィエト・ロシア)が崩壊した時、私は、日本人はこれに安心・油断するから日本では国中に共産主義が蔓延するのは必定。ならば、新ロシア帝国が復活する二十年後(2011年)までの二十年間、日本に蔓延するであろう“多民族共生策=出生率大低下促進策”“フェミニズムによる日本民族の伝統・慣習の破壊”“ルソー的平等主義の跳梁跋扈”に対処する滅菌消毒の方策としてのバーク保守主義の哲学を日本に広めようと考えた。

同時に、二十年間の歳月を経た2011年時点になって、「新ロシア帝国が復活したぞ! 日本も急ぎ国防を最優先せよ!」と叫んでも、平和が永遠に続くと錯覚する日本人はさらに精神の堕落と腐敗を色濃くしているだろうから、ロシア脅威の警告を発信する啓蒙書の出版は不可能かもしれないと思い、直ちに1991年12月25日から書き始め1992年3月末に上梓したのが『蘇えるロシア帝国―戦争の21世紀』(学習研究社)であった。つまり『蘇えるロシア帝国』は、2011/2年の出版想定での著作。

二十年後のロシアを見事に正確に予見しえたこの書は、細かな点にはさまざまに違いがあるが、ロシアの軍事脅威が目前に迫ってきた2015年時点現在の日本を覚醒させる書として、“危険な新ロシア帝国の根幹的本性”につき、この本以上に的確に警告しえた書はないと自負している。》
「安倍晋三総理よ、八月九日を“対ロ<国恥>記念日”と定め、政府主催の“満洲・樺太犠牲者追悼式典”を留萌で盛大に挙行せよ。この日、日本国民すべては、満洲と樺太の二方角に追悼の黙祷を捧げようではないか」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/13/113805

12月25日 「自由社会の病巣」(のちの『正統の哲学 異端の思想』)執筆の着想を得る
《谷沢  さて、この本ではやはりルソーがいちばん大きなポイントになりますね。ジャン=ジャック・ルソーが、十八世紀から二十世紀にかけての三百年間、人間を不幸にする思想のオリジンであるという着眼は、いつごろ、どのようにして得られたのでしょうか。
中川  偶然でした。私はレーニン全集を読んでいたので、レーニンにマルクスとともにルソーの影響がちらついているのはよく分かっていました。また、日本における札つきのマルクス主義者がマルクス以上にルソーを「教典」あるいは「聖典(聖人)」のように拝んでいることが常に気になっていました。それに、歴史と伝統を大切にするブルクハルトやバーク、アクトンなどの保守主義者の本も読んでいたので、彼らが指摘してやまない「近代における人類のすべての不幸は、ルソーに始まる」という考え方があることは知っていました。そこで、これらの大碩学の仮説が正しいかどうかを検証してみようと思い立ったわけです。
そうして、さっそくルソーの『学問芸術論』『人間不平等起源論』『政治経済論』『社会契約論』『エミール』の五つを読みました。その直後の感想としては、人類の文明を破壊して、道徳と倫理を全部消し去るということに情熱をかけた、これほどまでに知識の高い狂人の大哲学者がいたのかという衝撃的な驚きでした。しかも、その一連の思想体系が、レーニンに至る一本の赤い糸となって見事に通じているのを確信したのです。
「ロシア革命は第二のフランス革命である」という認識にも同時に到達したのです。このロシア共産革命はフランス革命の模倣という説は、オルテガなど「正統の哲学者」たちが何人も指摘していることですが、私もそれをはっきりと確信し、これを体系的にまとめる必要があると思いました。東欧の社会主義圏がつぶれ、ソ連邦およびソ連共産党が解体した一九九一年末のことでした。それはマルクス・レーニン主義を総括すべきであるとの義務感でしたし、マルクス主義はルソーが肯定されているかぎり何度でも蘇生するという未来における危機の再到来を防止しようとの責任意識からでした。》(199703『サンサーラ』71)

《本書執筆の動機は、ソヴィエト帝国が崩壊したあの一九九一年十二月二十五日、テレビの画面からであったが、モスクワのクレムリンの塔から鎌と金槌の赤旗が降ろされ、旧ロシア帝国の三色旗がするすると掲揚されていくその光景であった。(中略)そして、翌四月から本書(旧題『自由社会の病巣』)の作業を始めたが、終わったのは一九九六年三月であった。思いもかけず丸四年という歳月が経っていた。》(『正統の哲学 異端の思想』5・6)

《ジェンダー・フリーというこんな空恐ろしい革命方法が実践されていることに気が付いたのは、私も一九九九年でした。ご承知のようにソ連が一九九一年末に崩壊した結果、日本の多くの知識人はこれで共産主義は敗退したと考えました。しかし私は、このとき、日本の共産主義者たちは彼らの祖国である「ソ連の崩壊」の報復として、必ず「日本の崩壊」をさせるべく革命運動を展開するはずだと思いました。マルクス・レーニン主義を表看板にした暴力革命は不可能になった代わりに、共産主義者は別の方法で必ず日本の解体をめざすはずだと主張してきました。今日の日本社会で起こっているジェンダー・フリーによる性別秩序の解体という事態とは、まさしくこの「暴力革命」を代替する「別の手段」の一つなのです。
   つまり、ソ連邦の崩壊によって追い詰められた共産主義者たちが新たに活路を見出した運動が、いわゆる女・子供を標的とし、またそれを手段とする運動だったのです。》(以下略、20030505『これがジェンダー・フリーの正体だ』3~4頁)

《私は、一九九一年末のソ連の崩壊をもって、社会主義者たちは死に物狂いで最後の闘争に挑んでくるので、日本には極左思想の大隆盛が津波のように襲ってくると予測して、直ちに国際政治学の研究を凍結して、この近づく日本における無血革命としての"イデオロギー内戦"に備えるべく、バークやコークそしてハミルトンの研究に着手していました。当然、フェミニズムやフランクフルト学派社会学の研究も始めていました。このため、ポスト・モダン思想の研究もこれらに加えるのは加重で無理ではないかと懸念しましたが、福田和也氏の作品全体を貫く"空無の凄み"に引っ張られるかのように、一千冊近くの関連の書物を読破することができました。》『福田和也と《魔の思想》』300

《しかし、一九九一年末のソ連邦崩壊のあと、ここ十年余り、日本の論壇における核武装論は、何か情緒的で意味不明であったり、現実無視の漫画調であったり、通常の安全保障政策としての核武装論のようには見えない。「ソ連脅威の消滅」をもって「ロシア脅威の再出発」と捉えず、"脅威なき時代"の到来と錯覚した「一九九一年の堕落」がその後ずっと日本人の思考を占領している。しかし、「治にいて乱を忘れず」こそは、国家存立の要諦である。》『日本核武装の選択』80。太字は原文。

《しかし、日本ではたった一人、例外的に保守主義者である私は、情況をまったく逆に把握した。一九九一年十二月二五日の夕方、モスクワのクレムリンの屋根の上で、ハンマーと鎌の赤いソヴィエト国旗が新ロシア帝国の三色旗に交代していく光景をテレビの報道で見た瞬間、即座に、「ソ連邦の崩壊によって、日本では反共思想・ロシア脅威論の完全消滅が発生するから、国防の軽視ばかりか、コミュニズムが日本の隅々まで浸透し支配する」と、予見した。このような予見は、日本では私一人であった。この予見は、完全な正確さで的中した。
   この予見の根拠は、「ソ連の軍事脅威の一時的な退却にすぎない二十年間のポスト冷戦期の到来に対して、無教養な〈日本の保守〉は共産主義イデオロギーの死滅だと極端な錯覚に踊るだろうから、日本の極左勢力は、今度はソフトで緩やかな革命戦術に転換して、マルクス・レーニン主義を衣で隠した無色透明な新型コミュニズムが発明されて日本国中に蔓延し汚染していく」「〈日本の保守〉は、これに対抗して対策を講じることなく放置する」「その結果、遠からず日本は亡国の淵に瀕する」というものであった。
   私はまた、この日の深夜、一つの決意をなした。このように、新しいマルクス・レーニン主義で、亡国の奈落に落ちていく日本を守るためには、バークとハミルトンの思想を日本人に投与するしかない、と。原稿用紙で合計千三百枚程度となった、"(日本人の手で書かれたただ一つの)保守主義の入門書"『正統の哲学 異端の思想』 『保守主義の哲学』は、このように、ソ連邦崩壊の日に構想された。
   両書の執筆開始時間も、この時に決めた。いつまでも簡単に記憶できるよう、三ヵ月後の一九九二年四月一日午前八時とした。実際にも、この日/この時間に、三ヵ月前の計画通りにバークの『フランス革命の省察』の研究を開始した。
  ただ、私が予測した、日本における新型コミュニズム革命は、私の想像をはるかに超えて大掛かりなものとなった。しかも、はやばやと翌一九九二年に本格化したのには、余りの迅速さに、心底から吃驚した。自民党を政権から追放すべく、自民党を政権交代させるに必要な小選挙区制の導入のための「政治改革」が大規模に宣伝キャンペーンされたからである。これこそは、新型共産主義革命を上から行なうための、新体制づくりであった。》『民主党大不況〔カタストロフィ〕』353・354・355

《ひるがえって、それからまた百年。一九九一年末のソ連邦の崩壊を見て、私(中川八洋)は、日本は共産主義が未曾有の勢いで跋扈するだろうと直覚し、それに対抗するにルソー批判/フランス革命批判のバーク保守主義を日本に流布させる以外には方法はないとの現実を直視して、国際政治学の研究を凍結し、直ちに、哲学の研究にとりかかった。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』267

《中川教授はソ連邦の崩壊と同時に「逆転の発想」的に日本の共産化もしくは日本社会の溶解的自壊を予測し、直ちにバーク研究とルソー研究に取り組んだ稀有な学者ですが、本書の出版に際しても、解説を快く書いて下さいました。フランス革命勃発に際してのバークの熱情を彷彿とさせる内容の解説で、またロビンソン氏の論旨の延長上で、的確に補強してくれています。ここに深く御礼申し上げます。》(渡部昇一「序文 私の「ルソー排撃宣言」」、『絵解き ルソーの哲学』9)

《1991年12月25日、ソ連邦(ソヴィエト・ロシア)が崩壊した時、私は、日本人はこれに安心・油断するから日本では国中に共産主義が蔓延するのは必定。ならば、新ロシア帝国が復活する二十年後(2011年)までの二十年間、日本に蔓延するであろう“多民族共生策=出生率大低下促進策”“フェミニズムによる日本民族の伝統・慣習の破壊”“ルソー的平等主義の跳梁跋扈”に対処する滅菌消毒の方策としてのバーク保守主義の哲学を日本に広めようと考えた。

同時に、二十年間の歳月を経た2011年時点になって、「新ロシア帝国が復活したぞ! 日本も急ぎ国防を最優先せよ!」と叫んでも、平和が永遠に続くと錯覚する日本人はさらに精神の堕落と腐敗を色濃くしているだろうから、ロシア脅威の警告を発信する啓蒙書の出版は不可能かもしれないと思い、直ちに1991年12月25日から書き始め1992年3月末に上梓したのが『蘇えるロシア帝国―戦争の21世紀』(学習研究社)であった。つまり『蘇えるロシア帝国』は、2011/2年の出版想定での著作。

二十年後のロシアを見事に正確に予見しえたこの書は、細かな点にはさまざまに違いがあるが、ロシアの軍事脅威が目前に迫ってきた2015年時点現在の日本を覚醒させる書として、“危険な新ロシア帝国の根幹的本性”につき、この本以上に的確に警告しえた書はないと自負している。》
「安倍晋三総理よ、八月九日を“対ロ<国恥>記念日”と定め、政府主催の“満洲・樺太犠牲者追悼式典”を留萌で盛大に挙行せよ。この日、日本国民すべては、満洲と樺太の二方角に追悼の黙祷を捧げようではないか」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/13/113805
 
《1991年12月のソ連崩壊で、左翼陣営の対日闘争は「ソ連軍の侵略で日本を共産化する革命は断念せざるを得ない。が代わりに、日本を滅ぼそう」に移動した。1992年年頭、保守系でこれに気付いた日本人は中川八洋ただ一人だった。この事実は、1990年代以降の日本では“保守”知識人が中川八洋一人になったことを意味する。
なお、共産党や北朝鮮人による、(「日本共産化」ではなく)「日本滅亡」という新しい型の対日革命が、1992年年頭に一斉蜂起的に開始された事実は、彼らは、「1989年11月の東欧解放→ソ連邦崩壊=ソ連共産党独裁体制の終焉」を1989年11月時点で感得し、ポスト・ソ連崩壊における、新しい日本赤化革命を開始したことになる。共産主義者の状況把握力は、実に優秀である。》
「共産党系官僚と共謀し“出生率の大低下=日本民族の絶滅”を推進する“赤い国賊”安倍晋三 ──安倍晋三が創った国民騙しの“欺瞞語”「希望出生率」」
 
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1992・平成04年  47歳
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01月01/03日付の『朝日新聞』の社説において「政治改革=日本共産化」が宣言される
《日本の「失われた20年」は、ソ連邦の崩壊に連動して東欧・アフリカ共産国家のドミノ消滅が世界的な潮流なのに、それとは逆方向に向かったことで始まった。この始まりは、1992年1月1/3日付け『朝日新聞』社説における「政治改革=日本共産化」宣言が、その証拠として残っている。社共が消滅する危機を逆手にとって、自民党を政権から追放する“国民騙しスローガン”が四文字魔語「政治改革」だったが、これが1992年の日本中に木霊したのである。》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
 
01月 曽野明とソ連邦崩壊後のロシアと日本について意見交換
《隣国・ソ連邦が崩壊し「新ロシア帝国」に衣替えした1991年末、「日本は外敵の脅威喪失だと誤認して自己溶解作用を起こし、自壊的に国家衰亡へと転落する」と、日本国の行く末を憂えて心底から戦慄したのは、日本中を捜しても曽野明と私の二人だけだったと確定できる。実際に、曽野明と私は、1992年1月、ソ連邦の崩壊後のロシアと日本について、相互の見解を確認し合った。
 ロシアを知り尽す“日本のロシア通ベスト・ツー”を自負する曽野明と私は、「反共・反ソ」ではなく、小村寿太郎/吉田茂を正統に継承する「反共・反露」だから、ソ連邦の崩壊をもって、“ロシアが再膨張と大侵略するため二十年間の時間稼ぎをするために《役に立たなくなった共産党独裁》を止めただけ”、としか見做さなかった。この正確無比なロシア観察において、ソ連がマルクス・レーニン主義を棄てて市場経済の国・ロシアになったならば、日本人は麻薬投与されたとの同じ思考麻痺を起こし、ロシアの軍事脅威が去ったと逆さに誤認しロシアに油断すると、曽野明と私は憂えたのである。
 そして、曽野明と私は、新ロシアの対日侵略のルートが、1900年(義和団の乱)~1945年の「東シベリア→満洲→朝鮮半島」のルートから、1855~1875年の「沿海州→樺太→北海道」に変更されるだけに過ぎないと、ロシア民族の不変の対日侵略に関する見解の完全一致を確認し合った。そして、二十年後に必ず復活する“新ロシアの軍事脅威”を纏めたのが『蘇えるロシア帝国―戦争の21世紀』(1992年5月刊)。曽野明は、同年3月、ゲラでこれを読み絶賛してくれた。》
《 なお、先述の1992年1月の折り、曽野明が惜しみなく称讃した私特有の他の見解が二つある。その一つは、「ソ連とは国内独裁体制を二頭馬車で運営してきた暗黒社会だったが、新ロシアの独裁は一頭馬車で行い、ロシア政治から宗教性が無くなり表面上は暗黒性が消えるが独裁体制は不変。具体的には、共産党とKGB第二総局の二重独裁から、KGB第二総局だけの一重独裁体制への移行が新ロシア」。実際にも、プーチン/メドヴェージェフともにKGB第二総局出身であるように、私の予測はこれも的中した。
 もう一つは、「これから(=1992年以降)、日本国内では共産主義思想が逆に猖獗する。“赤いマルクス・レーニン主義”の衣装を“白い(透明な)マルクス・レーニン主義”に着替えて、日本全体を共産化する時代錯誤の革命に一斉に走り出すはず」という見解。この的中は、世界水準に照らして突出しており、自分の学者人生の中で唯一例外に「天才級の推定だった」と自己評価している。》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
 
《 かつて外交官の曽野明に、ロシアから確実に北方領土を奪還する方法は、次のABC三心得を守り、この三心得から万が一にも逸脱しないことだと説明した時、曽野明が「その二番目は、親父(「吉田茂・総理」の事)の持論で、中川君は本当に“吉田茂の生まれ変わり”だ」と言った。  
A 北海道をハリネズミ以上の重武装の要塞化する。  
B ロシアとは決して外交交渉をしない/平和条約は決して締結しない。  
C 「北方領土からロシア軍を撤兵させ、そのあと陸上自衛隊を進駐させる」形の領土返還とする。》
「安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ ──“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する」
 
▽    1月発売の福島瑞穂『結婚と家族』(岩波新書)の一文に驚愕す
《例えば、ぎょっとする異様な内容の福島瑞穂の『結婚と家族』(岩波新書)が、前年末のソ連崩壊の大騒ぎがまだ収まらず興奮のつづく一九九二年一月に店頭に並んだ。さらに、『楽しくやろう夫婦別姓』(明石書店)が、そして同年七月には『産まない選択―子どもを持たない楽しさ』(亜紀書房)など、福島瑞穂がからんだ本がつづいて出版された。
   福島瑞穂が東京大学在学中から過激な共産主義の活動家であることはそれ以前から知っていたが、この『結婚と家族』で福島瑞穂がソ連の悪と非が暴かれてなおレーニン崇拝者であるのには、シーラカンスの死体を見た思いがした。
   「ロシア革命の後、さまざまな政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたことは素晴らしい(・・・・・)ことだと思う」(傍点中川)
   何から何までレーニンを厳格に踏襲したスターリンがたった一つだけ例外的にレーニンの政策を間違いだとして変更した、あのおぞましい結末を招いたレーニンの家族解体をもって、あろうことか「素晴らしい」と絶讃していたからである。永年レーニンの研究に取組んできた私も、この一文には心底驚愕した。》『国民の憲法改正』120

《日本における“日本民族の絶滅”運動は、突然に、しかも大規模に、ソ連邦の崩壊の翌年1992年1月に始まった。理由は、「“共産国の本山”ソ連が消滅したのは悔しい。腹いせに、その対極にある自由社会の国家・日本を、どんなことしても滅ぼしてやれ」の逆襲の妄念である。毛沢東崇拝の社会主義者で“半朝鮮人”小沢一郎らが開始した、1992年正月早々からの「政治改革」も、“ソ連崩壊の仕返し”としての日本亡国を目指す反日革命であった。
 この事実は、ソ連崩壊の直後に、日本中に所狭しと、日本女性を「結婚しない」「子ども産まない」革命に洗脳する大キャンペーンが展開されたことで自明であろう。例えば、「結婚するな!」「子ども産むな!」洗脳本は、ソ連邦崩壊と同時に出版された。》
「共産党系官僚と共謀し“出生率の大低下=日本民族の絶滅”を推進する“赤い国賊”安倍晋三 ──安倍晋三が創った国民騙しの“欺瞞語”「希望出生率」」

2月    雑誌の企画により、エスカイヤクラブ青山オーバル店にて大和実業・岡田一男社長と対談(199203『中央公論』107(3)1280)

04月01日 午後八時、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』研究を開始、保守主義を体系的に紹介する入門書(『正統の哲学 異端の思想』 『保守主義の哲学』)を構想
《私はまた、この日の深夜、一つの決意をなした。このように、新しいマルクス・レーニン主義で、亡国の奈落に落ちていく日本を守るためには、バークとハミルトンの思想を日本人に投与するしかない、と。原稿用紙で合計千三百枚程度となった、"(日本人の手で書かれたただ一つの)保守主義の入門書"『正統の哲学 異端の思想』 『保守主義の哲学』は、このように、ソ連邦崩壊の日に構想された。
   両書の執筆開始時間も、この時に決めた。いつまでも簡単に記憶できるよう、三ヵ月後の一九九二年四月一日午前八時とした。実際にも、この日/この時間に、三ヵ月前の計画通りにバークの『フランス革命の省察』の研究を開始した。
   ただ、私が予測した、日本における新型コミュニズム革命は、私の想像をはるかに超えて大掛かりなものとなった。しかも、はやばやと翌一九九二年に本格化したのには、余りの迅速さに、心底から吃驚した。自民党を政権から追放すべく、自民党を政権交代させるに必要な小選挙区制の導入のための「政治改革」が大規模に宣伝キャンペーンされたからである。これこそは、新型共産主義革命を上から行なうための、新体制づくりであった。》『民主党大不況〔カタストロフィ〕』354・355
《なお、先述の1992年1月の折り、曽野明が惜しみなく称讃した私特有の他の見解が二つある。その一つは、「ソ連とは国内独裁体制を二頭馬車で運営してきた暗黒社会だったが、新ロシアの独裁は一頭馬車で行い、ロシア政治から宗教性が無くなり表面上は暗黒性が消えるが独裁体制は不変。具体的には、共産党とKGB第二総局の二重独裁から、KGB第二総局だけの一重独裁体制への移行が新ロシア」。実際にも、プーチン/メドヴェージェフともにKGB第二総局出身であるように、私の予測はこれも的中した。
 もう一つは、「これから(=1992年以降)、日本国内では共産主義思想が逆に猖獗する。“赤いマルクス・レーニン主義”の衣装を“白い(透明な)マルクス・レーニン主義”に着替えて、日本全体を共産化する時代錯誤の革命に一斉に走り出すはず」という見解。この的中は、世界水準に照らして突出しており、自分の学者人生の中で唯一例外に「天才級の推定だった」と自己評価している。
 後者の見解に従い、私は、“白い(透明な)マルクス・レーニン主義による日本共産社会化革命”と闘うべく、1992年4月1日をもって、国際政治学を凍結し、哲学・思想に学術研究の軸足を移す旨を曽野明に話した。実際にも私は、1992年4月1日午前八時きっかり、バークの『フランス革命の省察』の研究にとりかかった。この成果が姉妹書『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』になった。》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
06月01日 学習研究社より『蘇えるロシア帝国─戦争の21世紀』刊
《ロシアを知り尽す“日本のロシア通ベスト・ツー”を自負する曽野明と私は、「反共・反ソ」ではなく、小村寿太郎/吉田茂を正統に継承する「反共・反露」だから、ソ連邦の崩壊をもって、“ロシアが再膨張と大侵略するため二十年間の時間稼ぎをするために《役に立たなくなった共産党独裁》を止めただけ”、としか見做さなかった。この正確無比なロシア観察において、ソ連がマルクス・レーニン主義を棄てて市場経済の国・ロシアになったならば、日本人は麻薬投与されたとの同じ思考麻痺を起こし、ロシアの軍事脅威が去ったと逆さに誤認しロシアに油断すると、曽野明と私は憂えたのである。
 そして、曽野明と私は、新ロシアの対日侵略のルートが、1900年(義和団の乱)~1945年の「東シベリア→満洲→朝鮮半島」のルートから、1855~1875年の「沿海州→樺太→北海道」に変更されるだけに過ぎないと、ロシア民族の不変の対日侵略に関する見解の完全一致を確認し合った。そして、二十年後に必ず復活する“新ロシアの軍事脅威”を纏めたのが『蘇えるロシア帝国―戦争の21世紀』(1992年5月刊)。曽野明は、同年3月、ゲラでこれを読み絶賛してくれた。》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
〔引用者注〕文中《『蘇えるロシア帝国―戦争の21世紀』(1992年5月刊)》とあるが、奥付は「1992年6月1日」となっているため、ここでの日付は実際の刊行日であろう。

夏    政治改革によって自民党が・追放・されると確信、「政党助成金法」と小選挙区制導入に反対する啓蒙活動として自民党国会議員約百名に忠告して回る
《二〇〇九年八月末、自民党は五十四年間の政権から追放されたが、それは一九九二年に日本の左翼勢力が定めた革命目標の一つがついに成功した瞬間だった。自民党が追放されるのを、一九九二~九三年の間に予見していなかった自民党国会議員は、政治家として水準以下で、侮蔑されるべきである。なお、私事だが、私は政治改革で、必ず自民党は追放されると確信したのは、一九九二年夏であった。
   そこでさっそく、当時、百名に近い自民党国会議員に忠告して回った(一九九三年初秋まで)。九三年五月からは、この警告のためわざわざ急ぎ出版した拙著を配って歩いた。二〇〇九年になって、あと智慧で「政治改革=自民党追放」であったと述べているのではない。
   拙著『政治改革の非常識、常識』が、学術的な本とせず対談本にしたのは、「政治改革」は必ず自民党の自滅にいたるだけでなく、社会主義革命そのものが本質であると、自民党議員にもすぐに理解でき、「反・政治改革」に政治姿勢を変更させるためだった。なお、このとき、「政治改革」に潜む極左革命勢力の匂いに気づいたものは少なく、この対談本づくりに協力してくれた俵孝太郎などは例外であった。》『民主党大不況〔カタストロフィ〕』340

《一九九四年の年頭、細川護熙と河野洋平が独断的に強行制定した政党助成金法と小選挙区制導入がなければ、自民党総裁の独裁的な「小泉的」選挙采配は不可能であって、非難されるべきはこのような制度を創った方である。「この制度によって、助成金という名の選挙資金の配分権を持つ総裁の命令型選挙になる」「自民党から自由な討議が消え、民主集中制的な共産党的な雰囲気が発生する」ことについて、一九九三年夏から一年間ほど、私はかなり激しく啓蒙的な言論を展開した。がその時、耳を傾けなかった狡猾で低級な評論家ほど、今になって「小泉批判」で騒いでいるのは、変節漢であって、眉を顰めざるをえない。》『女性天皇は皇室廃絶』264-5

参考:
《ベルリンの壁の崩壊の一九八九年十一月から、とくにソ連邦が一九九一年末に崩壊してからの一九九〇年代の「十年」というもの、日本の国会と国民とが、「政治改革」という反・保守主義の極端に暴走したことで、日本の政治経済の生命は切り裂かれ治療不可能なほどに傷ついてしまった。(中略)「失われた十年」とは、自己破壊にすぎなかった「政治改革」の魔霊に日本全体が憑かれた「十年」であった。
そもそも一九九三年に国中にこだました「政治改革」なるスローガンから生まれたのは、まずは世界から称讃されていた(衆議院の)中選挙区制度の小選挙区制度への改悪であり、次は個人や経済界の政治献金を「悪」として国家が政党を助成する政党の準・「国有化」であった。前者は選挙制度の単なる「改悪」以外の何物でもなかったし、後者は政界と経済界の結びつきの切断その他をもたらして日本経済の凋落の主要な原因となった。自らの身体を目茶目茶に傷つけるがごとき一九九〇年代の日本の国会がなした、愚かで狂気というべき立法の数々は、バークが次のように総括する、フランス革命時のフランス国会の二百年ぶりの再現といえるものであった。
「国民議会がなした(政治の)改善は皮相的なものに限られていたが、国民議会がなした誤りの数々は根本的なものであった」
(中略)
一九九〇年代の日本全体が憑かれた政治の「改革」は、確実に「社会解体」「国家解体」をもたらす、素人による生体手術であったから、「準・革命」と呼ぶことができる。つまり、「社会解体」「国家解体」を目標とする破壊主義の「準・革命」である。「失われた十年」の日本は「改革」という名でカムフラージュされた「準・革命」が進み、どうやら一般日本人の「進歩主義」を利用して、これに社会や国家を破壊する猛毒のイデオロギー(薬物)を化合させたといえるだろう。
実際に、中から小への選挙区制度の変更でしかなかった細川護熙首相の下での大スローガン「政治改革」にしても、村山富市首相の下での「地方分権」にしても、国家を担う官僚機構を麻痺させ官僚の質的低下を恒常化させた橋本龍太郎首相の下での霞が関の官庁組織の恣意的改革にしても、すべてが「自由社会の日本」を呪う憎悪から発案されている。首相公選制も「時効の国体」に損傷を与えることは不可避であり、「最悪の改革」となろうことは明らかである。(中略)
古い制度の誤謬や欠陥を(廃止や全面破壊を伴って)除去しようとするのは、その国民や国会議員の幼児性と無能力を示すものにほかならない。また、このような除去は、「浅薄きわまる理解力」や「粗暴な手」でも可能である。ということは、「改革」にフィーバーして恣意的な立法をなした一九九〇年代の日本の国会議員は、「浅薄きわまる理解力」しかない「無能力」者の群れであったことになる。残念だが、現実にそうであった。
(中略)
デモクラシーへの懐疑論も否定論も存在しない、政治的な未熟児である日本では、政治家は民衆を指導するのではなく、民衆の目線に自らを下げる。国家や政治を理解する能力を喪失したのも当然である。熱狂だけで断行した一九九〇年代の「改革」の温床である、日本のデモクラシーは必ず日本を死に至らしめる日本の病いである。》『正統の憲法 バークの哲学』p.285-9

▽     文藝春秋のパーティーに参加、福田恆存に声をかけられる
  《中川 私は運悪く福田恆存に接することはほとんどなかったのですが、お亡くなりになる二年ほど前か、文藝春秋のパーティーで、「中川君、もう日本はだめだよ」と声をかけられたのが最初で最後でした。その後、葉書が来て、「きみに会えてうれしい」の次に「この国はもうだめだよ」と同じことがまた短くかいてありました。》『「名著」の解読学』83

引用者注:福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20 日)

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1993・平成05年  48歳
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03月    筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第21号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

05月01日 俵孝太郎との共著『〔対論〕政治改革の非常識、常識』刊
《この本の企画は、中川八洋教授のすすめによるものである。中川教授と筆者とは、日本自由主義会議という言論人のサークルで、ともに理事職をつとめる関係であり、ここ十年来、勉強会の場などで、しばしば意見を交換してきた。中川教授は、最近の政治改革論ブームともいうべき現象が、政治に対する基本的な常識が欠落している人たちによって、無責任に掻き立てられていることに対する公憤から、筆者に執筆を慫慂されたが、国際的な面の知識に乏しい筆者としては、ドイツとアメリカに学んだ比較政治学者である中川教授の、該博な知見と見識をも披瀝していただいて、共同著作にしたほうが、よりよいものになると考え、多忙な教授を煩わして、こうしたかたちで一冊をまとめることにしたのである。
   両者とも、執筆時点は一九九三年の一月後半から三月上旬までであり、まず中間部の対談からはじめて、補論として筆者が序論を、中川教授が結論を、書きおろす組み立てにした。時局にふさわしい、というより、騒々しい時局の流れから一歩身をおいて、読者に政治と政治改革を、初歩から考えなおしてもらうきっかけになる、議論ができたと思っている。》『〔対論〕政治改革の非常識、常識』54

