『猪木正道の大敗北』

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〔副題〕 ソ連を愛し続けた前防大校長の“言論抑圧裁判”の真相
〔著者〕 奥原唯弘 桶谷繁雄 太山壌 土田隆 中川八洋 松原正 大久保典夫/執筆者
〔シリーズ〕 -
〔出版社〕 日新報道出版部
〔発行年〕 1983-07-20
〔ページ〕 209頁
〔ISBN等〕 0030-222319-5738 ASIN: B000J7D434
〔価格〕 定価1,000円
〔箱・帯〕 箱:なし 帯:不明
〔体裁〕 四六判 18.2cm×12.8cm  ソフトカバー
〔図表〕 あり
〔注記〕 -
〔分類〕 図書

 

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目次
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本書の刊行にあたって 奥原唯弘 3

 

目次 9

 

第一章 「言論抑圧裁判」の手記 中川八洋 13
    “和解”による猪木先生の惨敗/当然ながら正当化された私の小論/“言論の自由”の勝利

 

第二章 敗北した猪木正道氏 太山壌 19
     ─「言論抑圧裁判」の顛末
    猪木正道氏の全面降伏への道/猪木正道氏の品性と知性/言論抑圧に失敗した猪木正道氏/猪木正道氏の身勝手な論理/裁判は脅し(ブラフ)だった?/言論抑圧の常習者/ソ連を愛する猪木正道氏─“隠れ共産主義者”か?/猪木悪罵語録/公正な論評の法理

 

第三章 猪木正道氏の言論抑圧の暴挙に思う 53
  一、猪木正道氏の軽挙を嗤ふ 松原正 54
   保守派知識人への踏絵/思考の軽薄を嗤ふ/言論人の責任を放擲/言論と認めるならば反論を
  二、論争のレトリックをめぐって 大久保典夫 62
   「ソ連の政治目的に奉仕」(猪木氏)と大差ない表現/状況に終始した議論は時代錯誤に/中野重治対平野・荒論争/痛烈な言葉の応酬<花田・吉本論争>
  三、猪木正道氏の名誉と信用 土田隆 70
  四、納得できぬ訴訟 桶谷繁雄 80
  五、その他 85
   (一)猪木正道氏はレベル以下
   (二)内容よりマナー先行?─猪木・中川両氏の防衛論争
   (三)本番入りする防衛論争─「国際派」と「国内派」の対立
   (四)“片言隻句”で名誉毀損─猪木正道氏 低次元の争いに

 

第四章 猪木正道氏の悪罵語録 太山壌 97
   (一)鳩山一郎(元首相)に対して
   (二)清水幾太郎氏に対して
   (三)江藤淳(東工大教授)氏と田中美知太郎(京大名誉教授)氏ではないかといわれるある文学者とある哲学者に対して
   (四)ソ連脅威論者に対して
   (五)レーガン大統領に対して
   (六)栗栖弘臣氏に対して
   (七)日米安保条約改訂(強化)論者に対して
   
第五章 猪木正道先生の危険な防衛論 中川八洋 117
  第一節 ソ連を愛し続けた猪木正道先生
   猪木正道先生の主張とは/愛ソ家・猪木先生の不可解な心情/なぜか、ソ連政府要人と発言が一致する
  第二節 “スターリン礼讃者”としての猪木正道先生
   狂信的な憲法改正反対論者か?/社会党政権待望論者か?/左派社会党熱烈支持の猪木正道先生/「ソ連万歳!」の数々/自由主義社会嫌いか?/「隠れ左翼」?
  第三節 軍国主義者の論理を継承した猪木正道先生
   正しい想定敵国の確立を/想定敵国の力は過大評価するもの/歴史の教訓を生かすとき

 

第六章 「言論の自由」のための法理論 太山壌 187
    名誉毀損の訴えと言論抑圧機能/「刑法二三〇条の二の規定の趣旨からの法理」/「公正な論評の法理」/「現実的悪意の法理」

 

あとがき 207

 

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所蔵
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国立国会図書館 あり(請求記号:AZ-225-75)
http://iss.ndl.go.jp/
都立中央図書館 なし
都立多摩図書館 なし