《一九九四年の年頭、細川護熙と河野洋平が独断的に強行制定した政党助成金法と小選挙区制導入がなければ、自民党総裁の独断的な「小泉的」選挙采配は不可能であって、非難されるべきはこのような制度を創った方である。「この制度によって、助成金という名の選挙資金の配分権を持つ総裁の命令型選挙になる」「自民党から自由な討論が消え、民主集中的な共産党的な雰囲気が発生する」ことについて、一九九三年夏から一年間ほど、私はかなり激しく啓蒙的な言論を展開した。がその時、耳を傾けなかった狡猾で低級な評論家ほど、今になって「小泉批判」で騒いでいるのは、変節漢であって、眉を顰めざるをえない。》『女性天皇は皇室廃絶』265

《「日本の失われた二十年;1992~2012年」の原因と理由はすべて、正常な政治の不在もしくは左翼革命勢力の政治占領によって生じたのである。つまり、二十年間の経済政策が間違っていたのではなく、まともな経済政策を考える余裕など“革命ごっこ”の日本の政局に存在しえなかったために生じたのである。  
 日本人が、もし真面目に「失われた二十年」について考察したいならば、最小限、二つの事柄をまず率先的に思索すべきである。
 第一は、政治(政界、国会議員)が二十年間も日本経済を疎かにした/疎遠であった事実から、霞が関官僚を含めた政治(政界、国会議員)は、日本経済を再生する知的・学的能力を完全に喪失したはずという当たり前の事柄を想起する事。そればかりか、“統制経済の残滓官庁”経産省と周辺にたむろするいかがわしい人物から経済政策を操られている(やたらに人気に焦る)安倍晋三に、「経済における、失われた二十年」を逆転する“知”など存在するはずもないこと。安倍晋三の逆立ち経済政策アベノミクスは、必然的に「新しい《失われた二十年》」をさらに強化し固定化するのが落ちだということ。
 第二は、1992年、世界中から狂気と軽蔑された「政治改革」を仮に日本が選択せず、まともな政策をしていたら、その後の日本はどうなったかを反省してこそ、「失われた二十年」の省察として真っ当なもの。常識と賢慮ある反省のため、1992年に“日本の狂気”「政治改革」を一掃し、代わりに国の政治アジェンダにしようとした「ポスト冷戦期の中川三策」を、比較のために紹介する。日本が1992年「中川三策」を選択していれば、「失われた二十年」が発生したか否かは、言うまでもないこと。
(中略)
 前者の「政治改革」「男女共同参画社会」の一掃については、俵孝太郎との共著『政治改革の非常識、常識』『与謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶』第二部等で、当時の私の闘いぶりが少しは今に残っている。が、後者については、「政治改革」「男女共同参画社会」「地方分権」が、私のエネルギーをそれらとの闘いに消耗させ、「中川1992年三策」をアッピールし本に纏める時間を私から奪い去ってしまい、書籍や論文にすらなっておらず、(以下、略)》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」

10月23日 村松剛の出版祝賀の夕食会に出席、これが生前最後の交流となる
《私が村松先生の謦咳に接する最後となったのは去年の十月二十三日のことで、村松英子女史、田久保忠衛氏、宮崎正弘氏らが同席しての、書き下ろしでは最後の作品となった『湾岸戦記』(学習研究社)の出版を祝う、ごく内輪の夕食会においてであり、この時、久しぶりに先生が赤葡萄酒を愛飲しておられるのを見て一同快哉し、また安堵したものでした。あの寒い夏に、杏林大学附属病院で喉頭がんのコバルト照射の加療が成功して全快しつつあると見受けられたからでした。なお、このとき妹君の英子さんがとても陽気におしゃべりに夢中になっておられたのが脳裏にいまでも焼きついています。》(199407『サンサーラ』5(7)49 125)

○    『永遠の核抑止 終焉した軍備管理』を脱稿
《未単行本に『核抑止の永遠 軍備管理の終焉』》(20120210『脱原発の犯罪』カバー、20121230『原発ゼロで日本は滅ぶ』255「執筆者プロフィール」欄)
《私には出版を忘れる癖があり、出版社が決まっていた『永遠の核抑止 終焉した軍備管理』(一九九三年脱稿)を初めとして、これで三冊目である。》「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓」『昭和天皇と靖国神社』http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html※リンク切れ

《【核軍備管理と核抑止の基礎知識】については、下記の三冊。
a 中川八洋『現代核戦略論』、原書房。
b 中川八洋『核軍縮と平和』、中公新書。本来のタイトルは『SDI・・・』。ある理由からタイトルに急遽変更した。大いに反省している。
c 中川八洋『永遠の核抑止、終焉した軍備管理』、1993年末に出版予定で上梓。出版社は2社ほどオファーがあったのに、細川政権の誕生その他でついうっかり原稿を渡すのを忘れた。「核抑止」概念が、日本の文献では、突出して最も分かり易く解説されている。なお、この三冊と、先にリストした『日本核武装の選択』をもって中川・核戦略四部作という。》「ロシア/中共の対日核戦力大増強に“脳天気”日本 ──米国に核抑止力増強を要請し、米国核兵器の搬入を急げ! 」
 
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1994・平成06年  49歳
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05月17日 村松剛の訃報に接する
《国防軍の設置と建軍の大義を明文規定とするための憲法第九条の改正と、天皇の元首(立憲君主)としての地位を明確にするための第一章の是正の二つは村松剛先生の悲願でもあり、「サンサーラ」九一年九月号におけるこれに関する私との対談で、先生は該博な憲法改正論を諄々と展開されました。
   この対談を先生は拙著『新・日本国憲法草案』(九三年九月刊)に収録するのを快諾されたて、いまやこれが私にとって光栄にも一生の宝物となり先生からの形見となりました。私事ですが、五月十七日の訃報に接して以来、気づかぬうちに私は幾度となくこの対談収録を繰り返して読んでおりました。
   とりわけ、「サンサーラ」のこの号(九六ページ)に載っている村松先生の写真のお顔は幾多ある他のどの写真よりも生前を最もリアルに思い起こさせてくれ、このこともこの対談録を今も私が離さず枕頭に置いている理由のようです。》(199407『サンサーラ』5(7)49 126・127)

12月09日 福田恆存の告別式に参列
《中川 私は運悪く福田恆存に接することはほとんどなかったのですが、お亡くなりになる二年ほど前か、文藝春秋のパーティーで、「中川君、もう日本はだめだよ」と声をかけられたのが最初で最後でした。その後、葉書が来て、「きみに会えてうれしい」の次に「この国はもうだめだよ」と同じことがまた短くかいてありました。
  谷沢 達筆でしょう。書を習ってますから。
  中川 達筆でした。どうして私の顔を見るなり、開口一番「もう日本はだめだよ」となるのかは知りませんが、告別式(一九九四年十二月九日)でのベートーヴェンのチェロ・ソナタ第三番の曲を思い出します。》『「名著」の解読学』83

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1995・平成07年  50歳
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02月    谷沢永一に論文「自由社会の病巣」を送付す
《谷沢 平成五年の二月に、中川先生の「自由社会の病巣」(『日本政治文化研究所研究紀要』一六八号)という論文を送っていただき、それを拝読したときの感激というものは、いまだに忘れることができません。私はいくぶん読み物にスレ手おりますので、よほどのものでないかぎり、感嘆しないのですが、これはほんとうに興奮しました。「自由社会の病巣」は、平成日本において、誰かが絶対にしなければならない、もっともむちかしいラジカルな仕事であり、これを拝読したならば、その奥にどれほど大きな山脈が秘められているであろうかということが、実感としてぐっとわかる論文でした。
それが、今回『正統の哲学 異端の思想』というご本に結実したことを、私は近代日本の思想界の大事件であると思っています。これは気楽な読者が呑気に読める本ではありませんが、このような濃い内容の書物を敢然と出版されたことにお礼を申し上げたい。この本は、出版史研究者が後に特筆大書するであろう出版の歴史に残る本であろうかと思います。》(199703『サンサーラ』8(3)81-71)

03月    筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第23号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

08月    朝鮮総督府の庁舎が撤去される
《尚、私は、英米系の明治憲法を起草した伊藤博文を、日本国の大政治家だったと大いなる敬意を表している。
王制主義者(モナーキスト)である伊藤博文は、李朝の王制を廃止することになる以上、韓国併合は心底では絶対反対であった。私が伊藤の心が読めるのは、歴史研究で裏付けてはいるが、私も王制主義者だからである。
朝鮮総督府の庁舎を韓国が破壊・撤去したとき(一九九五年八月)、私が思わず快哉を叫んだ理由もこれにある。朝鮮総督府を李王家の宮殿(景福宮)の前に建てたのは(一九二六年)、日本側に朝鮮の王制を侮辱する意図があったからで、この朝鮮王制への不敬行為は、日頃から怒りが収まらなかった。朝鮮王制に対する侮蔑と不敬は、日本国の天皇制度や皇室への侮蔑や否定に通底しているのを、一般の日本人はどうして見抜けないのか。》
「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」
 
08月17日 PHP研究所より『近衛文麿とルーズヴェルト──大東亜戦争の真実』刊
《〔福田恆存のー引用者注〕これらの論文のなかで、特に若い世代に読んでほしいと思うのは、森嶋通夫批判である「防衛論の進め方についての疑問」という論文です。これは『全集』第七巻に収録、単行本は『人間不在の防衛論議』(新潮社、一九八〇年)です。私の『近衞文麿とルーズヴェルト』(PHP研究所、一九九五年)は、これを理論化し発展させたものと言えます。》『「名著」の解剖学』72

《奇怪な魔語「東亜共同体」「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」の正体については、八年戦争の当時においてもおぼろげであったがそれなりに明らかだった。戦後においては、もっとはっきり判明していた。それなのに、スターリンの意を体して共産主義者たちがつくった、この三つの・魔の呪文・を、正面から剔抉した書は、戦後六十年を経た今なお、たった二冊しかない。二百冊ではなく、本当に二冊である。三田村武夫の『大東亜戦争とスターリンの謀略』と、拙著『近衞文麿とルーズベルト〔正しくはルーズヴェルト〕』のみである。なお、三田村武夫は、佐野学らの獄中転向に呼応した、一九三三年の共産党からの転向組の中で、数少ない本物の転向者であった。
・・・・・・
  第三の原因は、前記の三田村武夫の著も「販売禁止」(「出版禁止」ではない)となったように、大東亜戦争をスターリンの世界共産化戦争と把握する、三田村や中川と類書のものがほとんど発刊されなかったのは、ソ連の指揮下にあった共産主義者たちがGHQ内部に大量に潜り込んでいて、彼らがこの「販売禁止」のリストに、大東亜戦争をスターリンとの関係で正しく考察した本を含めたからである。》『亡国の「東アジア共同体」』174・175

《ちなみに日本人で、大東亜戦争を戦後、正しく理解した者がほとんどわずかしかおらず、大東亜戦争を歪曲する、あるいは大東亜戦争の真相を隠蔽することが国論のほとんどである。
・・・・・・
なお、戦後日本で、大東亜戦争の真相を最も正しく理解しておられたのは、いうまでもなく・天才大帝・昭和天皇である。大東亜戦争の全貌の基本だけではあるが、おおむね正確に把握したのは吉田茂。大東亜戦争の真相を活字で的確に論述しえたのは、私(中川)と三田村武夫の二名のみ。自国が行なった八年間にわたる大東亜戦争について、その真相を闇に葬った日本とは、はたして国家なのか。》『尖閣防衛戦争論』29

《『近衞文麿とルーズヴェルト』は、いくつかの点で、近現代史の学術的な研究の分野では画期的であった。(中略)
  近衞文麿については、「ソ連の大スパイ」尾崎秀実とともに、ソ連を祖国とする日本の学界を支配する極左勢力によって、毛沢東や金日成に並ぶ・アジア共産化の英雄・として称讃されるべき政治家である以上、終戦直後から流された(実像の近衞文麿とは百八十度異なる)情報操作による偽イメージが、この一九九五年時点では、戦後がすでに五十年も経つのに、まだ執拗に維持されていた。歴史事実に忠実な近衞文麿の分析は、『近衞文麿とルーズヴェルト』が実は最初であった。・・・・・・また、『近衞文麿とルーズヴェルト』は、日米同盟を「永遠不変の運命の同盟」だと日本では初めて地政学からの論証も行なったが、このところは『地政学の論理』(徳間書店、二〇〇九年)でより体系的にまとめられている。》(「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202-4ページ)

《『近衞文麿とルーズヴェルト』には、日本では初めての歴史事実の解明ともいえる功績がいくつかある。たとえば、「ハル・ノート」が国務長官ハルが書いたものでなくて、「ソ連のGRU/NKGB工作員」だった財務省次官補ハリー・デクスター・ホワイトの作であることを、日本人では最初に明らかにしたことなどである。須藤眞志氏の『ハル・ノートを書いた男』(一九九九年)は、本書が一九九五年に暴露した以上、SVRとしてはもはや隠す意味がなく、公表に踏み切ったインタビューで、拙著より四年も遅い。
   また、本書六一頁の「図1『ハル・ノート』とヤルタ秘密協定に関与した米高官の思想と人脈」は、主としてFBI(米国連邦捜査局)のリーク情報を丹念に集めてまとめたものだが、近年これについて誤解する読者が散見される。それは、NSA(国家安全保障庁)の「ヴェノナ作戦」を崇拝しフィーバーする中西輝政氏の言説に洗脳されてか、一九九九年に刊行されたヘインズ氏らの『VENONA』が論及していない部分があるから根拠がないとの短絡的な誤断である。
  在米のスパイ活動を取り締まる防諜(カウンター・インテリジェンス)の主務官庁はFBIであって、通信傍受・暗号解読の巨大機関NSAは、この分野でも重要な貢献はしていても、FBIの補完的な機能を果たすにすぎない。つまり、NSAの一つのプロジェクト「ヴェノナ作戦」は、FBIのもつ(決して公表されない)在米のソ連スパイ網とスパイ活動にかかわる厖大な資料に比すれば、その一部につき裏づけ証拠を提供したにとどまる。》(「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』204-5ページ)

《近衛文麿もまた、拙著『近衛文麿とルーズヴェルト』が分析したように、日本のなかで最も過激な共産主義者の一人だった。しかも、“スターリンの信徒”近衛文麿は、一九三七年の総理就任から一九四五年の自殺まで、一貫してソ連(スターリン)に通謀していた、「スターリンの工作員」であった。》『女性天皇は皇室廃絶』p.201
《林健太郎と小堀桂一郎、及び林健太郎と中村粲との『正論』誌上での論争などは、この例。林健太郎の日本現代史は、ドイツ近・現代史についてあれほどの造詣があるのに、さっぱりダメが特徴。林健太郎が、無学・無教養な小堀桂一郎を一刀両断に斬り殺せないのは、近衛文麿あるいは陸軍参謀本部がソ連の支配下にあった最重要な歴史事実に無知だからである。
 大東亜戦争否定論が「保守イデオロギー」の一つだった昭和天皇以来の「保守勢力」にとって、林健太郎の粗雑な論争技術は、致命的にマイナスとなった。大東亜戦争の肯定か否定かは、「侵略だったか、自衛だったか」をゴミ的な“些末な論点”として排除する昭和天皇の高度な賢慮を踏襲すれば、簡単に決着がつく。「民族系」の“反・歴史/反・国益の大東亜戦争肯定論”を、燎原の火のごとくに完全焼却・抹殺している、1996年以降の“中川八洋の大東亜戦争論”は、論争に失敗し、「保守」にダメージを与えた林健太郎の後始末と言えるかもしれない。》
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』(1)」

9月    如水会館での第433回二木会で「混迷の政治、不透明な世界、危機の日本」と題し講演(東京修猷会・会報 第8号 1996(平成8)年1月1日発行)
http://shuyu.gr.jp/tky/kaihou/kaiho08.htm#95

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1996・平成08年  51歳
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03月       筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第24号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

11月30日 『正統の哲学 異端の思想』刊
《谷沢 平成五年の二月に、中川先生の「自由社会の病巣」(『日本政治文化研究所研究紀要』一六八号)という論文を送っていただき、それを拝読したときの感激というものは、いまだに忘れることができません。私はいくぶん読み物にスレ手おりますので、よほどのものでないかぎり、感嘆しないのですが、これはほんとうに興奮しました。「自由社会の病巣」は、平成日本において、誰かが絶対にしなければならない、もっともむちかしいラジカルな仕事であり、これを拝読したならば、その奥にどれほど大きな山脈が秘められているであろうかということが、実感としてぐっとわかる論文でした。
それが、今回『正統の哲学 異端の思想』というご本に結実したことを、私は近代日本の思想界の大事件であると思っています。これは気楽な読者が呑気に読める本ではありませんが、このような濃い内容の書物を敢然と出版されたことにお礼を申し上げたい。この本は、出版史研究者が後に特筆大書するであろう出版の歴史に残る本であろうかと思います。》(199703『サンサーラ』8(3)81-71)

《日本に保守主義者が皆無なのは、日本におけるルソー批判の最初が、事実上、私の『正統の哲学 異端の思想』(徳間書店、1996年)であったことで判明しよう。フランス革命については、私より前に多少の小さな批判論考はあるが、これもまた本格的な展開は私が最初となった。自称「保守系知識人」の看板の偽りは、ルソー批判とフランス革命批判の有無を調べれば、すぐに露呈する。》(200701『力の意志』82)

《中川 日本では、自由を正しく守ろうとする偉大な歴史上の思想家の学説を歪曲するために、その研究をするものが多いのです。ハイエクに関する誤った解釈の方が日本では多数説となるのはこのためです。
一方、反文明などの狂った思想家に関する日本の研究者は、それをお化粧し直してあげて、全く逆さに解釈するのを仕事にしています。例えば、中江兆民からすでに数百人に及ぶ、日本のルソー研究者の中で、ルソーの思想をルソーの真意のままに解釈したものは一名もいません。私の『正統の哲学 異端の思想』が日本では、ルソーの言説どおりに忠実に論考した最初の哲学書です。つまり、日本では、ルソーについて歪曲の限りを尽くした解釈をするためにルソーの専門家になるのが通例です。そして、正しく解釈したものに対して「間違った解釈をする!」と中傷し貶めるのが、これらの専門家の学究生活の大切で重要な仕事になっています。》『教育を救う 保守の哲学』23・24

《渡部〔昇一〕 ― 一九九六年、中川さんがルソー研究者として鮮やかにデビューしたのは、日本の左翼学界にとって、本当に衝撃的な奇襲攻撃でしたね。本格的なルソー批判は、イギリスのバークのルソー批判に遅れること二百年ではあっても、日本では中川さんが最初というのは、功績です。》『皇室消滅』180。〔〕は引用者による

《四年の歳月をかけ、デカルト以降の哲学書とそれらの研究書を約三千冊ほど読破し、日本人学者では戦後初のルソー批判をも含む『正統の哲学 異端の思想』を出した。一九九六年であった。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』267

《この自国の溶解・崩壊を促す最凶イデオロギーと言えば、世界中、誰しもがルソーを挙げる。日本でも、私の拙著『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』二冊によってやっと、世界標準の常識である、諸悪の根源ルソーについて理解が広がった。そして、「ルソー→マルクス→レーニン/スターリン」という基幹“悪魔思想の系譜”についても、ようやく常識となった。
 特に、バークやアクトン卿のみならず、ベルジャーエフ/ミーゼス/ハイエク/レプケ/ポパー等を読む、私に刺激されて日本でやっと萌芽した保守主義の傾向を持つごく少数者が、ルソーとマルクスを“悪魔の思想”の元祖だと、(日本国の救済にはむろん余りに遅きに失し、また微力であり過ぎるが)この排除を考えるようになったことは、大正時代にルソーやデューイなどが猖獗して、その後は極左思想のみが支配する日本を正常化するメルクマールとなった。
「精神分裂病の狂気がさらに進む西尾幹二 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(35) 」
(参考)
《しかも、ルソー批判は、明治維新以降、日本では、『皇室典範義解』の著者で初代内閣法制局長官の井上毅と私(中川八洋)のほぼ二名しかおらず、これでは日本人がルソーに汚染されるのは必然であろう。ルソー思想がどれほど“反人類のスーパー極左”であるかは、その後世への影響の系譜を見れば、一目瞭然だろう。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』259・260

《井上と中川が、憲法思想における親子関係にあるのは、ルソー批判においてもはっきりしている。日本で最初のルソー批判者は井上毅で、戦後日本でのルソーの本格的批判者は中川である。そして、両者以外、(井上毅の股肱で明治憲法の起草に携わった金子堅太郎を除けば)日本でルソーを批判した知識人は不在である。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』264

《ルソーを日本で正しく紹介したのは、明治時代では井上毅ただ一人。大正・昭和時代にはゼロ。平成時代では、私の『正統の哲学 異端の思想』(一九九六年)だけである。私の後につづくルソー研究者は、"畸形の極左人士"西尾幹二を含めて、 "スーパー極左"ばかりが蟠踞する日本の大学には、『正統の哲学 異端の思想』の出版から二十年が経ったが、ついに現れなかった。》「歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚“」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140805
 
《なお、ルソーを日本人で正しく読んだのは、明治憲法起草時の井上毅/加藤弘之が最初で最後。その次が、一一五年を経て、中川八洋『正統の哲学 異端の思想』。戦後五十一年も経った1996年。その後に中川八洋に続く者はいない。大学のシステムが(抜きん出た特殊能力と偶然が中川並みでない限り)絶対不可能にしているからである》
「“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の“逆・憲法学” ──警官の制服を着た強盗が「強盗を捕まえろ!」と大声で騒ぐに同じく、“反・立憲主義者”は、「立憲主義!」を連呼する」
 
《もう一つは、「これから(=1992年以降)、日本国内では共産主義思想が逆に猖獗する。“赤いマルクス・レーニン主義”の衣装を“白い(透明な)マルクス・レーニン主義”に着替えて、日本全体を共産化する時代錯誤の革命に一斉に走り出すはず」という見解。この的中は、世界水準に照らして突出しており、自分の学者人生の中で唯一例外に「天才級の推定だった」と自己評価している。
 後者の見解に従い、私は、“白い(透明な)マルクス・レーニン主義による日本共産社会化革命”と闘うべく、1992年4月1日をもって、国際政治学を凍結し、哲学・思想に学術研究の軸足を移す旨を曽野明に話した。実際にも私は、1992年4月1日午前八時きっかり、バークの『フランス革命の省察』の研究にとりかかった。この成果が姉妹書『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』になった。》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
 
○   テレビ東京「渡部昇一の新世紀歓談」にゲスト出演、保守主義について語る、製作:テレビ東京・河出映像センター
http://www.youtube.com/watch?v=kw0pmQkCOqI&feature=related ※著作権侵害により削除
http://www.youtube.com/watch?v=hicyC-ZBSHc&feature=related ※著作権侵害により削除
http://www.pideo.net/video/dailymotion/b369ca56282f193f/(24分42秒)
○   「新しい歴史教科書をつくる会(略称:つくる会)」の賛同者に名を連ねる

○ 鳩山由紀夫の件で、江藤淳より電話を受ける
《1932年頃からの日本は、実態的に「赤い陸軍の占領下」となった。戦争煽動に違背する“戦争反対”のいっさい出版物は出版できず、また「全体主義礼讃・自由主義糾弾」以外の出版は不可能だった。このような戦時下日本に比すれば、GHQの「検閲」など他愛もないレベルとしか形容できない。
(赤い文部省と組んで「皇国史観」との嘘ラベルで、小学生まで赤色洗脳をした)赤い帝国陸軍の軍政下にあった日本の“表現の自由”と、反共の米国軍隊(GHQ)の軍政下の“表現の自由”とのいずれがましだったかは、占領時代に大人だった日本人は体験で知っている。GHQの進駐が、敗戦以前の日本で十年以上も喪失していた“自由の(完全ではないが大幅な)回復”だった歴史事実は、占領下の七千万日本人すべてが体験した。
しかし江藤淳とは、このような、戦前日本での「検閲」や検閲以上に酷かった「戦争遂行煽動の道具としての新聞発行/雑誌・単行本出版の強権的指導」が絶対であった暗黒の歴史を、さもなかったかのごとき、つまり「検閲は、日本史上GHQが始めて行った」との歴史改竄・嘘歴史創作をしているのである。戦時下日本に関する歴史改竄を宗教呪文型オブラートに包んだのが、“反日カルト宗教の江藤淳作の三経典”である。
例えば、一九三二年十月刊の水野広徳の『打開か破滅か 興亡の此一戦』が発売と同時に発売禁止処分となった事実や、河合栄治郎の四冊の著作が発禁処分された事実や、さらに河合栄治郎がこれらの出版で刑事裁判の被告人となった事実など、江藤淳とて充分に知っている。だが、江藤淳はこれには言及しない。GHQの検閲のみを糾弾するよう日本人を洗脳し、共産党の反米闘争に参加・協力させるのが、江藤淳が吹くハーメルンの魔笛の目的である。
つまり江藤淳は、「背後がスターリンや共産主義者達がなした日本の検閲は許せるが、“反共”米国が検閲したことは許せない」の奇矯なダブル・スタンダードで、『閉された言語空間』等を書いた。『閉された言語空間』等の立ち位置は、「逆コース!」とGHQを罵る日本共産党と寸分の差異がない、まったくの同一。
『閉された言語空間』など三冊の経典を書いたときの江藤淳は、共産主義者に戻っていた。離党後の江藤淳が、共産党員で北朝鮮人の大江健三郎との緊密な人間関係を維持し続けたり、自分の後継者に北朝鮮人の福田和也を選んだのも、「共産主義者に戻りたい」との心情からだった。江藤淳は自殺する最期まで、離党・転向を悔恨し共産党員時代を懐かしんだ。このイデオロギー上の懊悩と葛藤から解放されるには、自殺しかなかったのである(注5)。江藤淳が、1960年まで党籍のある共産党員であった事実を出版界が徹底的に隠してきたのは、江藤淳が半分しか転向しなかった“半・共産主義者”だったことを熟知していたからである。
・・・・・・
「江藤淳よ、こんなべら棒な<言論弾圧/学問の自由>弾圧をGHQがしたことがあるか。したと主張するなら一件でも例示せよ」。これは、機会があれば江藤淳に詰問しようと予定していたもの。江藤淳が、鳩山由紀夫の件で私に電話してきた一九九六年の某日が、この予定質問をぶつける好機だった。江藤の自殺は、三年後の一九九九年。「そのうちに」と後回ししたことが、「反GHQ教」というカルト宗教の教祖・江藤淳への宣戦布告を逸してしまった。“生涯ソ連人だった江藤淳”を糾弾する事は、祖国日本を守る真正な日本国民の義務。この義務を果せなかったことに、今も遣る方ない自責の念に駆られる。》
「昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228

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1997・平成09年  52歳
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○  谷沢永一より戦前のエドマンド・バーク研究書を寄贈される
《中川 戦前のバーク研究も少なく、私の知る限り、論文クラスのものが二つ、単行本としては上田又次のものが一つあるのみです。
1. 金子堅太郎『政治論略』、明治十四年十一月、元老院刊。なお、これは『明治文化全集』第七巻、昭和四年、日本評論社刊の一五三~一八〇頁に収録されています。
2. 石田憲次『ジョンソン博士とその群』「第五章 Edmund Burke」、昭和八年、研究社。
3. 上田又次『エドモンド・バーク研究』、昭和十二年、至文堂。
ちなみに、私の持っているこの上田又次の著書は、谷沢先生が古本の目録から見つけられ、私に恵贈してくださったものです。》(「名著」の解剖学263-264)
○       谷沢永一・関西大名誉教授と対談(199703『サンサーラ』8(3)81-71)

03月     筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第25号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

07月22日付『朝日新聞』掲載の江藤淳自殺の追悼記事を読む
《『閉された言語空間』など三冊の経典を書いたときの江藤淳は、共産主義者に戻っていた。離党後の江藤淳が、共産党員で北朝鮮人の大江健三郎との緊密な人間関係を維持し続けたり、自分の後継者に北朝鮮人の福田和也を選んだのも、「共産主義者に戻りたい」との心情からだった。江藤淳は自殺する最期まで、離党・転向を悔恨し共産党員時代を懐かしんだ。このイデオロギー上の懊悩と葛藤から解放されるには、自殺しかなかったのである(注5)。江藤淳が、1960年まで党籍のある共産党員であった事実を出版界が徹底的に隠してきたのは、江藤淳が半分しか転向しなかった“半・共産主義者”だったことを熟知していたからである。》
《5、江藤淳が1999年7月に自殺したとき、朝日新聞は大きな追悼文を掲載した(7月22日付け)。弔辞者は福田和也だった。これを見たとき、江藤淳は成仏できると確信した。朝日新聞が、江藤淳を共産党員として遇し、北朝鮮人に追悼文を書かせたのである。江藤淳の永眠する心が安らかにならぬはずはない。》
「昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228

10月  劉傑「歴史の空白を補う 河本の“肉声”」(『This Is 読売』一九九七年十一月号)を読んで、張作霖爆殺事件がソ連の主犯であることを推断する
《河本大作説は、一九二八年から執拗に捏造が連続的に繰り返されたものと考えるしかない。その理由は、まずは、二本の偽情報宣伝工作の論考が世に出たからである。第一が、上記で論及した『文藝春秋』誌の偽書「手記」。第二のが、“中共の対日工作員”劉傑が雑誌『This Is 読売』に掲載した論文。

私が、張作霖爆殺事件は、①ソ連の単独犯行か、②関東軍が身代わりを事前に了解した「ソ連主犯/関東軍共犯の共同テロ」か、のいずれかではないかと推断するに至ったのは、一九九七年のこの劉傑論文を読んだ時であった。それから九年後の二〇〇六年、上記『正論』誌でのプロホロフへのインタヴュー記事は、実証は不十分すぎるが、①②共通の“ソ連犯行”については確信させるに充分なものだった。》
「“悪の月刊誌”『文藝春秋』の歴史改竄キャンペーン ──「戦後70周年」に便乗する反日勢力の嘘歴史狂騒録Ⅰ」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/01/104405
 
○       新しい歴史教科書をつくる会の西尾幹二から、つくる会と教科書問題関与の真意を直接聞く
  《歴史破壊の衝動に生きる西尾幹二は、歴史に関心がない。一九九七年の「新しい歴史教科書をつくる会」の立ち上げの時、本人が私(中川八洋)に明瞭な言葉で傲然と語ったことだが、「教科書の偏向是正が目的ではない。自分の定年後の評論活動の新しいテーマとして選んだ。僕は何かをいつも書いていないと落ち着かない」であった。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626
 
▽  新しい歴史教科書をつくる会の西尾幹二から、歴史事実に対する考えなどを直接聞く
《西尾幹二は、中学校教科書を「反米」「親米」というイデオロギーを物差しに書くべきで、歴史事実に依拠すべきでないと主張する。実際に、私は、西尾幹二から、一九九七~二〇〇〇年、「中学校歴史教科書において歴史事実などこだわるべきではない」「間違いや作為が多いからといって、どうしていけないのだ」と、歴史事実を絶対的に尊重すべきとする私を、狂犬が噛み付かんばかりの顔で、難詰した。「間違い」とは「嘘」、「作為」とは「創り話」「改竄」のことだと注意しても、歯を剥いて睨めつけるのが常だった。軽度の精神異常者でないのは明らか。》
  「”歴史の偽造屋”・西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?」

《ニーチェの精神分裂病の症状は、生まれながらの精神分裂病に加えて、脳梅毒による外因性精神病(症状は精神分裂病と酷似)を発症したことにおいて、“ダブル精神分裂症”といえる。ニーチェは数学や物理学が全く理解できなかった。この特性は西尾幹二も同じで、いつも零点だったと本人がかつて私に語ったことがある。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」

○        西尾幹二より洋書(Bennett著『The Book of Virtues』)の購入を依頼され、代行
《なお一九九七年頃、西尾幹二に依頼され購入してあげた洋書の代金を、西尾は二十年近く経つが未だに払おうとはしない。西尾の・略奪・は、日常習慣と化している。この洋書は、Bennett著『The Book of Virtues』。》
「「戦争史観の転換」という名の新「スターリン史観」──・歴史の偽造屋・西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅢ)」

○    テレビ東京「渡部昇一の新世紀歓談」にゲスト出演、「道徳教育の重要性」について語る、製作・テレビ東京・河出映像センター
http://www.youtube.com/watch?v=pZ8X1NlwnXE&feature=related※著作権侵害により削除
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=kHXAky4bMpQ ※著作権侵害により削除
http://www.pideo.net/video/dailymotion/37e58bfeee40377f/
 
○ 第16期中央教育審議会(中教審)の第二次答申で日本型AO入試が提言される
《〔『2014年中教審答申』において-引用者注〕 【人が人を選ぶ】は、現実にどういうことを惹起せしめるのか。主要な国立大学では、優秀な本物の大学教授は自分の研究と子弟の教育で手いっぱいである。入試作業に進んで手を挙げる教授や准教授は、決まって、学問業績もない研究能力・意欲もない最低の劣等教官たちである。また、政治活動/学内政治ばかりに熱心な共産党系教官や北朝鮮人系教官がほとんどである。  
 つまり、【人が人を選ぶ】の、前者の「人」とは、“学問業績もない研究能力・意欲もない最低の劣等教官か、政治活動/学内政治ばかりに熱心な共産党系教官や北朝鮮人系教官”のことを指す。文部省は、国立大学のこの実情・実態を十分に熟知している。
 だから、国立大学を完全な共産党支配にすべく、入学する大学生をことごとく共産党員の子弟もしくは党活動家だけにできると判断して、【人が人を選ぶ】入試制度を導入するのである。ありていに言えば、“共産党の学生組織”SEALDsの高校生活動家をすべて東大に合格入学できるようにするのが文部省の狙い。噓だというのであれば、現実の例をあげよう。私が筑波大学に在勤中、OA入学者はほぼ全員、共産党員の子弟か、もしくは高校生共産党活動家であった。》
「文部省の大学入試改悪は、大学劣化/日本人劣化を目的の“日本衰退”化革命──北朝鮮人文部官僚(寺脇研)の“ゆとり教育”を容認した“自民党の暗愚”は繰り返されている」をアップ
 
○ 外交官・丹波実の対ロ変節に憤る
《丹波実は、レーガン大統領の対ソ巻き返し時代の1980年代初頭、私の対ロ外交の根本「《➀日本が軍事力増強して拳をロシアに振り上げる、②対ロ無交渉に徹する、➂ロシア軍の撤兵と同時に陸上自衛隊が平和的に進駐する》が、無条件四島一括返還の日露間の最終合意になる」を聞いて、「僕は君の意見を過激だと思わない。ロシア民族/ロシア対外行動を知り尽くした見解だし、樺太でのソ連軍の暴虐を経験した僕は、納得以上のものを感じて同感だ」と語った。だが、1997年、丹波は駐ロ大使になりたくて鈴木宗男に胡麻をすり対ロ屈伏一辺倒になった。丹波実に抗議しようと某退官外交官に仲介を頼んだら、「丹波実の心底の信条は、確かに中川教授に近い。が、丹波は、自分の信条より出世第一主義の男だから、会っても無駄だよ」と止められた。》
「日ロ長門会談を中止せよ、「八項目経済協力」を撤回せよ、「ビザなし交流」を全廃せよ──安倍晋三は、愛国心を取り戻す時」
〔引用者注〕鈴木宗男/佐藤優が丹波実を批判しているのは、対ロ路線の違いからしても当然といえる。
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1998・平成10年  53歳
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01月    英国ベーコンズフィールドで、エドマンド・バークの墓を発見
《だが、没後二百年の翌一九九八年の年頭、墓碑はつくられなくとも何らかのマークぐらいはつけられたはずだと推定し、私はふと思いたちベコンズフィールドを訪れた。教会の庭から探索を開始し次に建物内の床をくまなく捜しまわった。三日目の朝、先述の銘碑から数メートルのところの床の、小さなタイル三枚がはがされ、EDMVND・BVRKEと彫ったパネルが貼られているのを発見した(ラテン語表記のためUはV)。このバークの名が刻まれた小さなパネル板の前にかなり長時間たたずんで、私は日本が「保守主義の哲学」に覚醒することをひたすら祈った。》『正統の憲法 バークの哲学』285、産経新聞199911/08

03月        筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第26号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

05月     徳間書店編集部の松崎之貞より、谷沢永一・関西大学教授と対談の打診あり
《さて、本書『「名著」の解読学』が誕生する経緯などについて少し触れておきたいと思います。
徳間書店の松崎之貞氏から「谷沢永一先生と『名著』を読み解く対談をしてみませんか」という打診が薫風かおる五月ごろにあり、近代日本文学の書誌学の大家である谷沢先生に対して浅学で若輩にすぎない私では余りにも釣合いがとれず非礼になりますといったんは固辞したのですが、谷沢先生から「名著」を「解読」する機会を与えられたそれだけでも身に余る光栄であり名誉なことであり、あくまでも師に教えを乞う未熟な一学徒の立場としてこの企画を快諾することに致しました。谷沢先生に対してここに心からの御礼を厚く申しあげるとともに深甚の感謝の意を表する次第です。》『「名著」の解読学』3

09月05日(土)13時半(12時半開場)- 17時、東京国際フォーラム(有楽町旧都庁跡地) で「秋野豊氏を偲ぶ会」900名以上の人が集まり開かれる
《スラブ・ユーラシアを専門領域とする国際政治学者、秋野豊・前筑波大学助教授が1998年 7月20日、タジキスタン共和国において逝去されました。享年48歳。
秋野氏は今年4月以来、外務省から国連タジキスタン監視団(UNMOT)に政務官として派遣され、PKO活動に従事しておられましたが、搭乗する国連車が首都ドウシャンベ東方の山岳地帯を走行中、身元不詳の武装集団による待ち伏せを受け、秋野 氏は同乗のシェフチク少佐(ポーランド)とシャルペジ少佐(ウルグアイ)の両軍事監視員、タジク人のマフラモフ通訳兼運転手とともに射殺されました。(中略)
秋野氏の遺骸は7月25日に札幌の御実家に到着し、御遺族の意向により翌26日に内輪で密葬がとりおこなわれました。その後、8月6日には札幌で、また9月5日には東京において、「秋野豊氏を偲ぶ会」が多くの参会者を集めておこなわれました。》https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/akino/akino.html

《私はかつて、二人のアナーキストと付き合ったことがある。一人は部落解放運動家の竹中労であり、もう一人はタジキスタンで反政府ゲリラが銃殺刑にした秋野豊である。
(中略)
秋野豊の死は、背後の組織もこれあって、あれほどの報道となり、あのすごい葬儀となった(一九九八年九月五日)。が、二つのことが隠蔽された。第一の情報操作は、秋野は目隠しされ後ろ手を縛られ五十メートルの崖の端に立たされ、秋のであるその理由において、三人のゲリラがカラシニコフAK47銃を一斉射撃した銃殺刑の形式で射殺され、そのあと谷底に落とされた。しかし、この銃殺刑であることについて、全く報道されなかった。ゲリラは秋野を復讐として殺したのである。秋野は、国連職員にあるまじき国際法規違反をかなりしていたようである。》20050925『福田和也と《魔の思想》』1-2

○         与謝野晶子研究をほぼ終了す
《本書第1部の晶子研究は一九九八年にはほぼ終了していたものですが、(以下略)》『與謝野晶子に学ぶ』197

12月       林健太郎と対談、オフレコで“正しい丸山眞男論”の執筆を督促される
《共産党は、極めてトランスナショナルな(国境を超えた)、カルト宗教団体のシステムで構築されている。その党員や隠れ党員そしてシンパは、マルクス・レーニン主義の・信者・というべきがより適切で、その方が実態と一致している。なお、日本共産党の場合、隠れ党員の方が九割と大多数である。
ところが、共産主義に関して、顕著に常識を欠くのか、日本人の多くは、党員であるか否かが共産主義者であるか否かの指標だと短絡している。また、思想的「転向」が簡単にできるという錯覚をしている。「転向」は、稀にしかなく、通常ではありえない。これが原則的事実である。この原則を明らかにすべく、かつて私は、二人の「転向知識人」に、直接、確認した。実質的な共産党員であった清水幾太郎と林健太郎の二氏である。
林健太郎に対しては、「転向に、一九四五年から一九六〇年まで、十五年間もの歳月を要したのはなぜか」と質問した。「その通りです。十五年間かかりました」と回答があった(一九九八年十二月)。本当の「転向」には、これほどの歳月がかかるのである。》20070628『亡国の「東アジア共同体」』p.263-264

《ともあれ、丸山眞男の日本共産革命の思想の危険性を、丸山が死去した一九九六年当時、後世に遺してはならないと憂慮した知識人は、私のほかは林健太郎(東大文学部長、東大総長、参議院議員)しかいなかった。華麗な文章で人たらしに長けた丸山眞男の危険な赤色共産革命思想から、日本を守るべく、林健太郎は私に『正しい丸山真男論』を緊急に出版するよう激励した。一九九八年であった。
一九九九年三月号となったが、『諸君』誌での林健太郎氏との対談(注2、対談時期は一九九八年十二月)は、私に「いつまで愚図愚図しているのか。早く丸山眞男論の本を出せ!」との催促であった。以来十五年が経った。私は林健太郎の遺言を未だ履行していない。忸怩たる思いが頭をよぎる。》
「丸山眞男の真赤な虚像を捏造する朝日新聞 ──朝日新聞の廃絶と丸山真男排撃は、日本の存続の絶対条件(Ⅰ)」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/10/26/101608

《林健太郎先生と私の対談の時、お互い苦笑しながら議論しなかったテーマがあった。丸山眞男が吸引した赤い毒薬は、フランクフルト学派(備考)の方が量が多いか、ルカーチ/マンハイムの方が量が多いか、丸山が吸飲した二種類の毒物の混合比についてである。
こんなテーマは、林健太郎先生や私のように、丸山眞男城を焼きうちして跡形もなく一掃せんとして丸山研究をしてきた/しているものには重要であっても、論壇誌『諸君!』の読者にとってはマイナーに過ぎどうでもいい瑣末な問題だと嫌悪されるかも知れないとふと思い直したからである。
林健太郎先生との対談で、この議論があった場合のその端緒として私が用意していたのは、彼が書いた次の丸山眞男解剖所見だった。
(中略) このマルクーゼとは真逆の丸山の立ち位置が、実にマンハイムのそれと同じなのが、丸山革命学の核心だろう。この点がまた、丸山革命学は、大雑把すぎるのを許してもらえば、「ルカーチ/マンハイム七割、フランクフルト学派三割」の混合比ではないか、と私が考えた切っ掛けとなった。そこでせっかくの機会とばかり、「林健太郎先生は、丸山のこの混合比をいくらだと考えているか?」とちょっと聞いてみたかった。が結局、聞かなかった。
丸山の毒物、今風に言えば脱法ドラッグだが、その混合比問題はもう一つある。丸山共産革命学というシチュー鍋でぐつぐつ煮え立つ、主たる毒物のルカーチとマンハイムのうち、どちらが量が多いのだろうかにも、私は気になっていた。この方は、林健太郎先生に、「丸山眞男が自分の共産革命学を形成していくに影響を与えた極左思想家は誰々か?」ではなく、「完成された丸山共産革命学は、結局、誰に最も近似したものとなったと考えますか」と尋ねた。
「君はどう分析しましたか」と返されたので、すぐさま「丸山眞男=カール・マンハイム」と答えた。林先生も「僕もそんな感じがしてたよ」と即答された。百%ではないが八十%は同意する、とのニュアンスだった。続いて直ぐ、「<丸山眞男=カール・マンハイム>を少し解説してくれませんか」と私に促した。以下は、この対談で喋った内容を翌日に記録したメモに基づく。この部分は『諸君』誌は紙幅不足でばっさり切った。》
「丸山眞男排撃&絶滅は、日本を守る思想内戦(Ⅲ)」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/04/082524

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1999・平成11年  54歳
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03月    筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第27号)の編集委員に名を連ねる(該誌)
 
07月 『日本政治文化研究所研究紀要』第175号に「領域侵犯─自衛隊法全面改正の法理」を掲載
《 グレーゾーン法制とこれに関連する法整備が安保・平和法制でもほとんど等閑視されてしまった背景には、防衛法制に対する理解不足・無関心と、またこれを議論すること自体を批判し、揶揄する雰囲気があると思われます。昭和53年に「いざとなったら超法規」ということを戒め、有事法制整備の必要性を訴えて金丸信防衛庁長官に解任された栗栖弘臣統合幕僚会議議長(故人)の時代と本質的にはあまり変わっていないのかもしれません。
  この問題につき中川八洋・筑波大名誉教授は「領域侵犯」と題する論文(平成11年・日本政治文化研究所研究紀要)で精緻な論考の中にもほとんど罵倒に近い言葉で政府の姿勢を論難しておられますが、久々にこれを読み返してみて、教授独特の過激な表現はともかくとしてそのお気持ちがわからないでもありません。
  中国船の尖閣海域における行動、北朝鮮の潜水艦発射型ミサイルの発射など、不穏な情勢が常態化・顕在化しつつあります。「ああ、またか」と日本国民の反応が鈍くなってしまうことが一番恐ろしいことであり、更なる努力の必要性を痛感している昨今です。》
石破茂(いしば しげる)オフィシャルブログ 2016年8月26日記事「シン・ゴジラなど」
 
08月25日 長崎県諫早市で長崎県町村議長会主催による研修会で「衰退する日本─国家再生の道を探る─」と題して講演、県内の村町議約五百人が出席(19990828『毎日新聞』西部朝刊、20000331『週刊朝日』105(14)4374)

08月31日 伊藤一長・長崎市長と野口原次郎・市議会議長、長崎県町村議長会の研修会発言に対する質問書を郵送(19990901『毎日新聞』西部朝刊)

09月        長崎市長らからの質問書受け取りを拒否(19990923『毎日新聞』地方版/長崎)

09月29日 「中川発言に怒る女たちの連絡会」の呼びかけに応じた女性団体や女性議員ら 講演会を主催した県町村議長会に抗議し、謝罪などを求める申し入れ書を提出(19990930『毎日新聞』地方版/長崎)

11月17日 国際総合学類教員会議 長崎市の女性団体から学類に出された抗議の手紙を根拠に8.25長崎発言がセクシュアル・ハラスメントにあたる行為とする「非難決議」が賛成十四、反対一、棄権一で採択さる(20000208『筑波学生新聞』号外、20000210『毎日新聞』地方版/茨城、20000331『週刊朝日』105(14)4374)

11月18日 第二一回構造改革研究会で「国家再生と伝統・慣習・家族」と題し講演(『不況・不安時代に「正論」を語る PART2』66)

11月27日 国際総合学類の一・二年生全員に中川教授を中傷する匿名電子メール発信さる(20000110『筑波学生新聞』161)

11月 西尾幹二に直接、留学歴を糾すも秘匿し続ける
《私は、1999年11月、西尾幹二に直接、「どこの大学か」「ドイツ南部であるのは推定していたから、ミュンヘン大学か、ボン大学か、ケルン大学か」と尋ねたことがある。だが、西尾は、冷の日本酒(「八海山」)を飲むばかりで、一言も答えなかった。》
「西尾幹二は、学歴詐称の“犯罪評論家” ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(28)」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/05/24/115812
 
▽        西尾幹二より、天皇への尊信がないことを吐露される
《西尾幹二は、かつて一九九八年頃だったか、私(中川八洋)に直接こう言い放った。「僕は、天皇制がどうなろうと、まったく関心ないよ」。続いて、「天皇制廃止の動きに対抗して、それを全力で粉砕しようとする(中川さんのような)考えはさっぱり理解できない」と付け加えた。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅲ)──“天皇制廃止の畸形バイブル”西尾著『皇太子さまへの御忠言』」
 
12月13日 国際総合学類全員に、一度目のメールで中川教授を中傷したことを謝罪する文面をふくむ匿名電子メールが発信さる(20000110『筑波学生新聞』161)

12月15日 筑波大学で教員会議開催(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

12月        谷村秀彦・第三学類長および第三学群教員会議あてに、綾部裕子教授の分限処分を求める申立書を提出(20010110『筑波学生新聞』170)

12月        谷村秀彦・第三学類長および第三学群教員会議あてに文書「クラインシュミット助教授(当時)の再任手続について」を提出(20010110『筑波学生新聞』170)
    
12月24日 中川教授に対する非難決議を無効にしなかったのは職務放棄であるとして、五百五万円の損害賠償と綾部裕子教授の分限処分を含む謝罪文の配布を求める民事訴訟を水戸地裁土浦支部に提訴(20000208『筑波学生新聞』号外)

○         ジェンダー・フリー運動の実態をつぶさに知る
《ジェンダー・フリーというこんな空恐ろしい革命方法が実践されていることに気が付いたのは、私も一九九九年でした。ご承知のようにソ連が一九九一年末に崩壊した結果、日本の多くの知識人はこれで共産主義は敗退したと考えました。しかし私は、このとき、日本の共産主義者たちは彼らの祖国である「ソ連の崩壊」の報復として、必ず「日本の崩壊」をさせるべく革命運動を展開するはずだと思いました。マルクス・レーニン主義を表看板にした暴力革命は不可能になった代わりに、共産主義者は別の方法で必ず日本の解体をめざすはずだと主張してきました。今日の日本社会で起こっているジェンダー・フリーによる性別秩序の解体という事態とは、まさしくこの「暴力革命」を代替する「別の手段」の一つなのです。
   つまり、ソ連邦の崩壊によって追い詰められた共産主義者たちが新たに活路を見出した運動が、いわゆる女・子供を標的とし、またそれを手段とする運動だったのです。》(以下略、20030505『これがジェンダー・フリーの正体だ』3~4頁)

○         西尾幹二、反米をむき出しにする
《 西尾は、日頃から、米英仏の資本主義(市場経済)国との財・サービスの貿易関係においては、日本は代価を払うべきでなく、これら米英仏は日本にすべて無料で渡すべきである(=日本は米英仏から略奪すべきである)と主張する。一九九〇年代末、西尾幹二は私に、歯を剥いた狂犬病の凶暴な犬そのものに、「米国は、一九三〇年代、日本に最新の石油掘削リグを<タダで売る>ベきだった」と大声で怒鳴ったことがある(一九九九年)。
しかも私が、「ハイテクを<タダでもらう>など非常識の極み。強奪と同じだし、相手は応じないから、結果は手に入らない」と嗜めると、「米国は日本から輸入した商品に代価を払うべきだが、日本は米国から輸入したすべての商品に代価を支払う必要なんてない!」「米国は、日本が欲しいものを何でも渡せばよいのだ!」と喚いた。西尾幹二が、完全な精神異常者だと確信したのはこの時だった。 》
「戦争史観の転換」という名の新「スターリン史観」──・歴史の偽造屋・西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅢ)」

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2000・平成12年  55歳
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01月25日 国際総合学類長・綾部裕子教授と匿名電子メール発信者を刑事告訴す(20000208『筑波大学学生新聞』号外)

01月        谷村秀彦・第三学群長(国際総合学類が所属)に対して、五百五万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

○            谷村秀彦・第三学群長らを名誉棄損の罪で水戸地検に告訴(20000210『毎日新聞』地方版/茨城)
○            綾部国際総合学類長を民事提訴(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

02月09日 谷村秀彦・第三学群長に対し505万円の損害賠償と謝罪を求めた民事訴訟の第一回口頭弁論が水戸地裁土浦支部(日野忠裁判官)で開廷(20000210『毎日新聞』地方版/茨城、20000410『筑波学生新聞』新入生歓迎号)

02月18日 「綾部・谷村両教授を支援する会」が自然学類長・佐々木建昭教授らを中心に結成、三月二三日までに筑波大学教職員130名が加盟、ほかにも自称市民団体による「中川発言に怒る女達の連絡会」「中川発言を許さない茨城の会」などが結成(20000331『週刊朝日』105(14)4374、20000410『筑波学生新聞』新入生歓迎号)

▽ 03月  週刊朝日・太田啓之からの取材申込に質問表の事前通告を要求、八項目の質問に対して配達証明付郵便で回答謝絶文を返信
  《「太田様 此の度は太田様からの『質問表』につき拝読させて頂きました。率直に申し上げますことを御海容頂きたくまずもって御願い致します。さて、太田様が私に対する中傷誹謗をまさか企図されているとは決して信じてはおりませんが、この『質問表』は余りにも公正さを欠き事実の歪曲や転倒あるいは偽情報その他の諸問題が多々あるように見受けられますと申し上げねばならないことを大変遺憾に存じます。
   回答につきましては、上記の事由によりそうならないものと信じておりますが太田様の記事に対する今後の対応のなかでさせて頂くことがあるかも知れませんので、今の所はさし控えさせて頂きますこと、何分とも御了解のほどよろしく御願い致します。草々
  中川 拝》(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第28号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

05月25日 谷村秀彦・第三学群長に対する民事裁判の第二回口頭弁論が水戸地裁土浦支部で開廷、中川教授側の弁護士出廷せず裁判休止宣言さる(20000510『筑波学生新聞』164)

06月        国際総合学類長・綾部裕子教授に対する請求棄却(20010110『筑波学生新聞』170)

06月20日 国際総合学類教員会議(中川教授欠席)開催、「中川教授が教員会議の運営に影響を及ぼさないように、教員会議、人事懇談会、その他の学類運営に関する委員会への出席を一年間停止する」決議採択(199909『筑波大学新聞』、20001110『筑波学生新聞』168)

○            谷村秀彦・第三学群長らを名誉棄損の罪で水戸地検に告訴(20000210『毎日新聞』地方版/茨城)

○            綾部国際総合学類長を民事提訴(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

09月08日付『朝日新聞』夕刊に海自三佐機密漏洩事件についてのコメントが掲載さる(該紙)

11月07日 綾部裕子・国際総合学類長と同学類クライン・シュミット教授が中川教授に対して名誉毀損の民事裁判を提起、それぞれ約六百万円の尊倍賠償請求と謝罪文提出を要求(20010110『筑波学生新聞』170)

○      民事訴訟の第一回口頭弁論が東京地裁で開廷(20010110『筑波学生新聞』170)

○         「新しい教科書をつくる会」西尾幹二より、教科書採択に関心がないことを聞く
《西尾はまた、二〇〇〇年、私にこう語った。「(自分が作った教科書について)採択など僕はまったく関心はないよ!」と。西尾がつくった扶桑社版教科書が、五万冊ではなく、たった五二一冊(〇・〇三九%、二〇〇一年九月文部省発表)しか採択されなかった。教科書づくりにおける大敗北、しかし西尾はしらっとして落ち込まなかった。採択などどうでもいいという、西尾の真意・深層意向とは矛盾していなかったからだ。》「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-6.html※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

○           谷沢永一にルソー『人間不平等起源論』の精読を依頼する
《「ルソー=偉大な哲学者/教育学の先駆者」という"毒ある逆さ神話"に呪縛された日本人を覚醒すべく、一人から始めようと、一九九〇年代の末、谷沢永一氏に『人間不平等起源論』を精読して欲しいと依頼したところ快く引き受けていただき、自著『妄想の人権 平等』(二〇〇一年、注4)に読後感を書いてくれた。しかし、日本で正しい客観的なルソー論は、それ以上広まることはなかった。》「
歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚“ 」

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2001・平成13年  56歳
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03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第29号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

秋             韓国・京畿道南楊州市金谷洞の御陵「英園」およびソウル市内の宗廟に参詣
《ソウルから東に約100キロの金谷洞にある御陵「英園」に、「最後の皇太子」李●〔土+艮〕殿下が眠られている。私は、墓参りする度に、韓国に王制を再興できないものかと語りかけている。》(200704『力の意志』85)

《韓国のソウルから二十四㌔ほど東、京畿道南楊州市金谷洞に御陵「英園」がある。ここに最後の皇太子・李垠殿下が埋葬されて眠られておられる。私は、二〇〇一年の秋、『歴史を偽造する韓国』の出版(二〇〇二年四月刊)を控えて、垠殿下の墓参だけを目的に韓国を訪れた。
  線香ほか仏式の祭具一揃いは持参していたし、菊の花はホテルで買った。墓を訪れる朝鮮の観光客は全くおらず、静寂な空間の中でたった一人、私は一時間ほど数珠を片手に墓前にて正座して手を合わせた。むろん、この後、隣に眠られておられる(梨本宮女王で世界最高の女性)方子(まさこ)妃殿下の墓にも詣でた。
  その後、永寧殿第十六室に垠殿下を祀るソウル市内の宗廟にも、「英園」から車で直行してお参りした。朝鮮式の礼法を知らないし、神道形式でするのも変だから、ただ跪いて手をつき数回叩頭した。私の背中側では、朝鮮人の観光客数名が不思議そうな顔をして立ち止まって見ていた。
・・・・・・
私が垠殿下の墓参りをした理由は、二つ。第一は、一九一〇年の韓国併合で李朝の王制を廃した日本の罪を詫びるため。第二は、一九二六年に最後の国王・純宗(李垢)が崩御された時、韓国併合を終了し韓国を独立させ、ソウルにて垠皇太子の盛大な即位の大礼を挙行すべきであったのにそれをしなかった日本の罪を詫びるためである。》
「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/14/142218
 
12月20日 中央公論新社より『正統の憲法 バークの哲学』刊(奥付)
《多くの読者にとって既知だが、私は、日本でたった一人の米国建国の精神・イデオロギーの研究者である。アレクザンダー・ハミルトンの政治思想の研究は、日本では私をもって嚆矢とする。拙著『保守主義の哲学』の第2章や『正統の憲法 バークの哲学』に、その概要がまとめられている(注3)。
 また、私にとって、ハミルトンはバークともに、日本国に導入したい最高の保守主義思想である。『ハミルトン哲学』を上梓するため史跡の写真撮影も兼ね、ウォール街の向かいにあるトリニティ教会に眠るハミルトンの墓参りをし、同教会が保管する副大統領アーロン・バーとの決闘(これにてハミルトンは死亡。享年49歳)で使われた短銃に涙した。だが、私もいつしか古希を過ぎ、米国のいかなる学者よりも精通していると自負してきた『ハミルトン哲学』を纏める事を断念せざるを言えない。私に続くハミルトン研究者に後事を託したいが、極左人士しかいない東大法学部ほか日本の大学では望みは薄い。上記拙著に呼応して『ハミルトン伝記』が邦訳出版されたのが(注4)、唯一の慰めとなった。》
「トランプ大統領と日本の《国防第一(ストロング・ジャパン)》への大転換が、太平洋の平和に貢献する──安倍晋三よ、軽空母4隻と原潜4隻を直ちに米国に発注せよ。これが真の日米同盟の絆だ!」
 
12月       「女性天皇」論が組織的に大キャンペーンされ始める(『皇統断絶』269)

○          西尾幹二より『新しい歴史教科書』(扶桑社、2001年6月10日初版)を献本されて一読、「反人間」「反文明」のニーチェ同様の狂気の情念を看取す
《中学生用の西尾版『新しい歴史教科書』(扶桑社刊)を、二〇〇一年、西尾幹二から贈呈されて一読した時、その余りのひどさ、つまり洪水のような歴史事実の歪曲と改竄、そして共産党と変らぬ極左一色の立ち位置に、思わず絶句した。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

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2002・平成14年  57歳
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01月10日 『正統の憲法 バークの哲学』を中央公論新社<中公叢書>)より刊行。
《“正しい憲法思想入門”というべき『正統の憲法 バークの哲学』を2001年末に出版したのは、日本の大学で狂った憲法学の致死性ウィルスを伝染させられる前に、18歳になった学生が先に飲んでおく、殺菌力確かな抗生物質が必要だと考えたからであった。
そして、『正統の憲法 バークの哲学』の姉妹版『〈法の支配〉と立憲主義』を直ぐにも執筆することを予定していたが、皇位継承三部作『皇統断絶』『女性天皇は皇室廃絶』『悠仁天皇と皇室典範』の執筆に追われて、いつしか忘れてしまっていた。今般、“反・立憲主義”一色の、長谷部恭男のトンデモ“逆(エセ)憲法学”書を偶然に読む羽目になって、十五年前に『〈法の支配〉と立憲主義』を執筆計画していたことを思い出した。頑張って書くべきか否か、今、思案している。》
「“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の“逆・憲法学” ──警官の制服を着た強盗が「強盗を捕まえろ!」と大声で騒ぐに同じく、“反・立憲主義者”は、「立憲主義!」を連呼する」
〔引用者注〕『正統の憲法 バークの哲学』(中央公論新社<中公叢書>)は2001年12月20日初版印刷。
03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第30号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

04月30日 『歴史を偽造する韓国──韓国併合と搾取された日本』徳間書店より刊行(該書)http://amzn.to/1j530YD
 
《私がこの本を書いたのは、そういう国際政治学者としての疑問だけではないんです。私が子供の頃というのは、大人から、韓国の禿げ山は日本人が木を植えて全部緑にしたとか、韓国の学校はみんな日本が造ったんだとか、朝鮮に金を送るために内地では増税になって大変だったとか・・・・・・、そういった正しい常識がごくふつうの世話話として存在していました。
ところが、今は逆で、日本が韓国の木を全部切って禿げ山にしたとか、土地や田んぼを取り上げさんざん搾取したとか、差別・弾圧したとか、とんでもない話になっている。
これはやはり一人の日本国民として放ってはおけない。このようなウソはきちんと正した上で、歴史の真実というものを次の世代に伝えるのは国民としての、また大人としての義務だとも思いました。それがこの本を書いたもう一つの理由です。》(「巻頭インタビュー 歴史を偽造する韓国の歴史教科書」、200206『明日への選択』197)