 

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情報元
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・初出

第一章 中川八洋「「言論抑圧裁判」の手記」 、『人と日本』1983年3月号、行政通信社

第二章 太山壌「敗北した猪木正道氏」、『人と日本』1983年3月号、行政通信社

第三章 

松原正「猪木正道氏の軽挙を嗤ふ」、『月曜評論』1981年10月5日付、月曜評論社

大久保典夫「論争のレトリックをめぐって」、『月曜評論』1981年9月21日付、月曜評論社

土田隆「猪木正道氏の名誉と信用」、『動向』1981年12月号、動向社

桶谷繁雄「納得できぬ訴訟」、『発明』1982年5月号

 

第四章 

第五章 

 

 

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他文献
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・猪木正道「防衛論議の虚実」、『中央公論』96(1)、1981年1月号、110~120頁。

 

・中川八洋「奇怪な“ソ連は脅威ではない”の大合唱─猪木正道氏の理解不能なレトリックを批判する」、『月曜評論』1981年7月20日号、のち『ソ連は日本を核攻撃する』所収「猪木正道氏の『言論抑圧事件』とそのソ連観」に改題再録。

 

・中川八洋「」、『月曜評論』1981年8月3日号、のち『ソ連は日本を核攻撃する』所収「猪木正道氏の『言論抑圧事件』とそのソ連観」に改題再録。

 

・中川八洋「」、『月曜評論』1981年8月24日号

 

・猪木正道「」、『世界日報』1981年9月1日付

 

・公文俊平「」、『日本経済新聞』1981年7月26日付

 

・『週刊文春』1981年8月20日号

 

・神谷不二「」、『日本経済新聞』1981年8月21日付

 

・「ペン先」、『日本経済新聞』1981年9月6日付 ※コラム欄

 

・土田隆「猪木正道氏の名誉と信用」、『動向』1981年1月号

 

・福田恒存「」、『中央公論』1982年4月号

 

・『世界週報』1982年7月4日号

 

・『週刊文春』1983年1月20日号

 

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備考
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・猪木正道による「言論抑圧裁判」は、猪木正道による1981年(昭和56年)8月19日の刑事告訴、同年9月8日民事訴訟の提起によってはじまり、1982年(昭和57年)12月23日の和解で終結した。

 

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内容
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《猪木正道氏が中川八洋氏を相手に、名誉毀損を理由に東京地裁に提訴した“言論裁判”は、全く大人気ないとの印象を一般に与えるものであったろう。猪木氏は学界ないし言論界の大家と評されていた人物であり、中川氏は猪木氏とは親子ほどに年齢の異なる戦後生まれの新進気鋭の論客である。したがって、中川氏の論評が気に入らなければ、反論によりこれを論破するか、たしなめるかのいずれかの方法をとればよいと考えられるものであったからである。あるいは、黙殺するのも一つの方法であったろう。
 周知のように、事の起りは、中川氏が猪木氏の「防衛論議の虚実」(「中央公論」昭和五十六年一月号所載)を対象とする論文「猪木正道氏の理解不能なレトリックを批判する」(「月曜評論」所載)の中で、猪木氏のソ連寄りの論旨を捉えて「もしかしたら彼がソ連への忠誠心をもっていることの矛盾から生じたものではないか」「このような猪木氏の口ぶりは、彼がソ連政府の代理人になったかの如くである」と記述したことに始まる。猪木氏はこの文言を捉えて、月曜評論社編集兼発行人の桶谷繁雄、中川八洋の両氏に対し、先ず弁護士五人連名の内容証明郵便で右記述の取消しと謝罪広告の掲載を要求し、次いで東京地検に名誉毀損での処罰を求めて告訴したのである。この事実を明確に知れば、おそらく「大人気ない」との印象は消えていくことであろう。刑事上及び民事上の法的手段に訴えた強引さは、“おれに手向かうとひどい目にあうぞ”との脅かしを感じさせるものではなかろうか。
・・・・・・》(奥原唯弘「本書の刊行にあたって」3~4頁より)

 

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更新履歴
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2013-06-18

 


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