05月13日 日本政治文化研究所の雑誌『明日への選択』編集部の求めによりインタビュー「歴史を偽造する韓国歴史教科書」を受ける(200206『明日への選択』197)

08月  櫻井よしこ『<真相箱>の呪縛を解く』(小学館文庫)刊、該書の寄贈を受ける
《2002年、『<真相箱>の呪縛を解く』という本が送られてきた。櫻井よしこ氏とは交流がまったく無いので、おそらく出版元の小学館からの贈呈であろう。1946年8月に刊行された活字版『真相箱』の再刊だが、一読して、江藤淳『閉された言語空間』(文庫版1994年、273~4頁)に触発された事は明らかで、「江藤淳が病原となった民族系カルト宗教が、いよいよ伝染力を発揮し始めたな」が、私の率直な印象だった。》
「昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228
09月09日 『絵解き ルソーの哲学』刊
《さて、本書出版のいきさつは、筑波大学の中川八洋教授に紹介されて一読し感嘆、すぐ出版しなくてはならないと決心したことに始まりました。ルソーを客観的に批判する良書をまず一冊だけでも世に送り先鞭をつけたいとかねてから考えていましたので、日本の中・高校生にも読める挿画に紙幅の過半を割くロビンソン氏の本書はまさしくその一冊だと直感したからです。
  中川教授はソ連邦の崩壊と同時に「逆転の発想」的に日本の共産化もしくは日本社会の溶解的自壊を予測し、直ちにバーク研究とルソー研究に取り組んだ稀有な学者ですが、本書の出版に際しても、解説を快く書いて下さいました。フランス革命勃発に際してのバークの熱情を彷彿とさせる内容の解説で、またロビンソン氏の論旨の延長上で、的確に補強してくれています。ここに深く御礼申し上げます。》渡部昇一「序文 私の「ルソー排撃宣言」」、デイブ・ロビンソン、オスカー・ザラット著、渡部昇一監訳『絵解き ルソーの哲学』9

《また、英国が米国に次ぎ健全な国だといえるが、それは、ルソー批判・糾弾の分厚い専門書が、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(一七九〇年)以来、数え切れないほど出版されている事実から即座に理解できよう。私と渡部昇一氏は、英国において出版されたルソー批判の無数の(多くは大著の)著作の中で、最も薄いブックレットを見つけ、翻訳出版した(注2)。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅲ)──“天皇制廃止の畸形バイブル”西尾著『皇太子さまへの御忠言』」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140715

引用者注:文中、「ルソー批判の無数の(多くは大著の)著作の中で、最も薄いブックレット」とは、デイブ・ロビンソン、オスカー・ザラット著、渡部昇一監訳『絵解き ルソーの哲学』のこと。

10月     日本人拉致被害者の帰国を見て『日本核武装の選択』の着想をえる
《本書は、私の核戦略三部作の三番目にあたる。前二作は、『核軍縮と平和―SDI時代の軍備管理と核兵器』(中公新書)と『現代核戦略論』(原書房)である。また本書は、二〇〇二年十月、北朝鮮に拉致された被害者の五名――蓮池夫妻、地村夫妻、曽我さん――の方々が羽田空港に到着してタラップを降りてくる光景をテレビでみた瞬間、執筆の決意と構想が浮かんだものである。すぐに執筆すべきが同胞の義務であったのに、二年も遅れてしまった。このことについて、多くの拉致被害者とその家族に深くお詫びしたい。》『日本核武装の選択』250


11月 ”ポスト・モダン建築家”磯崎新が「未来の廃墟」をコンセプトとした展示会「EXPOSE 二〇〇二」横浜展を見に行く。
《磯崎のモチーフ“廃墟”が端的に表現された作品として、「つくばセンタービル」に次ぐものは、一九六八年の「ミラノ・トリエンナーレ」で展示予定であった「エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)」であろう。それは、二〇〇二年に復元され、{EXPOSE 二〇〇二」として、大阪と横浜で展示された(二〇〇二年十一月~翌一月)。
私は、横浜のを見にいった。》『福田和也と《魔の思想》』42-43


12月25日 「日本李登輝友の会」設立発起人に名を連ねる。平成14年11月13日現在で425名、事務局所在地:〒173-0011 東京都板橋区双葉町7-10 台湾研究フォーラム気付(当時)
http://www.emaga.com/bn/?2002110077213470017534.3407 ※リンク切れ
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/977.html
 
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2003・平成15年  58歳
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03月     筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第31号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

▽               少子化社会対策基本法をはじめとする“共産革命三法”の洗脳から自民党国会議員を解き放つべく、奮闘する
《少子化社会対策基本法は、厚生省の共産党官僚が、自民党議員を回って、これで出生率がアップしますよと騙して制定したもので、その目的は出生率を低下させることと家族解体である。家族解体については、前文で公然とそう書いている。しかし、自民党国会議員は、法案を読むことはないし、読んでも全く理解できない。 
私事だが、かつてたった一人で、この厚生省官僚が洗脳して歩いた自民党国会議員を一人ひとり尋ねて洗浄してまわった。多勢に無勢で負けたというより、国会議員にとって内容ではなく、「官僚の方が学者より良心と専門学識がある」との先入観が固定していることをいやというほどに知らされた。霞ヶ関を制するものが、天下を制するは、真理であった。》
「経団連よ、“フェミニズム狂”安倍晋三と闘え! ──日本経済の発展には、赤い霞ヶ関官僚排除こそ最優先」

▽              バーク研究を本格的に開始する
《なお、本書の第三章と終章のバーク哲学の部分は、バーク研究に関して一年ほどしか時間が経っておらず、前著『正統の哲学 異端の思想』の第二章と第六章から一部転用している。》『保守主義の哲学』あとがき(平成十六年二月十一日)、p.389

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2004・平成16年  59歳
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03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第32号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

04月30日 徳間書店より『保守主義の哲学』刊(奥付)
《多くの読者にとって既知だが、私は、日本でたった一人の米国建国の精神・イデオロギーの研究者である。アレクザンダー・ハミルトンの政治思想の研究は、日本では私をもって嚆矢とする。拙著『保守主義の哲学』の第2章や『正統の憲法 バークの哲学』に、その概要がまとめられている(注3)。
 また、私にとって、ハミルトンはバークともに、日本国に導入したい最高の保守主義思想である。『ハミルトン哲学』を上梓するため史跡の写真撮影も兼ね、ウォール街の向かいにあるトリニティ教会に眠るハミルトンの墓参りをし、同教会が保管する副大統領アーロン・バーとの決闘(これにてハミルトンは死亡。享年49歳)で使われた短銃に涙した。だが、私もいつしか古希を過ぎ、米国のいかなる学者よりも精通していると自負してきた『ハミルトン哲学』を纏める事を断念せざるを言えない。私に続くハミルトン研究者に後事を託したいが、極左人士しかいない東大法学部ほか日本の大学では望みは薄い。上記拙著に呼応して『ハミルトン伝記』が邦訳出版されたのが(注4)、唯一の慰めとなった。》
「トランプ大統領と日本の《国防第一(ストロング・ジャパン)》への大転換が、太平洋の平和に貢献する──安倍晋三よ、軽空母4隻と原潜4隻を直ちに米国に発注せよ。これが真の日米同盟の絆だ!」
 
《この自国の溶解・崩壊を促す最凶イデオロギーと言えば、世界中、誰しもがルソーを挙げる。日本でも、私の拙著『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』二冊によってやっと、世界標準の常識である、諸悪の根源ルソーについて理解が広がった。そして、「ルソー→マルクス→レーニン/スターリン」という基幹“悪魔思想の系譜”についても、ようやく常識となった。
 特に、バークやアクトン卿のみならず、ベルジャーエフ/ミーゼス/ハイエク/レプケ/ポパー等を読む、私に刺激されて日本でやっと萌芽した保守主義の傾向を持つごく少数者が、ルソーとマルクスを“悪魔の思想”の元祖だと、(日本国の救済にはむろん余りに遅きに失し、また微力であり過ぎるが)この排除を考えるようになったことは、大正時代にルソーやデューイなどが猖獗して、その後は極左思想のみが支配する日本を正常化するメルクマールとなった。
「精神分裂病の狂気がさらに進む西尾幹二 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(35) 」
 
10月31日 徳間書店より『日本核武装の選択』刊(奥付)
《なお、1960年に核実験に成功し核保有国となったフランスが、この核武装に急いだ理由は、1956年にアイゼンハワーに裏切られた、米国の“核の傘extended deterrenceの信頼性credibility”の低さに愕然としたからだけではない。(米国に見捨てられないよう)米国との同盟関係をより緊密化するに核武装こそ接着剤的な効果があるとの理論(ボーフル将軍)に負うところも大きい。この後者の戦略理論を、私(中川八洋)は、「同盟国間の核カップリング効果nuclear-coupling effect」と名付けた。》
「“戦争の21世紀”を誘爆したオバマ大統領の広島訪問 ──「米国の核による平和」に矜持なきオバマは、“非・米”の野蛮人」
 
《どんな素人でも、もし日本核武装を真剣に興味をもつ日本人は、必ず日本のトップ専門家で当該分野の唯一の専門家である中川八洋の、そのかなりの数の著作や学術論文を集めて、まずはその精読から始める。例外は一人もいない。
 また、諸外国の政府機関で、日本の核武装の動向を調査するに際して、真っ先に中川八洋の著作が分析される。これが現実である。
(備考)例えば米国政府では、中川八洋の核兵器・核戦略理論・核軍備管理論等の各関連分野の論文・著作は、すべて国務省が翻訳し、国防総省・CIA等の米国の政府機関内に限って自由に閲覧に供されている、と聞く。》
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」

12月01日放送の日本文化チャンネル桜「渡部昇一の「大道無門」 #010」にゲスト出演
http://www.so-tv.jp/channel/title/channel_number_cd/00001/program_regist_no/00001030220070510-1178791505327※全映像視聴には要メンバー登録

12月        皇位継承学の概論となる著書の執筆を開始
《しかし、コミュニストの園部逸夫が、"天皇制二〇四五年廃絶学"ともいうべき、共産党の新しい天皇制廃止の公式理論を『皇室法概論』という名で出版した二〇〇二年四月、そのひどさに、その洗脳力の高さに、学なかばでも剣を抜く時と覚悟して『皇位継承学概論』の執筆を決意しました。ただ、本格的に開始したのは、二〇〇四年十一月〔原文のママ〕、奇しくも、この園部逸夫が座長代理を務める「皇室典範有識者会議」が設置された、その一ヶ月前でした。》『悠仁<天皇>と皇室典範』331

《「有識者会議」の名簿が発表になった二〇〇四年十二月に、その『報告書』は、完全に想定できましたので、この十二月に私は、初級入門書(『皇統断絶』)、中級解説書〔『女性天皇は皇室廃絶』〕、上級専門書〔『悠仁<天皇>と皇室典範』〕の三冊、計千枚の「皇位継承学」(仮称)を出版する計画を立て、すぐ執筆を開始しました。今はこの三作目に入っています。》『皇室消滅』143・144。〔〕は引用者による

《私の『皇位継承学概論』は、入門編(初級)、基礎編(中級)、専門編(上級)の、三部作構成にすることとして、それを順次、出版することにしました。合わせて一一〇〇枚程度を計画しました。
  約二年弱を経て、今般、初級のが『皇統断絶』(ビジネス社、二〇〇五年四月)、中級のが『女性天皇は皇統廃絶』(徳間書店、二〇〇六年二月)、上級のが本書の『悠仁<天皇>と皇室典範』(清流出版)として、一応の完結を見たわけです。これら三冊合計の分量は、ほぼこの計画どおりでした。》『悠仁<天皇>と皇室典範』332

《井上毅の2000年間にわたって連綿たる皇位継承の全ケースの研究と知見の全てを、現代にそのまま発掘したのが、中川八洋「皇位継承三部作」である。すなわち、中川八洋の『皇統断絶』『女性天皇は皇室廃絶』『悠仁天皇と皇室典範』とは、明治皇室典範を起草するに井上毅が頭の中に集積した“皇位継承の歴史情報”をタイムマシーン的に平成時代に精確無比に活字化したもの。私には明治皇室典範を起草した井上毅ほどの頭脳は無いが、その基盤となった知識に関しては全く同一/同量だから、この点では「井上毅=中川八洋」である。換言すれば、『皇統断絶』『女性天皇は皇室廃絶』『悠仁天皇と皇室典範』を真面目に読破した後に明治皇室典範を三読すれば、明治皇室典範の皇位継承“法”としての完全性に必ず驚愕するはず。》
「“生前ご譲位”は、皇位断絶への危険な一里塚 ──安倍・自民党は、天皇制廃止の民進党を立法から排除せよ」
 
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2005・平成17年  60歳
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03月 筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻の紀要『歴史人類』(第33号)の編集委員に名を連ねる、今号より発行者変更す(該誌)

03月20日 『与謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶』をグラフ社より刊
《「日本の失われた二十年;1992~2012年」の原因と理由はすべて、正常な政治の不在もしくは左翼革命勢力の政治占領によって生じたのである。つまり、二十年間の経済政策が間違っていたのではなく、まともな経済政策を考える余裕など“革命ごっこ”の日本の政局に存在しえなかったために生じたのである。  
 日本人が、もし真面目に「失われた二十年」について考察したいならば、最小限、二つの事柄をまず率先的に思索すべきである。
 第一は、政治(政界、国会議員)が二十年間も日本経済を疎かにした/疎遠であった事実から、霞が関官僚を含めた政治(政界、国会議員)は、日本経済を再生する知的・学的能力を完全に喪失したはずという当たり前の事柄を想起する事。そればかりか、“統制経済の残滓官庁”経産省と周辺にたむろするいかがわしい人物から経済政策を操られている(やたらに人気に焦る)安倍晋三に、「経済における、失われた二十年」を逆転する“知”など存在するはずもないこと。安倍晋三の逆立ち経済政策アベノミクスは、必然的に「新しい《失われた二十年》」をさらに強化し固定化するのが落ちだということ。
 第二は、1992年、世界中から狂気と軽蔑された「政治改革」を仮に日本が選択せず、まともな政策をしていたら、その後の日本はどうなったかを反省してこそ、「失われた二十年」の省察として真っ当なもの。常識と賢慮ある反省のため、1992年に“日本の狂気”「政治改革」を一掃し、代わりに国の政治アジェンダにしようとした「ポスト冷戦期の中川三策」を、比較のために紹介する。日本が1992年「中川三策」を選択していれば、「失われた二十年」が発生したか否かは、言うまでもないこと。
(中略)
 前者の「政治改革」「男女共同参画社会」の一掃については、俵孝太郎との共著『政治改革の非常識、常識』『与謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶』第二部等で、当時の私の闘いぶりが少しは今に残っている。が、後者については、「政治改革」「男女共同参画社会」「地方分権」が、私のエネルギーをそれらとの闘いに消耗させ、「中川1992年三策」をアッピールし本に纏める時間を私から奪い去ってしまい、書籍や論文にすらなっておらず、(以下、略)》
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
 
05月01日 徳間書店より『皇統断絶──女性天皇は、皇室の終焉』刊(該書)
《皇室の養子問題を知りたい読者には、拙著『皇統断絶―女性天皇は、皇室の終焉』の第三章を薦める(注7)。》
《7.「宮内庁共産党細胞+内閣府男女共同参画局(全員が共産党員)+内閣法制局共産党細胞」の三者連合は、1999年4月~2000年3月、非暴力での天皇制廃止革命のため、皇室典範改悪の秘策を練る会合を重ねていた。この政府部内における密かな赤色革命勉強会の中心人物が、共産党員の園部逸夫であった。首相権限で天皇制廃止を断行しようとした“純血朝鮮人”小泉純一郎が総理になった2001年4月、上記の三省庁・非公式勉強会の成果が化学反応を起こしヒドラとなった。2005年の『吉川弘之・有識者会議』こそは、このヒドラの一つで最後の仕上げを担当した。公然たる対国民洗脳キャンペーンが2001年12月に開始されたのも、小泉の指示による。原稿用紙1000枚を超える私の皇位継承三部作は、これに対抗すべく、このころ準備を開始した。第一部『皇統断絶』は、2005年4月下旬に店頭に並んだ。》
「“皇統断絶の妙薬”「養子論」を教宣する百地章の「犯意」 ──明治期の宮家皇族間の養子を除き、皇統史に養子の例はゼロ」

08月         清流出版・加登屋陽一、フリー編集者・松崎之貞と『福田和也と《魔の思想》』出版の打ち合わせ
《 僕は長年、稀代の論客として名高い中川八洋さんには注目していた。そんな折、かつて徳間書店の編集局長を務めていた松崎さんから、中川さんの単行本の企画提案があったのだ。渡りに船とはこのこととばかりにすぐにオーケーを出した。
松崎さんは中川さんの名著『正統の哲学 異端の思想――「人権」「平等」「民主」の禍毒』(徳間書店 1996年)を編集した方だ。今回、わが社から出す本のタイトルは、『福田和也と《魔の思想》――日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝』となる予定。当代随一の人気評論家・福田和也氏を、放蕩、虐殺(テロル)、祖国廃滅(ポスト・モダン)の「幻像の文藝」の「危険な思想家」として断じることで、いまわが国を覆っている文芸、思想の潮流を分析し、バッサリと斬る狙いだ。福田氏のほかにも、氏の友人や「師」の、建築家の磯崎新、作家の保田與重郎、哲学者の浅田彰などを俎上に乗せ、「文人・福田和也」の真像をより深く解剖している。
ここで中川さんの経歴を少し述べておこう。東京大学工学部航空学科宇宙工学コースを卒業し、大学院を修了され、そのあと一転してジャンルを変える。スタンフォード大学大学院で比較政治学を専攻、修士課程を修了し、科学技術庁を経て、1980年より筑波大学助教授、1987年より同大教授になられた。いわば理系から文系に移られたユニークな学者である。
そんな中川さんが満を持して世に問うのが今回の『福田和也と《魔の思想》――日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝』である。いつの間にか、日本のアカデミックな世界をはじめ、ジャーナリズムの第一線に立つ人々が多く依拠するポスト・モダン思想を日本で初めて総括、批判する書として長く記憶に留められ読みつがれる本だと思う。是非、お読みいただきたい。》 http://www.seiryupub.co.jp/blog/2005/08/
 
09月25日 清流出版より『福田和也と《魔の思想》』刊(奥付)、『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』に続く、その三部作として出版
《この自国の溶解・崩壊を促す最凶イデオロギーと言えば、世界中、誰しもがルソーを挙げる。日本でも、私の拙著『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』二冊によってやっと、世界標準の常識である、諸悪の根源ルソーについて理解が広がった。そして、「ルソー→マルクス→レーニン/スターリン」という基幹“悪魔思想の系譜”についても、ようやく常識となった。
 特に、バークやアクトン卿のみならず、ベルジャーエフ/ミーゼス/ハイエク/レプケ/ポパー等を読む、私に刺激されて日本でやっと萌芽した保守主義の傾向を持つごく少数者が、ルソーとマルクスを“悪魔の思想”の元祖だと、(日本国の救済にはむろん余りに遅きに失し、また微力であり過ぎるが)この排除を考えるようになったことは、大正時代にルソーやデューイなどが猖獗して、その後は極左思想のみが支配する日本を正常化するメルクマールとなった。
 だが、ルソー/マルクスに次ぐ、“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家は誰か、と問われて即座に「ニーチェ」だと回答できる者は、僅少しかいない保守主義の日本人のうちでも、まだ限りなくゼロに近い。「“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家」については、『正統の哲学 異端の思想』『保守主義の哲学』に続く、その三部作として出版した『福田和也と〈魔の思想〉』(注1)で、私は間接的にすでに指摘していた。
 『福田和也と〈魔の思想〉』は、フーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール等のポスト・モダンを、ドゥルーズ系の福田和也に焦点を当てて外科解剖的に批判的批評をしたものだが、フーコー/ドゥルーズ/デリダ/リオタール等のポスト・モダンの主源流である「ニーチェ思想の解剖」の附章については、纏める時間がなく収録できなかった。いいわけになるが、上掲の拙著では、従的な「ヘルダーリン→ハイデカー→フーコー等のポスト・モダン思想」の系譜を研究し言及したが、それに時間を食ってしまい、主的な「ニーチェ→フーコー等のポスト・モダン思想」(注2)の附章の方を割愛した。ともあれ、「ルソー/マルクスに次ぐ、“悪魔の思想”銅メダル保持の狂人思想家“とはニーチェ」という常識が日本で共有されていない現況は、日本国の存続にとって由々しい事態といえる。》
「精神分裂病の狂気がさらに進む西尾幹二 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(35) 」
 
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2006・平成18年  61歳
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02月08日 秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊報道
《紀子妃殿下のご懐妊報道(二〇〇六年二月八日)が、国中の慶祝の歓喜に包んだとき、私は、皇祖神が威をもって日本の国中をご加護され守っていると、かつて山上憶良が遣唐使となって発つ友に餞として贈った「好去好来の歌」にある「大和の国は 皇神の厳しき国 言霊の幸はふ国・・・・・・」(『万葉集』巻五)を思い出していた。皇神は、不可思議ではあるが本当に今も、日本を包んでいる。》(『女性天皇は皇室廃絶』3)

03月        筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻の紀要『歴史人類』(第34号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

11月10日 日本テレビ系バラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。 2時間スペシャル』にゲスト出演、日本の核武装がテーマ

○ 八木秀次から、氏の学問に対する”本音”を聞かされる
《「参議院議員になるためのステップとして教科書運動をやっている」とか「憲法学であれ何であれ、学問など権力にも名声に繋がらないからバカバカしく全然する気はありません」と、2006年に私に漏らした本心を正直にカミングアウトすべきだろう。》
「北朝鮮人化する“無学輩”八木秀次──日本を救ったポツダム宣言を貶める“新・国賊”」
 
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2007・平成19年  62歳
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01月19日 清流出版より『悠仁<天皇>と皇室典範』刊、本書により「中川皇位継承学三部作」が完結する
《『悠仁〈天皇〉と皇室典範』(二〇〇七年一月)は、主に井上毅が書いた『皇室典範義解』(一八八九年)を、一一八年の時を経て、二十一世紀日本が活用できるよう書き直したものです。『悠仁〈天皇〉と皇室典範』と『皇室典範義解』が、双子のようにそっくりなのは、当然です。
また、『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、『皇室法概論』を全面的に否定する視点で論が展開されています。園部逸夫(の名前で某組織)がこれに慌てて『悠仁〈天皇〉と皇室典範』への反論を緊急に出版しました。それが『皇室制度を考える』(中央公論新社、二〇〇七年九月)です。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』142

《民族系・男系派の論客、あるいは日本会議や神社本庁など民族系団体が不可解できわめて異様なのは、「有識者会議」がその『報告書』を出してすでに五年以上が経過したが、この『報告書』に対して反論(カウンター)する『逆・報告書』を書かないし、書こうともしないことである。
例えば、二〇〇六年秋、秋篠宮悠仁殿下がご誕生になられてはいたが、私は、必ず再燃する将来の天皇制廃止運動を予測し、その際の皇室典範改悪を阻止すべく、法哲学を含めた法律学での皇室典範論を出版した。『悠仁〈天皇〉と皇室典範』で、二〇〇七年一月である。園部逸夫の著『皇室法概論』を根底から否定しておく法理論を提示するためだった。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』185

(参考)
《民族系・男系派の論客の中で、中川教授のように、皇位継承に関する天皇制廃止勢力の新しいバイブル、(園部逸夫著『皇室法概論』を、正々堂々と真っ正面から純学問で批判したものは一人もいませんね。)》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』137

《「女系論」を排撃するには、保守主義の皇位継承学の専門家を養成すると同時に、「ジェンダー思想」を排撃・洗浄する理論の専門家の養成も不可欠です。しかし、保守系で皇位継承の理論家・学問化に取り組んでいるのは、私ひとりしかいません。
「ジェンダー」を排撃する、保守主義の現代思想の構築も、私ひとりがその途次にあって、私以外は誰もいません。「保守」が、崩壊・溶解(メルトダウン)しつつある日本の惨状は、もはや絶望そのものです。民族系に運動家や売文業的な評論家は少しいますが、保守主義的な憲法思想を専門とはしていません。日本での"保守の終焉"は、保守主義者が、私を除き、完全に枯渇し払底し絶滅した現状において、もはや不可逆の過程に入りました。》『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』178

《日本国は、天皇を奉戴し皇室への尊崇なしには滅びます。そして、皇統を護持せんとするならば、これからは中川教授の学説にしたがって、日本の国論が『中川皇位継承学三部作』と一致するほかありません。
不世出の法制官僚であった井上毅が遺した現・皇室典範の第一条/第九条/第十二条は、万が一にも触ってはなりません。これをわずかでもいじったら、その瞬間、皇統断絶/皇室消滅は不可避です。“「井上毅→中川八洋」皇室典範学”だけが、女性天皇の擁立/女性宮家の創設を旗に掲げた"反・天皇"革命の大津波に抗して、皇統を護持する唯一の理論的防波堤です。》『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』178-179。太文字は原文による。
《『皇室典範義解』は井上毅の作で、それをそっくり継承した、その二十一世紀版が『悠仁〈天皇〉と皇室典範』で中川八洋の作。すなわち、『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、『皇室典範義解』のクローンである。
井上と中川が、憲法思想における親子関係にあるのは、ルソー批判においてもはっきりしている。日本で最初のルソー批判者は井上毅で、戦後日本でのルソーの本格的批判者は中川である。そして、両名以外、(井上の股肱で明治憲法の起草に携わった金子堅太郎を除けば)日本でルソーを批判した知識人は不在である。》『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』264
引用者注:ルソーを批判したE・バークの著書を金子堅太郎が抄訳した『政治論略』は一八八一年の刊行でルソーの間接的批判、井上毅は一八八二年にルソーの直接批判する言辞をなした。ロェスレル『仏国革命論』は一八八四年。
なお、金子訳本に対して植木枝盛は反バークを展開(『勃爾咢ヲ殺す』一八八二年三月刊)、ロェスレルに対抗して中江兆民は『革命前フランス二世紀事』を出版した(一八八六年)。中江兆民は『民約論』(ルソー『社会契約論』の最終訳稿で抄訳)や『非開化論』(ルソー『学問・芸術論』の翻訳)を一八八三年に出版してルソーブームを招来した。
《男系男子の皇位と皇統とを堅持する方法は、ただ一つ。コークやバークの学説でもって極左革命に現代語版に増補再刊した、中川八洋の『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、"男系男子"という、皇位の伝統を堅持させる法思想を体系づけたことによって、極左の憲法学界に激震を与えて皇室典範改悪阻止の大きな防波堤となっている。この事実は、英米系保守主義のみが日本の皇統を死守することの証だろう。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』298・299

《反ルソー/反フランス革命のバーク保守主義そのものを思想背景にしていなければ、女性天皇/女性宮家を排撃する法理論『悠仁〈天皇〉と皇室典範』も完成してはいない。
女性天皇・女性宮家を排撃するに、またそのような考えを皇位・皇統問題に微塵も侵入させないためには、「男系!」「男系!」とただ喚いても、無力である。日本の古来から井上毅にいたる、皇位継承にかかわる二千年にわたる法制史──古代史ではない──に精通し、それをコークの『英国法提要』の法理論とバーク保守主義の哲学理論で武装しない限り、ルソーを淵源とする「男女共同参画」という天皇制廃止/皇室解体の大津波に対抗することは、万が一にも不可能である。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』267-268

《憲法第一条の「国民の総意」に関して、左翼憲法学者の説に抗して、皇室典範は法律でなく“法”であるから、国会において多数決の対象にはならないことを、拙著『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、コークの「法の支配」を基軸に詳述した。憲法学に対しては憲法学で対抗するのが、極左革命勢力との戦いの王道であり常識である。特に、天皇制度の擁護と護持にかかわるすべての智慧と理論は、コークとバークが大成しているから、コークとバークの助けを求めないとすれば、わが日本国の皇室を守り抜くことはできない。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』308

《そもそも西尾幹二は、奥平康弘のような人権思想を排除したいなど、かつて一度として考えたことはない。もし考えたとしたら、天皇制廃止に誘導する奥平康弘らの共産党系の理論を完膚なきまでに学術的に論破している中川八洋「皇位継承学三部作+2」を読め、と主張しているはずだからだ。西尾幹二は、かつて一度として、中川八洋「皇位継承学三部作+2」を読めと主張したことはない。中川八洋「皇位継承学三部作+2」に言及したことすらない。しかも、中川八洋「皇位継承学三部作+2」は、皇位継承すなわち悠久の皇室を考えるならば、北畠親房『神皇正統記』と井上毅(伊藤博文名)『皇室典範義解』と並んで、日本史上の必読三大書の一つである。》※太字は原文のママ。なお「+2」とは『皇室消滅』(渡部昇一氏との対談)および『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』の二冊のこと。
「不敬罪四ヶ条の復活を急がねば、皇室の安泰は赤信号 ──“皇室讒謗の狂犬”西尾幹二を起訴し、懲役三年の実刑を科せ!」
 
《狂信的マルキスト堺屋太一の「首都移転!は、“皇居潰し”を主眼とする天皇制廃止革命の一つ」だが、この重大問題で堺屋糾弾をして呉れたのは谷沢永一だけだった。私の「皇位継承学三部作」を称讃しその完成を祝ってくれたのも谷沢永一だけだった。》
「“皇統断絶の妙薬”「養子論」を教宣する百地章の「犯意」 ──明治期の宮家皇族間の養子を除き、皇統史に養子の例はゼロ」
 
01月        仮題『新・東京裁判論』を執筆開始、2008年秋脱稿(のちに『昭和天皇と靖国神社』として有料ブログにアップ)
《本書は、二〇〇七年一月、のち『山本五十六の大罪』(弓立社)として出版される、山本五十六の研究書と同時に執筆を開始した。『山本五十六の大罪』が、当初予定の出版社からの無理難題(「緊急出版するので、ゲラ校正は一回限りとする」など)で出版社を変更せざるを得ず、半年も遅れてしまった。これが、本書の脱稿が大幅に遅れた理由であった。
 
加えて、定年退官直後の二〇〇八年四月一日に開始すると決めていた、二十年ほど延び延びになっていた地政学の教科書(『地政学の論理』徳間書店)の執筆計画を変更したくなく、結局この後に回したので、本書を書き終えたのは、二〇〇八年も秋深まる頃だった。この二冊の出版で多少疲れて、本書『昭和天皇と靖国神社』(当初の仮題は『新・東京裁判論』)を出版するのを、いつしか忘れてしまった》http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html※リンク切れ

03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第35号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

平成19年度のNクラス会(航空会)の幹事を依頼される(航空会だより第21号<平成19年>)
http://www.aerospace.t.u-tokyo.ac.jp/alumni/letter/resources/21.pdf

04月15日 日本テレビ系バラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。 2時間スペシャル』にゲスト出演、テーマ「アメリカとの同盟関係を一旦白紙にします」に反対票

06月28日 『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店)刊
《それから十五年、二〇一〇年の「戦後六十五年」を迎えて学界を鳥瞰すれば、モスクワのSVR(旧KGB第一総局が名称変更)が背後で操る評論を除き、近衞文麿に関するコミュニスト勢力からの偽イメージ工作はようやく消えた。幼稚な海軍マニアと一緒になって、民族系が支えてきた山本五十六「神格化」キャンペーンも、どうやら終息した。
  この意味で、近衞文麿と山本五十六の二人の開戦責任に焦点あて〔原文のママ〕、『近衞文麿とルーズヴェルト』、『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店、二〇〇七年)の第II部、『山本五十六の大罪』(弓立社、二〇〇八年)の三冊でまとめあげた、新しい視点からの私の大東亜戦争論は、それなりの役割を果たしたと自負している。》「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202ページ

07月18日 mixiコミュニティ「保守言論人の実態ー西尾幹二論」を開設
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2419077

08月10日 日本テレビ系バラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。』にゲスト出演、テーマ「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」に反対票

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2008・平成20年  63歳
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03月        筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻の紀要『歴史人類』(第36号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

03月        筑波大学を定年退官

03月28日 「mixiコミュニティ」にアカウントを開設、同年04月22日より「中西輝政研究」を投稿(以後2011年02月02日まで継続)http://mixi.jp/view_community.pl?id=3205302

04月01日 地政学の教科書として『地政学の論理』の執筆を開始す
《加えて、定年退官直後の二〇〇八年四月一日に開始すると決めていた、二十年ほど延び延びになっていた地政学の教科書(『地政学の論理』徳間書店)の執筆計画を変更したくなく、》
「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓」http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html ※リンク切れ

05月19日 筑波大学名誉教授に就任、筑波大学名誉教授称号授与式に列席(『速報つくば』2008年11月号)

06月10日 弓立社より『山本五十六の大罪』刊
《旧海軍関係者が、戦後もし何かを書くとすれば、(1)追悼と鎮魂の書と、(2)“敗因の研究”と、(3)天皇と国民へのお詫び、であるべきだろう。だが、旧海軍関係者は、数百冊を越える著書を出版しながら、(前述の千早/池田などに、若干の言及があるのみで)“敗因の研究”を書かなかった。国民へのお詫びの書も、一冊もない。
  私のこの拙著が、“敗因”の基本を総括的に提示する、戦後初めてのものとなるのは、実におかしなことである。戦後六十三年も経っているからである。》『山本五十六の大罪』133

《それから十五年、二〇一〇年の「戦後六十五年」を迎えて学界を鳥瞰すれば、モスクワのSVR(旧KGB第一総局が名称変更)が背後で操る評論を除き、近衞文麿に関するコミュニスト勢力からの偽イメージ工作はようやく消えた。幼稚な海軍マニアと一緒になって、民族系が支えてきた山本五十六「神格化」キャンペーンも、どうやら終息した。
  この意味で、近衞文麿と山本五十六の二人の開戦責任に焦点あて〔原文のママ〕、『近衞文麿とルーズヴェルト』、『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店、二〇〇七年)の第II部、『山本五十六の大罪』(弓立社、二〇〇八年)の三冊でまとめあげた、新しい視点からの私の大東亜戦争論は、それなりの役割を果たしたと自負している。》「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202ページ

《たとえば、近衛文麿や山本五十六についても、日本の歴史学界では、その真像に迫ることはタブーであった。終戦と同時に直ちにソ連や朝日新聞が創った虚像しか、許されなかった。
私の『近衛文麿とルーズベルト』(PHP)や『山本五十六の大罪』(弓立社)が実際に現代史学界に大激震を起こしたのは、このタブーの一角であっても風穴を開けたからである。特に、『山本五十六の大罪』は、大津波のパニックを起こし、ある学会の活動は閉店状態になったし、対抗宣伝のため急ぎ映画まで製作されるという事態へと発展した。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚“」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140805
 
《尚、私は『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』で、「海軍善玉」論は間違っているとしたが、陸軍を「善玉」とは言っていない。基本的には、同書は「海軍は無能 陸軍は凶悪な赤軍」と、学術的な分析をしたもの。どうやら、『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』の姉妹本『帝国陸軍論』(仮称)を早く出版しなければならない、と今の私は痛感している。》
「信者を凶暴化する"西尾《歴史偽造狂》教団"坦々塾 ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(27)」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/04/13/180853
 
06月11日 ネパールのギャネンドラ国王が宮殿から追放されていくことを知り、ネパールの大不幸を確信する
《人口2600万人のネパールが、毛沢東主義の共産主義者たちの跳梁跋扈によって、王制を廃止したのは2008年5月28日。つまり、今から、ちょうど七年前。このとき、ギャネンドラ国王が退位し、「ネパール王国」が終焉し、「ネパール連邦民主共和国」という新しい共和国の国名に変わった。そして、二週間後の6月11日、国王が宮殿を追われていくことを知った私は、ネパールは、そう遠からず連続した大不幸に見舞われるだろうと確信した。》
「ネパール国の大地震は、王制廃止への神仏の怒りでは?──日本政府の復興支援は王制復活を条件とせよ 」
 
08月08日 ロシア、グルジア(現・ジョージア)の南オセチアに侵攻、同年8月26日グルジア領の南オセチアとアブハジアの独立を承認
《話を戻す。ロシアの南オセチアならびにグルジア領内侵攻の侵略こそ、冷戦の終焉というべき、“ポスト冷戦の、その終焉”となった。1989年12月、マルタ島でゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)が勝手に言い出したロシア製の新語“冷戦の終焉”は、十九年をもって、再びロシアによって幕を閉じたことになる。それは同時に、21世紀が中ロの侵略し放題の“戦争=熱戦の世紀”への再突入したことを告げるゴングであった。
 2008年8月、日本人で、“冷戦の終焉”が終焉して、熱戦の時代に突入したと考えた者は一人もいなかった。日本人は、地政学的視点はむろん、国際政治のイロハ的教養すらすっかり喪失した。日本人は“度外れの国際情勢音痴”に劣化したのである。正確には、日本人は、もはや日本国の国民ではなく、世界に生きる意志と能力を去勢された“生物学的なヒト”に堕してしまっている。そして、この痴呆化した日本人に酷似した男が、米国大統領になるトランプである。この意味で、首都ワシントンの主になるトランプは、“鏡に映る典型日本人の鏡像”ともいえるだろう。》
「安倍晋三よ、直ぐにリトアニアに飛び防衛協力協定を協議し、トランプ・プーチン関係に楔を打ち“分断”せよ! ──12・15日露会談を中止し、日本が世界を“ロシア包囲”に主導する時」
08月         「真正保守の会」設立、ホームページを立ち上げる

08月         「「真正保守の会」の設立と『保守主義』の創刊について」寄稿 

08月        「皇室学講座」を開設、「真正保守の会」事務局が受講生を募集 http://homepage3.nifty.com/yukoku/bosyu.html※募集停止中

秋    のちに『昭和天皇と靖国神社』として有料ブログにアップされる仮題『新・東京裁判論』を脱稿
《加えて、定年退官直後の二〇〇八年四月一日に開始すると決めていた、二十年ほど延び延びになっていた地政学の教科書(『地政学の論理』徳間書店)の執筆計画を変更したくなく、結局この後に回したので、本書を書き終えたのは、二〇〇八年も秋深まる頃だった。この二冊の出版で多少疲れて、本書『昭和天皇と靖国神社』(当初の仮題は『新・東京裁判論』)を出版するのを、いつしか忘れてしまった》

《二〇〇八年秋に脱稿した『昭和天皇と靖国神社』は、確かに二〇〇六年七月以前に出版しておくのは無理。だが、丸五年間も私のパソコンで眠らせず、二〇〇九年年頭に出版していたら、遅まきながら、多少の対策を靖国神社もしただろうから、靖国神社をどう護って温存してゆくかの問題と日米同盟をどう円滑に堅持していくかの問題の乖離部分を丸く治める妙案が静かに実施されていたかも知れない。
二〇一三年の年の暮れ、急いでパソコンから取り出し、推敲し直し出版準備をしたのは、こう考えたからである。》「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓 」http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html ※リンク切れ

11月 バラク・フセイン・オバマ(民主党)、米国大統領選に勝利
《米国における“分断”情況は、ポスト冷戦の1990年代から如実な傾向を現わし始めた。そして、この“分断”の深刻な深化こそが、かつてはマイノリティとして政治エリートには決してなれない筈のケニア系黒人オバマをして大統領に当選させたのではなかったのか。オバマが大統領に当選した2008年11月、私はすぐ思い出し手に取ったのが、その四年前に読んでいたハンチントン著『分断されるアメリカ』だった。(中略)
トランプ大統領によって、“米国の分断”が始まるのではないし、深刻化する訳でもない。ハンチントンの指摘する通り、“米国の分断”は、ケネディ大統領の公民権革命から一世代の三十年を経た1990年代からすでに深刻になっていた。これを一層悪化させた大統領が、ヒッピー系共産主義思想に染まった母親に育てられたバラク・オバマだった。オバマは、米国の国家的支柱「アングロ・プロテスタントの文化と米国を建国した入植者implanterの信条とを奉戴する」ことはなかった。「オバマケア」を見ても、その「不法移民政策」をみても(注2)、キューバとの国交回復による国是の「反共」放棄を見ても、米国民のアイデンティティ分裂を加速的に助長してきたのはオバマである。一千一百万人のヒスパニック不法移民を放置してきたのはオバマである。
 ハンチントンが反語的にその絶望を吐露している。米国建国と偉大な米国を担ったWASP(=「白人でアングロ・サクソン族でプロテスタント・キリスト教徒」)が影響力を失い少数派となっても、「すべての米国民が、人種・民族を超えて、これからもアングロ・プロテスタント文化とこの国を築いた入植者たちの信条を奉じていくならば、米国は米国であり続けるだろう」、と。すなわちハミルトンは、人種や民族の共通性を失った米国は遠からず米国でない国になるだろうと、悲観的な予測をしている。私は、絶望が滲む、このハンチントンの嘆きに同感する》
「トランプ大統領と日本の《国防第一(ストロング・ジャパン)》への大転換が、太平洋の平和に貢献する──安倍晋三よ、軽空母4隻と原潜4隻を直ちに米国に発注せよ。これが真の日米同盟の絆だ!」
(引用者注)サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳『分断されるアメリカ──ナショナル・アイデンティティの危機』、集英社、2004年5月刊。原題:"Who are we?: the challenges to America's national identity", by Samuel P. Huntington, Simon & Schuster, 2004.
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2009・平成21年  64歳
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05月31日 『地政学の論理』刊
《マッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』と拙著『地政学の論理』とは、中国の世界の海洋に対する覇権戦略を理解するうえで、精読を省いてはならない。》『尖閣防衛戦争論』117

《「チャーチル外交」の理論が日本で流布するのを、左翼が支配する学界が怖れて徹底排除した理由は、全体主義体制やその思想を断固として許さない、チャーチルの“自由の精神”や“自由のイデオロギー”だけではなかった。「チャーチル外交」をもし日本が学べば、日本政府が「ソ連の打倒」「共産中国の打倒」に直結する外交を採る公算が高くなるのを怖れたからである。
  私が、1980年代、外交政策の研究者だった頃、座右の書のひとつは、対ヒットラー防衛の喫緊性と国際連盟の無力・有害性を英国民に訴えた、チャーチルの(1932~38年の)下院演説集『英国の眠れる間に』であった。また、私の軍備管理の理論は、主にチャーチルのを基本にしている。私の英米系地政学は、マッキンダー/スパイクマン/チャーチルのを各三分の一ずつ構成したもので、チャーチルなしには完成しなかった。
  チャーチルとは、政治家でありながら、それらを学者以上に、学問的に理論家した天才であった。「国際政治学の泰斗」チャーチルの外交理論を、1980年代、一冊の本に纏めておくべきだったと、私は今、いたく反省している。》200705『力の意思』86

《ソ連共産党第一書記フルシチョフが、ニューヨークとワシントンを核攻撃する中距離弾道ミサイルSS4とロスアンジェルスとサンフランシスコを核攻撃するSS5をキューバに運び込もうとした(一部は運び込んだ)1962年10月、ケネディは「核戦争してもいいよ」と、フルシチョフにそれらの即時撤去を要求した。フルシチョフは、米国と核戦争をすれば一方的にモスクワとレニングラードが灰燼に帰すソ連大敗北となるのを理解していたから、即座にケネディに屈した。
 「米ソ核戦争の瀬戸際だった」とか「人類滅亡の危機だった」とかの“キューバ危機”論はすべて、ソ連側が「ロシア人とは、実は世界で最も重症の核戦争恐怖症民族」との事実を知られないようにするため、モスクワが流した偽情報である。「危機」とは程遠い、緊張はしたが単なるソ連のSS4/SS5撤去外交に過ぎなかったのに、“大仰しい語彙”「キューバ危機」は国際政治史の学術用語になった。なお、1962年10月の米ソ核恫喝合戦を、米ソの核兵器から客観的に分析した視点と正確さは、(米国国防省などの省内専門分析を除けば)私のがおそらく世界トップだろう(注4)。》
「“戦争の21世紀”を誘爆したオバマ大統領の広島訪問 ──「米国の核による平和」に矜持なきオバマは、“非・米”の野蛮人」
 
《偉大な国際政治学者で地政学者だった米国のスパイクマンNicholas Spykman博士は、太平洋戦争が開始したすぐ、第二次世界大戦後に米英日の三ヶ国海軍同盟がアジア太平洋を制海してアジア側ユーラシア大陸の膨張するロシアの封じ込めをなし安定的な平和を維持せよと提唱した。私の国際政治学は、ウィンストン・チャーチルの次に、親日反露の米国籍スパイクマン博士の主著『America's Strategy in World Politics: The United States and the Balance of Power』(1942年3月刊)に強い影響を受けた(注5)。》
「トランプ大統領と日本の《国防第一(ストロング・ジャパン)》への大転換が、太平洋の平和に貢献する──安倍晋三よ、軽空母4隻と原潜4隻を直ちに米国に発注せよ。これが真の日米同盟の絆だ!」
 
07月14日 17時半、赤坂にて約4時間半にわたり、中川、宇野県議、滝田県議の3人による勉強会(中川八洋ゼミ(1))

10月13日 14時、ホテル菜の花プラザで大志塾(塾長・矢野光正県議、事務局長・滝田敏幸県議、塾生・10名)の勉強会でゼミナール形式の集中講義(中川八洋ゼミ(2))

11月20日 13時~15時、三井ガーデンホテル千葉にて 自民党本部事務局、関東・1都7県(山梨含む)青年局長・部長ほか約40名に対し「政権奪還への「知」と闘う精神」と題し基調講演 http://takinowa.exblog.jp/12356972/
 
12月27日 静岡県伊東市にて保守政治研究会の合宿、15時~23時まで(18~19時は休憩)約7時間、「保守政治の闘う精神」についてゼミナール形式の勉強会、千葉県議有志9名参加(中川八洋ゼミ(4))http://takinowa.exblog.jp/12573257/

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2010・平成22年  65歳
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04月19日 13時、内幸町のホテルで県議会の政務調査団体「保守政治研究会」の勉強会、千葉県議9名参加(中川八洋ゼミ(5)) 

▽          清流出版・加登屋陽一社長に著作集の構想を話す
《理工系から文系へと転じた中川さんは、現在まで約五十冊の単行本を上梓されてきたが、それを著作集か全集として出版したいという構想もお持ちである。『中川八洋著作集(案)』の全貌を拝見すると、深淵な構成によって、清流出版の既存書も位置づけられる。まず全体を見ると、哲学・現代思想・憲法思想のジャンル(第1巻-第4巻)、国際政治学のジャンル(第5巻-第8巻)、比較政治学のジャンル(第9巻-第10巻)の3部構成になっている。弊社より刊行した『悠仁天皇と皇室典範』は、第2巻「皇位継承学」に、もう一冊の『福田和也と魔の思想』は、第4巻「現代思想」の範疇に入る予定となっている。そして、今回の『民主党大不況――ハイパー・インフレと大増税』(仮題)は、第9巻「"日本解体の制度改悪の連鎖"をいかに阻むか」に入る予定とのことだ。》
 
04月        清流出版に対し『民主党大不況』の緊急出版をオファー
《弊社から『福田和也と魔の思想』(2005年)、『悠仁天皇と皇室典範』(2007年)の二冊を刊行させていただいた筑波大学名誉教授・中川八洋さん。この度、緊急出版を提案してこられた。現・民主党政権に危機意識を持ち、参議院選挙前のできるだけ早くに出してほしいとのご要望である。中川さんの依頼文によれば、民主党政権がこのまま続くと日本は崩壊(カタストロフィ)へと向かいかねないとまで言い切る。その論拠をざっと見ていくと、民主党のシンパサイザーでさえ、「これは容易ならぬ事態である」と思うこと必至で、大いに波紋を呼びそうなテーマである。》

《テレビ司会者の田原総一朗さんなら、もっと激しく対立する者同士を登場させ、丁々発止と渡り合う場を用意するであろう。いわば「お互いをけしかけるジャーナリズム」である。岐路に立たされている日本の政局。どう舵取りしていったらいいのか。群雄割拠する小政党も含めて、いずれにも言い分はあるはず。持ち込まれた原稿を、平等に出版して、読者の判断を待ちたい。そんな観点から、民主党政治の危機的状況を指摘する中川八洋さんの『民主党大不況――ハイパー・インフレと大増税』(仮題)を刊行するつもりだ。これも小出版社が生き残る一つの選択肢である。》

《中川八洋さんに、外部編集スタッフとしてナベさんを予定している、と言うと、『日刊ゲンダイ』は中川さんをこれまで目の敵にしている共産党機関紙のようなので、お断りしたいと言う。僕は、川鍋兄弟の間を知っているので、仕事の上で中川さんの心配は全く杞憂だと反論した。藤原肇さんの『さらば、暴政――自民党政権、負の系譜』も、川鍋宏之さんが校正、校閲している。結果的に、川鍋さんを起用してよかったと確信している。中川さんも校正・校閲の仕事ぶりを見て、この人選に納得してくれたものと思う。》以上、http://www.seiryupub.co.jp/blog/2010/04/post-49.html

05月06日 13時~18時半までの約5時間30分、千代田区内幸町で千葉県議会自民党保守政治研究会の勉強会、同志県議8名に対し集中ゼミ(中川八洋ゼミ(6))
 
06月04日 17時半、ホテル・グリーンタワー千葉にて自民党青年局・青年部主催の合同研修会で「民主党をどう敗北させ解体するか──「子孫と国家の永続が第一」こそ、自民党の政権奪還」 と題し記念講演
http://takinowa.exblog.jp/13895799/

07月07日 『民主党大不況〔カタストロフィ〕』刊、奥付に「真正保守主義の会」を発行所にクレジットする

08月23日 『近衞文麿の戦争責任─大東亜戦争のたった一つの真実─』(PHP研究所。『近衞文麿とルーズヴェルト』(PHP研究所、一九九五年八月)の「前編」と「補遺」を抜き出し、加筆を得て改題・再刊したもの)刊、あわせて「戦後六十五年」現在の学界を概観す
《本書は、今から十五年前の一九九五年夏に出版した『近衞文麿とルーズヴェルト』(PHP研究所、備考)のうち、近衞文麿にかかわる部分の再刊である。『近衞文麿とルーズヴェルト』は、いくつかの点で、近現代史の学術的な研究の分野では画期的であった。
  (備考)『大東亜戦争と「開戦責任」』(弓立社、二〇〇〇年)は、『近衞文麿とルーズヴェルト』をたんに改題しただめで、本文にはいっさい触っておらず、実態的には重版であった。》「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202ページ

《それから十五年、二〇一〇年の「戦後六十五年」を迎えて学界を鳥瞰すれば、モスクワのSVR(旧KGB第一総局が名称変更)が背後で操る評論を除き、近衞文麿に関するコミュニスト勢力からの偽イメージ工作はようやく消えた。幼稚な海軍マニアと一緒になって、民族系が支えてきた山本五十六「神格化」キャンペーンも、どうやら終息した。
  この意味で、近衞文麿と山本五十六の二人の開戦責任に焦点あて〔原文のママ〕、『近衞文麿とルーズヴェルト』、『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店、二〇〇七年)の第II部、『山本五十六の大罪』(弓立社、二〇〇八年)の三冊でまとめあげた、新しい視点からの私の大東亜戦争論は、それなりの役割を果たしたと自負している。》「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202ページ

《たとえば、近衛文麿や山本五十六についても、日本の歴史学界では、その真像に迫ることはタブーであった。終戦と同時に直ちにソ連や朝日新聞が創った虚像しか、許されなかった。
私の『近衛文麿とルーズベルト』(PHP)や『山本五十六の大罪』(弓立社)が実際に現代史学界に大激震を起こしたのは、このタブーの一角であっても風穴を開けたからである。特に、『山本五十六の大罪』は、大津波のパニックを起こし、ある学会の活動は閉店状態になったし、対抗宣伝のため急ぎ映画まで製作されるという事態へと発展した。》「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚“」
 
○ 「8.14宮城ク-デタ事件」について研究をほぼ終える
《本稿で、別宮暖朗氏の研究書『終戦クーデタ…近衛師団長殺害事件の謎』(並木書房)に言及していない。理由は、二つある。第一は、私の「8.14宮城クーデタ」の研究は、別宮暖朗氏の著作が刊行された2012年より二年ほど前の2010年までに行っていたもので、両者を混ぜたくなかったからだ。
 第二は、「なぜ混ぜたくなかったのか」だが、別宮氏の方が私のよりはるかに研究が一ランク優れており、私の2010年までの研究を機会があれば全面的に改善し一冊の本にして出版したく、この改善の痕跡を正確に残すには、2016年時点で若干の研究改善はしない方がいいと思ったからだ。》
「“忠魂”森赳師団長の銅像を皇居前広場に建立しよう ──昭和天皇を護るべく、“スターリン狂”阿南惟幾の凶刃に死す」
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2011・平成23年  66歳
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01月29日  嶋田陽一のペンネームでオピニオン寄稿「「新しい公共」を阻止しない日本の危機(上)──「地域主権」は、市町村(<地域>)の共産コミューン(<主権>ある準・独立国家)化の手段」掲載(ザ・リバティ201103)
第一節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62616102.html(転載)
第二節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62620766.html(転載)
第三節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62622392.html(転載)

02月28日 嶋田陽一のペンネームでオピニオン寄稿「“共産コミューンの市町村”づくりが目的の「新しい公共」── 「新しい公共」を阻止しない日本の危機(下)」掲載(ザ・リバティ201104)
第四節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62623923.html(転載)
第五節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62625323.html(転載)
第六節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62626988.html(転載)
第七節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62630774.html(転載)

03月30日 嶋田陽一のペンネームでオピニオン寄稿「市町村と北海道を"共産独立国家"にする「地域主権」──「地域主権」「総合特区」「自治基本条例」「道州制」は北海道の分離独立・共産党支配・ロシア属州化に至る“四種の神器” 」掲載(ザ・リバティ201105)

04月30日 嶋田陽一のペンネームでオピニオン寄稿「民主党が奉戴する“松下圭一イズム〔日本型共産革命のイデオロギー〕“──「国会内閣制」──民主党は日本をヒットラー型独裁体制になぜ改造するのか」掲載(ザ・リバティ201106)
第一節:http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62568849.html(転載)
第二節・第三節・(参考):http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/62569688.html(転載)

04月下旬  強制避難の行政犯罪を糾弾する
《私は二〇一一年四月下旬から、「避難が必要だから、この避難によって賠償支払いが発生する」のではなく、「東電が賠償を支払うから、政府が不必要な強制避難をダラダラと続ける」「強制避難は、東電から巨額の金を搾り取る行政犯罪の手段」「経産省官僚たちの『住民の健康』などは単なるデッチアゲ口実」だと、悪の避難行政の急所を衝いて糾弾してきた。》「東電を「永久賠償支払い会社」化する安倍総理の支離滅裂──福島セシウム避難の即時全面解除なしに、日本経済の「成長」などあるのか」

早春   京都・護王神社に参詣
《・・・・・・公の御霊は、二匹の猪像に守られて、姉の広虫尼とともに、京都御所の蛤御門のすぐ前、烏丸通に面した護王神社に祀られている。また、清麻呂公の銅像(高さ四m二〇cm、一九四〇年建立、佐藤清蔵作)は、皇居平川門近くの大手濠公園(気象庁前)に屹立している。
清麻呂公には、この早春、京都の護王神社に参詣したおり、猪像の前に立ち止まった私の前に、夢か幻であろうか、お出ましになられて多少の談論の機会を賜ったような気がした。清麻呂公の“託宣”とまではいかないが、霞む空を見上げて酌み交わした公との談論、読者に頒つべく、ここに報告させて頂きたい。》『小林よしのり「新・天皇論」の禍毒』17

07月30日 『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』オークラ出版より刊
《8月14日の宮城クーデタ事件について、今では、知る者もほとんどいない。関心がある者もどうやら皆無。とすれば、簡単な復習をしておく必要がありそうだ。拙著『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』第六章第二節(注1)に、宮城クーデタ事件の概要とその“陰の主犯”平泉澄の「皇国史観=民族衣装で着飾った暴力革命レーニン主義」について分析をしておいた。是非とも参照して頂きたい。》
「“忠魂”森赳師団長の銅像を皇居前広場に建立しよう ──昭和天皇を護るべく、“スターリン狂”阿南惟幾の凶刃に死す」

○  自由民主党・安倍晋三代議士に対し、菅義偉の思想信条を質す
《だが、少し冷静に見ると、何か変である。安倍がそんなに右派的な政治家ならば、なぜ“共産党員”との噂が高い菅義偉を、毎日長時間にわたって接触する、総理に女房役である官房長官にしているのだろうか。
しかも、安倍本人が、菅義偉が極左人士なのを知らないわけではない。二年ほど前、私は安倍晋三に直接、「菅義偉は、自民党を憎悪する教条的なコミュニストなので、側近から外して遠ざけるように」と注意・諫言したことがある。このとき安倍は、「えっ、そんな馬鹿な!」とは言わなかった。即座に平然と「そうですよ。保守とは一八〇度逆の思想の持ち主です。だが、とてもいい奴です(=側近から外すことはしません)」と返答した。》20130415『撃論 vol.10』005-109

11月 『撃論』第3号(Oak mook398)がオークラ出版より刊行される。テーマは「月刊誌『WiLL』は日本の国益に合致するか」
《西尾幹二は、少年の頃から、オウム真理教の麻原彰晃などと同種の精神病から、自らを「神」であるかに狂妄する根深く暗い狂気を抱えて今日に至っている。西尾幹二を蝕む精神異常は、商業月刊誌『WiLL』2011年7月号&8月号における、日本共産党に与した“脱原発”アジプロ(煽動宣伝)においても露わであった。
 この二本の「西尾《脱原発》煽動論考」の特徴は、第一は、全編が真赤な嘘だらけ/真赤な捏造だらけの、前代未聞の“間違い花が満開の嘘のデパート”であること。第二は、西尾幹二が、この“間違い花が満開の嘘のデパート”である自分のトンデモ論稿にいつも恍惚として反省しないこと。このため、私は『撃論』第三号に、多忙を無理して「《脱原発》を叫ぶ“福島瑞穂のペット”西尾幹二」を書き(2011年8月)、危険な“赤旗と黒旗の雑種”西尾論稿を批評クリティークした。
 しかし、当『撃論』原稿は、一冊の単行本ではなく、短い雑誌論稿だから舌足らずで、重要な学術的知見をことごとく割愛した。》

12月 映画『連合艦隊司令官長・山本五十六』が上映
《蛇足だが、役所公司が山本五十六を演じた映画『連合艦隊司令長官・山本五十六』(2011年12月公開、東映)は、中川八洋『山本五十六の大罪』(2008年6月刊)を封殺するための対抗宣伝の映画として企画されたとの風評が、その当時、流れた。真偽は未確定だし単なる噂かも知れない。が、「留意する価値は全くない」とはいえまい。》
「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(17)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/01/10/231535

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2012・平成24年  67歳
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02月10日 『脱原発のウソと犯罪』、日新報道より出版(奥付)
《多少は国際的にも名を知られた「原発専門家」を卒業していたはずの私(中川八洋)が前面に飛び出したのは、第一に、これら現役の原発専門家たちの体たらくの空隙を埋めるためであった。第二に、政治闘争・イデオロギー闘争に経験のない放射線専門家である医学部教授たちを糾合して、対・朝日新聞や対・左翼出版界だけでなく、共産党系官僚ばかりとなった対・総理官邸/対・経産省/対・文科省/対・環境省の赤い官僚群に向かって、反撃開始を指導するためだった。  
 2011年以降の、「脱原発」を真正面から非難した本と言えば、一般に、『脱原発の嘘と犯罪』と『原発ゼロで日本は滅ぶ』の二冊が思い出されるように、いずれも拙著である。原発推進が信条である現役の原発専門家たちの闘う精神(勇気、気迫)の欠如ならびに闘う能力・智慧の欠如には、ほとんど絶望した。日本人の資質的劣化は、破断界を超えていた。》
「非科学の極み「除染1ミリシーベルト目標」は、日本経済の破滅を狙った“悪の北朝鮮人”菅直人の大犯罪 ──ニュートン的科学に基づく丸川珠代・環境大臣を応援せよ!」
平成24年度のNクラス会(航空宇宙会)の幹事を依頼される(航空宇宙会だより第26号<平成24年>)
http://www.aerospace.t.u-tokyo.ac.jp/alumni/letter/resources/26.pdf

〔注〕 "航空宇宙会"は東京大学航空学科、航空宇宙工学科/専攻に関連する卒業生・教職員の同窓会。平成15年の航空会役員会にて卒業5 年毎にNクラス会を開催されることが決まった。

05月01日付 『なでしこ通信』第45号(健全な男女共同社会をめざす会(愛媛県松山市・会長=青井美智子〉、隔月発行)に記事「明治人の家庭教育に思う 筑波大学名誉教授 中川 八洋」として『与謝野晶子に学ぶ』の一部が掲載さる
 
10月29日 アパグループ代表・元谷外志雄主宰の「勝兵塾」第二期の講師に名を連ねる(該ホームページ)

12月30日 高田純との共著『原発ゼロで日本は滅ぶ』をオークラ出版より出版
《セシウム汚染の除染は、科学無視/科学無知の野蛮人ですらしない、全く必要性がない。つまり、それは、税金のトンデモナイ無駄遣いである。同様に、セシウムで強制避難させた日本とは、科学無視/科学無知の野蛮人もびっくりの“人類史上最悪最凶の野蛮国”だといえる。福島県における数年に及ぶ避難を強制した悪魔の行政は、北朝鮮型の“反科学の強制連行”であった。
 しかも、この反科学の強制連行=福島セシウム避難を強行するために、首相の菅直人は、文科省に命じて、福島県人の外部被爆線量を六倍にでっちあげる作為を命じた。この被曝線量デッチアゲという国家犯罪については、直ちに、中村仁信教授が「十倍に嵩上げしている」と理論的に暴いたし、高田純教授は「四~五倍の嵩上げだ」と非難した。私は、福島東海岸住民に個人線量計を配布しないのは、「強制連行」という国家犯罪をばれないようにするための証拠隠滅行為だと糾弾した。》
「非科学の極み「除染1ミリシーベルト目標」は、日本経済の破滅を狙った“悪の北朝鮮人”菅直人の大犯罪 ──ニュートン的科学に基づく丸川珠代・環境大臣を応援せよ!」
※《私は、福島東海岸住民に個人線量計を配布しないのは、「強制連行」という国家犯罪をばれないようにするための証拠隠滅行為だと糾弾》した論文は、前掲書所収の「日本国民よ!「脱原発」イデオロギーを殲滅せずに、“日本国の絶望”を座視する積りか」
12月26日 安倍晋三、第96代内閣総理大臣に任命、第二次安倍政権誕生(~2014年9月3日)
《2012年12月に安倍政権が誕生した時、“脱原発”勢力は、朝日新聞も含め、「もはやこれまで」「全面撤退も止むを得ず」と、北朝鮮人コミュニスト菅直人首相によって先導され煽動されてきた脱原発運動を諦めていた。それは3・11から二年も経過していない国民の間では、原発は「危険だな」と感じつつも、日本経済にとって死活的に必要だと考えるものがまだ多数だったからだ。“脱原発”勢力は、「反日」「日本経済つぶし」の共産党や北朝鮮人の共産革命運動家が中核だが、その周辺はまだ“「原発危険」の感情”だけの付和雷同組がほとんどだった。
(中略)
話を、安倍政権が誕生した2012年12月に戻す。この時、安倍晋三は、決意ひとつで、脱原発派を、民主党が小さくなったのと同じ縮小レベルで、一気に弱体化することができた。三つの政策を決断するだけで、それは可能だったからだ。
 第一は、日本原子力研究所の共産党細胞として暗躍したコミュニスト田中俊一・原子力規制委員会委員長の国会承認人事を民主党の野田政権はしておらず、安倍晋三が自民党内のコンセンサスだった「不同意」の動きにゴーサインを出せば、国会で「不同意」として追放することがいとも簡単にできたからだ。田中俊一を追放していれば、その後の再稼働審査での全く不必要な過剰な「安全」が強要されることはなかった。田中俊一が委員長でなければ、“極左の反日屋”島崎邦彦が提唱した“非科学の極み”で馬鹿げた活断層問題など、全く問題になることはなかった。  
 だが、安倍晋三は、共産党と通謀している菅義偉の言いなり/操り人形となって、自民党に田中俊一を「同意」させるべく、自民党内多数意見の「不同意」を叩き潰した。何と内閣が関与すべきでない国会マターの「同意」を、あろうことか安倍はわざわざ閣議決定したのである。2013年1月、スーパーお馬鹿なのか、80%共産主義者なのか、安倍晋三は“共産党の犬”となって、「脱原発」の革命家気取りで有頂天だった。》
「新潟知事選で“脱原発派”に敗北は安倍晋三が元凶 ──“脱・原発狂”菅義偉に操られる安倍晋三の“二枚舌”が破綻した!」
 
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2013・平成25年  68歳
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01月 安倍晋三による日本衰亡の政策宣言に失望を抱く
《特に、日本人が少しでも「日本国民」であるなら、2012年、眠りから覚め正常さを回復して、「国防第一」と「有人宇宙船打ち上げの国家プロジェクト化」を筆頭国策にしたはず。何故なら、2012年、日本は、敵性隣国が放った、表3にある三つの国家的危機に直面した。つまり、日本人が国際標準の真人間であれば、表3の三事件を“トリプル・ショック”として、直ちに「国防第一」「有人宇宙船打ち上げの国家プロジェクト化」に、朝野を挙げて邁進したはずだからである。
 しかも、この2012年、偶然に、北朝鮮人(菅直人ほか)や支那人かぶれ(鳩山由紀夫の夫人は純血の支那人)など非・日本国民が主流の民主党から、民族系の安倍晋三に政権が交替した。表3のトリプル・ショックのうち、安倍晋三は、二つほどは推進すると私は期待した。が、2013年1月には、この期待が全て裏切られたと悟った。表4にリストしたが、安倍晋三は、日本国の国益を棄損する、逆走の極左路線に舵を切ったからだ。》〔引用者注:図表の引用は略した〕
「日本は“有人月面着陸”を決断し実行する他ない ──日本の産業は、技術革新の大躍進を見出せなければ空洞化が必至」
 
04月28日 安倍晋三、日本会議への自分の自民党総裁選挙への協力の見返りとして「4・28主権回復式典」を主催
《北方領土の我が国の主権を全否定するように、安倍晋三は、日本国の「国家主権」を全く理解できないし理解しようともしない。安倍の頭が吉本興業の芸人レベルの“スーパーお馬鹿”だからでない。安倍晋三の思想の根底に、強度の「反日」イデヲロギ-〔ママ〕が渦巻いているからである。
 安倍晋三が「主権」を全く理解できない事実は、2013年4月に安倍が突拍子にも開催した「4・28主権回復式典」で端的に明らかになっていよう。戦勝国・米国の七年間に近い対日占領の終結は1952年4月28日午後十時三十分だから、この日をもって「主権回復の日」とするのは理屈の上では何の不都合もないように見える。しかし、1968年までに主要国立大学を卒業した、ちょうど私の世代までの常識と教養をもつ日本人は、4月28日を“主権回復の記念日”にしてはいけないと肝に銘じていた。
 なぜなら、沖縄と北方領土こそ、日本国の主権の最たる日本国の領土だから、それらの日本への返還なしに主権の回復などあろうはずもない。日本の主権回復は、沖縄の返還と北方領土の奪還をもって初めて達成されると、当時の日本人なら誰でも考えていた。このため、沖縄返還と(一万七千名の島民の帰還する日となる)北方領土奪還までは、そのようなものは「お預けにする」「臥薪嘗胆しよう」が、当時の日本国民のコンセンサス的な常識。沖縄の施政権が返還された1972年に至っても、主権回復祝賀式典などは、北方領土を奪還した日までお預けだは、日本人のコンセンサスだから、北方領土の全面返還がないのに4月28日を“主権回復の記念日”とするのは“非・国民”行為である。》
「検察は、安倍晋三を刑法・外患罪で逮捕し懲役十年を課せ ──“妄想病の幼児”安倍晋三は、「主権(領土)割譲」の大犯罪者」
〔引用者注〕「ママ」は原文のママ。
05月31日 「東電を「永久賠償支払い会社」化する安倍総理の支離滅裂──福島セシウム避難の即時全面解除なしに、日本経済の「成長」などあるのか」を執筆(一部につき後日加筆)
《本稿は、狂ったのか、それとも無知すぎるのか、安倍晋三首相が自ら積極的に「脱原発」を目指す“共産党の犬”となって、(単に憲法の定めではなく、憲法の上位にある「法の支配」の“法”である)“法の前の平等”を足蹴にして民法の破壊に驀進している事実を、憂国の国民諸兄に提示し啓蒙するものである。
2013年5月末に執筆したので、多少古い作品かに誤解されるかも知れない。が、半年後の11月に「民法第724条を守る会」が自費印刷したパンフレット『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”<時効中断>を阻止せよ』(非売品)の前編に当たる。原発問題では極めて枢要な論考である。》「東電を「永久賠償支払い会社」化する安倍総理の支離滅裂──福島セシウム避難の即時全面解除なしに、日本経済の「成長」などあるのか」
 
06月18日・10月14日 アパグループ代表・元谷外志雄主宰の「勝兵塾」第三期募集の「勝兵塾顧問・特待生名簿」の講師・特待生に名を連ねる(該ホームページ)
http://www.apa.co.jp/shoheijuku/images/20130618tokutai.pdf#search='%E5%8B%9D%E5%85%B5%E5%A1%BE++%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%85%AB%E6%B4%8B'
 
07月04日 PHP研究所より『尖閣防衛戦争論;緊急提言』刊(奥付)
《自衛隊法の致命的な大欠陥問題に関する簡略な説明は、拙著『尖閣防衛戦争論』に譲る(注4)。なお、ブックレット程度に薄い拙著『尖閣防衛戦争論』の暗記もせずして、尖閣防衛や日本の国防を語っている日本人がいる。空騒ぎして何になる。
 磨かれた豊潤な知と研ぎ澄まされた高貴な精神において、一つ一つレンガを積み重ねるように、一歩一歩と日本全体の防衛法体制と軍事的国防力を再構築するしか、日本を生存可能な国家に再生する事はできない。「尖閣が、すわっ、大変」といかに空騒ぎしても、そのようなものは所詮“世紀末のデカダンス”にすぎない。》
《さて、1930年代の英仏の“愚行”無為無策do nothingの教訓は、現在の日本に当てはまる。つまり、日本が表6に対応する表7のリストを実行するだけで、日本は侵略されずに済むのである。戦争をせずに済むのである。“精強な軍事力を持つ平和愛好国は、戦争を免除される”は、国際政治の原理原則である。この表7の1~5については、拙著『尖閣防衛戦争論』を参照されたい(注7)。》
「中共の軍艦出動は、尖閣への侵略決行の前哨行動 ──オバマの広島演説が招いた、日本への中ロ同時侵攻の跫」
※(注7)は同著第二章。
07月07日 21時、「倍返しだ!」の流行語を生みだしたTBS系列の日曜劇場「半沢直樹」(主演:堺雅人、~9月22日)を娯楽として視聴
《この瞬間、「ここまで<反米>の唾を安倍にかけられて黙っていてよいか」は、オバマ政権の米国国務省内で沸騰した。“先に殴ることはしないが、殴られたら殴り返す”米国文化において、二〇一三年十二月二六日の「失望した」は、「四・二八」へのリベンジでもあった。何となく“倍返し”の感じもするが、これはテレビの見すぎか。》「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓」http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html ※リンク切れ

10月13日 シンポジウム「「脱原発」は、日本経済衰亡の禍機-科学と法と人倫に違背する<避難&賠償>-」(原発と日本経済を考える会:主催)にパネリストの一人として参加
http://www.youtube.com/watch?v=9jBSFx-29Xg

主催者代表挨拶 田淵哲也(元参議院議員)
渡部昇一(上智大学名誉教授)「基調講演 私に見えてきたこと」
谷口洋司(中央大学教授)「原発ゼロで日本経済の発展維持は可能か」
高田純(札幌医科大学教授)「低線量率の福島セシウムで健康被害はない─強制避難の抜本見直しを問う─」
中川八洋(筑波大学名誉教授)「不必要な福島セシウム避難を強制した菅直人のナチ型犯罪と廃炉モーメントを先導する支離滅裂な<安部政権の原発再稼働>」
※引用者注:原文のママ。タイトル中の「安部」は、正しくは安倍。
民法学者 「政府も自民党も東電も三年時効の民法724条を遵守せよ!」※中川八洋・名誉教授代読
中村仁信(大阪大学名誉教授)「福島セシウム避難の医学的非理」

11月01日  「民法第724条を守る会」名義でパンフレット『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”<時効中断>を阻止せよ』(非売品)を自費印刷(「「脱原発」に“半迎合”する安倍晋三の鵺主義が招いた、「脱原発」細川護熙(半コミュニスト)の都知事立候補」
 
《もし、安倍晋三が真面目に原発行政を押し進めたいのであれば、その方法はただ一つ。原発行政を知り尽くし学的な分析ができる私の『要望書』(2013年11月18日到達)通りの政策を遂行すること。とりわけ、この『要望書』に添付した「民法第724条を守る会」編のパンフ『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”「時効中断」を阻止せよ』(同年11月1日付、別添)の附録Ⅰ&Ⅱに完全に従った政策を実行すること、それ以外はない。原発推進の立場からの他策は多いが、そのようなレベルと質では「脱原発」の呪縛から逃れることはできない。》
「東電を「永久賠償支払い会社」化する安倍総理の支離滅裂──福島セシウム避難の即時全面解除なしに、日本経済の「成長」などあるのか」
 
《2013年5月末に執筆したので、多少古い作品かに誤解されるかも知れない。が、半年後の11月に「民法第724条を守る会」が自費印刷したパンフレット『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”<時効中断>を阻止せよ』(非売品)》「東電を「永久賠償支払い会社」化する安倍総理の支離滅裂──福島セシウム避難の即時全面解除なしに、日本経済の「成長」などあるのか」

11月11日 児玉平八郎を事務局長として「日本保守主義協会」を主宰、18日ブログ「中川八洋先生の白熱ゼミナールーー祖国日本を守る“保守主義の魂と知”」でゼミの開講を告知
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/ ※リンク切れ

11月18日 安倍晋三・内閣総理大臣に対する要望書が本人に到達する
《もし、安倍晋三が真面目に原発行政を押し進めたいのであれば、その方法はただ一つ。原発行政を知り尽くし学的な分析ができる私の『要望書』(2013年11月18日到達)通りの政策を遂行すること。とりわけ、この『要望書』に添付した「民法第724条を守る会」編のパンフ『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”「時効中断」を阻止せよ』(同年11月1日付、別添)の附録Ⅰ&Ⅱに完全に従った政策を実行すること、それ以外はない。原発推進の立場からの他策は多いが、そのようなレベルと質では「脱原発」の呪縛から逃れることはできない。》「「脱原発」に“半迎合”する安倍晋三の鵺主義が招いた、「脱原発」細川護熙(半コミュニスト)の都知事立候補」
 
11月20日 「自民党の代議士らが議員立法せんとする"世紀の悪法"「原発事故賠償請求権の消滅時効等特例法」は、福島県の復興を妨害して福島東海岸を廃墟化する、大島理森・額賀福志郎ら自民党利権屋悪徳議員のみを利する"悪魔の法律"」を記す(「自民党「電力安定供給推進議員連盟」事務局長・高木毅代議士への公開書簡」
《そればかりか、口先では“原発推進!”を絶叫する自民党国会議員は100名を超えて極めて多いが、その中で、真剣に「脱原発」を粉砕するために立ち上がったものは、実は一人もいなかった。細田博之や高木毅の名をあげれば、「やはり、そうだったか」と誰しも納得しよう。高木毅は“女性のパンティ盗みが趣味”という男で、高木の原発推進の掛け声に一欠けらの誠意も熱意もなかった。細田博之は、私とは東大の同級生だが、粗大ごみ級の痴呆老人。さっさと永田町から消えるべきである。  
 このように、原発推進の自民党国会議員の中で、菅直人首相によって国の行政となった「脱原発の嘘と国家的犯罪」を簡単に突き崩す“脱原発運動にとって最大の弱点”である「セシウムの生物学的半減期」という科学知を自分のもの(=武器)にして闘おうとする政治家は一人もいなかった。自民党の原発推進派は、自家撞着はなはだしい、「脱原発」派が半分占める経産省任せの堕落と腐敗が、その基本路線である。「脱原発」狂の菅義偉官房長官を恐れる、原発推進議員も少なからずいた。》
「非科学の極み「除染1ミリシーベルト目標」は、日本経済の破滅を狙った“悪の北朝鮮人”菅直人の大犯罪 ──ニュートン的科学に基づく丸川珠代・環境大臣を応援せよ!」
 
11月21日 FC2より「中川八洋ブログ」(http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/)を開設、記事「安倍総理への公開要望書」を初寄稿
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2013/11/21/140249

11月24日 自民党の原発推進派グループ「電力安定供給推進議員連盟」事務局長・高木毅衆議院議員へ公開書簡を寄せる(のち「中川八洋掲示板」に掲載)
 
11月25日 シンポジウムパネリスト代表として、安倍晋三総理への公開要望書を公表
https://docs.google.com/file/d/0B65kmALs-wb5Y3hzcGlMaXB1eUk/edit?usp=sharing&pli=1

12月28日 『昭和天皇と靖国神社』の「あとがき」を記す
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html ※リンク切れ

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2014・平成26年  69歳
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01月15日 19:33  日本保守主義協会の記事第三弾「昭和天皇と靖国神社──東京裁判は、日本の国益を毀損したのか」を寄稿
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-9.html ※リンク切れ

01月22日  中川八洋掲示板に「「脱原発」に“半迎合”する安倍晋三の鵺主義が招いた、「脱原発」細川護熙(半コミュニスト)の都知事立候補」をアップ
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-3.html ※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140347

01月24日 20:05 日本保守主義協会の記事第四弾『昭和天皇と靖国神社』第一章「“スターリン教徒”美山要蔵と松平永芳の犯罪──英霊を「東京裁判教」に利用し冒涜する靖国神社」を寄稿
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-10.html ※リンク切れ

01月25日 中川八洋掲示板に「東電を「永久賠償支払い会社」化する安倍総理の支離滅裂──福島セシウム避難の即時全面解除なしに、日本経済の「成長」などあるのか」をエントリー 、2013年5月31日記、一部につき後日加筆したもので、11月に「民法第724条を守る会」が自費印刷したパンフレット『政府も自民党も東電も、安寧な法秩序を維持する民法724条を遵守し、また擁護し、国家権力による“財産収奪の悪法”<時効中断>を阻止せよ』(非売品)の前編に当たる
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01月28日 「中川八洋掲示板」に電力安定供給推進議員連盟事務局長・高木毅(衆議院議員、自由民主党)あての公開書簡をアップ
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http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140534

01月31日 「中川八洋掲示板」に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)――「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」をアップ
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http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

02月01日 16:54 日本保守主義協会の記事第五弾『昭和天皇と靖国神社』第二章「国内法で処断すべき開戦・敗戦責任者」を寄稿、メルマガ購読料を月額800円から1000円に値上げ
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-11.html※リンク切れ

02月07日 「中川八洋掲示板」に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅱ)――“冤罪捏造”の<西尾史観>と分裂症の妄想・幻覚」をアップ
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http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140649

02月08日 12:01 日本保守主義協会の記事第六弾『昭和天皇と靖国神社』第四章「魔語「東京裁判史観」は、「スターリン史観」の妄語――"東京裁判を呪う教団"の教祖・小堀桂一郎」を寄稿、これまで東京裁判についての論考をなしてこなかった理由について述べる
  《私事で恐縮だが、現代史の最大のテーマ、八年間の大東亜戦争とその背後と敗北の原因について、私は原稿用紙で千枚をはるかに越える分量で発表済み。大東亜戦争の歴史をそれなりに真っ正面から研究した者にとって、東京裁判の判決文が記述する「十七年半の歴史」は余りに噴飯物。一顧だにしたくはないし、こんなものと敢えて論う事は、私のプライドにおいて憚れる。これが、これまで私がいっさい東京裁判に触れなかった理由である。》
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-12.html※リンク切れ

02月14日 16:44 日本保守主義協会の記事第七弾『昭和天皇と靖国神社』第六章「「東京裁判史観」を宣伝する共産党の狙い──ソ連の“世紀の大犯罪”隠蔽と「日米離間」プロパガンダ」を寄稿
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-13.html※リンク切れ

02月22日 中川八洋掲示板に「"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(Ⅲ)───"天皇制廃止の畸形バイブル"西尾著『皇太子様への御忠言』」をアップ
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-8.html※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entries/2014/02/22

02月24日 中川八洋掲示板に「"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)――ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚」をアップ
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http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entries/2014/02/24

02月25日 22:03 日本保守主義協会の記事第八弾『昭和天皇と靖国神社』「第七章 誤謬の歴史を競い合う、キーナン検事と弁護側――「日米離間」の好材料となり、ソ連・中共のみを利した東京裁判」を寄稿
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-.html ※リンク切れ

02月25日 中川八洋掲示板に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?」をアップ
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-10.htm ※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entries/2014/03/01

03月01日 中川八洋掲示板に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?」を再アップ
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-10.html※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140844

03月01日 19:46 日本保守主義協会の記事『昭和天皇と靖国神社』「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓」を寄稿
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html※リンク切れ

03月08日 20:08「附録“共産党の姉妹団体”日本会議」を寄稿
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-16.html※リンク切れ

03月   中川八洋掲示板をFC2ブログよりはてなブログ(http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/)に移転、新管理人に吉田寿太郎
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/31/111815
  
03月17日 中川八洋掲示板に「プーチンに叩頭する"ロシアの犬"安倍晋三の危険(Ⅰ)──プーチンの露帝国は、ついにクリミアを侵略 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/141041

03月18日 中川八洋掲示板に「プーチンに叩頭する“ロシアの犬”安倍晋三の危険(Ⅱ)──“日本の友好国”ウクライナを全面支援せよ、ニッポン! 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/141226

03月19日 中川八洋掲示板管理人(吉田寿太郎)、Twitterにエントリー開始(アカウント名:@nakagawanagazin)
https://twitter.com/nakagawamagazin

03月24日 中川八洋掲示板に「「立憲主義」を振り回す“反・立憲主義”の朝日新聞 ──「集団的自衛権」への第九条解釈変更こそ“立憲主義”」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/24/131147

03月24日 中川八洋掲示板に「"クズ官僚の姨捨て山"内閣法制局は必要か ──安倍晋三の「集団的自衛権」解釈正常化は正しい」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/24/145454

03月27日 中川八洋掲示板に「「脱・ロシア天然ガス」なしに、危険な日本防衛──北海道の要塞化と「脱・原発」の一掃を急げ!」をアップ(3月25日脱稿)
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/27/121337

03月31日 中川八洋掲示板に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅵ)──ニーチェも理解できない西尾幹二の“哲学音痴”」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/31/110829

03月31日 「中川八洋掲示板」をFC2からはてなブログに移転を告知(「中川八洋掲示板」リニュアルのお知らせ)
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/31/111815

04月05日 中川八洋掲示板に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅶ)──『GHQ焚書』は、ヒットラー『わが闘争』の模倣」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/05/141243

04月14日 中川八洋掲示板に「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/14/142218

○ 安倍晋三の“日本史上最凶の対ロ売国奴”ぶりに、真剣に学術的な指摘
《ところで私は、ここ二年半にわたって、三歳の幼児的な異常な低能お馬鹿・安倍晋三はまた“日本史上最凶の対ロ売国奴”だと、真剣に学術的な指摘をしてきた。だのに多くの読者は、今般のプーチン・安倍晋三の共同記者会見まで、優れて高度な学的・知的素養なしには指摘し得ないこの問題に対して、なんと過激で場違いな安倍批判だと怪訝に思って無視するか、フンとせせら笑っていたようだ。国家を論じる資格のない、無責任で無知にすぎる誤判断である事か。
 安倍晋三が三歳の幼児的な異常な低能お馬鹿で、安倍晋三の独善的対プーチン外交が国家破局以上の害毒を日本にもたらすことを、2014年4月の時点で学術的に確信し発表できるのは、日本最高の深い学識があって初めて可能である。それなのに二年半(2014年4月~2016年12月)の永きに亘って、当掲示板を無視しせせら笑ったのは、最小限の知識も愛国の精神もない証左。》
「検察は、安倍晋三を刑法・外患罪で逮捕し懲役十年を課せ ──“妄想病の幼児”安倍晋三は、「主権(領土)割譲」の大犯罪者」
〔引用者注〕なお、安倍晋三が領土問題(北方領土問題や竹島問題)の未解決(=主権未回復)の段階において強硬開催した「主権回復式典」は2013年4月28日。
○     N.J.スパイクマンNicholas Jay Spykman著“America's Strategy in World Politics”の翻訳出版の準備を完了、出版社募集を呼びかける
《スパイクマン著『世界政治における米国の戦略』(一九四二年)の翻訳出版については、準備終了。出版社を募りたい。》「"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚」
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-9.html ※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140805

04月21日 「中川八洋掲示板」に「“強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」という冗談(ジョーク)──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅷ)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/21/182559

04月22日 「中川八洋先生の白熱ゼミナール」に「管理者からの重要なお知らせ」がアップ、日本保守主義協会の閉鎖が発表さる
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-17.html ※リンク切れ
  
04月29日 「中川八洋掲示板」に「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!?」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/29/025315
 
05月06日 「中川八洋先生の白熱ゼミナール」に「管理者からの重要なお知らせ」がアップ
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-18.html ※表記は03月31日16:31。リンク切れ

05月06日 20:19 「中川八洋先生の白熱ゼミナール」に「管理者からの重要なお知らせ」をアップ
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-19.html ※表記は01月31日20:19。リンク切れ

05月06日 20:33 「中川八洋先生の白熱ゼミナール」に「管理者からの重要なお知らせ」をアップ
http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-20.html ※表記は02月28日20:33。リンク切れ

05月09日 ▽ FCブロマガ・サイト「中川八洋先生の白熱ゼミナール」を閉鎖

05月12日 「中川八洋掲示板」に「祖国憎悪なくして、“祖国破壊の無頼”松岡洋右に心酔できるか──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅹ」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/12/182458

05月16日 「中川八洋掲示板」に「「美味しんぼ」より千万倍“悪”の佐藤雄平・知事 ──軽犯罪の嘘描写と“死刑級の大犯罪”不必要な強制避難」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/16/162159

05月17日 「中川八洋掲示板」に「グロテスク細川&小泉の<脱原発>老害コンビ ──極左化する小泉純一郎に蘇った“祖先の血”」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/17/120245

05月20日 「中川八洋掲示板」に「「脱原発」支持者に、三・五兆円を課徴せよ──電気料金の値上げを断じて認めてはならぬ」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/20/183949

05月23日 「中川八洋掲示板」に「“ユスリタカリ”浪江町と“バラマキ狂”東電 ──“賠償垂れ流し”東電の三万人社員給与をすべて差し押えよ」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/23/032444

05月26日 「中川八洋掲示板」に「大飯原発停止判決を招いたA級戦犯は、「脱原発」側に媚を売ってきた“ヌエ総理”安倍晋三 ──今からでも遅くない、田中俊一/島崎邦彦の首を斬れ!」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/26/172753

05月30日 「中川八洋掲示板」に「コミュニスト田中俊一(原子力規制委員長)を今直ぐ辞任に追い込もう──無気力(アパシー)な電力会社、腐敗と惰弱な「原発推進」国会議員」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/05/30/160638

06月02日 「中川八洋掲示板」に「「出生率4・0」にせずば、日本滅亡は2045年か──日本国を亡ぼす極左ドグマの寛容は、祖国廃滅の犯罪」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/02/155916

06月10日 「中川八洋掲示板」に「ロシアに国を売る“第二の松岡洋右”安倍晋三──ベルギーで“プーチンの犬”を演じた安倍は、日本国の総理なのか!? 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/09/213200

06月12日 「中川八洋掲示板」に「1945年夏(十歳)で時計が止まった戦争狂の狂人(war-maniac) ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅠ)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/12/144929

06月16日 「中川八洋掲示板」に「尖閣(魚釣島)に標柱すら建立しない“鵺”安倍晋三──空母も建造しない、危険で有害な“口先だけの中共批判”」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/16/132630

06月19日 「中川八洋掲示板」に「ウクライナに学び、樺太天然ガス輸入(ロシア天然ガス依存)を即時中断せよ──日本経済には、「原発推進」以外の発展の道は無い」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/19/084005

06月19日14:16 言論プラットフォーム「アゴラ」(池田信夫主宰)に「ウクライナに学び、樺太天然ガス輸入を即時中断せよ」を一般投稿(転載)
http://agora-web.jp/archives/1600486.html

06月21日 「中川八洋掲示板」に「“北朝鮮の偽情報工作員”道下徳成(北朝鮮人)の正体(Ⅰ) ──金正恩に、「集団的自衛権(=日米同盟強化)」反対を捧ぐ」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/21/080000

06月22日 12:55 松本徹三 「日本はロシアとどう付き合うべきか?」で「ウクライナに学び、樺太天然ガス輸入を即時中断せよ」に反論、「アゴラ」「BLOGOS」に同時投稿
http://agora-web.jp/archives/1600907.html

06月23日 「中川八洋掲示板」に「"反・歴史"の戦時宣伝本が「歴史」に見える狂気(insanity) ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅡ)」をアップ 、前稿「一九四五年夏で時計が止まった戦争狂の狂人」を補足
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/23/080000

06月26日 「中川八洋掲示板」に「「戦争史観の転換」という名の新「スターリン史観」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅢ)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/06/26/135616

07月08日 「中川八洋掲示板」に「ロシアの満洲侵略を大歓迎する“ロシア人”西尾 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅢ-2)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/08/211335
※引用者注:
《この第十三章第二節は、第十三章が余り長大になるので先に分割発表した第一節の「西尾の意味不明語<戦争史観の転換>の考察」と一緒に読んで頂きたい。合体して読み直せば、二十世紀前半の“満洲に関する国際関係史の西尾流大改竄”がより鮮明に浮び上がる。と同時に、“ロシアの(自主的な)特殊工作員” 西尾幹二の恐ろしい正体も、白日の下にくっきりと現れてこよう。)》とある。

▽     「謀略学」確立のため、大東亜戦争中のソ連工作員を特定・証明する研究に従事
《常識的には、ソ連が、上海事変をドハデなものにし、日本が連盟その他の国際場裏で世界中から指弾される孤立情況を醸成して、結果として日本を連盟から脱退させ日英分断を図ろうとしたのではないかとするのが、最も理には適っている。
ただ、この仮説をもって歴史の真実に最も近いと証明するには、田中隆吉/板垣征四郎/花谷正/塩沢幸一の四名もしくはその一部が、ソ連のGRUかNKGBの工作員であったと証明しなければならない。現在、この研究に取り組んでいる。》「ロシアの満洲侵略を大歓迎する“ロシア人”西尾 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅢ-2)」

07月10日 「中川八洋掲示板」に「ロシアの満洲侵略を大歓迎する"ロシア人"西尾 ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅢ-2)」を改訂・再アップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/10/221509

07月11日 「中川八洋掲示板」に「中川八洋教授の「13名特別ゼミナール」 開講のお知らせ」告知される
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/11/075158
※「中川八洋掲示板」管理人  吉田寿太郎nakagawamagazine@gmail.com

07月16日 「中川八洋掲示板」に「家族解体(フェミニズム)と日本共産社会化に爆走する安倍晋三 ──半コミュニスト安倍を支配する"凶悪コミュニスト"菅義偉」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/16/225803

07月22日 「中川八洋掲示板」に「経団連よ、"フェミニズム狂"安倍晋三と闘え! ──日本経済の発展には、赤い霞ヶ関官僚排除こそ最優先」をアップ。
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/22/123614

07月25日 「中川八洋掲示板」に「マンネルへイム元帥の教訓を忘れたウクライナを反面教師とすべき日本。履き違える安倍の危険 ──マレーシア機撃墜は、「親ロシア派」ではなく「ロシア侵略部隊」」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/25/165952

07月29日 「中川八洋掲示板」に「ウクライナを守るに、安倍晋三よ、仏のロシア向けミストラル級強襲揚陸艦二隻を直ちに購入せよ! ── 「外交とは、<国防と不離一体>」は、無謬の叡智」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/29/103239

07月30日頃  中川八洋教授の「13名特別ゼミナール」受講生募集開始
《中川八洋教授の「13名特別ゼミナール」開講のお知らせ
多数のご応募を頂き誠に有り難うございます。きたる7月末日をもって応募の締め切りとしまして、以後は応募者の方々に個別にご連絡を申し上げます。》※案内には「7月末日」とあるが、31日以前の締め切り。

08月01日 『正論』編集長・上島嘉郎(産経新聞社)、4月29日付「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!?」における自身への批判に対し「【遠くの声を探して】沈黙は金ならず、中川八洋氏への反論[桜H26/8/1] 」にてコメント
https://www.youtube.com/watch?v=HykDByVmlC0&feature=youtu.be
※引用者注:
なお、上島嘉郎は7月31日付で産経新聞社および正論編集部を依願退職、フリーランスとなった。

上島 嘉郎 氏 Kamijima <略歴>
昭和33(1958)年長野県上伊那郡生まれ。愛媛県立松山南高等学校卒。妻・上島尚子(山崎尚子)。平成3(1991)年産経新聞社入社。サンスポ編集局整理部を経て一時“脱藩”。平成10(1998)年に復社、雑誌「正論」編集部。平成18年(2006)11月より『正論』編集長。平成22年より別冊「正論」編集長。

08月05日 「中川八洋掲示板」に「西尾「五百年史」は、"全盲史観"のカルト宗教 ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(ⅩⅣ)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/05/150235

08月12日 「中川八洋掲示板」に「"コミュニストの巣窟"厚労省の国立社会保障・人口問題研究所を解体し、人口問題研究所だけを財務省に移管せよ!」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/12/204006

同論文にて、フジテレビ(CX)系で22時から放送のドラマ『〈木曜劇場〉昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(4話まで)のフェミニズム論調を問題視
~キャストは、上戸彩(役名・笹本紗和、以下同じ)、吉瀬美智子(滝川利佳子)、斎藤工(北野裕一郎)、ほか。またスタッフは以下のとおり。脚本=井上由美子、プロデュース=三竿玲子、清水一幸、演出=西谷弘、高野舞、西坂瑞城、制作=フジテレビドラマ制作センター

08月14日 09:17 言論サイト「アゴラ」に「対ロシア政策、ウクライナとフィンランドの教訓的比較事例」を寄稿、「BLOGOS」等にも転載
http://agora-web.jp/archives/1608036.html
※(「マンネルへイム元帥の教訓を忘れたウクライナを反面教師とすべき日本。履き違える安倍の危険 ──マレーシア機撃墜は、「親ロシア派」ではなく「ロシア侵略部隊」」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/07/25/165952)の改題)

08月18日 「中川八洋掲示板」に「日本の武力奪還態勢が、ロシアに返還を決断させる ──安倍晋三の軍事力なき対ロ交渉が、プーチンの対日侮蔑を増長」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/18/170326

08月20日 11:31 言論サイト「アゴラ」に「ロシアの北方領土軍事演習で、あの朝日新聞が悪意の虚報」を寄稿(「日本の武力奪還態勢が、ロシアに返還を決断させる ──安倍晋三の軍事力なき対ロ交渉が、プーチンの対日侮蔑を増長」改題)
http://agora-web.jp/archives/1608820.html

08月21日 「中川八洋掲示板」に「"悪魔の「親ロ反米」主義"で、日本人から歴史を奪う朝日新聞──自民党総裁は、慰霊祭を擬装した共産党主宰ヒロシマ/ナガサキ「反核」共産革命集会に出席してはいけない」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/21/152551

08月24日 「中川八洋掲示板」に「高徳の今上天皇の弥栄(いやさか)を寿ぎ奉る ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(XV)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/24/093551

08月29日 「中川八洋掲示板」に「安倍総理よ、『昭和天皇実録』を非公開にせよ ──旧慣を墨守する精神が悠久に皇室を護持する絶対条件」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/08/29/135605

09月01日 「中川八洋掲示板」に「ロシア軍、ついにウクライナに本格的侵略を開始 ──日本人はなぜ、ウクライナの次は北海道と戦慄しないのか」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/01/121725

09月11日11:03 言論プラットフォーム「アゴラ」に「『昭和天皇実録』の即時公刊は「法の支配」に反する暴挙だ」を掲載
http://agora-web.jp/archives/1612302.html
※「安倍総理よ、『昭和天皇実録』を非公開にせよ ──旧慣を墨守する精神が悠久に皇室を護持する絶対条件」の改題

09月11日 「中川八洋掲示板」に「西尾幹二は、反日極左の"半藤一利(日本共産党員)の舎弟" ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(XVI)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/11/150943

09月11日 朝日新聞社における木村伊量〔ただかず〕・朝日新聞社長の謝罪会見をテレビ視聴
《「9・11」は、NYの世界貿易センター・ビル(2棟)へのハイジャック旅客機二機の二〇〇一年九月十一日自爆テロの日かと思いきや、木村伊量・朝日新聞社長の茶番劇謝罪会見の日になった。この会見をテレビ中継で観ていたが、NYでの死者三千名への冒涜のような気がしてならなかった。》
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/17/143530

09月17日 「中川八洋掲示板」に「木村伊量よ、社内に「北朝鮮人記者監視委員会」を設置せず、朝日新聞の再生など、荒唐無稽ではないのか」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/17/143530

09月20日 「13名特別ゼミ」(第一期)を都内某ホテルにて開催。
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/29/132926
「初回「13名特別ゼミ」(第一期生)のご報告」※リンク切れ
《安倍晋三の対露・対中共・対北朝鮮外交は、1938年のミュンヘン会談において、ナチ(国家社会主義ドイツ労働者党)のヒットラーとの間で署名した《宥和声明書》を英国本土に持ち帰り、その紙切れを平和ボケ大衆の前に振りかざし、
「すべては3か月以内に解決する」、
「ドイツからダウニング街に名誉ある平和を持ち帰ってきたのはイギリス史上これが2度目であると私は信じる」
と歓喜して見せた、英国元愚鈍首相チェンバーレンと同等かそれ以上の愚鈍の極み。
中川八洋先生から、
「国際政治の音痴は、音楽の音痴と同様、一生治らない。」
と直接教わったが、安倍晋三の外交(・軍事)音痴はまさに悲惨の極みであり、永遠に治らない不治の病と言える。
「もはや、安倍内閣の寿命もそう長くあるまい」というのが真正自由(保守)主義グループの一致した見方である。
by  BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN  (2014-09-28 12:02)  》
http://burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp/2014-09-16

09月27日 「中川八洋掲示板」に「北朝鮮が侮蔑する"プーチンの犬"安倍晋三 ──"金正恩の操り人形"に成り下がった"外交白痴"安倍に、拉致被害者を返還する妥協の必要無し!」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/27/183859

10月02日 「中川八洋掲示板」に「"(国会から)北朝鮮人議員を排除する法律"を制定しよう ──日本を蝕み尽した北朝鮮人・土井たか子の害毒を忘れるな!」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/10/02/152455

○     「13名特別ゼミ」(第一期)のメンバーを一名追加募集

10月07日 「中川八洋掲示板」に「「女性の活躍」は、アベノミクス破綻隠しの悪政 ──家族を解体し日本民族の伝統・慣習破壊に暴走する安倍晋三」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/10/07/231818

10月14日 「中川八洋掲示板」に「"過激フェミ"上野千鶴子の愛弟子・安倍晋三 ──フェミニズム狂に転向した安倍晋三の日本解体暴走Ⅱ」をアップ、連載「フェミニズム狂に転向した安倍晋三の日本解体暴走」の第二弾(第一弾は、前稿の「安倍の<女性の活躍>は、アベノミクス破綻隠し」)。 
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/10/14/133533

10月26日 「中川八洋掲示板」に「丸山眞男の真赤な虚像を捏造する朝日新聞 ──朝日新聞の廃絶と丸山真男排撃は、日本の存続の絶対条件(Ⅰ)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/10/26/101608

11月     左腕を負傷し入院、15日開催予定の特別ゼミは延期となる

11月18日 「中川八洋掲示板」に「丸山眞男はソ連工作員だったか? ──丸山眞男排撃は、日本存続の絶対条件Ⅱ」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/11/18/152314

11月25日 「中川八洋掲示板」に「道徳の“教科”化を反対する者を“殺人教唆予備罪”で逮捕・加罰できる立法を!──道徳は、価値相対を超越する“絶対の法”」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/11/25/135156

11月29日 「第二回13名特別ゼミ」を都内某ホテルにて開催、テーマは「「脱・福祉国家」を早急に決断しなければ、日本の絶望的財政破綻と日本経済の全面崩落は不可避 ──ミーゼス/ハイエク/レプケ/山本勝市の経済学とサッチャリズムを排斥し続けた日本の末路 ──」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/04/194624

12月04日 「中川八洋掲示板」に「丸山眞男排撃&絶滅は、日本を守る思想内戦(Ⅲ)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/04/082524

12月08日 「中川八洋掲示板」に「"共産党系アナーキスト"松本健一と民族系ファン ── 愛国ぶる民族系は、愛国心なき「反日極左」の亜種」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/08/153641

12月11日 「中川八洋掲示板」に「昭和天皇暗殺を夢想した"テロリスト"松本健一 ──松本健一に魅惑された民族系を抹殺的に一掃しよう」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/11/194729

12月19日 「中川八洋掲示板」に「習近平の“狂説暴言”「南京大虐殺」宣言に対抗するに、安倍晋三よ、空母建造と尖閣要塞化を宣言せよ! ──だが、怯懦と醜態あらわな尻尾を巻いて逃げるだけの安倍晋三」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/19/132119

12月25日 「中川八洋掲示板」に「北星学園大学を廃校に追い込もう!! ──従軍慰安婦捏造報道の朝日新聞の廃刊に向けての天王山の闘いに、糾弾の手を緩めてはならない」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/12/25/135411

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2015・平成27年  70歳
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01月10日 「中川八洋掲示板」に「“ロシア系無国籍人”西尾幹二の情報犯罪「ミッドウェー海戦隠し」──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史」をアップ(17)」
 
01月17日 「第三回13名特別ゼミ」を都内某ホテルにて開催、テーマは「保守主義のバーク哲学──日本国民すべてが一致して可及的速やかに"バーク保守主義の精神"に糾合しないとすれば、日本の近未来は確実にローマ帝国の滅亡を再現するだろう──」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/01/28/141529

《エドマンド・バーク曰く、
「智恵(wisdom)も美徳(virtue)も欠いた自由(liberty)とは一体何か。智恵も美徳も欠いた自由とは、悪(evils)の中の最悪のものだ。なぜなら、そのような自由は、教導も自制もされない、馬鹿さ(folly)、悖徳(vice)、狂気(madness)だからだ。」(バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、310頁)
バーク曰く、
「いやしくも文明社会(civil society)が当然に道徳の管轄分野(moral jurisdiction)に属すると考えるすべての人びとに対して私は、われわれが社会への義務(duty)を負っているという場合、これが決してわれわれの意思(will)に依存しないという真理を真剣に肝に銘じるように何度も繰り返し勧告したいと思う。
義務は任意の(voluntary)ものではない。義務と意思は互いに相容れない(even contradictory terms)概念である。文明社会はある場合は確かに最初は自発的な意思の産物かもしれない〔事実多くの場合はそれは間違いなくそうであった〕が、その継続は社会と共に続く恒久的で確固たる合意(permanent standing covenant, coexisting with the society)に依拠し、それは社会内のすべての成員に彼自身のいかなる行為とも無関係に帰属し(without any formal act of his own)、それは人類の一般良識(general sense)に発する一般慣行(general practice)によって保証される。
この結び付きによって人間は彼の選択とは無関係に恩恵を引き出し、彼の選択とは無関係にこれらの結果として自らの義務を負い、彼の選択と無関係に実定法規にいささかも劣らない拘束力を持つ実質的責務を取り結ぶ。
人生の全体と義務の全体系を眺め渡すならば、最も強力な道徳上の義務は決してわれわれが選択した結果の産物ではない。」 (バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、654~655頁)
バーク曰く、
「道徳の線は数学における理念上の線とは別であり、それは長さばかりでなく、幅と深みを有する。
それは、(各人の置かれた状況の本性に従がって)例外を許容し、補正を要求する。
これらの例外や補正は、論理学の手続きではなく、慎慮の規則によって行われる。
慎慮こそは、単に政治的道徳的な諸特性の階梯の最高に位置するのみならず、これらの特性すべてを調整し誘導する物差しに他ならない。形而上学は定義なしには存立できないが、慎慮は定義を下すのに慎重である。
それゆえ平常われわれの法廷は法律上の論点の判断の解明に際して、架空の非現実的な事例を引き合いに出すことを極度に自戒しなければならない。」(バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、593~594頁)
道徳の実践(現実への適用)の真理は、上記の引用文を踏まえて、次のバークの言葉を読めば理解できるはず。
エドマンド・バーク曰く
「個々人の置かれた場所が彼の義務を決定する。
『神は汝を如何なる者と命じたるか?』という問いに対する回答はもう一つの別の問い『事物の如何なる人間的なる場面(状況・条件)に汝はあるか』
を解くことで求められるはずである。」(バーク『政治経済論集「旧ウィッグは新ウィッグを裁く」』、法政大学出版局、654~655頁)
さて、フィクションドラマの中の、狂気のT大・AY名誉教授 殿、現実世界の道徳を理解頂けたでしょうか?
【補 足】(平成27年2月19日19:30、コメント欄より、本文へUP)
付言すれば、上記のバーク哲学は、中川八洋 筑波大学名誉教授の「第3回 13名ゼミ」における、バーク保守主義の哲学講義の<<ほんの一部分>>をまとめた(引用した)にすぎない。》
「バークの哲学---義務について。ドラマIB、T大H学部、狂気のAY名誉教授への御助言です。」
 
01月17日 安倍晋三首相、訪問先のエジプト・アラブ共和国の首都カイロにおいて「イスラム国がもたらす脅威を少しでも食い止める」と演説、二億ドル(約3000億円)の支援を約束
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/eg/page24_000392.html
《イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。》

01月20日 ヒップ・ホップ・ミュージカル「ハミルトンHamilton」、米国イースト・ビレッジのパブリック・シアターでのプレビュー公演で絶賛され、2月17日からの一般公演も即日完売の大ヒットとなる。原案・脚本・作詞作曲はプエルトリコ系移民のリン=マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda, 1980- )。
《さて、ここにハミルトンを持ちだしたのは、今般の大統領選挙中、ニューヨークのブロードウェイで、ミュージカル「ハミルトン」が大ヒットしたことに、米国の分断”が容易ならざるレベルにあると感じたからである。ヒットの理由が、歴史とヒップホップの組み合わせが目新しく、移民でも米国建国の第一人者になれるという「現代米国のアメリカン・ドリーム」物語に脚本されているからなのはわかる。が、問題は、このミュージカルのキャストが、ことごとくヒスパニックや黒人であること。
 米国の「建国の父」たち──最も広範囲に定義すれば約百名──は、英国から入植し大成功した数代つづく由緒ある家系図を持つ「大地主のイギリス人」である。しかも、英国本国の貴族やジェントリー層と同じ生活をしているイギリス人であった。例えば、ジョージ・ワシントン家は伯爵家と全く同じ格式だった。
 この米国の「建国の父」たちの中で、名門とも大地主ともイングランド人とも無関係な例外が一人だけいた。それが、西インド諸島から移民したハミルトンだった。それでも、ハミルトンの血統は、フランス人の血が入っている、スコットランド人の末裔で、あくまでも白人である。
 このようなハミルトンが、名門の大地主イギリス人しかいない「建国の父」たちの同僚というより、そのリーダーになったのは、ハミルトンが当時の米国においてはむろん、人類史上に稀な“千年に一人の大天才”だったからである。アクトン卿は、ハミルトンの方が“キケロを超える天才バーク”よりIQが高かったのではないかと述べている。
すなわち、大ヒットしているミュージカル「ハミルトン」は、ハミルトンが「移民」である点にモチーフがあり、白人であることも天才であることも無視している。ハミルトンは、コーク『英国法提要』とブラックストーン『イギリス法釈義』を当時の英国の法曹家より完全に理解する全米随一の憲法学者で、ハミルトン憲法思想は初代連邦最高裁ジョン・マーシャル長官に継承されていく。現在のコロンビア大学ロー・スクールは、ハミルトン顕彰を兼ねて建学されている。
 しかも、不世出の軍略家・軍人でもあるハミルトンの才は、ナポレオンを超えるだろうと期待されていた。ハミルトンの最終階級は陸軍少将。しかも、米国の中央銀行、ドル紙幣発行、税制すべてはハミルトンの独断で整備されたように、金融と税制の天才であった。だが、ミュージカル「ハミルトン」に熱狂する米国人に、ハミルトンの実像を知る者はほとんどいない。21世紀の米国が“米国”ではなくなっていることを、このミュージカルほど如実に示唆するものは他にない。》
「トランプ大統領と日本の《国防第一(ストロング・ジャパン)》への大転換が、太平洋の平和に貢献する──安倍晋三よ、軽空母4隻と原潜4隻を直ちに米国に発注せよ。これが真の日米同盟の絆だ!」
 
01月21日  アブドッラー2世・ヨルダン国王、エルドアン・トルコ大統領及びエルシーシ・エジプト大統領との電話会談。以後、アボット豪首相(1/22、電話会談)、 キャメロン英首相(1/22、電話会談) 、アブドッラー2世ヨルダン国王(1/24、電話会談)、 オバマ米大統領(1/25、電話会談)

01月25日 安倍晋三首相、シリアにおける邦人拘束事案について「内閣総理大臣声明」を発表
http://www.kantei.go.jp/jp/pages/h27syria.html

01月26日 「中川八洋掲示板」に「戦時国際法も知らない"外交白痴"安倍晋三の醜態 ──「イスラム国」への敵対宣言をして、"人道援助"だって!?」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/01/26/111631

01月30日 「中川八洋掲示板」に「“物神崇拝狂”西尾幹二の「魔の祈祷書」十巻 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(18) 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/01/30/124038

02月04日 「中川八洋掲示板」に「後藤/湯川両名を殺害された“未熟児国家”日本の国家再生は、戦時国際法の“復仇reprisal”を旗幟に、「イスラム国」軍事殲滅への参戦を選択すること。」をアップ(脱稿は02月02日)
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/02/04/214438
 
《前稿は二月二日午前中に書いた。ために、カサースベ中尉の「一月三日殺害」を知らなかった。この殺害は、日本では二月四日に報道された。
だから、カサースベ中尉奪還を祈願する武道館での数万人集会を提案する、多少、場違いな話が前稿にはある。が、「外交とは何か」を考えるに、すでに無意味な提案だったことが判明した今でも、それなりの意味があるので、そのままにして削除修正しないことにした。》
「日本国民に告ぐ、今こそ諜報機関(JCIA)創設の声を上げよ!!──湯川氏/後藤氏/カサースベ中尉の “惨殺死”を無駄にしてはならない」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/02/07/090517

02月07日 「中川八洋掲示板」に「日本国民に告ぐ、今こそ諜報機関(JCIA)創設の声を上げよ!!──湯川氏/後藤氏/カサースベ中尉の “惨殺死”を無駄にしてはならない」(02月04日記)をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/02/07/090517

02月23日 「中川八洋掲示板」に「“夫婦別姓”潰しは、正しき日本国民の崇高な義務 ──最高裁に「“夫婦別姓”制度化を判決せよ!」と教唆洗脳する朝日新聞を、“不買・不読・不広告”対抗で250万部減らそう! 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/02/23/170505

02月28日 「中川八洋掲示板」に「“侵略の天才”プーチンとの「停戦交渉」は、自滅への高速道路 ──ウクライナよ、“ロシア知らずの愚鈍”メルケル(独)/オランド(仏)から、米英との連携強化と武力精鋭化に急ぎ舵を切れ!!」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/02/28/174225

03月11日 「中川八洋掲示板」に作者不詳の論文「“八百長”ヘイトスピーチを操る背後の巨大組織は誰? ──“日本解体の悪法”「人種差別撤廃基本法」制定を狙う大道芸」がアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/03/11/123937

03月16日 「中川八洋掲示板」に「“プーチン皇帝の臣下”メルケルと日独伊三国同盟を演出した「黄色い猿」安倍晋三の外交醜態」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/03/16/121437

03月21日 都内某所で第4回特別ゼミを開催、テーマは 「不平等(差別)の復権──ルソーを排撃(殲滅)せずば、不可避な日本国の自壊──」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/02/114726

《私も中川八洋筑波大学名誉教授(以下中川先生)の上記の第四回ゼミに参加してきました。
【掲示板】でのゼミ報告では、講義の要旨が、紙幅の都合上、簡単なまとめ報告のみとなっていますが、実際の中川先生の講義内容は驚くほど濃密で、深淵な叡智に満ちていて、配布資料も真正の保守主義の本質のみを記述した世界(=現在の、ではなく世界史上の、です)第一級の学者の学術的成果の内容となっています。
  ですが、ゼミの講義の形式は、静かに淡々と中川先生が真なる保守主義の政治哲学(思想)その他を講義されるのを聴講し、講義の最後に受講生が、中川先生にランダムに質問をするという、極めて静寂な形式です。
  このように、講義の内容は、保守主義の本質のみからなる”白熱内容”そのものですが、ゼミ形式(運営)は極めて静寂な紳士的雰囲気の中で行われています。
どこかのテレビドラマの物語ように、地下室の暗闇の中で、蝋燭の薄い光の中で、どこかの大学の首席卒業者が、自己の秀才性やエリート的地位の自己満足を、皮肉交じりに惚気合う類の劣悪な危険な人物の集まりでは決してありません。
いわんや、教授が「私はなぜ人を殺してはいけないのか?レポートにまとめるまで、外に出さない!」と絶叫するようなドラマの「狂気」などとは、180度真逆の、全く無縁の、ものです。
但し、そうはいっても、(私の個人的意見ですが、)中川先生のゼミを、NHKや朝日新聞(TV)が大好きな、マイケル・サンデルやトマ・ピケティーの「白熱教室」、あるいは池上彰のくだらぬニュース解説、いわゆる「天才?クイズ王」番組、さらには東大法学部の左翼・極左教授らの幼稚な真実歪曲ゼミ等々と比較されたくはありません。
中川ゼミとこれらのテレビ番組・大学ゼミ等とを同レベルで比較することは「笑止千万」であり、後者は前者に比して、「”個人の真に善き人生”にとってほとんど役に立たず、無意味」、「内容の真実性に関して、天と地の差異、180度真逆」であるという真実だけは明言しておきたいと思います。
これら両者を、同次元・同レベルで比較するのは、前提条件を取り違えた馬鹿馬鹿しい寝言(空言)と言えます。》※改行削除は引用者による。
「保守主義の哲学---ピケティのr>g式に対する世間の馬鹿騒ぎの真相を見極めよ!」コメント欄、

04月01日 「中川八洋掲示板」に「“悪の月刊誌”『文藝春秋』の歴史改竄キャンペーン ──「戦後70周年」に便乗する反日勢力の嘘歴史狂騒録Ⅰ」をアップ(脱稿は03月28日)、本論考において、二〇〇六年に研究を終えた、張作霖爆殺事件の自説を公表。
《私が、張作霖事件に関する自説を発表するのを、本稿の二〇一五年に至るまで、九年間も延期したのは、歴史学者の片隅にもリストできない“ワルの北朝鮮人”中西輝政の“煽動はしゃぎ論評”騒ぎに巻き込まれないためにであり、同時に、諜報史や諜報情報を歴史学から排除する諜報拒否病が重い“欠陥歴史学者”秦郁彦の興奮が醒めるを待つためだった。ありていに言えば、“非学者”中西輝政と“二流学者”秦郁彦が、張作霖事件に関する私の分析視点を発表する機会を九年間も妨害したことになる。》
「“悪の月刊誌”『文藝春秋』の歴史改竄キャンペーン ──「戦後70周年」に便乗する反日勢力の嘘歴史狂騒録Ⅰ」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/01/104405

04月10日 「中川八洋掲示板」に「プーチンの対オバマ核恫喝は、北海道侵攻のシグナル ──非難声明を出さなかった安倍晋三は、"プーチンの犬"以下の、 日本に亡国を齎す疫病神」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/10/160911

04月16日(木) 「中川八洋掲示板」に「「農村コミューン主義」革命家に心酔する“戦争狂の狂人”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(19)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/16/134757

04月27日(月) 「中川八洋掲示板」に「「ロシアの世界征服」が悲願のカンジミール・ニシオチョフ ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(20)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/27/151707

04月30日 「中川八洋掲示板」に「西尾幹二はなぜ、64歳のとき突然、“集団ヒステリー” 「鬼畜米英!教」の宣教師になろうと決心したのか ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(21) 」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/04/30/145811

05月09日 「中川八洋掲示板」に「昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228

05月13日 「中川八洋掲示板」に「安倍晋三総理よ、八月九日を“対ロ<国恥>記念日”と定め、政府主催の“満洲・樺太犠牲者追悼式典”を留萌で盛大に挙行せよ。この日、日本国民すべては、満洲と樺太の二方角に追悼の黙祷を捧げようではないか」をアップ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/13/113805

05月16日 都内某ホテルにて「第五回特別ゼミ」開催、テーマは「意図的空白と改竄の現代史──共産党系「学者」と民族系「論客」の共同犯罪」。
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/29/155050
《第五回「特別ゼミ」報告書
去る5月16日、第五回の「特別ゼミ」は、都内の某ホテルで、「意図的空白と改竄の現代史──共産党系「学者」と民族系「論客」の共同犯罪」のテーマで開催されました。以下は、簡単なご報告です。
A、「中川現代史」は、主として、1922年(日本共産党の創設)から1960年5月(改訂安保条約の批准)までの四十年間が研究対象で、他の日本人現代史学者との顕著な特性は、「この間、日本国の主権の筆頭たる外交権と戦争権が、GHQ占領期の七年間を例外として、ソヴィエト・ロシア(ソ連)に剥奪され、日本とは事実上の"ソ連の属国"だった」ことの史学的な立証作業。
また、「中川現代史」は、米英の学界とは同じだが、他の日本人学者とは方法論で決定的な相違があり、サブ分野が5つ(2~6)ではなく、次の6つ。つまり、ソ連の非公然工作史を最重視する学術的方法論。
1. ソ連対日非公然工作史(簡略表現では「ソ連対日謀略史」)
2. 軍事史(=戦争史)
3. 外交史
4. 戦史(=戦闘史)
5. 政治史
6. 経済史
これは、秦郁彦氏や伊藤隆氏らが、ソ連の「対日」非公然偽情報工作の国際政治学的分析という、現代史にとって最も決定的に重要で核心の研究を「陰謀史観」とか「謀略史観」とかと中傷誹謗し「学問でない」と排除する方法論とは、全面的に対峙する。この「中川現代史」に特有な学術用語「非公然工作史」は、ロシアや支那が日本に対して行った「公然でない偽情報工作(=謀略、地下偽情報操作)の歴史を、日本側が諜報intelligence的に分析する学問」と、中川先生は定義されています。
B、中川先生は、日本国の外交権がソ連(スターリン)に剥奪されていたことを、1932~45年の十三年間をケースとして、約20ほどの具体的事例で概説された。ソ連の対日非公然工作史を加味するだけで、私どもが習ってきた現代史とはまったく異次元の歴史が、暗雲の雲間からくっきりと浮かび上がってきて、中川現代史の威力のようなものに圧倒されました。
もっと細かに紹介すべきだとは思うのですが、著作権の問題がありますので、ここで中断させていただくこと、恐縮ですが、お許し下さい。
以上の文責は事務局長 吉田寿太郎》「第五回「特別ゼミ」報告書」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/29/155050
 
06月02日 「中川八洋掲示板」に「“ロシアは我が祖国”の「<反日>朝鮮人」北岡伸一と「安倍70年談話」」をアップ
 
06月04日 衆議院の憲法審査会(委員長=船田元)の与野党参考人招致において、与党・自民党推薦の長谷部恭男・早稲田大学教授が集団的自衛権行使違憲の参考意見を述べる
《6月4日は、安倍晋三にとって悪夢のような日となった。いずれ安倍は、「六・四ショック」と名付けるだろう。
 衆議院の憲法審査会で、自民党が推薦した参考人の長谷部恭男(早大教授)が、「集団的自衛権の行使は、違憲」との見解を示したからだ。もちろん学者の見解は、最高裁判所の大法廷判決ではないから、「集団的自衛権の第九条解釈変更にともなう安保法制の立法作業に何らの法的拘束力を持つものではない」。が、安保法制がいまだ衆議院を通過していない段階だから、国会でのこの立法に対して劇的な暗雲を投げかけた事は否定できない》
「赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型 ──学界の極左化を放置してきた“堕落と腐敗の自民党”六十年間の無為は、日本人の国防否定主義を矯正不能にした」
06月08日 「中川八洋掲示板」に「ネパール国の大地震は、王制廃止への神仏の怒りでは? ──日本政府の復興支援は王制復活を条件とせよ」をアップ
 
06月09日 「中川八洋掲示板」に「赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型 ──学界の極左化を放置してきた“堕落と腐敗の自民党”六十年間の無為は、日本人の国防否定主義を矯正不能にした」をアップ
 
07月01日 「中川八洋掲示板」に「“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の“逆・憲法学” ──警官の制服を着た強盗が「強盗を捕まえろ!」と大声で騒ぐに同じく、“反・立憲主義者”は、「立憲主義!」を連呼する」をアップ
 
07月06日 「中川八洋掲示板」に「安倍晋三は、憲法改正の正攻法を、本当に学んだのか ──“逆・憲法学”長谷部恭男が憲法学界の多数説という現実」をアップ
07月07日 初の電子書籍出版となる『昭和天皇と靖国神社:東京裁判は、日本の国益を毀損したか[Kindle版]』(ファイルサイズ13267KB)をレイルリンク社より刊、Amazon.co.jpにてネット販売
《〔「民族系」人士は──引用者注〕GHQ占領に関しては、自分の立場を明らかにしないか、間接的な支持表現にとどめる。中川八洋のみ、昭和天皇と同じく、公然とGHQ占領を評価。》
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①」表4;終戦によって形成された「保守」と、1983年から簇生した戦後「民族系」
 
07月18日  都内某ホテルにて「第六回特別ゼミ」開催、テーマは「対ロ北海道防衛と全北方領土の無条件奪還──「プーチン新蒙古帝国」の近づく襲来に、一億日本人は「北条時宗」になれるか──」。これをもって「特別ゼミ」第一期が終了、第一期生の懇親会兼卒業パーティが当日の夕方、赤坂の割烹料理屋で執り行われる
《前半の前半では、ロシア領土膨脹史/ロシア軍事脅威論を解説。前半の後半は、北海道や新潟その他へ迫るロシアの侵略の動きに対して、これからの日本国は対ロ防衛の軍事国防政策を急ぎどうすべきかについて。
 後半は、全北方領土の即時無条件奪還は可能であるとの議論であり、そのために復権させ普及させねばならないことが二点提示されました。一つは、国民がもつべき北方領土の国際法上の地位に関する知見と、もう一つは、これまで二百年間にわたる日露外交交渉史の知見です。そして、白痴化著しい自民党国会議員にこれらをどう教育していくかが実に頭が痛いとのお話でした。
 これだけの広範囲の問題を、僅か2時間半で、学術的に論述していく当代随一の超博学。中川先生の手際よさには、名刀の鬼気迫る斬れを感じて少し怖かったほどでありました。
 当日の講義内容を目次的に羅列すると、次の通りです。 
Ⅰ 北海道/新潟県の軍事防衛をどうするか
1、ロシアに関して日本国民がもつべき基礎知見   
•A、蒙古キプチヤク汗国を後継した「第二蒙古帝国」ロシア──プーチンの新ロシアの領土侵略と膨脹は、十三世紀“チンギス・カンの世界制覇”の踏襲。
•B、全日本列島を奪取するまで止まらないロシアの対日侵略──1780年からのロシアの対日侵略史を全く知らない日本人。
•C、略。
2、“ゴルビーの犬”だった安倍晋太郎を継ぐ、“プーチンの犬”安倍晋三が払わんとする対露叩頭外交の巨大な代償
•① 対米核優位態勢を本格化させたプーチン
•② 北方領土の軍事力強化を鋭意進めるプーチン。
•③ オホーツク海から日本の漁船を締め出し、オホーツク海の内海化。これは対日戦争準備の第一段階。  *近未来のウクライナ全土占領のために、プーチンは“黒海の内海化”を進めているが、これと同じ。
•④ しかし、プーチンに魅惑された安倍は、ウクライナを侵略したロシアに対する“西側の対ロ制裁”すら抜け駆けすることばかりに執着。日本国の対ロ従属国家化は間近い。
3、北海道の対ロ無血割譲を決断したのか? 安倍晋三の奇行──北海道/新潟県/青森県の対ロ要塞化を急げ!
Ⅱ ロシアをして「日本に貢がせる(=ロシアが放棄する)」に追い込むのが、北方領土奪還の王道──交渉での合意を求めるなど、荒唐無稽な自滅的敗北への道
1、“逆さ外交”で「北方領土の奪還」を自ら阻害する日本の政治家──外交交渉を完全放棄するのが、対露外交の絶対前提
•A、北方領土の国際法上の地位
•B、鳩山一郎/田中角栄/安倍晋太郎/橋本龍太郎は、日本は「ロシアの従属国家」を宣言して、対ソ叩頭外交に驀進した。──日本は、“スターリンの奴隷”だった大東亜戦争を今も非軍事的に継続している。
•C、ロシアは、北方領土では大規模の対日工作を1945年9月2日以降、一日として欠かさず七十年間、東京だけで毎日、百人名以上を投入して続けている。この水面下工作こそ、ロシア外交の典型で基本。  *表でロシア外務省が行っている外交は演技であり、権限を一切もたない最後の文書作成作業担当者たちにすぎない。対日外交の実際は、裏にいるSVR(旧KGB第一総局)が99%取り仕切る。ロシア外務省はSVRの下部機関であり、ロシアの外務大臣はSVRの課長級で、例えるなら対外報道官のようなもの。
•D、「吉田茂→中川八洋」の無交渉の交渉──対ロ外交の神髄
2、南樺太を含む“固有の領土”奪還の王道に、五賢策あり
•① 日本国内に展開する日本人ロシア工作員を軒並み逮捕して、国民全体で彼らを監視する体制を完成させること。
•② 狸穴(東京都港区)のロシア大使館=対日現地工作作戦本部を閉鎖すること=国交断絶。
•③ ②が極端だと尻込みするなら、非軍事的方策である対ソ経済断交だけでも断行すること。
•④ 米国と密接に連携して行うこと。
•⑤ 略。
以上の文責は、「特別ゼミ」事務局長;吉田寿太郎
(追記)第一期生の懇親会兼卒業パーティは、当日の夕方、赤坂の割烹料理屋で執り行われました。これをもって、「特別ゼミ」第一期は無事終了しました。》
07月20日(月) 安倍晋三・内閣総理大臣が生出演して放送されたフジテレビ系「みんなのニュース」を視聴(出演は午後4時50分から午後6時20分までの90分間)。なお、視聴率は、第1部(午後3時50分~4時50分)が3・5%、第2部(午後4時50分~5時54分)が5・3%、第3部(午後5時54分~7時)が6・7%だった(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地区)。
《“安倍取り巻き三馬鹿代議士”のお騒がせがようやく忘れられ、ほっとしていた矢先の7月20日/21日、今度は、安倍晋三がテレビで集団的自衛権についてトンデモ説明をやっている光景に出くわした。「よく言えば意味不明、正確に言えば完全な間違い」解説を得々と安倍晋三がテレビで語っている姿は、まさしく“お馬鹿代議士”大西英男/井上貴博/長尾敬の“お馬鹿親分”そのもの。唖然とするほかなかった。》
「“おバカ”安倍晋三の「お笑いテレビ解説」──左翼との思想闘争もできない安倍の暗愚は、本物」
 
07月29日 「中川八洋掲示板」に「“おバカ”安倍晋三の「お笑いテレビ解説」──左翼との思想闘争もできない安倍の暗愚は、本物」をアップ
 
07月31日 「中川八洋掲示板」に「明治産業遺産のユネスコ登録で、韓国の対日歴史改竄に組した日本こそ自国毀損の“最悪最凶の反日”国 ──“国家の名誉”も“子孫”も歴史の真実も忘れて、“金権亡者に狂奔するバカ民族・日本人”」をアップ(記事の作成は7月10日)
 
08月07日 「中川八洋掲示板」に「“生れによる差別主義者”為末大は、反核運動の共産革命家 ──反科学の妄語「被曝三世」は、憲法違反!」をアップ
 
08月08日 「中川八洋掲示板」にて、「13名特別ゼミナール」第二期生の募集を告知(応募締め切りは8月28日)
※「中川八洋教授の「13名特別ゼミナール」 について、「第二期」開講のご案内」(吉田寿太郎)
《中川八洋教授の大迫力の講義が大好評を博した「13名特別ゼミナール」 について、「第二期」開講のご案内中です。興味のある方はぜひ詳細ページをご覧ください。応募の締め切りは8月28日です。》
《中川八洋先生が主宰されている「13名特別ゼミナール」は、さる7月に第一期生が無事卒業され、「第一期」は万雷の拍手と惜別の熱気の中で終了致しました。ついては、引き続き「第二期」を開講する運びとなり、第二期生を公募することとなりました。
その第一回は九月の某土曜日を予定しています。隔月開催の六回なので、「第二期」の最終は来年7月です。各回、昼食を挿んで、通しの二時間半となります。》
08月16日 21時 テレビ朝日系で放送のテレビドラマ「戦後70年ドラマスペシャル 妻と飛んだ特攻兵」(豊田正義、2013年、原作。主演は成宮寛貴(関東軍少尉山内節夫)と堀北真希(山内房子役))を視聴 http://www.tv-asahi.co.jp/tokkouhei/
《〔2015年(平成27)年-引用者注〕8月16日、“極左”古舘伊知郎が喋り捲る真赤な「報道ステーション」など“反日”一色のテレビ朝日が珍しいことに、実に優れた番組を放映した。歴史に埋もれて専門家以外には余り知られていない満洲で起きた一つの歴史事実を素材にした、原作『妻と飛んだ特攻兵』(2013年、豊田正義)をTVドラマ化したのである。主演は、成宮寛貴と堀北真希。
このTVドラマよりも、私がもっと感動したのは、インターネットで放送の三日前の8月13日、東京都世田谷区下馬にある世田谷山観音寺にある「神州不滅特別攻撃隊の碑」の前で、堀北と成宮が揃って撮った写真であった。私が、この「神州不滅特別攻撃隊の碑」に白菊と線香を携えて最初に参拝したのは、一九七〇年八月だったように思うので、そうであれば私は25歳だった。
女優の堀北は26歳、俳優の成宮は33歳なので、ほぼ同じ年齢での両名の碑参は、何かしら世代間継承できたかのようなほっとする安堵感が私を包んだ。(以下略)》
「堀北真希と成宮寛貴が主演の「ソ連戦車への特攻」こそ、日本人の魂──ソ連が崩壊してもロシア民族の対日侵略は、ソ連のまま。プーチンの北海道・新潟侵攻の準備は急ピッチ」
08月21日 「中川八洋掲示板」に「堀北真希と成宮寛貴が主演の「ソ連戦車への特攻」こそ、日本人の魂──ソ連が崩壊してもロシア民族の対日侵略は、ソ連のまま。プーチンの北海道・新潟侵攻の準備は急ピッチ。」をアップ
 
08月28日 「中川八洋掲示板」に「「村山談話」を全面否定しなかった公約裏切りは、人気至上主義の安倍晋三が、愛国心ゼロの民族主義者だからだ ──「反日」本性を遂に剥き出して“日本の中国属国化”に走り出した危険宰相こそ“おバカ”安倍晋三」をアップ 
 
08月31日 「中川八洋掲示板」に「共産党系フェミニズムを狂信する“危険ラインを越えた「反日極左」宰相”安倍晋三──安倍晋三は、出生率の大低下と家族解体を進め日本衰落を不可避にする “女性活躍推進法の立役者=赤い国賊”」をアップ 
 
09月11日 「中川八洋掲示板」に「「抗日戦争勝利70周年」軍事パレードは、習近平の対日宣戦布告! ──“反・国防”の安倍晋三に代え、保守主義者を総理にしなければ、日本の国家存立は絶望!」をアップ
 
09月 都内某ホテルで、「中川特別ゼミ」第二期(第1回)を開催。テーマは「家族解体&出生率大低下で日本民族の滅亡を狙う“世界最猛毒の日本型フェミニズム”」
 
09月18日 「中川八洋掲示板」に「“非国民”翁長雄志・知事を中共に追放しよう! ──日本国民の血税年三千億円を喰う沖縄人は日本人か」をアップ
 
09月26日 ロン・チャーナウRon Chernow『アレグザンダー・ハミルトン伝』全三巻、日経BP社より刊(奥付)
《多くの読者にとって既知だが、私は、日本でたった一人の米国建国の精神・イデオロギーの研究者である。アレクザンダー・ハミルトンの政治思想の研究は、日本では私をもって嚆矢とする。拙著『保守主義の哲学』の第2章や『正統の憲法 バークの哲学』に、その概要がまとめられている(注3)。
 また、私にとって、ハミルトンはバークともに、日本国に導入したい最高の保守主義思想である。『ハミルトン哲学』を上梓するため史跡の写真撮影も兼ね、ウォール街の向かいにあるトリニティ教会に眠るハミルトンの墓参りをし、同教会が保管する副大統領アーロン・バーとの決闘(これにてハミルトンは死亡。享年49歳)で使われた短銃に涙した。だが、私もいつしか古希を過ぎ、米国のいかなる学者よりも精通していると自負してきた『ハミルトン哲学』を纏める事を断念せざるを言えない。私に続くハミルトン研究者に後事を託したいが、極左人士しかいない東大法学部ほか日本の大学では望みは薄い。上記拙著に呼応して『ハミルトン伝記』が邦訳出版されたのが(注4)、唯一の慰めとなった。》
「トランプ大統領と日本の《国防第一(ストロング・ジャパン)》への大転換が、太平洋の平和に貢献する──安倍晋三よ、軽空母4隻と原潜4隻を直ちに米国に発注せよ。これが真の日米同盟の絆だ!」
(引用者注)引用文中の(注4)が本書
10月02日 「中川八洋掲示板」に「プーチンに北方領土を貢ぐ安倍晋三の「反日」狂気──“売国奴”安倍晋太郎/森喜朗/谷内正太郎と異様な絆で結ばれた“準ロシア人”安倍晋三」をアップ
10月13日 「中川八洋掲示板」に「コミュニスト閣僚を四人に増やした安倍晋三の底意に潜むもの──共産党主導の教育赤化の幇助と推進」をアップ
 
10月21日 「中川八洋掲示板」に「共産党系官僚と共謀し“出生率の大低下=日本民族の絶滅”を推進する“赤い国賊”安倍晋三 ──安倍晋三が創った国民騙しの“欺瞞語”「希望出生率」」をアップ 
 
10月02日付『朝日新聞』掲載「大学世界ランキング」で母校・東京大学のあまりのランキングの低さに暗澹とする
《大学世界ランキングは、『朝日新聞』2015年10月2日付けに、簡単な報道がある。尚、序なので、トップ十校をリストする。私の母校スタンフォード大学が世界3位にはほっとしたが、もう一つの母校・東大が(13位ではなく)43位とは、我が目を疑い、絶句した。“日本国の将来”は、暗く絶望。暗澹たる思いに駆られるばかりである。》「日本の異常な「国民祝日」数を半分、即時廃止せよ! ──日本人の学力低下は、月曜日が休みの三連休が主因」
 
10月30日 「中川八洋掲示板」に「日本の異常な「国民祝日」数を半分、即時廃止せよ! ──日本人の学力低下は、月曜日が休みの三連休が主因」をアップ
 
11月09日 「中川八洋掲示板」に「共産党に入党すべき外相・岸田文雄の“痴呆” ──国連に提出した核廃絶決議案は、“日本存立の要石” 「米国の核の傘 extended deterrence」を破壊する“自虐の狂気” 」をアップ
 
11月11日 「中川八洋掲示板」に「「介護離職ゼロ」は、親子の情愛を憎悪する家族解体の“悪魔の思想”──「80%共産主義者」の正体を剥きだし、“人倫&道徳”破壊に暴走する“赤い”安倍晋三」をアップ
 
11月21日 都内某ホテルで、「中川特別ゼミ」第二期(第2回)を開催。テーマは「ロシア侵略下の満洲邦人の惨状と被殺戮数を、厚生省はどう隠蔽・大改竄したか」
 
12月09日 「中川八洋掲示板」に「スターリンの命令通りに、大敗北を演出した関東軍のノモンハン戦争 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史23」をアップ
 
12月15日 「中川八洋掲示板」に「日テレ『偽装の結婚』は、家族解体と日本民族の絶滅を狙う、共産党製作の“史上最悪の共産革命”宣伝TVドラマ ──“狂気”ゲイ礼賛/レズ礼賛/夫婦否定/家族否定は日本亡国の麻薬」をアップ
 
12月18日 プーチン、トランプ大統領候補を称讃するコメントを発表
《プーチンは、ロシア民族の典型的な超エリートで、国民弾圧・監視を担当する巨大官庁・KGB第二総局の、その上級将校の出である。そんなプーチンが、褒め上げる時は、籠絡の成功していない限りあり得ない。プーチンが褒める首脳は、安倍晋三とトランプだけ。とすれば、トランプもまた“ロシア工作員”はともかくロシア政商との癒着が相当なものである可能性は高く、この問題を2015年12月18日(日本時間)以来、一年間、考え続けてきた。2015年12月17日、プーチンが、モスクワでの年次記者会見の終了後、「トランプ氏は非常に個性的な人物で才能もある。ロシアとの関係についてより近くより深い新しい段階への移行を望んでいると語っている。ロシアは彼の発言を歓迎する」と、トランプを称讃したからだ。》
「安倍晋三よ、直ぐにリトアニアに飛び防衛協力協定を協議し、トランプ・プーチン関係に楔を打ち“分断”せよ! ──12・15日露会談を中止し、日本が世界を“ロシア包囲”に主導する時」
12月26日 「中川八洋掲示板」に「戦後日本人こそが隠蔽操作し歴史の闇に閉ざした“ソ連満洲侵略史”の真実。自明すぎるGHQの無関係──“歴史の偽造家”西尾幹二の妄言狂史24」をアップ
 
12月28日 安倍晋三-岸田文雄、“従軍慰安婦問題”に関して「外務大臣談話」(共同記者会見)を発出す
《このような安倍晋三が、コリアン従軍慰安婦に関する嘘歴史と10億円提供で、「韓国のヒステリックな日本非難が消えて、大使館前の少女像が撤去されて、それで自分の政治家としての名声が残る」ならば安い買い物だと考えたのは、安倍の異常な妄想癖と三歳児相当の幼児性において自然の成り行きだった。“95歳の痴呆老人”岸田文雄・外務大臣を通じた安倍晋三の、次の対世界声明文を読めば、日頃は民族系の衣でうまく隠しているが、実質共産党の河野洋平の談話を信奉するように、親子二代に亘って北朝鮮人が大好きな安倍晋三には日本国民であるとの意識は微塵も存在しないことは一目瞭然。安倍晋三とは、まさに凶悪な“日本国の敵”である。》
《2015年12月28日の岸田外務大臣を通じた安倍晋三の対世界声明文は、A嘘歴史/B無実の日本国に賠償させる冤罪捏造/C現実遊離の妄想、という三つのロジックから構成されている。》
《安倍晋三とは、歴史事実を俺様はどんなにでも改変できるのだと自惚れているから、反科学/反学問の独裁者気取りの“アホ・馬鹿・気狂い政治家”と言うことになる。要は、安倍晋三は、ガリレオに「地動説を撤回しなければ焚刑にするぞ」と脅した教会の異端審問官と同種。つまり、歴史の真実の価値など理解できない“ゴロツキ宰相”安倍晋三は、2015年12月28日、上記のような真っ赤な嘘歴史を世界に公言し、しかも言葉だけでなく、10億円の慰謝料/損害賠償として支払った行動までした安倍晋三は、紛れもなく過激な対朝鮮売国奴だし、それ以上の問題を持つ人物ということ。  
 安倍晋三について驚くべきことは、この対朝鮮人売国奴性の問題だけではない。さらにもう一つ。この謝罪と十億円賠償支払いが、従軍慰安婦問題をさらに大炎上させることになるのに、「最終的かつ不可逆的に解決される」と逆さに信じていた問題は、看過すべきではない。安倍晋三の頭は三歳の幼児のと変るところがないのに、総理権限で三歳児の思い付きを国家の意思とするのだから、日本国の国益が受ける損傷は測り知れないものとなる。》
《韓国は、大統領も政府も国民もグルであって、2015年、個人的な功名心しかない“愛国心ゼロの売国奴”安倍晋三を初めから騙す目的で、12月28日の岸田外務大臣の『談話』(共同記者発表)を発出させた。安倍晋太郎のDNAを継ぐ“非・国民”が本性の安倍晋三は、韓国との外交に積極的に大敗北する道を選択し、日本国民から歴史の真実を剥奪することに同意した。
 「少女像」は、釜山だけでない。米国の首都ワシントンD.C.にも12月10日に新しく設置された。これらはすべて安倍晋三が、岸田に代読させた『談話』がもたらした必然であり、「河野洋平談話=岸田文雄談話」が煽動し過激化を正当化したためである。
 この迷路から日本が脱出して韓国に歴史の真実を飲ませる方策は唯一つ。直ちに日本が、2015年12月28日付けの「岸田文雄談話」を廃棄すると世界に声明することだけである。もし、安倍晋三が、この声明を出さず、弥縫策で自己保身のアリバイ工作に過ぎない、大使・総領事の一時召還でお茶を濁す積りなら、それこそ安倍晋三が“第二の河野洋平”“河野洋平のクローン”の証左であろう。》
「「釜山・少女像」は、嘘歴史を日韓合意した安倍外交の破綻 ──国家の安全と名誉を平然と毀損する愛国心なき“幼児”安倍晋三」
 
《2015年12月28日、岸田文雄・外務大臣を通じ、安倍晋三が朴大統領に同意した「従軍慰安婦問題」の最終合意談話は、河野洋平・官房長官談話(1993年夏)をそのまま踏襲する、「反日」もここまでひどいものは滅多にない、真赤な嘘歴史(偽造歴史)を世界広くに頒布宣伝するものだった。しかも、A嘘歴史に加え、さらに、韓国にB無実の日本国に賠償させる冤罪捏造およびC現実遊離の妄想というボーナスまで差し出していた(注11)。
 “スーパーお馬鹿”の安倍晋三は、逆効果いちじるしい、韓国に少女像を世界中に建立してよい口実を与える、屈辱的な対韓全面降伏の“嘘歴史+10億円”を提供した。安倍晋三はIQが欠如するから、そうすれば「韓国のヒステリックな日本非難が消え、大使館前の少女像が撤去され、自分の政治家としての名声が残る」と考えたのである。これほど安倍晋三の知的能力は低く、「小学校三年レベル」が実態である。
 だが日本では、従軍慰安婦「嘘歴史」問題で逆走外交を行い日本国の名誉を永遠に毀損した安倍晋三に対する退陣要求のデモは起きていない。朴槿恵に対して退陣要求デモが起きる法治主義が活発な韓国と、安倍晋三に対して退陣要求運動すら起きない、法治主義も正義も逼塞した日本と、何れが健全な国家と言えるのか。》
「精神分裂病の狂気がさらに進む西尾幹二 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(35) 」
 
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2016・平成28年  71歳
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01月04日 「中川八洋掲示板」に「北朝鮮人化する“無学輩”八木秀次──日本を救ったポツダム宣言を貶める“新・国賊”」をアップ
 
01月12日 「中川八洋掲示板」に「太陽光発電を全面禁止する立法を急げ! ──太陽光発電は、地震国・日本に最不適合な公害型発電」をアップ
《安倍晋三も自民党の国会議員も一般の国民も、荒唐無稽な“反・工学”の謬説に洗脳されてしまっている。それは、原発に代わる電気エネルギーがいくらでもあるという妄想である。その中でも、特段にひどい妄想は、「太陽光発電が原発の代替となりうる」との、狂気に近い真赤な嘘。絶句するほかない。  
 2016年1月12日付け掲示の本ブログ「太陽光発電を全面禁止する立法を急げ!太陽光発電は、地震国・日本に最も不適合な公害型発電」で指摘したが、緯度/気象条件において日照時間が少ない日本では、太陽光利用はナンセンスな発電方式である上に、地震と水害の多い日本が選択すること自体、工学的に狂気である。この事については、上記のブログ掲示の拙稿を読んで頂くとして、そんなトンデモナイ危険な発電方式を普及させるために、電力料金に「税金」を加算して消費者(国民)から召し上げる阿漕な事を、安倍政権=経産省はしている。  
 それが、各世帯から電気料金と共に徴収している、実態は「税金」の、「再生可能エネルギー発電促進賦課金」というもの。工学という学問において自明の、地震国・日本では厳しく禁止すべき“トンデモ発電方式”太陽光発電をなぜ税金まで取って普及させる必要があるのか。地震国・日本でもっとも安全なのは、原発である。原発だけが唯一無比にもっとも確実に電気を非常時にも供給できる。  
 太陽光発電をしたい企業や家庭があるなら、それは自由であり、勝手にやればいい。だが、太陽光の電気を使っていない一般家庭から「税金」を徴収するのは、国家権力による不当な個人財産への侵害であり、憲法違反である。増税狂の安倍晋三は、何でもかんでも増税する事しか念頭にない。》
「新潟知事選で“脱原発派”に敗北は安倍晋三が元凶 ──“脱・原発狂”菅義偉に操られる安倍晋三の“二枚舌”が破綻した!」
 
01月16日 東京都内のホテルにて、第2期第3回「特別ゼミ」を開催、テーマは「大東亜戦争の真相全てがコンパクトに凝集したノモンハン戦争四ヶ月間の徹底解剖──証明可能な「スターリン命令通りの“日ソ共演の日本大敗北劇”」
 
01月25日 「中川八洋掲示板」に「第2期第3回「特別ゼミ」報告書」掲載、「B ゼミ要旨」を代筆
 
02月02日 「中川八洋掲示板」に「G6は、伊勢志摩サミットをボイコットせよ! ──“《侵略の皇帝》プーチンの犬”安倍晋三の制裁こそ正義」をアップ
 
02月08日 「中川八洋掲示板」に「G7に叛旗する安倍晋三の売笑婦型“対ロ嬌態” ──“《侵略の皇帝》プーチンの犬”安倍晋三の制裁こそ正義(Ⅱ)」をアップ
02月12日 「中川八洋掲示板」に「北鮮「弾道ミサイル発射塔」先制破壊こそ日本国防の根本 ──核ミサイル飛来を台風と同一視する“痴呆”安倍晋三「万全の対応」」をアップ http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/02/12/231730
 
02月16日 「中川八洋掲示板」に「プチャーチンに惚れた“対ロ大敗北”川路聖謨の下田交渉 ──“《侵略の皇帝》プーチンの犬”安倍晋三の制裁こそ正義(Ⅲ)」をアップ
02月17日 「中川八洋掲示板」に「非科学の極み「除染1ミリシーベルト目標」は、日本経済の破滅を狙った“悪の北朝鮮人”菅直人の大犯罪 ──ニュートン的科学に基づく丸川珠代・環境大臣を応援せよ!」をアップ
《安倍晋三が、菅直人が主導した民主党の脱原発革命路線を叩き潰す第二/第三の策も、2012年12月~2013年3月の時点では、実行は簡単だった。第二第三とはそれぞれ、福島セシウム避難の即時全面解除と帰郷とセシウム除染の全面中止のことである。  
 これについては、当ブログ2016年2月17日付で掲示しした「非科学の極み《除染一㍉シーベルト目標》は、日本経済の破滅を狙った“悪の北朝鮮人”菅直人の大犯罪」を読んで頂きたい。簡単に言えば、除染は、仮にICRP勧告の「1~20㍉シーベルト」を採用するとして、人体被曝線量は自然環境のそれに逓減係数「0.1」を掛けねばならないから、ICRP勧告を援用した自然環境の除染基準は「10~200㍉シーベルト」となる。  
 ところが、共産党員官僚ばかりの環境省は、最小値の「1㍉シーベルト」を採用したばかりか、この逓減係数をかけないトリックをなした。非科学も度が過ぎるし、悪質な犯罪である。「10~200㍉シーベルト」の中間値は「100㍉シーベルト」だから、政府はこの値を採るべきであった。とすれば福島県で除染する箇所は、実は全く存在しない。  
 また、福島県には微量のセシウムが飛散しただけで、しかもセシウムは人体には害がない生物学的特性を持つ放射能である。さらに、ICRPの一時避難の勧告値は「一週間当たり50~500㍉シーベルト」。一方、福島県でもっともセシウムが飛散した箇所は、大熊町に一か所だけあり、それは「年間100㍉シーベルト強」、つまり「一週間2㍉シーベルトちょうど」だった。福島県で避難させる必要がある日本人は全くのゼロであるのは、かくも明々白々であった。  
 要するに、北朝鮮人で共産党員の菅直人首相は、「福島第一」原発事故を誇大に見せるために、福島県人を強制連行的に、国家権力を濫用して郷里放棄を強制し、自宅居住の自由を侵害したのである。そして、80%共産主義者である安倍晋三は、菅直人がなした(居住の自由を定める)憲法に違反する、日本人への大規模人権侵害事件を「正当だ」として継承した。安倍晋三は、菅直人のなした前代未聞の大犯罪の共犯者であり、その隠蔽を行った“世紀の極悪人”といえる。》
「新潟知事選で“脱原発派”に敗北は安倍晋三が元凶 ──“脱・原発狂”菅義偉に操られる安倍晋三の“二枚舌”が破綻した!」
 
02月26日 「中川八洋掲示板」に「南シナ海が急を告げる“風前の尖閣” ──国防を忘れた一億日本人と国防を嫌悪する安倍晋三」をアップ
 
03月09日 「中川八洋掲示板」に「“平成の尾崎秀実”田久保忠衛の怖ろしい正体 ──“隠れ共産主義者”田久保の“保守偽装”演技力は,尾崎秀実の百倍」をアップ
 
03月13日 「中川八洋掲示板」に「日本共産党が主導する“コミュニストの巣窟”国連女性差別撤廃委員会──安倍晋三よ、日本国への内政干渉/外交干渉やりたい放題の国連に、分担金30%カットで対抗せよ」をアップ
 
03月19日 都内の某ホテルにて第2期・第4回「特別ゼミ」 開催、テーマは「学校教育制度破壊(=次代の日本人を不登校児並みに学力ゼロ化する)をもたらす「フリー・スクール」の公的制度化を推進する“安倍晋三の過激共産革命”をどう排撃・阻止するか、日本国の生命源である民族の伝統・慣習の温室たる家族を解体し出生率ゼロをもたらすLGBT神格化の狂気に走る“安倍晋三の過激共産革命”をどう排撃・阻止するか。」
03月28日 「中川八洋掲示板」に「偽造文書を歴史書と嘯く“民族系「反日」教祖”西尾幹二 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(26) 」をアップ
備考;本稿は、前稿「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史25」の、注4と5を補足したもの。
03月31日 「中川八洋掲示板」に 
「日本女性の“幸福な人生”を善導した寺井壽男・中学校長に嚙みつく、“人喰い鬼畜記者”ばかりの朝日聞」をアップ
 
▽ 産経新聞社『国民の憲法』(産経新聞出版、2013年)を購入、その内容に驚愕・戦慄す
《産経新聞は、この「男系男子」を、「男系の子孫」に、マジックショー的に摩り替えた。真に恐ろしいのは、2013年から三年が経つのに、日本人の誰も、天皇制廃止を狙った産経新聞の、この狡猾な“皇位継承の大改悪”問題を指摘もしない、気づきもしない問題の方だ。日本には、皇統護持を真剣に考えている日本人が、もはやほとんどいない事態が常態になった。これこそ皇統断絶に至る情況の到来。私は、戦慄が止まらない。
 尚、私も迂闊だったが、2016年の早春、某氏と「田久保忠衛とは、隠れ共産主義者で、擬装の大名人だ」と雑談するまで、『国民の憲法』を読んでいない事に気付かなかった。急いで購入して読み驚愕した。私が糾弾するまでの丸三年間、これほどに天皇制廃止狂一色の“トンデモ新聞”産経新聞の動きを、誰も指摘しなかった事実は、想像以上に重大で深刻。》
「産経社長・住田良能は、天皇制廃止狂の北朝鮮人 ──“読者騙し紙”産経新聞は、日の丸で包んだ『週刊金曜日』①」
 
04月13日 「中川八洋掲示板」に「信者を凶暴化する“西尾《歴史偽造狂》教団”坦々塾 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(27)」をアップ